エッセイと絵日記と小説が入り交じったような、ノスタルジーな物語
- ★★★ Excellent!!!
幼いころの景色がふわっと蘇ることがある。この懐かしい感じはどこから来るんだろうってあたりを見回すと、落ち葉の匂いだったり、向かいではしゃぐ子供の姿だったり、苔むした石段の上にある神社のある風景だったりする。
子供のころ、弟とよく遊んだ。いろいろあって最近はほとんど会わないのだけれど、あの当時は一緒にザリガニを捕まえたり、ダンゴムシを集めたり、そんなことをして過ごしていた。植木鉢の下をひっくり返すと、それはもう想像もつかないような小さな生き物たちの世界があって、とても感動したのを覚えている。
おばあちゃんの家に泊まった時、なかなか寝付けなくて、そのうち天井の木目が人の顔のように見えてきたり、小学校の図書館で借りてきたシートン動物記が家の片隅に置かれていた黄昏時。
正直、もっと読んでいたかった。僕はこのエッセイを通して、そして空さんの言葉を通して、幼少期の僕と、あの当時、丸坊主で鼻水をたらし、いつも僕の後についてきた半ズボンの弟に再会できたように思う。
環世界。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されているという生物学的概念を提唱した。つまり生き物にはそれぞれ固有の時間、空間があり、それを生物固有の環世界と呼ぶのだ。
例えばダニからすれば、人間は驚くほどすばしっこい生物だなと思っているかもしれないし、ベタという熱帯魚からしたら、人間はなんてのろまなんだと思っているかもしれない。
本作品に登場する姉弟はきっと、いきものの世界を垣間見ていたのだと思う。彼女、彼らはいきものと世界を共有している。そう、同じ環世界にいるのだ。ダンゴムシ1匹1匹に挨拶をしたり、バッタの姿に見惚れたり、カナチョロにキスをしたり。
いきものと同じ時間、空間を共有している――子供のころ、僕らはみんなそうだったのかもしれない。大人になるって、きっと大人の時間の枠、大人の環世界に縛られていくこと。それは良くも悪くも。子供の時間・空間から大人の時間・空間へ。その中で失われたものが確かにあった。
本作品には大人になって失ってしまったとても大切なものが言葉に刻まれています。何度でも読みたい素敵な言葉たち。それはまるでエッセイと絵日記と小説が入り交じったような、ノスタルジーな物語。