郷愁であったり、愛情であったり。
生き物への慈しみも、好奇心も、幼い日々の思い出とともにたっぷりと語られています。
常に底を流れているのは、優しさでしょうか。
たまに残酷?なこともしますけどね。子どもですから!
既に立派なレビューが並んでいるので、付け加えることはあまり無いんです。
ただ、読む人によって、魅力を感じるところは様々になりそう。
ダンゴムシやザリガニのエピソードに、自分の幼少を重ねる人もいるでしょう。
犬や姉弟喧嘩の話では、ハラハラして読んだり。
「蟻地獄」地獄や「鷲掴み」なんて、クスクス笑えるネタもバッチリ仕込んであります。
でも結局、作者さんの魅力がそのまま出てるから面白いんでしょうね。
嫌味の無い語り口を、ぜひ皆さんも味わってみてください!
アリにアリジゴク、カタツムリ、ミミズ、バッタ、ダンゴムシ……。猫、子犬、吸い込まれそうに鮮やかな夜空、物語のなかの出会ったことのない動物たち、そして弟。
子どもにとって世界はまだ小さく、そこに暮らすものたちとの距離もうんと近く色鮮やかで、賑やかで楽しいのだと思います。
この作品は、そんな世界が身近にあったことを、思い出させてくれます。いきもの達へそそがれる作者さまの眼差しの優しいこと。温かな愛情が、文字から伝わってきます。
「間違えて人に生まれて来てしまったのではないか」と仰る作者さまですが、この感性は人ならでは、と私は思いました。
ところで、オオタカと猪の件は、何故そうなったのでしょう?
とても気になります(期待)。
眠ろうとしたらね。
ぼくのところに、ちっちゃな羊さんたちが、わさわさお喋りに来たんだ。
それぞれ、色んな風合いの毛布を持って、かけようとするんだよ。
あったかく包んでくれたり
どきどきするような冒険談を話してくれたり
どれも、ほのかに愛に包まれているんだよね。
こどもの頃、眠る間際に目を閉じると
ぼくには、紙芝居みたいなものが見えたんだ。あの時のように。
あの頃は、自然と共に生きていた。
近くには川が流れ、振り返ればいつもそこには山があった。
棒きれを持って、いつも何かを探すように、確かめるように。
側には、いつも何か蠢くものがいたんだよね。
そんな忘れていた情景が一気に目の前に提示される。
自分より小さなものを慈しむのは、君が優しいから。
君にふれられてしあわせな顔をした小さな生き物たちの笑顔が浮かぶ。
この作品に出会えて、本当に良かった。こんなにもみずみずしく、優しくて、温かく、眩しいほどキラキラしているモノに出会えるなんて、めったにない。心が不安定な時は、この作品で一休みしてほしいくらいだ。読んだ後にはきっと、心がすっきりするはずです。
この作品は、作者様の幼少期のエッセイ風の物語である。子供は純粋と言われるが、時に残酷なことをする。蟻地獄に蟻を入れたり、虫を捕まえたり。しかしそれは、好奇心という純粋さに基づいた「残酷さ」なのではないだろうか。つまり、「子供は意外に残酷なことをする」というのは、大人の価値観だ。子供は純粋な好奇心によって経験を積み、成長する。
作者様の本当に美しい日本語で表現されるこの作品は、思い切りキラキラした懐かしい光景を見せてくれる。「子供の残酷さ=暗い」という物語が多い中、この作品に暗さや重さは感じられない。それはきっと大人になって、表面上でしか好奇心を得られなくなってきているのではないか、と思わされる。
子供の頃にあった、「残酷」でキラキラした「好奇心」は今、貴方の心のどこにしまわれていますか? そこから派生した優しさや勇気は、今でも息づいているだろうか? 何回でも読み返したくなる、貴方にとっても大切な何かを呼び起こす作品です。
是非、ご一読ください。
作者さまと仲良しの弟さんとの想い出
身近ないきものと関わった想い出
大人になってから想い出す煌めき
作者さまと弟さんが過ごした幼い頃の想い出を回想するエッセイ集です。
仲良し姉弟の想い出にはいつでもいきものが側にいました。
ダンゴムシにバッタにザリガニなど。
特別珍しいいきものではありません。
似たような体験をしたことのある人もいるかもしれません。
それでもこの作品から感じられる純な眩しさや無垢な煌めきは唯一無二のもので、作者さまの表現力によるところが大きいのだと思います。
身近にいるいきものとの「体験したかもしれない」想い出に一緒に浸れる作品です。
明日から道端のいきものたちを大切にしたくなる「いきものがかり」さんが綴る「いきものずかん」
微笑ましくて、時にはホロリと泣ける疑似体験を皆さんにもぜひ。
幼い頃、生き物たちと言葉が通じているように話しかけていた。
地面の上にしゃがみこみ、何時間もなにかをいじっていた。
今考えると「なぜ?」と思えるようなものに、夢中になっていた。
そんな経験がある方へ、ぜひオススメした作品です。
子どもの頃に、作者の身に起こったエッセイを読んでいるのですが、
いつの間にか自分自身の記憶が頭をよぎり、懐かしい思い出に浸っていました。
大人になって、忘れかけていたこと。
一見どうでもいいことが、とても大切な宝物と確信していたあの頃。
この物語を読んで、改めて思い出すことができました。
個人の感想になってしまいますが、読んで良かったです。出会えて良かったです。
とても優しい文体で描かれた、幼い日の一コマ作品です。
姉と弟とのやりとりを通じて、子供の時に触れあったいきものたちを思い出させてくれます。
特筆すべきポイントは、飾らない内容だからこそ、ストレートに胸に響いてくることです。それは、強烈なノスタルジーとなり、忘れていた大切な何かを思い出させてくれます。
特に、大人になって日々の暮らしに追われている方におすすめします。
一度、立ち止まってゆっくりと思い出してみませんか?
かつて何も考えずに純粋に色んなことに興味を示していた自分に、ほんの少しの間だけでも戻ってみるのもいいかもしれませんよ!!
「なぜ今までこの気持ちを忘れていたんだろう?」
というのが、この素晴らしいエッセイを読んで抱いた最初の感想でした。
バッタやザリガニの格好良さに見惚れ、トカゲが可愛くてたまらなくて、アリジゴクの面白さを何時間でも観察していられた、あの頃の気持ち。友達や兄弟と草むらに分け入り、森を探検していた頃の純粋な好奇心。
でも、それだけではなく、子供ながらに1人で何かに立ち向かわなければならなかったときの心細さ。それを乗り越えようと振り絞った勇気。兄弟に対して持っていた微妙な感情、喧嘩した後の仲直りしたい気持ち……。
「懐かしさは癒やしになる」というのは本当ですね。
連載中、このエッセイを読んだ後はいつも心が癒やされていました。
あの頃、夢中になっていたもの、子供なりに真剣に考えていたこと。心の屋根裏部屋に眠っていた宝箱を1つずつ開けて「ほら、こんなこともあったよね」と思い出させてくれる。そんな素敵なエッセイです。
幼いころの景色がふわっと蘇ることがある。この懐かしい感じはどこから来るんだろうってあたりを見回すと、落ち葉の匂いだったり、向かいではしゃぐ子供の姿だったり、苔むした石段の上にある神社のある風景だったりする。
子供のころ、弟とよく遊んだ。いろいろあって最近はほとんど会わないのだけれど、あの当時は一緒にザリガニを捕まえたり、ダンゴムシを集めたり、そんなことをして過ごしていた。植木鉢の下をひっくり返すと、それはもう想像もつかないような小さな生き物たちの世界があって、とても感動したのを覚えている。
おばあちゃんの家に泊まった時、なかなか寝付けなくて、そのうち天井の木目が人の顔のように見えてきたり、小学校の図書館で借りてきたシートン動物記が家の片隅に置かれていた黄昏時。
正直、もっと読んでいたかった。僕はこのエッセイを通して、そして空さんの言葉を通して、幼少期の僕と、あの当時、丸坊主で鼻水をたらし、いつも僕の後についてきた半ズボンの弟に再会できたように思う。
環世界。ヤーコプ・フォン・ユクスキュルは、すべての動物はそれぞれに種特有の知覚世界をもって生きており、動物主体にとってはそれぞれ独自の時間・空間として知覚されているという生物学的概念を提唱した。つまり生き物にはそれぞれ固有の時間、空間があり、それを生物固有の環世界と呼ぶのだ。
例えばダニからすれば、人間は驚くほどすばしっこい生物だなと思っているかもしれないし、ベタという熱帯魚からしたら、人間はなんてのろまなんだと思っているかもしれない。
本作品に登場する姉弟はきっと、いきものの世界を垣間見ていたのだと思う。彼女、彼らはいきものと世界を共有している。そう、同じ環世界にいるのだ。ダンゴムシ1匹1匹に挨拶をしたり、バッタの姿に見惚れたり、カナチョロにキスをしたり。
いきものと同じ時間、空間を共有している――子供のころ、僕らはみんなそうだったのかもしれない。大人になるって、きっと大人の時間の枠、大人の環世界に縛られていくこと。それは良くも悪くも。子供の時間・空間から大人の時間・空間へ。その中で失われたものが確かにあった。
本作品には大人になって失ってしまったとても大切なものが言葉に刻まれています。何度でも読みたい素敵な言葉たち。それはまるでエッセイと絵日記と小説が入り交じったような、ノスタルジーな物語。