最終話 君の痛みは僕が貰うから

 土曜日のお昼前、俺は花束を抱いて河川敷を歩いていた。汐見しおみ総合病院の病室からよく眺めていたこの川を、今では一人でこうして歩けるまでに回復した。


 先日の放課後、能登のとさんと話をしたことで、俺は今までの自分の行動を深く反省した。


 これまで相手の為だと思い込んでやってきたことは、『相手の救ってあげたい』という俺の自己満足でしかなかったということ。ただひたすらに救ってあげたいと考え、自分のことなど全く見ようともしてこなかったこと。しかし、そんな俺のことを見てくれていた人がいたこと。そんな中で、俺が俺のことを蔑ろにするというのは、その人達に対してあまりにも失礼な行為なのだと、初めて分かった。俺がこれまで見せてきた笑顔は独り善がりの笑顔で、強がりの笑顔でもあり、俺のことを思ってくれている人への拒絶の笑顔でもあったのだ。


 俺が『やりたい』と思ったことは何だったのか。それを改めて考えさせられた。けれど、改めて考えてみたが、根本的な部分はやっぱり同じで、『誰かを笑顔にしたい』という気持ちは今も昔も変わらないということが分かった。ただ、独り善がりの自己満足に浸るのではなく、自分と向き合うことが今の俺に必要なのだと、能登さんと話していて分かってきた。


 俺には特別な力がある。この力があるからこそ、俺には俺にできることがある。


 俺が最初に願ったこと。俺がずっと見ていたいと思ったもの。俺が一生守りたいと思ったもの。それら全てを叶えられるのは、きっと俺だけな気がするから。


 しばらく歩いていると、芝生に座る一人の男の姿が目に入った。その男は顔に、戦隊物のお面を着けている。


「お前はこの前の、確か、高梨たかなしだったよな?」


 ヒーローと呼ばれている彼は俺に気が付くと、声を掛けてきた。


 この間激しく言い争いをした手前、少し気まずさはあったものの、俺はヒーローの座る隣に腰を下ろした。俺のすぐ側には名前も知らない花が咲いていて、川の水面はキラキラと輝いていた。


「この間は色々と酷いこと言って悪かったな。お前のこと何も知らないのに、言い過ぎたと思ってるよ」


 ヒーローは川を見つめながら、申し訳なさそうにそう言う。普段は学校にすら来ないのに、休日のこの時間はこんな所で黄昏ているのだなと、そんなことを考えていたため、そんなふうに謝られると、かえって申し訳なく感じてしまった。


「いいよ。実際、俺がしてることは自己満足何だし」


 結局のところ、誰かを助けるということは自己満足なのかもしれない。俺は誰彼構わず痛みを貰い受けてきた。けれど、痛みを貰って欲しくないと思っていた人もいたのかも知れない。俺は皆が皆、痛みで苦しんでいると思っていた。だからこそ、俺がその痛みを貰って救ってあげようと考えていた。けれど、その時点でそんな考えは自己満足に過ぎないのだ。俺の一方的な正義感が、一番救ってあげたいと思っていたあの子を苦しめてしまったのだから。


「なあ、高梨。やっぱり、お前は痛みを貰うことを続けるのか?」


 風が吹き、前髪が乱れる。ヒーローはこちらを向き、じっと俺のことを見ているようだった。けれど、彼の視線がどこに向いているのかはお面が邪魔して分からない。俺はそんな彼を見つめ、乱れた前髪を直しながら答えた。


「そうだね。色々考えたんだけど、やめるつもりは無いかな。でもね、思ったんだ。俺が今まで誰かの笑顔を見て嬉しかったように、俺自身が笑顔になることでもっと笑顔になってくれる人が増えるんじゃないかなって。今まで俺さ、ずっと嘘ついてきたんだよ。自分の感情を見ないように、見ないようにってしてさ。自分の心に蓋をしてきたんだ。でもさ、それって誰かを笑顔にしたいってことと矛盾してたんだよね。俺自身が笑顔になれてなかったんだもん」


 何故、ヒーローの前になるとこんなにも素直に言葉が出てくるのだろうか。俺は不思議でならなかった。このお面に何か特殊な力でもあるのだろうか。もしかしたら、自分が思っていることを素直に口にしてしまう等という力でもあるのだろうか、と考えているとヒーローは俺の方を向くと、優しい声でこう言った。


「俺はさ、高梨のことが羨ましいんだ」


 『羨ましい』。そう思われたのは初めてだった。


「俺の顔と名前、高梨は覚えてる?」


 そう聞かれ、俺は内心どきりとした。何故なら、俺は彼の顔も名前も覚えていないからだ。


「いや、覚えてるはずないよな。だって、俺も覚えてないからさ」


 そう言った彼の声はとても悲しそうで、寂しそうだった。


 自分の顔と名前を覚えている人が誰もいない。ましてや、自分すらも覚えていない。もし仮に自分がそんな状況になったなら。俺は考えただけでも怖くなってきた。誰も俺を覚えていない。皆が口にするのは俺の特徴と言えるものだけ。そう考えた時、俺がどう呼ばれるのかが思いつき、血の気が引いた。


『痛みを消してくれる人』


「高梨には俺みたいになって欲しくないんだよ。お前は自分の持つその力を、まるで自分のようにしてたからさ。正直、見ててイライラしたんだよ。何であんなにも苦しそうな表情をしてるのに、それを一切表には出さず、薄っぺらい笑顔なんか着けてるんだってね。お前には、皆が覚えてくれている名前も、ありのままの表情もあるのに、その全てを手放しているような、そんな気がしてならなかったんだ」


 彼が抱えている孤独がどんなものなのだろうか。きっと、俺が今考えている以上のものなのだろう。誰の記憶にも、本当の自分というものが存在しておらず、代わりにいるのがお面という存在。まるで、お面そのものが彼の全てを示しているような、そんな状況が彼にとってどんなに悲しいことなのか、そして、それがどんなに苦しいことなのか。考えただけでも心が苦しくなっていた。


「だからさ、高梨。お前は、お前として生きて欲しいんだ。苦しいと思っているお前も、悲しいと思っているお前も、嬉しいと思っているお前も、全部高梨、お前なんだよ」


 彼の言葉には、俺の存在を肯定してくれる優しさが詰まっていた。その表情は決して見ることができない。けれど、その仮面の下にはきっと誰よりも優しい男の顔があるのだろう。こんなにも誰かのことを本気で考えてくれる人はそうそういない。ましてや、俺のような人間のことを気にかけてくれる人だ、きっと名前も素敵なものだったに違いない。


「ところで高梨、お前何で花束なんか持ってるんだ?これからデートでも行くのか?」


 俺が抱える色とりどりの花にやっと気付いたのか、不思議そうな声で尋ねてきた。


「ああ、これね。まあ、デートみたいなもんだよ」


 気が付けば太陽は俺達の真上まで来ていた。俺はヒーローに「ありがとうな」と、言うと、立ち上がり、再び河川敷を歩き出した。






 しばらく歩き、辿り着いたのは汐見総合病院の近くにある、とあるお寺だ。俺は入口近くの井戸で桶に水を汲むと、それを片手に持ち、もう片方の手で花束を抱え、奥へと進んで行った。


 何年か前に貰った紙を頼りに歩き続けると、一際目立つ新しいお墓を見つけた。そこには、『白井家之墓』と掘られている。俺は持って来た花を綺麗に花立てに入れると、線香を香炉に入れ、手を合わせた。


「久し振りだね。もう五年ぶりかな?・・・今まで来れなくてごめんね。寂しかった・・・よね?・・・気付けばさ、僕、高校生になってたよ。昔二人で話したよね。一緒の学校に行きたいねって。本当・・・、一緒の学校・・・行きたかった・・・・・・。僕さ・・・、ずっと後悔してたんだ。もっともっと、君の笑顔を見ておけば良かったなって。昔さ、僕が君の痛みを無くしてたことあったろ?あれね、本当は、痛みを君から貰ってたんだ。今更だよね・・・。でもね、ずっと君を騙してるのも嫌だから・・・さ・・・。痛かったよね?辛かったよね?ごめんね・・・、もっと早く、僕が気づいていれば良かったね・・・。今になってやっと色んなことが分かってきたんだ。僕が本当に君から貰うべき痛みが何だったのか・・・をさ・・・。だからね───」


 俺達を隔てていたカーテンはもうここには無い。


 俺はゆっくりと君に触れ、こう呟いた。


「君の痛みは僕が貰うから」

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君の痛みは僕が貰うから 新成 成之 @viyon0613

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