第7話 死の恐怖

 不思議な力を得てから数カ月が経った。俺が痛みを貰っているせいか、以前に比べて姫奈の笑顔が増えたような気がしていた。しかし、姫奈の体は確かに衰弱していっていた。元より、彼女は重い病気を患っていた。いくら痛みが消えたといっても、俺の力は病気そのものを治す力ではない。だからこそ、俺は俺にできることをしていた。それだけではない、俺は病院中の病室を回り、色んな患者さんの痛みを貰っては、皆を笑顔にしていた。それが俺のすべき使命なのだと、俺が絵本からこの力をを得たのは、あの絵本の神様のように、痛みを抱えた全ての人を癒すことなんだと、そう信じて毎日のように病室を回っていた。


 そんな俺の噂はたちまち院内中の患者さんに広まっていった。皆、俺が病室を訪れるのを心待ちにしていた。しかし、中には向こうから俺に直接会おうとしてくる人もいたほどだ。


「なあ高梨くん、頼むよ・・・俺の痛みを消してくれないか・・・辛いんだよ・・・」


 そのような人の大半は、重度の病を抱えていた。彼らは凄まじい痛みを背負っており、俺はそんな彼らの苦悶の表情を見るのが辛かった。だからこそ、俺は彼らの痛みを貰い受けた。大人が痛いと口にしてしまうほどの痛みを。


 そんな生活を続けていたからだろう、俺の体は限界に近付いていた。


 ある日、いつものように目が覚ますと、普段に比べて心臓の音が早いことに気が付いた。朝に弱い俺は、いつもなら心臓までも動きが鈍くなっている。それにも関わらず、その日は朝から心音が鼓膜を鳴らしていた。脳の血管が心音と共鳴しているかのように、激しい頭痛がする。呼吸が苦しくなり、息を吸うのと、吐き出すタイミングとが狂い出しているのが分かった。このままではまずい、そう思った時、朝の検診に訪れた看護師が俺の異変に気が付き、急いで村田先生が駆け付けた。




「優介くん!優介くん!しっかりしろ!」


 目が覚めると、口元には呼吸器が装着され、右手にはいくつかの管が繋がれていた。さっき目が覚めたばかりなのに、また寝てしまったのか、そんなことを考えていると村田先生が真面目な顔で話を始めた。


「聞いたよ優介くん。君は不思議な力を持ってるんだってね。最近色んな患者さんから優介くんの話を聞くんだよ。『優介くんが痛みを消し去ってくれた』ってね。皆、優介くんに感謝してたよ」


 それを聞いて、俺は自分のやっていることが間違っていなかったのだと、自分のこれまでが肯定されたような気持ちになり、心が軽くなった。


 誰かのためにしていることが、本当に誰かのためだったのだと、誰かの言葉で初めて分かること。だからこそ、皆が喜んでくれていることが俺には嬉しかった。


「でも、それは体力を使うことなんだろ?言ってたよ、痛みを消す時、優介くんは凄く辛そうな顔をしているって」


 それと同時に、少しでも痛みの表情を表に出していたことを反省した。俺がやっているのは『貰い受ける』ことだ。しかし、相手からしてみれば、突然痛みが消えたようにも思える。だからこそ、俺が黙ってさえいれば、俺の力は『痛みを消す』力になる。それでいいんだ。そうであるべきだとさえも思っていた。


「優介くん、君はそんなことをしなくていいんだよ?患者さんの痛みを無くすのは、僕達お医者さんの仕事なんだ。だから、優介くんが頑張る必要はないんだよ?」


 それまで俺を褒めてくれていた村田先生が、突然俺の存在を否定してきたのだ。俺は悲しみよりも、怒りに近い感情を覚えた。


「先生・・・でも・・・、みんな、喜んでるよ・・・?」


 呼吸器のせいで上手く喋れないが、それは村田先生には伝わったのだろう。突然、これまで優しい先生だと思っていた村田先生が大きな声を出したのだ。


「それで君が死んでしまったら意味が無いだろ!」


 俺が死ぬ。この時、俺は村田先生の言っていることが上手く理解できなかった。何故なら、人はそんな簡単には死なない。そう思っていたからだ。


「優介くん、君は分かってるのか?君は人よりも心臓が弱いんだよ?!そんな体に負荷を与えてみろ!君の心臓はいつもよりたくさん動いてしまう!そんなことをしたら、君の心臓は壊れてしまう!そうなれば、君は無事で済まないんだよ?!」


「知ってますよ・・・」


 そんなことは分かっている。しかし、村田先生は尚も大きな声のまま話を続ける。


「だったら、なんでこんなことになってるんだ!分かっているのかい?君は後少し処置が遅れていたら、その心臓が止まっていたかもしれないんだよ?!君はもう、必要以上の負荷を与えていたんだよ!」


 それは今の自分の状況を見ればよく分かった。それでも、例えそうだとしても、俺が誰かの痛みを貰うことをしなければ、俺は一体何者になってしまうのだろうか。そんな恐怖に襲われていた。


「先生・・・これが・・・僕の『やりたい』こと・・・なんです・・・」


 そう。俺はこの力を得て初めて自分の『やりたい』ことを見つけたのだ。『痛みを貰い受ける』という特別な力を持つ俺だからこそできること。それは、痛みを抱える人達をその苦しみから開放してあげること。これは俺が持つ力ならば可能だ。どんな痛みだろうと、俺が触れられさえすれば、その痛みを俺が貰い受けることができる。俺が我慢さえすれば、誰もが幸せになれる。俺も村田先生のようにたくさんの人を笑顔にできる、そう思っていた。


 それにも関わらず、村田先生はそんな俺の『やりたい』ことをやめろと言うのだ。俺にはこれしかないんだ。こうする以外、俺には出来ることがないんだ。それなのに、『そんなことはしなくていい』だなんて、それは俺が必要じゃないということをなのか。


 俺はそんなことを頭の中でぐるぐると考えていた。


「いいかい優介くん。君は今後一切その力を使っちゃだめだよ。これは君の担当医である僕からのドクターストップだからね」


 そう言って村田先生は病室を出て行ってしまった。その表情は何故か悔しそうにも思えた。




 暫くして、俺の容態も安定し、呼吸器が外れ、病室から看護師が出ていった。いつもと同じ二人だけの病室。いつもと違うのは、姫奈がカーテンを開けてくれないということだ。俺は、またどこか痛むのかと思い、自分のベッドから降りると、点滴に繋がれたまま、姫奈のベッドに近づき、クリーム色のカーテンを掴んだ。すると、俺がそれを開ける前にカーテンの向こうから声が聞こえた。


「ゆうすけくん、何してるの?さっき村田先生に言われたこともう忘れちゃったの?」


 俺はどきりとした。その時は決して忘れていた訳ではなかった。むしろ、しっかりと覚えていた。覚えていながら、俺は姫奈の痛みを貰おうとしたのだ。


 姫奈は俺と村田先生との会話を隣で聞いていた。だから、止めたのだろう、そう思っていたのだが、次の言葉で俺は目の前が真っ白になった。


「ゆうすくん。もう私の痛みを消してくれなくていいよ」


 俺は姫奈にまで存在を否定されたのだ。


「な、なんで?痛くなくなった方がひなちゃんも嬉しいでしょ?僕がひなちゃんの痛みを無くしてあげるからさ」


 すると、カーテンの向こうから初めて聞く姫奈の怒りの声が飛んできた。


「そういうことじゃないの!」


 俺はもう何が何だが訳が分からなくなっていた。痛いのが嫌なら俺が貰ってあげるのに。そうすれば痛みから開放されるのに。それなのに、姫奈はそれを拒んだ。そう、幼い俺にはまだ理解できなかったのだ。


「いくらゆうすけくんが痛いのを無くしてくれても、明日にはまた痛くなるんだもん・・・。もうそんなの嫌なの!!一回痛くなくなって、また痛くなるのが嫌なの!!何で私ばっかり痛い思いをしなきゃいけないの?!ねえ何で?私が何かをした?何もしてないじゃん!!私は痛いのが嫌だし、死ぬのも嫌だ!!死にたくない!」


 『死にたくない』姫奈は確かにそう言った。


 俺達はまだ当時小学五年生で、死ぬのなんて何十年も先の、遠い未来の話だと思っていた。おじいちゃん、おばあちゃんの歳にならないと死ぬことなんてない、俺はそう思っていた。しかし、姫奈は違った。彼女の病名は『悪性リンパ腫』だ。その病気に全身を蝕まれた彼女にとって、死とは身近なものだったのだ。彼女は痛みからただの苦しみを感じているのではなく、死の恐怖を感じていたのだ。俺は姫奈から痛みを貰うことで、姫奈自身は痛みから開放され、少しでも元気になってくれればいいなと、そんな甘い考えで彼女の痛みを貰ってきた。しかし、俺が痛みを貰ったとしても、それは一時的なもの。時間が経てば彼女はまた痛みに苦しんでいた。そう、彼女は何度も現れる痛みに、何度も何度も死の恐怖を感じていたのだ。消せども消せども現れる、どこまでもついて回る恐怖に、姫奈は怯えていたのだ。


「ゆうすけくんはそんな私を見て、きっと笑ってたんでしょ?痛くなくなって元気になったのに、少ししたらまた元気が無くなっちゃったって」


 もはやただの被害妄想。俺は決してそんなことを思ってはいなかった。なのに、この後の彼女の言葉に、俺は何も言えなかった。


「ねえ、苦しんでる私の気持ちをもてあそんで楽しい?」




 違うんだ。


 俺はただ、君に笑顔でいて欲しかっただけなんだ。

 

  

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