第6話 存在証明
朝いつものように登校すると、学校の様子がいつもと違うのを感じた。どことなくそわそわしたような、騒がしい印象を受けた。何があったのだろうか、そう思いながら教室に入ると、いつも空席のはずの席に、あの男子生徒が座っていたのだ。
そこに座っている彼を見たなら、誰もが驚くだろう。何故なら、その男子生徒はお面を着けているのだ。しかも、縁日で売っているような特撮ヒーローのお面。高校生にもなってそんなものを着けているなんて、ふざけているのかと思ってしまうかもしれない。しかし、彼曰く、そのお面は外れないというのだ。実に不思議な話ではあるが、俺自身も不思議な力を持っている訳で、そういうものなんだとすんなりと受け入れられた。だが、周りの皆はそうでもなかった。
「よくあんな格好で学校来れるよな」
「そもそも、あいつ誰だっけ?」
「知らねえよ。覚えてねえし」
お面を着けた男子。この学校の誰もその存在を知っている。しかし、誰一人として彼の顔も名前も覚えてはいない。そのせいで、彼は『ヒーロー』という
体育の時間、体操着に着替えた俺達は校庭で準備体操をしていた。そんな中、ヒーローは一人制服のまま、校舎の影でこちらをじっと眺めていた。
「あいつ何しに学校来たんだよ」
クラスの皆がヒーローに聞こえないのをいいことに、好き勝手に悪口を言っている。俺はそれを聞きながらも、混ざりはしなかった。何故なら、俺もどちらかといえば『普通』といえる人間ではないからだ。
今日の授業はサッカーだ。俺達はいくつかのチームに分かれてゲームをする。サッカー部の連中がボールを独占しながら、それ以外のメンバーがただボールを追うだけのつまらないゲーム。
その最中だった。バスケ部の奴が何としてもボールを奪おうと果敢にサッカー部の奴に突っ込んでいった。しかし、不慣れなバスケ部の脚は、鍛え抜かれたサッカー部と激しく衝突し、無残にもバスケ部はその場で脚を抱え、倒れ込んでしまった。ゲームは一時中止となり、数人が急いで保健室に担架を取りに走った。
「おい!大丈夫か?」
体育教師はバスケ部の奴に駆け寄ると、心配そうに彼を見つめる。その周りに群がる野次馬達。俺はそれを押しのけ前に出る。見れば、彼の脚は青紫色に腫れ上がり、とても大丈夫そうには見えなかった。俺は彼を救おうと、すぐ様その脚に触れる。すると、その直後俺の脚に骨折に似た鈍痛が走った。俺は一瞬顔に出してしまったものの、誰にも気付かれないように平静を取り繕う。その一方で、それまで脚を抱え悶えていたのが嘘のように、バスケ部は元気な表情を見せた。
「うおっ!すげえ!一瞬で痛みが消えた!」
魔法にでも掛かったかのように、バスケ部がはしゃぐ。すると、彼を救った俺はまるで神のように讃えられ、拍手が湧き上がった。しかし、唯一人、俺の力の存在を知らぬ彼は、野次馬を押しのけ俺に掴みかかってきた。
「おい。お前、今こいつに何をした」
お面のせいで表情は見えないが、その低い声から怒っているように感じた。
「何って、痛みを消してあげただけだよ?」
俺がそう言うと、周りからヒーローに向けて野次が飛ばされる。
「そうだよ!高梨はな、すげえ力を持ってるんだよ!」
「お前、いきなり出てきて高梨に何してんだよ!」
「その手離せよ!お面野郎!」
一瞬にしてヒーローは悪者になってしまった。彼が着けているのは正義のヒーローのお面のはずなのに。
「おい!お面のお前!高梨に何してる!」
体育教師もすかさず注意をする。しかし、ヒーローはそれすらも振り払う勢いで叫んだ。
「うるせえ!お前らは黙ってろ!おい、お前高梨っていうんだな?」
彼の言動行動はもはや、悪者と言ってもいいくらいだ。
「そ、そうだけど・・・だから何?そろそろ離して欲しいんだけど・・・」
表情の見えない人に迫られるのは、それなりの恐怖感がある。何故なら、何を考えているのか全く分からないからだ。
「高梨、お前はその力どこで手に入れた」
ヒーローは俺の胸ぐらを掴んだまま、尚も迫る。
何故こんなことを聞いてくるのだろうか。俺は不思議で堪らなかった。これまで一人として力の取得の経緯を聞いて来た人はいなかった。それなのに、この人は、この力のことよりも、そっちを気にしたのだ。
「絵本からだよ。昔、絵本を読んでからこの力が使えるようになってたんだ」
俺がそう言うと、ヒーローの様子が急変した。すると、あろうことか、俺は胸ぐらを掴まれたまま、校舎裏まで連れていかれてしまったのだ。
止めにかかった人達は皆、彼の威圧の声に萎縮し、付いてくる人はいなかった。
「高梨のその力、本当は『消す』力じゃないだろ」
ヒーローは周囲に人がいなくなったのを確認すると、俺の胸ぐらを乱暴に離すと、突然そんなことを口にした。
誰にも気づかれていない俺の力の正体を、彼は一目見ただけで見破ってしまったのだ。
「な・・・、何のこと・・・?」
あからさまな動揺。これでは彼の発言を肯定しているのとなんら変わりはない。ただ一言、「違う」と、そう言えばいいはずなのに、肝心な場面ではこうも言葉が出てこない。昔から何も変わってはいない。
「高梨が読んだ絵本というのは、骨董品店で貰った物なんじゃないのか」
そんな俺にはお構い無しに、ヒーローは話を続ける。
「実はな、俺のこのお面も骨董品店で貰った物なんだ」
俺は彼の言っていることがさっぱり理解できなかった。俺は骨董品店なんかには行ったことがないし、そもそも、あの絵本は
「あいつは出来損ないのガラクタをくれる。だから、お前のその力も『痛みを消す』力なんてものじゃないんだろ。本当は『痛みを貰う』力とか何じゃないのか」
誰にも気付かれてはいけない。そう思ってこれまでこの力と共に生きてきた。もしも気付かれてしまえば、きっとその人は俺の心配をする。だけど、俺はそんなものを望んでいない。そう、望んでいないんだ。
「だから高梨。その力を使うのはもうやめろ。俺は見たぞ。お前が一瞬顔を
分からない。分からないけれど、きっとあのお面の下では俺の心配をするような、苦しそうな顔をしているに違いない。やめてくれ。頼むから、そんな顔をしないでくれ。
「なあ、高梨──」
「うるさい、うるさい、うるさい!!いきなり何だよ?!俺の力が『痛みを貰う』だって?なんでそんなこと言えるんだよ?お前も見ただろ?!怪我をした奴が痛みが消えて元気そうになった瞬間を!何でか分かるか?俺があいつの痛みを消したからだよ!いいか?消したんだよ!これはな、神様の力なんだよ!!皆を救える、神様の力なんだよ!!」
「お前はどうなんだよ!!!!」
近くの窓ガラスが震えたんじゃないと思えるくらいの声量に、俺は一瞬たじろいでしまった。
「お前はどうなんだよ!高梨!お前は救われてるのか?!」
俺が救われているかどうか。俺は今までそんなことを考えたことは一度も無かった。
「お前は何でそんな苦しそうな顔をしてるんだ?」
何を言っているんだ。俺は何時だって笑顔で皆の前に立っている。
「このお面はな、見た人の本当の表情を見ることができるんだよ。高梨、お前は今まで見てきた誰よりも苦しそうな表情をしてるぞ?そんなんで、お前自身は救われてると言えるのか?」
「救われてるよ!」
何かが崩れていく。壊れてはいけない、壊してはいけない、何かが壊れていくような、そんな恐怖に駆られ、俺は思わず叫んだ。
「俺はな、皆の笑顔が見たいんだよ。分かるか?俺が痛みを貰えば、その人は痛みから開放される。そしたら、その人は幸せだろ?笑顔になるだろ?だったらそれでいいじゃないか?!何がいけないって言うんだよ!!俺はな、そうでもしないと俺でなくなっちゃうんだよ!!」
俺達の会話を聞いている人はいない。俺はもう、言いたいことをぶちまけていた。
「それが、高梨の存在証明だと言うのか?」
ヒーローの声色はそれまでとは違い、どこか優しさのある柔らかい声色だった。
「そうだよ!!」
すると、さっきの優しさからは一変。急に鋭い刃のような声に変わると、俺にその刃先を突き付けこう言った。
「そんなの、ただの自己満足だろ」
その瞬間、俺の脳裏にあの子の泣き顔がフラッシュバックした。
『苦しんでる私の気持ちを弄んで楽しい・・・?』
俺は膝から崩れ落ちた。思い出すことは二度とないと思っていた記憶。あの日、あの子に言われた言葉が脳内で反響する。
気が付くと、ヒーローの姿は見当たらなくなっていた。
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