第10話 君の痛み
姫奈がカーテンを開けてくれなくなって一週間が経った。色んなことを思ったが、一番は悔しかった。カーテンの向こうからは姫奈の哀しい泣き声が毎晩聞こえるのに、俺は姫痛みを貰うことができない。正確には、姫奈にやめてくれと言われたから、痛みを貰うことが許されていない。
俺が痛みを貰えば一時的に苦しみから開放されるのだろうが、朝になり薬の投与を受ければまた痛みを彼女を襲う。ただその繰り返し。そう、繰り返すだけで彼女の痛みが、病気が改善されている訳ではない。むしろ悪化していたのだ。そうして彼女は痛みの落差に耐えられなくなり、ついには俺を拒んだ。つまり、彼女にとって俺という存在が不必要になったのだ。
それでも俺は考えた。彼女の痛みの全てを俺が貰うことさえできれば、彼女はもう苦しまなくて済むのではないかと。そう、今後ずっと俺が姫奈に触れてさえいれば、俺は彼女の痛みだけは無くしてあげられるのでないかと。
そのためには、もっと強くならなければならない。どんな痛みだろうと耐え、一切苦しさを表情に出さない。それさえできれば、姫奈もきっとまた顔を見せてくれる。そう思っていた。
そもそも、俺と姫奈を隔てていたのは、あんなにも薄いカーテン一枚だったのだ。そんな隔たりを取り壊せないようで、どうやって彼女が救えるのだろうか。俺は本気でそう考えていた。
こうして、俺は再び他の入院患者の痛みを貰い回ることにした。勿論、村田先生にバレないようにこっそりと、その上、皆に口止めをしながら貰っていった。
そんなある日のことだった。いつものように他の病室に入っては痛みを貰い、必死に笑顔を取り繕っていた。数人の痛みを貰い、検診の時間が近づいていることに気が付いた俺は、自室に戻ろうとしていた。
階段を下り、自室のあるフロアの廊下を歩いている時だった。奥から何人もの看護師が慌ただしく何処かの病室に入っていくのが見えた。普段は優しい看護師達が見せる険しい表情に、一瞬呆気に取られてしまったが、すぐさま我に返ると、あることに気が付いた。
「あそこ・・・、僕たちの部屋じゃないか・・・?」
部屋に近づく度に大きくなる心電図の警告音。それに共鳴するかのように俺の鼓動も速度を上げる。
次の瞬間、俺は自分が見た光景を信じることができなかった。俺の目に映ったのは、呼吸器を付けられ、ベッドに乗せられたまま看護師に囲まれ、どこかへ搬送される姫奈の姿だったのだ。
「何で・・・、どうして・・・」
久し振りに見る彼女は変わり果てた姿をしており、今まで見た中で一番苦しそうな表情をしていた。
「優介くん!どこに行ってたんだ!」
ただ呆然と立ちすくむ俺に、病室から出てきた村田先生が声を掛ける。しかし、その声はいつもの優しい声とは違い、俺を怒った時と同じ、鋭く尖った声だった。
「え・・・、えっと・・・」
「また他の病室に行ってたんじゃないだろうね?!」
俺は必死に口を動かすも、返す言葉が見つからなかった。言い訳をしようにも、いい言葉が見つからず、選ぶ言葉に戸惑っていた。どうせ、正直に言ったところで怒られてしまう。まるで、自分が悪いことをしているかのような気分になった。
「何で姫奈ちゃんの近くにいてやらなかったんだ!!姫奈ちゃんはずっと優介くんの名前を呼んでたんぞ!何で姫奈ちゃんのことを放っておいた!」
その瞬間、俺は今まで何をしていたのだろうかと頭が真っ白になった。
「姫奈ちゃんは優介くんがいない間ずっと寂しがったたんだぞ?!何で、そんなことも分からず他の病室になんか行ってたんだ!!」
俺は姫奈に嫌われたのだと、カーテンを開けてくれないのはそういうことだと思い込んでいた。確かに、姫奈は俺のことを嫌っていたかもしれない。けれど、それと寂しいのは別問題だ。姫奈が病室に来るまで、俺はずっと一人であの白い部屋に閉じ込められていた。そんな俺の前に現れた彼女に、俺は生きる意味を見出していたはずだった。それにも関わらず、俺は姫奈に俺と同じ思いをさせてしまっていたのだ。
俺がいつしか忘れていた、寂しいという痛みを。
俺は姫奈のためを思って、姫奈の力になりたくて痛みを貰い受けていた。それなのに、むしろその逆、俺は姫奈を傷付けていたのだ。
それに気付いた瞬間、俺の体は勝手に動き出していた。
「先生!ひなちゃんを!ひなちゃんを助けて!!」
頬を伝う冷たい感覚。俺はぐちゃぐちゃになりながらも、村田先生の白衣を掴んでいた。
「分かってる。優介くんも大事なことが分かったみたいだし、その気持ちを姫奈ちゃんに伝えてあげてね。姫奈ちゃんのことは、僕に任せて」
そう言って村田先生は俺の頭を優しく撫でると、白衣を握っていた手を両手で包み込んでくれた。
「大丈夫だから」
そう言って村田先生は姫奈の後を追う。
その時、俺の鼓膜には激しい鼓動が鳴り響いていた。
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