第3話 やりたいこと

 姫奈と同室になってから数カ月が経った。彼女と他愛もない話しをするにつれて、彼女について知っていることが多くなっていった。しかし、それに反比例するかのように、彼女の笑顔は日に日に消えていった。


「姫奈ちゃん。今日はお母さんとお姉ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」


 そう言って病室を開けた看護師の後ろ、どことなく姫奈に似た二人の女性の姿があった。


「姫奈、体調はどう?」


「姫奈久し振りー!元気にしてたー?」


 心配そうなお母さんとは対照的とも言える楽観的な姉。しかし、姉のそれがであると、俺は直ぐに気付いた。


「全く、さっさと治して早く学校行きなさいよ?あんた唯でさえ頭悪いんだから」


「お姉ちゃんにだけは馬鹿って言われたくないですー」


「あれ?私一言も『馬鹿』なんて言ってないよ?」


「お姉ちゃんずるい!」


 姉妹のありふれたじゃれ合い。その光景に少し安心したのか、お母さんの顔も明るくなった。居合わせた看護師でさえ、微笑ましい表情をしている。病室には幸せそうな雰囲気が流れる中、ただ一人、俺は孤独を感じていた。


「そうだ姫奈、これ知り合いから貰ったからあげるわ」


 そう言って姫奈のお母さんがカバンから取り出したのは、可愛らしい表紙の絵本だった。


「ママー、私自分で本読むの好きじゃないって言ってるじゃん」


 俺はこの時、姫奈は寝る前にお母さんに本を読んでもらっていたことを思い出した。本は好きだが、自分で読むのは退屈だと、姫奈がそう教えてくれた。


「だったら、優介くんに読んでもらったら?」


 すると突然、俺の名前があげられた。姫奈達の話を隣のベッドからただ眺めていただけの俺に、白羽の矢が当たった。その一言のおかげで、姫奈が勢いよくこちらを向く。


「ゆうすけくん!本読んでくれるの?!」


 その表情と来たら、これがまた素敵で。彼女は目を真ん丸くして、溢れんばかりの笑顔を俺に向けていた。それは、久し振りに見る姫奈の笑顔だった。


 ここ数ヶ月、薬の投与がある度に彼女は笑顔を見せてくれなくなっていた。薬が彼女の中にいる悪い病気を退治してくれているのだろう、そう思いながらも、同時に彼女の笑顔を奪ってしまっていることが、悔しくてならなかった。だからなのかも知れない、俺はこの時の姫奈の笑顔を今でも覚えている。


「いいよ」


 俺がそう答えると姫奈は更に笑顔になった。俺にはそれが、堪らなく嬉しかった。




 その後も家族団らんの時間は続いていたらしい。というのも、俺は同じ空間にいるのが耐えられなくなり、トイレに行くと嘘をつき、病室を出て行ってしまったのだ。両親が離婚などしていなければ、姫奈と同じように家族が俺のお見舞いに来てくれていたのだろうか、そんなありもしない幻想を考えては、直ぐに消し去った。


 今あるものが現実で、そうでないものは全て妄想。妄想を望んだところで現実にはなりはしない。目の前の現実を受け入れることだけが重要で、そうでもしないと、全てが崩れ去ってしまうような、そんな気がしてならなかった。


 病室を出て院内を歩き回っていると、廊下で村田先生に出会でくわした。外科医である村田先生と病室外で会うのは初めてで、何となく不思議な感じがした。


「優介くんじゃないか。どうしたの?」


 俺はこの時、村田先生に言われた『やりたい』と思えること、という話を思い出していた。そして俺は、こんなことを村田先生に質問してみた。


「あのさ、村田先生は、なんで医者になろうと思ったの?」


 俺は未だに『やりたい』が見つかっていなかった。だからこそ、医者という職業に就いている村田先生に、何故医者になったのかを尋ねた。すると、村田先生は照れたように頭を掻くとこう答えてくれた。


「なんでか。なんで何だろうね?別に、大した理由とかは無かったと思うよ。ただ単純に、誰かの笑顔が見たいって思ったから、医者になったのかな」


 そう言った村田先生はどこか、かっこよく思えてならなかった。誰かの為を思って自分の『やりたい』を見つけ、そして医者という自分になった。それはきっと色々な選択をし、努力をしたからこそなれたものなのだろうと、幼いながらも理解していた。医者になることは簡単じゃない。だけど、その簡単じゃないことを現実にしている。そんな村田先生がかっこよく思えたのだ。


「『ありがとう先生』って言われるとさ、医者になって良かったなって思えるし、なんか、自分が自分でいられる気がするんだよね。ほら、僕って取り柄とか無いからさ」


 きっと、白衣を脱いでしまったら、この人は何者でも無くなってしまうのではないか、そう思えるくらいに、村田先生の印象は普通の人だ。だけど彼には、彼たらしめているものが確かに存在している。そんな村田先生をかっこいいと思うと同時に、その確かなものが羨ましいとも思えた。


「なんか照れるね・・・。でもなんで、突然そんなことを聞いたんだい?」


 俺は正直に自分の心境を語った。自分には『やりたい』と思えるようなことがないこと。村田先生がかっこよく思えたこと、そして、羨ましいと思えたこと。


「大丈夫だよ。優介くんもこれから見つけられるよ。僕だって、優介くんくらいの時はやりたいこととか無かったからね。だから、焦る必要はなんだよ」


 俺はそれを聞いて安心したのか、自室に戻ることにした。




 そんな俺を見送るように、村田先生は笑顔で手を振っていた。

 

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