第5話 痛みの記憶
昼休み、俺はいつものようにクラスメイトの痛みを貰っていた。部活で怪我をした者、首を寝違えた者、様々な痛みを貰ってはバレないように我慢する。
「サンキュー
痛みとは苦しみである。痛みと共に生きるということは、常に苦しみながら生きていかなくてはならないということだ。そんな苦しみから開放してあげることが、俺にできる唯一のことで、俺がすべきことなのだ。だからこそ、俺は絵本の神様のように苦しむ全ての人を救ってあげたい。そう思うようになっていた。
例え、この体が壊れようとも。
とある女子の頭痛を貰い受けたところで俺は教室を出た。いくら痛みを我慢できると言っても、さすがの俺にも限界がある。その限界が近付くと、心臓の鼓動が嫌に早くなり、鼓膜には心音が鳴り響く。それは体からの警鐘だ。これ以上は辞めておけ、お前が壊れてしまうぞ、と
心臓がそう言っているように思えて仕方がない。なので、手遅れになる前に俺は皆の前から姿を消す。もしも俺が苦しんでいる姿を誰かに見られたりなんかすれば、皆は俺の心配をするだろう。俺はそんなことを望んではいない。俺が望むのは、誰かの笑顔だ。困った顔や、苦しむ顔を見たくない。その一心で俺は痛みを貰い受けているのだ。本当のことは誰にも知られてはいけないのだ。
俺は廊下の突き当たりにある扉を開き、外に出た。扉の向こうは普段は使われることのない非常階段で、俺はその錆び付いた階段に腰を下ろす。
「落ち着け・・・、落ち着け・・・」
胸を摩りながら祈るように呟く。すると突然、今来た扉が開いた。俺が咄嗟に立ち上がると、扉から現れたのは同じクラスの
「能登さん・・・?どうしたの?こんな所に来て」
ボブヘアーに赤褐色の眼鏡と、大人しい雰囲気の女の子。能登さんとは教室で数回話したことがある程度だ。それに加え、この非常階段は非常時以外は使用禁止になっている。普段から関わりがあるわけでもない能登さんが何故このような所に、しかも、俺の後に来たのか、俺は不思議でならなかった。
「高梨くんこそ・・・、なんでこんな所にいるの・・・?」
そう言った能登さんの表情を見た瞬間、俺は固まった。俺が望んでいないものがそこにあったのだ。そう、能登さんは俺を心配そうに見つめていたのだ。
でも、何故。何故、能登さんが俺の心配をしている。
「俺?俺はほら、風に当たりたいなって思ったからさ」
適当に嘘を繕う。それなのに、能登さんの表情は更に曇っていく。
「高梨くん、教室出る時苦しそうな顔してたよ?どこか具合でも悪いの?」
まずい。俺はそう感じた。ボロを出してはいけないという緊張からか、落ち着き始めていた心臓が再び鼓動を早める。心臓を握り潰されているような、そんな息苦しさを感じる。
「高梨くんって不思議な力を持ってるんだよね?『痛みを消す』力だっけ?でも、高梨くんが誰かの痛みを消した後って必ず皆の前からいなくなるよね?ねえ、何でなの?」
鼓膜に鳴り響く心音。呼吸が次第に乱れていくのが分かる。しかし、それすらも気付かれないように、懸命に平静を取り繕う。
「何でって、あれをするのにも体力がいるからね。何回かやってると疲れちゃうんだよ。だから、こうして外に出て休憩してるってわけ」
頼むから信じてくれ。今の俺にはこれ以上の言い訳を考えられない。
「そっか・・・、それならいいんだ・・・。なんか、高梨くんいつも苦しそうなんだもん・・・」
俺はこれ以上能登さんと話すのはまずいと思い、能登さんには悪いが「そろそろ戻るねと」と言うと、そそくさとその場を後にした。
その日の放課後、係の仕事を片付け職員室から教室に戻ると、他の皆は既に帰宅していた。
俺はふと、昼休みに見た能登さんの表情を思い出していた。あれは、確かに俺の心配をしていた。それだけじゃない、俺の力に疑問を抱いているようにも思えた。今まで誰にも気付かれないようにしてきたはずなのに、どうして能登さんはあんなことを聞いてきたのだろうか。考えれば考えるほど、自分が崩れてしまいそうになる恐怖に襲われた。
しばらくすると、教室の前側の扉が開き、目を赤く腫らした増田が教室に入って来た。
「どうした?何かあったのか?」
俺は増田のいつもとは違った雰囲気に違和感を感じ、歩み寄る。すると、増田は唇を震わせながら、ぎこちない笑顔でこう言った。
「彼女と、別れた・・・」
増田が隣のクラスの女子と付き合っていることは、本人から聞いていた。よく自慢のような惚気話を聞かされたのを覚えている。増田曰く、二人の関係は順調だったはず。それにも関わらず、二人はその関係に終止符を打ったのだ。
「何かさ、あの子が言うには、俺があの子のことをちゃんと考えてあげられてなかったみたいなんだよね。俺は考えてたつもりだったんだけど、あの子にとっては、それはあくまでもつもりであって、俺は本当の意味であの子のことを見てなかったみたいなんだ。だから、あっちから別れよ、って・・・」
自分ができていると思っていても、相手からすればそれは小手先の紛い物であることはよくある話だ。そもそも、相手が考えること、望むことを実現する方が困難な話だ。だからこそ、自分が考える『相手のため』を実践する。
「独り善がりだったんだってさ・・・」
俺は増田のことが他人事とは思えなかった。相手のことを思い、行動する。けれどそれが唯の独り善がりだったということが、俺自身にもあったからだ。だからこそ分かることもある。そうする以外の術が、その時の自分には無いということも。
「なあ高梨。お前って痛みを消せるんだよな?だったら、この失恋の痛みも消してくれないか?」
突然増田はそんなことを口にした。予想外の発言に、俺はすぐ様増田を説得する。
「ちょっと待て増田!確かに俺は痛みを消すことができる。だけどお前は、その痛みを消すことの意味が本当に分かってるのか?!」
痛みとは記憶でもある。ましてや、増田が抱えている痛みは『誰かを愛した』記憶だ。失恋をしたなら、その記憶が痛みになり、その痛みから逃れようと思うかもしれない。だけど、その痛みは失っていいものではない。そんなことをすれば、今までの自分を否定することにもなる。増田は本当にこのことが分かっているのだろうか。
そう思い増田の顔を見つめると、その目には涙が溢れていた。
「なあ高梨・・・、頼むよ・・・辛いんだよ・・・助けてくれよ・・・」
初めて見る増田のそんな表情に、俺は自分の意義を思い出した。
俺は誰かの笑顔のために生きている。では、今目の前にいるのはなんだ。悲しみにくれ、痛みに苦しむ友人ではないのか。そんな友人をこのまま痛みに苦しめられたまま、無責任な言葉を投げかけ放置するのか。そんなことをしていいのか。俺が今増田を見過ごせば、俺は俺でなくなってしまう。俺は、誰かを救うためだけに生きているのだから。
ならば、俺がすることはなんだ。
そう考えた時には、俺の口は動いていた。
「分かったよ・・・」
俺がそう言うと、増田は頬を濡らしながら、笑顔で「ありがとう」とただ一言だけ呟いた。
俺は増田を椅子に座らせると、ゆっくりと彼の額に触れた。すると、心臓を締め付けられるような感覚に襲われ、これまで増田が彼女と過ごしてきた記憶が頭の中を流れた。二人で歩く帰り道。初めて手を繋いだ公園。そして、初めてのキス。どれもこれも、増田が楽しい、幸せだと感じていた時の記憶。そのどれもが、二人とも笑顔で笑い合っている。俺は目頭が熱くなるのを感じ、必死に涙を堪えた。増田が彼女に対してやっていたことは独り善がりだったのかも知れない。けれど、彼女を思う気持ちはどれも本物だった。
「ありがとうな高梨」
そう言って教室を出て行った増田の表情はどことなくすっきりとしたような、晴れ晴れしているようにも感じた。
これでいいんだ。増田はこれで救われたんだ。俺は何も間違っていない。
そう思いながら、俺はあの子のことを思い出していた。
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