ファイル8「再度」


 僕は四周目に突入した。二周目と三周目と同様、僕は卒業式の前日に行われていた予行練習にタイムリープしてきて、少々心を落ち着かせてから適当に体調が悪いと申し出て途中退場し、そのまま保健室へ向かった。


「先生?」


 卒業式前日、この時間の保健室には、江崎さんがいる。養護教諭も席を外しているようで、保健室には江崎さん一人だけだった。二周目と同じく、僕という入室者に気がついた江崎さんは、ベッドを囲うカーテンを中途半端に開けて誰何した。


「江崎さん」


 優しい雰囲気を纏わせた小柄な女の子。全体的にやや色素が薄い印象で、思わず天使と形容したくなる容姿をしている。


「ごめん。先生ではない」


 そんな可憐な江崎さんに魅了されていた僕だが、でも二周目のときよりもスムーズな返事ができていた。タイムリープによる二度目は伊達じゃない。


「こっちこそ間違えてごめんなさい」


「その、体調は大丈夫?」


 前は保健室にいるのに何しているのかと、かなり頓珍漢なことを尋ねてしまったが、今回は二度目ということもあり、まともなことが言えた。片想いをしている相手なので相変わらず緊張してしまうが、初見ではないので幾分ましだ。


「うん。大分よくなった。稲垣君も具合悪いの?」


「具合悪いってわけじゃないけど、なんか疲れちゃって、ちょっと静かなところで休みたいなって思ったんだ」


 とくに深い意味とかないけど、一応余計なことをしてまた予測不能な変化を起こさないよう、会話の内容もできるだけ前回と同じものにし、出来事の流れをコントロールしようと努力する。


「そうなんだ。じゃあ、先生が来るまで話でもしてようか」


 そう言って江崎さんは僕の隣の椅子を引いて座った。二度目だけど、昇天してしまうほど嬉しい。


「明日卒業式だね」


「そ、そうだね」


「せっかくの卒業式だから、明日は貧血にならないように気をつけなきゃ」


「そうだね。今日は家帰ったらしっかり休んだ方がいいよ。夜とかまだ結構寒いから、外出は控えた方がいいかと」


 あ、でも、どさくさに紛れて江崎さんが例の池の橋へ向かわないよう忠告も入れてみた。二度目の会話ならこういう些細な調整ができるのだ。


 江崎さんは僕の忠告の真意を察してはいない様子だけど、でも「うん。気をつける」と微笑みながら受け入れてくれた。


 それから、何を話したらいいのかと迷っているかのように、僕たちの間に沈黙が訪れた。


 しかし、それならそれで、伝えなければならないことを伝える機会として活用するだけだ。誰もいない保健室、中学校生活中に二人っきりになれるタイミングは今この瞬間が最後。告白は今しかない。


「あの、江崎さん」


 二周目では声が上ずってしまい奇妙な発声になってしまったが、今回は十分に覚悟ができていたのか、まともな声で江崎さんを呼ぶことができた。


「なに?」


 江崎さんも僕の声に笑うことなく返事する。


「あの、もう卒業だから言うけど、実は、……ずっと、江崎さんのことが好きでした。その、卒業して離れ離れになるけど、もしよろしければ高校生になってもよろしくお願いします」


 今回も当然緊張はしているけど、二度目なので以下略。今一度自分の想いを咀嚼し、つっかえることなくスマートに気持ちを言葉にした。最後は前と同じく握手を求めて手を差し出したが、今回は頭を下げずしっかりと江崎さんの目を見つめて返事を待った。


 僕の突然の告白に、江崎さんは心底驚いた様子だった。目を見開き、両手で口を覆って固まっていた。


「えっと、あの――」


 江崎さんはそのままの状態で反応するが、しかし一向に続く言葉が出てこない。そしてお互い身動きしないまま時間だけが過ぎていく。手を差し出したまま、保健室の時計が刻む秒針の音がやけにうるさく聞こえた。


 いったい何分経過したのかはわからない。わからないがしばらく時間が過ぎたのち、江崎さんは口に当てていた両手をゆっくり離して膝の上に置いた。


「その、いきなりでびっくりしちゃって……その、返事、だけど」


 驚きから少し落ち着いたのか、江崎さんはゆっくりと噛み砕くかのように言葉を発する。僕はそれを聞いて、またしても息をのむ。


「返事は、少し待ってもらえるかな?」


 二周目と全く同じ返事だった。


「その、恥ずかしいけど、私、誰かに告白されたこととかないから、びっくりしちゃって。恋愛とかまだよくわからないけど、でも稲垣君が真剣に気持ちを伝えてくれたから、私も真剣に答えなきゃって思って、でもそう思うと気持ちがわーってなって混乱しちゃうから、その、時間をかけてでも気持ちをちゃんと整理して、真面目に返事を出さなきゃって思ったから、だから別に稲垣君のことが駄目とかじゃなく、その、時間が欲しいだけなの。稲垣君の気持ちにしっかり向き合えるだけの時間が、ね」


「そうか」


 僕は当たり障りのない返事をする。


「あ! でも、卒業式は明日だから、明日までにはちゃんと返事するから。一日かけて頑張って考えるから!」


 明日が卒業式で、それが過ぎればもう会えないことに思い至ったのか、江崎さんは慌ててフォローした。例の池の橋には行かず、家でじっくりゆっくり考えてください。そんなことを思いつつも「わかった。じゃあ、明日」と江崎さんに返事した。


「…………」

「…………」


 でも宙ぶらりんな状態となった告白のせいで、僕たちの間に妙な沈黙が支配した。何かを話そうとしても、おそらくお互い相手を意識してしまってまともな会話にならないだろう。そのことがもう明白なので、僕も江崎さんも話題を出すことができずにいた。


 僕はさりげなく横目で江崎さんを見る。江崎さんは顔を俯かせ、膝の上で指先をいじっていた。その顔はわずかに紅潮しているようにも見えた。


 前はこの奇妙な空気が気まずかったが、今はかすかに心地よかった。一度想い人の死を体感した身としては、こうして一緒にいられるだけで幸せだ。二周目ではこの空気に耐え切れず逃げ出してしまったが、しかし今の僕はこの状況を噛みしめている。


 だがそんな幸せを体感しているのは僕だけだった。


 限界を迎えたらしい江崎さんは唐突に立ち上がる。その突然の行動に今度は僕がビクッと身体を震わせた。


「あ……えっと、じゃあ、明日。返事、必ずするから」


 江崎さんは僕を見下ろしながらそう言い残し、僕の反応を待つことなく逃げるように保健室から出ていった。まさに二周目の僕のように。立場が逆転しちゃったよ。


 結局、僕は養護教諭が戻ってくるのを待つことになった。時間的にホームルームをやっている最中だろうか。そのころになってようやく養護教諭が保健室に戻ってきて、僕は予行練習中に体調悪くなって勝手に休ませてもらったことと、体調がよくなった江崎さんが教室へ戻ったことを伝え、僕も体調がよくなったので戻る旨を伝えてから退室した。教室へ戻ると、ちょうどホームルームが終わったところだった。


 僕は席に戻って下校の支度をする。一方江崎さんは安西グループの面々とともに教室を出てい行く。その際ドア付近で僕を迎えに来た真音とすれ違い、集団最後尾にいた三上が真音と小さな挨拶を交わす。


 遼にも催促され、真音と合流して下校する。会話の内容から歩き方までこれまでと全く同じ。四回目も同様何気ない会話を適当に受け流し、家近くの横断歩道前まで来たところで二人と別れた。


 さて、どうしようか。


 江崎さんは、一周目と三周目は生存、二周目だけが死亡。そしてこの三回ともそういう結果に至った経緯は不明。タイムリープをしているのは僕だけのはず――未来人のアスがこの時間どういう行動をとっているのかは謎だけど――で、特段僕が江崎さんの生死にかかわるような行動もとっていない。そのため、タイムリープによる影響で江崎さんが死亡したとは考えにくい。ならばやはり、江崎さんは不慮の事故で亡くなったとするのが妥当だろうか。


 不慮の事故ということはつまりたまたまということで、たまたまとはすなわち確率だ。確率なら僕がどうこうできる問題ではなく、すべては運任せだ。


 確率ならそれこそ、僕が江崎さんを助ける行動をとることで江崎さんが生存する確率を上げることもできるが、しかし前回の三周目では、江崎さんは卒業式前日の夜は外出していない。外出していないなら橋から転落することもない。今回は別に、僕が夜に江崎さんを呼び出すといったことはしていないので、この外出に関する江崎さんの行動に変化はないはずだ。


「あ、でも……」


 でも、僕は前回、日が暮れて江崎さんのマンションを張り込みしていたけど、それは二十一時までだ。もしそれ以降に外出し、そしてそこで確率による転落事故が発生したのなら、今この四周目でも江崎さんが死亡する可能性はあるのだ。


 僕はその可能性に思い当たると、「なら二十一時から江崎さんのマンションを張り込めばいいや」という考えに至った。前回は寒さで挫けて断念した夜の見張り。今度こそは朝方まで粘ってやる!


 そいうことで僕は、夜まで仮眠して体力を温存することにした。そして仮眠から目覚め、親が作った晩御飯を食べてから自室で準備を始める。厚手のコートを引っ張り出し、中は何重にも重ね着をする。マフラーもぐるぐる巻きにし、帽子も手袋も用意。その恰好のまま雪山にでも登山できるのではないかというくらいに重装備をして、時間を見計らって外出した。家を出る際、親に気づかれないよう忍んで行動することも忘れなかった。


 こんな時間に、帽子とマフラーで顔を隠した人が出歩いていれば、不審者として通報されかねない。でもだからといって寒さ対策を怠ることはできない。三月はカレンダー的に春に近いけど、でもまだまだ冬真っ最中なのだ。僕はできるかぎり不審者に見られないよう気をつけて駅前に向かった。


 僕の家から駅前マンションへ向かうには、当然住宅街の玄関口として機能している例の橋を渡らなければならない。


「え?」


 そんな二十一時頃の闇夜に包まれた例の橋に、ちょっとした人だかりができていた。その人だかりの向こうから、赤い光が瞬いている。あれは……パトカーの回転灯じゃないか!


 僕はそれを認識した途端駆け出した。橋にもパトカーや野次馬がいるが、人数が多いのは橋の真下の池公園の方だ。僕は公園の方に向かい、密集する野次馬を押しのけて一番前まで行く。


 公園内で事件が起きたことは確かのようだ。しかし現場はそれほど慌ただしくはなかった。目の前で作業している警察の人も、今は事後処理というか、現場検証をしているだけのように見受けられた。公園から橋を見上げてみると、橋の上の警察官が時折欄干から池の方を覗き込んでいた。


 何かがあったことは確かだ。でも、こんな騒ぎ前回はなかった。


「あの!」


 僕はたまらず近くにいた野次馬に声をかけた。薄毛の中年男性だった。


「ここで、何があったのですか?」


 僕はこの状況について尋ねた。


「もう結構時間経っているみたいだけど、女の子が橋から池に落ちたらしいよ。でも救助に手間取って病院への搬送が遅くなったみたいで、さっき救急車が出発したよ」


 その薄毛中年男性は気さくに答えてくれたが、しかし僕はその答えに驚愕せざるを得なかった。


 タイムリープしている僕だからわかる。その橋から落ちた女の子とは、江崎さん以外ありえない。しかし、なぜ?


 僕は前回の三周目、二十一時頃まで江崎さんのマンションを見張っていた。でも江崎さんは外出してこなかった。今回はその続きとなるよう二十一時以降から見張ろうとし、こうしてマンションに向かっていたけど、しかし転落事件はもうすでに発生しており、そしてそれなりに時間が経過していた。


 つまり、今回は、江崎さんは二十一時より前にマンションから外出したということになる。


 どこだ? どこからが転換点だ? 江崎さんの行動は、どこから分岐したんだ?


 目の前の光景に驚いている僕は、うまく思考が働かなかった。しかしそれでも僕は必死に思案し続ける。だがそれでも明確な答えに辿り着くことはかなわなかった。


 わからない。このタイムリープで何かが発生していることは明白なのだが、しかしそれが何なのかがまるでわからない。


 僕は状況を教えてくれた男性にお礼を言ってから、今一度現場を見やる。しかしそこから得られる情報は何もなかった。ただ警察官が着実に現場検証していることしかわからない。


 僕は視界に入ってくる回転灯の赤い光を意識しながら、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る