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ファイル16「決意」


 僕と真音の関係を語るには、幼稚園まで遡らなければならない。といっても語れることは限られているけどね。


 僕は当時真音にプロポーズしたそうだ。そうだというのは、僕はその出来事の記憶を忘れてしまっていて、僕自身だけではそれが事実なのか判別つかないからだ。ただ真音がそう言っているのだから事実だったのだろう。


 幼稚園児が認識する世界などたかが知れている。精々自宅近所の範囲だし、なにより大人よりも認識能力がない。このころの記憶が曖昧なのは単純に忘れてしまっているということもあるのだろうが、本質的な部分としては、成長した本人が幼い頃の価値観を理解できないため確信を持てないのだと思う。なんのために泥団子を作っていたのか、なんのためにお遊戯をしたのか、その意味はまるでわからない。ただ楽しかったという思い出だけが脳の片隅にこびりついている。


 だからこそ今の僕としては、当時の僕が何を考えて真音にプロポーズしたのか理解できない。おそらく何も考えておらず近くにいた女の子だからという理由かもしれない。そもそも真音と遊ぶようになったきっかけさえ今となってはわからない。


 そしてそれは真音も同じだろう。未成熟な意識状態のときに、唐突に結婚しようといわれて反射的に好きになった、その程度だろう。ただ他の記憶と決定的に違ったのは、真音はその記憶を瞬間的なものではなく継続的にしてしまったことにある。よほど僕にプロポーズされたのが嬉しかったのか、真音は毎日のように花嫁気どりをして僕を想い続けていた。


 そして小学校に入学し、学年が上がるにつれて好きの認識と表現は洗練され変化していったと思うが、真音は変わらず僕を想い続けていた。そこに最早幼稚園でプロポーズされたというきっかけはどうでもよくなっている。好きという気持ちとともに成長したのだから、好きが継続されているだけの話。一年前も好きだったから、今も好き。僕のことを想う以外のことを知らないから想い続けている。出所のわからない好きという感情が残っているだけ。


 一方僕は真音ほど熱心に想い続けてはいない。あくまで幼馴染の関係で、それ以上でもそれ以下でもない。故に真音の気持ちを受け止めきれず、逃げるように目を背けてきた。きっとその逃げた結果が巡りに巡って今僕の前に立ちはだかっているのだろう。


 だからといってこのまま逃げ続けるわけにはいかない。


 昨夜の出来事のこともあり、卒業式当日となる今日、僕は遼を連れて真音の家の前まで来ていた。いつもなら真音が僕の部屋まで迎えに来るのだが、今日この日は立場が逆転していた。


「ごめんなさいね。真音ちゃん部屋から出てこないの」


 玄関で対応する真音の母親は困った表情をしていた。


 あまり詳しくは知らないけど、真音が昔話していたことによると、真音の両親は同人誌即売会で出会ったらしく、作家とコスプレイヤーの立場だったそうで、結構な年の差結婚だったらしい。そのせいか真音の母親は僕や遼の親よりもはるかに若い。真音と姉妹ですと言われれば信じてしまいそうだし、なによりスタイル抜群の真音と体格が似ている。そういったところを見るとやっぱり真音と血の繋がった家族なんだなと実感する。真音のコスプレ趣味も母親の影響なのかもしれない。


「すみません。昨日真音と……喧嘩っぽいことになっちゃったんで、ちょっと様子を見に」


「まぁ! そうなの? 喧嘩するほど仲がいいというから、慎ちゃんと順調に仲を育んでいるのね」


 保護者として早めに準備しているのか、なんかおしゃれな感じのスーツをもう着ている真音の母親は、僕が苦し紛れに言ったごまかしを聞いてうっとりとした表情をした。うん、やっぱり真音の母親だ。娘と同じく気持ちが重たい。


「でも喧嘩しちゃったのならちゃんと仲直りしなきゃね。もう一回真音ちゃん呼んでくる?」


「いや、いいですよ。今は慎也と距離をとりたいだろうし、そっとしましょう」


 遼は真音の母親の申し出を丁寧に断った。


「そうね。せっかくの卒業式だから仲良くしてほしいとは思うけど、でも本人の気持ち次第だから仕方がないね。あとで学校には行かせるから、よかったら学校で真音ちゃんを待っててくれないかな」


「わかりました。では」


 朝早くから長居するのも迷惑だと思うので、僕は適当に話を打ち切り、真音の家を後にする。そのまま遼と一緒に学校へ向かう。


「どうだ?」


 通学路を歩きながら遼が尋ねてきた。


「どうって?」


「真音の様子だよ。他の時間と比べて様子に変化はあるかどうかだよ」


 ああ、そういうことか。僕は他の時間がどうだったか記憶を探る。すぐに出てきたのは、朝に真音が僕の制服の匂いを嗅いでいるという衝撃的な光景だったが、実はずっと前から嗅いでいたらしいのでタイムリープ云々とは関係ないと思う。それ以外のことだと……。


「……真音は、江崎さんが亡くなった時間では、卒業式当日僕の部屋に来ていない」


 それは二周目と四周目のときだった。いつも迎えに来る真音は、その時間では僕の部屋に来なかった。そしてその時間では江崎さんが死亡している。


「普通に考えるなら、江崎を突き落として死なせてしまったから、精神的にヤバくなって引きこもったって感じか」


 遼の言う通りだと僕は思う。今回は僕たちが阻止したから江崎さんの死亡は回避され、真音も僕たちとの関係が拗れたために引きこもったのだと思われる。言ってしまえば、今回は比較的に軽度な理由だ。しかしこれが人を殺めてしまったということなら、冷静ではいられないのだろう。他に理由を考えるなら転落事故に関して警察に行っていたとかかな? そのあたりのことはよくわからないけど、でもどのみち事件を起こした真音は、精神的にも物理的にも僕の部屋へ行くことはできない。


「真音の言い分をどう思う?」


「僕が知る真音の性格なら、納得できる」


 昨夜江崎さんに掴みかかった真音を止めて拘束したときに、その理由を白状させた。真音は泣きじゃくって支離滅裂なことを言っていたが、要約することは可能だった。


 転落事件の概要はこうだ。


 もともと真音は僕が江崎さんに片想いしていることは知っていたが、所詮僕なので告白とかそういうことはできないだろうとたかをくくっていたそうだ。しかし実際に僕が江崎さんに告白したということを知って、知人を介して江崎さんを呼び出した。橋で待ち合わせしたのは、住宅街に住む真音と駅前マンションに住む江崎さんのちょうど中間が、あの池の橋だったということだ。


 真音は江崎さんを呼び出して、告白を断るよう詰め寄った。しかし江崎さんはそれを受け入れなかった。江崎さん曰く、誰かに決められたくなかったとのこと。他者にアドバイスをもらったうえで自ら判断するのはいいが、他者に強要されて決めるのはおかしい、ということだろう。最終的な返事はどのようなものにするにしても、自分で決めなければという思いがあったのかもしれない。


 真音の申し出を聞かなかったことにした江崎さんだが、しかしそれは真音の怒りを買う結果となってしまった。昔から僕をいじめた相手を殴り飛ばすほど、僕にまつわる感情の抑制ができない真音は、最悪なことに言うことを聞かない江崎さんに手を上げてしまった。


 歯止めが利かなくなった真音は江崎さんに掴みかかり、そして真音を止める存在がいなかった別の時間では、勢いそのまま欄干を乗り上げ江崎さんを突き落としてしまった、ということだろう。中学生にしては小柄な江崎さんなら、軽いから勢いに負けて欄干を乗り越えてしまったのにも一応納得ができる。


 真音も江崎さんも平静ではなかったので、ちゃんと事情を聞くことができず僕の妄想で補完したかたちになっているが、まとめるならこういう事実があのときにはあったと解釈するべきだろう。突き落としたのは間違いなく真音だが、それは突発的な不慮の事故といえなくもない。


 ずっと想い守ってきた存在が勝手に自分のもとから離れていく。真音はそのことに焦り、そして憤った。だからこそ彼女は、その感情を元凶である江崎さんに向け、排除しようとしただけなのだ。ただ、状況が悪かった。結果、その行動は最悪な結末に至ってしまったのだ。


「真音がもう少しまともな人間だったなら防げた事故だ。俺らが何回もループしてまで止める必要はどこにある。諸悪の根源はあいつだ」


「それは僕もわかる。今回のことに限らず、普段からもっと良識をもった言動をしてほしいとは思っている。……でもそれが僕たちの関係だ。僕のことで真音は感情的になり、遼はそれを外野から見て適切な行動をとる。ずっと変わらない関係だ」


 その歪な関係性が招いた最悪の出来事であるのは認めざるを得ないが、しかし僕としては真音を責める気にはなれない。真音がここまで感情を拗らせているのは、まず間違いなく僕に原因があるからだ。幼馴染の気持ちに応えるわけでもなく逃げ続けた僕に責任がある。未来人アスは時間とは数式と言ったが、そういうことならば、真音の性格という解を導いたのは、僕という数式に他ならない。全ては僕が招いた結果なのだ。


「なあ、真音はどうやって僕が告白したことを知ったんだ? 真音も安西の暴露を閲覧できたのかな?」


「いや、それはないだろ」


 僕はふと思った疑問を投げかけたが、遼はそれを否定した。


「あるとすれば、安西と真音の間に三上がいたということだ」


 僕は意外な人物の名前が出てきたことに驚いた。


 三上小百合。安西グループの実質ナンバーツーの立場にいる派手な女子だ。三上なら安西から直接聞くにせよSNSにアクセスするにせよ、江崎さんの噂を容易に聞ける立場にある。そして三上には安西グループ以外にも交友関係がある。


「でも、そうか。確かに三上は真音と関わりがある」


 以前遼から聞いた情報によれば、三上は隠れオタクであるらしい。それ故なのか、ガチオタクの真音と密かな交流がある。それは卒業式前日、教室から出ていこうとする安西グループと真音がすれ違ったときに、集団最後尾にいた三上が真音に対して小さく手を振って挨拶したことが何よりの証左だ。三上と真音は確かな繋がりがある。


「三上は立場上、自分の趣味を大っぴらにすることができない。ましてはオタで有名な真音と学校内で直接会話することも憚られる。なら二人が交流するのはいつどこでとなるが、その答えは簡単だ。真音と三上はネット上だけの関係だ」


「そうだよな。この時代、学校での関係とネットでの関係がイコールであるわけないよな」


「ああ。実際真音と三上がネット上でどういう交流をしているのかは知らん。だけど何かの拍子に、例えば恋愛アニメの話をしているときに『そういえば』という流れで江崎の話を持ち出したのかもしれない。何にせよ、安西と親しい三上が真音と交流を持っているのなら、安西が流した暴露が真音の耳に届いても不思議じゃない」


 遼は最後に「これで線は繋がったな」と呟いた。


 僕が江崎さんに告白したことにより、江崎さんは男子と親しくしている安西に相談を持ち掛けた。しかし安西はこれをいいネタと思い、江崎さんが告白されたことを暴露してしまった。その暴露は同じグループの三上の耳に入り、その後真音とネット上で交流した際にそのことを話してしまった。


 真音は知人を介して江崎さんを呼び出すが、この知人とは三上のことだろう。江崎さんも安西グループに属しているから、三上も江崎さんの連絡先を知っているはずだ。三上によって呼び出された江崎さんは例の池の橋へ向かい、そこで真音と会うことに。その場で真音は江崎さんに告白を断るよう強要したが、江崎さんはそれを断った。その態度によって感情的になった真音が掴みかかり、そしてそのまま橋から落としてしまったのだ。


 これが僕の告白から江崎さんの死亡までの過程だ。当然妄想の部分もあるが、僕の告白と江崎さんの死亡を最短で結びつけるのならこうなる。


 ふたを開けてみればどうということはない。人が一人死んでいるけど、一連の出来事の原因は所詮中学生の人間関係のもつれだ。最初と最後しか見えてなかったからややこしかっただけなのだ。


 しかしこれを引き起こしたのは僕だ。これまで幼馴染の想いを知っていながら見て見ぬふりをして、向き合おうとはしなかった。そのつけが今、まとめて来たに過ぎない。ならば今こそそのつけを清算するべきでは。


「なあ遼。僕はまたタイムリープするよ」


「は? なんで。江崎は助かっただろ」


「確かに江崎さんを助ける方法は見つけた。でもそれは完全な方法ではない。それに江崎さんだけじゃあダメなんだ。真音のこともなんとかしなきゃ。お互い突然のことでまともに話し合っていないから拗れて、真音との間に致命的な溝ができてしまった。それも解消したい。結果的に真音を振ることになるけど、それでも、お互いが前向きに踏み出せるよう、亀裂ではなく綺麗な溝で済ませたい」


 江崎さんを助けるだけではなく、真音もフォローする。僕が言っていることは綺麗事なのかもしれない。それでも拗れたまま時を進めるわけにはいかない。せっかくタイムリープできるのだから、望む形で明日へ踏み出したい。


 それにアスが語る時間の秘密が事実ならば、ただ正解ルートをなぞるだけでは、真の意味での解決とは言えないのだ。仕上げをしなければ完全な解決とはいかない。


「僕が好きなのは真音ではなく江崎さんだ。その事実を真音にちゃんと突きつける。一見酷かもしれないけど、でも優しさで甘やかしても解決しない。僕は最善を尽くしたい」


「そうかよ。なら頑張れよ。協力が必要なら言ってくれ。一緒にタイムリープしなくても、遡る時間を少し遅らせれば、俺のタイムリープについての記憶もリセットされることもないだろう。なら多分事情話せば、過去の俺もお前に協力すると思うぞ」


 僕の決意に遼はそっけなく反応した。遼の申し出はありがたいけど、でもこれは僕自身がやらなければならないことなので、多分協力を求めない。精々失敗したときのための保険とするくらいだろうな。


 僕は、僕にまつわるすべてに決着をつけるつもりだ。



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