ファイル17「変更」


 僕は八周目に突入した。変わらず卒業式前日の午前中に戻ってきたのだが、遼の提案通り、アスにお願いして、いつも遡っている時間から数分程度遅い時間に戻してもらった。これなら遼が記憶しているタイムリープに関する知識もリセットされないはずだ。万が一のときに協力を仰ぐことにしよう。


 卒業式の予行練習を抜け出した僕は保健室へ向かった。この時刻であれば、保健室にいるのは江崎さん一人だけだ。


「先生?」


 これまでのループと同じく、僕という入室者に気がついた江崎さんは、ベッドを囲うカーテンを中途半端に開けて誰何した。


「ごめん。先生ではない」


 僕は流暢に返事をする。


「こっちこそ間違えてごめんなさい」


「体調は大丈夫?」


「うん。大分よくなった。稲垣君も具合悪いの?」


「具合悪いってわけじゃないけど、なんか疲れちゃって、ちょっと静かなところで休みたいなって思ったんだ」


 最早江崎さんと会話することに緊張を覚えなくなった。今は無事解決に向かうかどうかという別の緊張が僕を支配している。片想いしているはずの僕としては少し残念な気分になるな。


「そうなんだ。じゃあ、先生が来るまで話でもしてようか」


 そう言って江崎さんは僕の隣の椅子を引いて座った。


「明日卒業式だね」


「そうだね」


「せっかくの卒業式だから、明日は貧血にならないように気をつけなきゃ」


「そうだね。今日は家帰ったらしっかり休んだ方がいいよ」


 一瞬ここで、僕が告白しても誰かに相談せず一人で返事を決めてほしいとお願いしてみようかと思ったが、すぐ却下した。前に告白した時間では、さりげなく夜間の外出を控えるようお願いしたけど、結局それは反映されなかった。ここでお願いをほのめかしても、江崎さんはそれに気づくことなく行動に移してしまう。強引にお願いしても、それは不自然な行為に映り不審がられるかもしれないので、得策にはなり得なかった。普通にするのが一番らしい。


「うん。気をつける」


 次に何を話したらいいのかと迷っているかのように、僕たちの間に沈黙が訪れた。


「あのさ、江崎さん。ちょっと話がある」


 僕はその沈黙を破るように声をかけた。


「明日の卒業式だけど、伝えたいことがあるから、式が終わったら少し残ってくれないかな?」


 僕は江崎さんへの告白を先延ばしにする。告白さえしなければ江崎さんは安西に相談することもないし、最終的に真音の耳に入ることもない。ここで時間を作ることで、今日中に真音と折り合いをつけることができるはずだ。


「ごめんなさい。明日卒業式が終わった後予定があるの。なんか卒業でパパが張り切っちゃって、盛大にお祝いするんだって聞かないの。本当に困った親バカだけど、でも断るのも悪いから、早めに帰ってあげないと」


 なるほど、卒業式が終わってすぐに帰った理由がそれか。家族のことが理由であるならば、所詮他人でしかない僕がどうこう言っても無駄だろう。


「なら朝とかどうかな? ちょっと二人で話したいことがあるから、いつもより早く学校に来てもらわなきゃならないけど」


 だが別に卒業式後にこだわる必要もない。今この保健室というタイミングと、明日の昼頃の、未来人アスとの遭遇というタイミングと被らなければそれでいいのだ。なら朝でもかまわないだろう。


「朝か……大丈夫だけど、何分くらい早く来ればいいかな?」


「じゃあ三十分前くらい」


 前に保健室で告白したときは大体数分程度だったはず。そこから教室に人気がない時間帯のことを考え、さらにもし人がいた場合に人気のない場所に移動し、朝のホームルーム前に教室へ戻ってくることを加味した結果、三十分くらいが妥当ではないかと思った。三十分あれば不測の事態が発生してもリカバリーはできるだろう。


「三十分か……。なら朝早く起きなきゃね。寝坊したらごめんなさい」


 三十分早く起きる自信がないのか、江崎さんは控えめな笑みを浮かべていた。それは今までの時間の中で一度も見せたことのない表情だった。ちょっと負い目を感じている様子がまた可愛らしくて、僕もつられて微笑んでしまった。


「じゃあ明日。教室でね」


 告白の約束を取り付けることに成功した。僕は明日の朝までに真音と向き合わなきゃならない。問題はそっちをどうするかだが、真音相手であればあれこれ考えてもしょうがない。僕に関する感情の抑制が効かない幼馴染の行動は、僕ですら予測不能だ。だから出た所勝負しかない。そもそも一回のループで成功させようとも思っていないから、試行錯誤をして解決策を導き出すしかない。


 以前と違って保健室で告白をしていないため、お互い気まずくなることはなかった。ただこれまでの学校生活で頻繁に話す間柄でもなかったので、僕の要件が済んだ後は沈黙を挟みつつもとりとめのない会話をして過ごした。何回もループを繰り返した結果江崎さんと会話する際に緊張しなくなった僕は、初めてといえる江崎さんとの雑談を純粋に楽しんだ。今までつらいことばかりだったけど、このときは素直に喜ぶことができたような気がする。


 結局僕たちは養護教諭が戻ってくるまで話し込んでいた。そして養護教諭が戻ってきたことで教室へ帰る口実を得た僕は、そのまま江崎さんと一緒に教室に向かった。ホームルームが終わるどさくさに紛れて教室へ戻った僕たちは、そのまま自分の席に行き帰る支度をする。江崎さんはこれまで通り、安西グループと一緒に教室から出て行った。三上と小さな挨拶をしていた真音は僕を呼び、遼も合流して下校することにした。


「なあ真音。ちょっと話があるけど、いいか?」


 僕たちがいつも別れている自宅近所の横断歩道に着いたとき、僕は真音を呼び止めた。前回の時間の記憶を持っている遼は察したのか、遼も立ち止まり一歩引いて僕の出方を見守る。


「どうしたの? 慎ちゃん」


 真音は振り返り、小首をかしげた。


「いや、なんていうか、明日で卒業だろ。だから僕は、江崎さんに告白しようと思う」


 僕は真音が取り乱すのを警戒しながら、恐る恐る自分の意志を伝えた。今までは、僕が江崎さんに告白したことを知った真音は、そのまま江崎さんに突撃していったのだ。その結果あの痛ましい結末に至ったのなら、最初から告白することを宣言していれば違った結果になるのではと思ってのことだ。


 僕の思惑は、果たしてどう転ぶか。


「あっそ。好きにすれば」


「え?」


 しかし真音の反応はそっけなく、僕は拍子抜けしてしまい思わず声が漏れてしまった。


「えっと……いいの?」


「いいも何も、それは慎ちゃんの好きにすればいいじゃない。わたしが慎ちゃんにどうこういうことじゃないでしょ」


 そういって真音は落ち着きなく髪をかき上げている。


 なんだろう。意外な反応で僕は困惑している。てっきり修羅場になるかと思って身構えていたのに、すんなり受け入れられてしまった。


「慎ちゃんは慎ちゃんのしたいようにすればいいよ。わたしは慎ちゃんを一番に想っているから」


「お、おう。そうか」


 でもそう言っている真音の表情は、目が全然笑ってなくてある意味怖い顔になっている。これはどう捉えるべきだろうか。


「もう話は終わった? ならわたし帰るね」


 真音はそう言い残し、そのまますたすたと足早に帰ってしまった。


「なあ遼。真音のあの態度、どう思う?」


「明らかにおかしいな」


 僕と遼は遠ざかっていく真音の後ろ姿を見つめながら訝しむ。真音はこちらを振り向くことなく、いつもよりもかなり速いペースで歩いている。


「あの様子じゃあ、表ではそっけなく平静さを装っているが、気持ちとしてはかなり煮えくり返っているぜ」


「……何が真音をあそこまでさせているんだ?」


「そりゃあ、お前のことが好きだからだろ。好きな相手が、自分ではない別の誰かに告白するなんて堂々と宣言されれば、誰だって頭にくるに決まっている」


「それは……そうかもしれないけど……」


 正直その感覚はよくわからない。でもわからないなりに想像してみる。たとえば、江崎さんが僕ではない別の誰か、遼とかわかりやすいイケメンに告白しようとしていることを知ったとしよう。そのとき、僕はどう思うか。当然冷静ではいられないだろう。僕だったら気落ちしてふさぎ込んでしまうだろう。


 そこまで想像して、僕はようやく真音の気持ちの一端に近づけたような気がした。真音も好きな人が自分ではない異性に告白しようとしていることを知って、気が気ではないのだ。そしてなまじ感情のたがが外れやすい真音は、その気持ちを怒りというわかりやすい感情で放出するしかないのだ。


 僕がいじめられたときとかは、炎上する感情の矛先をいじめっ子に向けるだけでよかった。しかしこれはいじめではなく恋愛だ。僕が受け身で虐げられているわけではなく、僕自らが行動している。故に矛先を向けるべき悪者は存在しない。


 真音は煮えたぎる感情を自身の中で抑え込むしかないのだ。


 しかしこれでいいのだろうか? 江崎さんに想いを伝えつつ真音とは平和的な関係を維持したいのだが、これでは成立していないのではなかろうか。


 僕は今難しいことをしている。そのことをここにきてようやく自覚した。


「どのみちもう宣言しちまったんだ。もうなるようにしかならん」


 遼の言う通りだ。もう言ってしまったのだから、このあとは最善となるように行動するしかない。


「真音は大丈夫だろうか……」


「心配なのはわかる。けど失恋って、自分自身で何かしらの折り合いをつけなきゃいけないんじゃねえの。結局は勝手に片想いして勝手に振られた、それだけの話だ。他人がどうこうして癒してやるのは筋違いだろ」


「そんなもんか? 僕はまだ失恋していないからわからん」


 あくまで、まだ失恋していない、だ。


「俺もないからわからん」


「だと思った」


 なんか雰囲気でいいこと言った感じになっているけど、でも所詮遼も恋愛経験がないから何の説得力もない。まるで参考にならない。


「まあ真音のことは、注意深く気にすることにするよ」


 失恋の傷は時間が癒すとしたら、今の僕にはどうすることもできない。見守るしか方法はないのだ。


 僕と遼は適当に話を打ち切り、各々の家へ帰る。僕は帰ってから寝るまでいろいろなことを考えてみたけど、気持ちのモヤモヤが晴れることはなかった。ないまま、僕は告白の朝を迎えた。


 江崎さんに三十分早く来るよう伝えたが、しかし僕の場合三十分では駄目なのだ。なぜなら朝僕の部屋に真音が来てしまうから。迎えと称して毎朝僕の制服の匂いを嗅ぎに来てしまう。そのため僕は真音が部屋に来る前に家を出なければならない。


 というわけで僕はいつもより一時間早く起床。空が明るくなったばかりの時間帯に支度を済ませ、さっさと学校へ向かうことにした。早すぎて校門が開いていないかもしれないけど、その場合は校門前でスマホでもいじって時間を潰すしかない。


 そんなこんなで僕は勢いよく玄関の扉を開けたが、


「あ、慎ちゃんおはよう。今日は随分と早いね」


 開けた瞬間戦慄した。扉の向こうには、真音がいた。


「……お前、何してんの?」


 僕は思わず尋ねてしまった。


「何って、毎朝来ているでしょ」


 真音は真顔のまま小首をかしげて不思議そうにした。いや表情も怖いけど、でも今は真音の存在そのものが恐怖だ。


「もう学校に行くの? だったら一緒に行こう」


「いや……でも、ちょっと用事があって……」


 僕は苦し紛れに濁すことでなんとか真音から逃れようとするが、


「……江崎さんに告白しに行くんでしょ」


 しかし真音に見抜かれていた。


「朝早くからご苦労様。でもこんなに朝早くに告白なんて、迷惑だからやめた方がいいよ」


 いや今まさにお前の方が迷惑だよ。


「でももう約束しちゃったし。それに江崎さんはこんなに早く来ないよ。僕が勝手に早く家を出ただけだ」


「ふーん。じゃあ、わたしも一緒に学校行っても問題ないね。だって、わたしだっていずれ学校に登校しなきゃいけないから、早く行っても支障はないはずよね」


 真音は少し微笑んだが、しかしその表情はどことなく恍惚としている感じがして不気味だった。


「……そう、だな」


 基本真音の暴走は止まらない。真音の行動は阻止ではなくいなす方向で対処するしかないのだが、それがかなわないと明らかな場合は、素直に諦めるしかないのだ。


 全く、本当に真音の行動は迷惑だ。真音は僕のことを一番に想っているとか言っているが、その感情そのものが僕にとって不利益なものなのだよ。これは一度痛い目見ないと自覚しそうにないな。


「あ……」


 と、そんなことを思っていたら、ふとひらめいた。


「慎ちゃんどうしたの?」


「いやなんでもない」


 僕は適当に返事する。しかしその間も僕はひらめいたことをじっくり検討する。


 真音の行動が僕に迷惑をかけている。そのことを本人に自覚させる。行動が本末転倒であることに気がつけば、少しは自粛するのではないか。


 そして僕はこれから江崎さんに会いに行く。その場に真音を連れていくと、どういう結果が得られるだろうか。


 僕は思案し、そして不安定ではあるものの一筋の道を見つけることができた。


 どうせ未来人アスに頼めばタイムリープしてもらえるのだ。未来にパラドックスを起こさない程度であれば、何度でもやり直しができるはず。というよりやり直しが前提だ。なら試してみる価値はあるのではないだろうか。


「わかった真音。一緒に学校に行こう」


 やってみようじゃないか。あえて真音と江崎さんを引き合わせることで得られる結果に期待して。



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