ファイル18「感情」


 意外なことに、こんなに早い時間なのに校門はすでに開かれており、昇降口も出入りができた。卒業式当日だからということもあるのだろうか。最終準備とかで先生たちが早く来ているのかもしれない。


 いつもより一時間以上早いこの時間帯の教室には、当然の如く誰もいなかった。わずかに朝日が差し込む教室に入り、自分の席に座る。真音も僕の教室に入り込み、僕の前の席を引いて足を組んで座った。もともと細くしなやかな美脚なのだが、寒さ対策として穿かれた黒いタイツの引き締めもあって、真音の美脚度合が増している。その足を見せつけて誘惑しているかのように真音は横向きに座っている。


「いい脚してんな」


 僕は思ったことをそのまま呟く。


「でしょ! 触りたい?」


「いや別に」


 確かに真音の脚は美しいけど、触って愛でたいと思うほど僕は変態ではない。どうせ触るのなら江崎さんの脚を触りたいよ。


「それより、なんでここにいるんだよ」


「なんでって、告白の妨害」


 真音は悪びれる様子もなく平然と答える。


「……僕は何が何でも江崎さんに告白するぞ」


「別に慎ちゃんは告白してもいいよ。わたしが妨害するのは、江崎さんの返事の方」


「何をするつもりだ」


「特別なことはしないよ。ただ微妙な空気にするだけ」


 そう答える真音は屈託のない表情をしている。その表情から、真音には悪意とかそういったものがないことが窺える。故に迷惑を自覚できていない。


「真音はなぜそこまでやる。何がそうさせているんだ?」


 その歪んだ純粋さを目の当たりにして、僕は尋ねずにはいられなかった。


「うーん。なんだろうね。動物的な本能かな」


「はあ?」


「野生動物もさ、メスを取り合ってオス同士が戦い合うみたいな感じで、わたしは慎ちゃんに好かれている江崎さんに嫉妬していて、それで本能的な感覚で抗っているだけだと思うよ。というか多分、嫉妬って感情は、そういう動物の本能の名残だと思うかな。頭がいい人間が、そんな動物的な本能を認めたくないから、嫉妬という言葉でごまかしているのだとわたしは思うな」


 真音は一度深く呼吸し、


「わたしは自分の本能に従っているだけ。わたしは、あくまでわたしに忠実に生きているだけなの」


 と付け足した。


「自分に忠実、か」


 僕に関する感情を抑制することができない真音の行動原理は、まさに本人が言っている通りなのだろう。感情を抑制できないということは、すなわち自身の感情に対して誠実であるということでもある。むしろ感情を抑制している方が、自分自身に対する裏切り行為ですらあるのかもしれない。


 だからといって、自分に誠実、忠実すぎるのは、とても褒められたものではない。それはただ単に、思い通りにならず駄々をこねる子供と同じだ。


「そう。わたしはわたし。わたしはわたしに正直でありたいの。わたしが慎ちゃんのことが好きだから、その気持ちに正直でありたい」


「でもその好きってさ、僕が幼稚園のときにプロポーズしたのがきっかけだろ。そんな、幼稚園のプロポーズなんて、真に受けるやつなんていないぞ」


「きっかけなんてどうでもいいじゃん。好きになる理由を求めるのは、自分のことを頭のいい存在だって自惚れている人がするものだよ。そんなこと、なんの意味もない。好きは好き。それ以上でもそれ以下でもないじゃん。だったら、まさに動物みたいにさ、本能で恋したっていいじゃない」


 そう語る真音の顔は、輝きに満ちていた。まるで童話のお姫様が王子様に恋しているかのように、恋をするうえで複雑なことをそぎ落としてシンプルにしたかのようだ。


「人を好きになると、余裕がなくなるの。それこそ、理由とか考える余裕がなくなるほどにね。だから、好きに理由を求める恋はまがい物。理由を、答えを求めた時点で、それは本当の好きじゃないし、本当の恋じゃないよ」


 真音が言っている本能で恋するという説を、僕は否定できない。否定できるだけの意見を、僕は持ち合わせていない。なぜなら僕もそうだからだ。気がつけば江崎さんに惚れていた。その理由は、きっと多すぎてまとめることができない。故によくわからないけど好きになってしまったと答えるしかない。


 そうすると、僕も真音も本質的な部分では同種の人間なのだろう。


 であるならば、僕だって本能で恋をするだけだ。


「なら僕だって、シンプルに江崎さんのことが好きだよ。だから告白する」


「うん。慎ちゃんはそれでいいよ。告白したいからする。それだけだもん。だからわたしもわたしで、告白を妨害したいからするだけ」


 真音はそういうが、僕としてはその妨害行為が迷惑だったりする。だけどそれは今ここで告げることはしなかった。その本能的である身勝手極まりない振る舞いが招く結果を、このあと身を持ってわからせてやる。


 真音と話し込んでいたせいか、僕たちが教室に来てから随分と時間が経過していたようだ。


「稲垣君おはよう。そちらは……隣のクラスの牧瀬さん?」


 そのことに、江崎さんが教室に入ってきたことによって気づかされた。


「お、おはよう。江崎さん」


「うん。それで早速だけど、話って何かな?」


 江崎さんは真音に向けていた視線を僕に戻し、そして単刀直入に用件を尋ねてきた。


 僕は意識して心を落ち着かせる。


「ここじゃあれだから、場所移そうか。早く登校する人はもうそろそろ来そうだし」


 僕は適当なことを言って立ち上がり、江崎さんを促した。江崎さんも小さく頷いたのち、机に鞄だけ置き、コートを着たまま僕と一緒に教室から出ていく。真音も僕たちの後ろを無言でついてきていた。


 僕が向かった先は校舎内の階段だった。この学校において僕たちの学年の教室は、昇降口から中庭の渡り廊下を進み校舎外の非常階段を登った方が近道であり、昇降口から廊下を進み校舎内の階段を使う生徒は少数派である。そのためこの階段は人気が少なく、人に聞かれたくない話をするには持って来いの場所だ。


 僕は階段を背にして江崎さんの方に振り向く。


「もう卒業だから言うけど、実はずっと江崎さんのことが好きでした。卒業して離れ離れになるけど、もしよろしければ高校生になってもよろしくお願いします」


 四度目となる告白。最早情緒とかそういうものはない。時間を先に進ませるだけの告白に成り果てていた。


「えっと、あの――」


 ただ作業と化した告白だとしても、僕は自分の気持ちを正確に伝えた。その告白に、江崎さんは心底驚いた様子だった。目を見開き、両手で口を覆って固まっていた。江崎さんは続く言葉を出せないでいた。


 今までのパターンなら、江崎さんはすぐに返事をせず保留する流れだ。


 しかし今回は違う。今回は真音がいるのだ。幼馴染を同伴して好きな女の子に告白をするとか、冷静に考えればおかしいシチュエーションだけど、でもこの状態が今までにない新たな流れを生み出す。


「じゃあ、わたしも告白するけど――」


 僕の告白が終わったのを見計らって、真音が口を開く。


「――江崎さん。わたしは慎ちゃんのこと、稲垣慎也君のことが好きなの」


 真音は、江崎さんに向けて告白した。当の江崎さんとしては予想外の告白だったのか、心底驚いた様子であり、僕の告白のときとは違う意味で目を見開いていた。


「えっと……どういうこと?」


 江崎さんは困惑しながら当然の疑問を僕たちに投げかけた。


「その、僕は江崎さんのことが好きで、今日が最後だから思い切って告白しました。で、こっちは僕の幼馴染なんだけど、幼馴染は僕のことが好きみたいなんだ。だから……えっと――」


「つまり、江崎さん、慎ちゃんの告白を断って」


 この歪な状況を説明しようと善処する僕を遮って、真音はシンプルな要求を江崎さんに申し出た。


「えっと……え?」


 江崎さんはいまいち状況を掴み切れていないのか、露骨に混乱している。いやまあ、それは無理もないけどね。


 これまでの告白のときの反応をみるに、江崎さんはこれまでの人生で告白をされたことがないとのこと。つまりこれが人生初の告白である。しかしその人生初の告白は、まさかの三角関係による告白だったのだ。こんなもの、最早トラウマレベルの惨事だよ。


「僕は江崎さんのことが好きだ。ずっと好きでした。それは揺るぎない」

「わたしは慎ちゃんのことが好きなの。だから絶対慎ちゃんの告白を断って!」


 僕は再度気持ちを伝え、真音はそれに被せるかのように要求した。その際真音の語気は自然と強くなっていた。


「……私は、どうすればいいのかな?」


 困った顔をしながら頬に手を当てる江崎さん。全ての決定権は江崎さんにあるのだが、しかし当の本人は出すべき答えを決められないでいる。


「どうするって、わたしが言った通りにすればいいの! あなたは慎ちゃんの告白を断ればそれでいいから!」


 はっきりと答えを出さない江崎さんに苛立ちを覚えたのか、真音は次第に感情的になっていき、ついには江崎さんの両肩を掴んだ。


「いッ」


 その際真音の握力が強かったのか、江崎さんは苦悶の表情となる。


 これだ。この状況を待っていたし、こうなることはわかっていた。


 僕が何回もループして無様に抗っていたときの状況は、僕の告白を受けた江崎さんは安西に相談し、そこから同じグループの三上に情報が洩れ、そして三上が口を滑らして真音に伝わってしまい、感情的になった真音は江崎さんに突撃していき、結果としてトラブルの末江崎さんは亡くなったのだ。これはあくまで僕と遼の推測でしかないが、最短で結びつけるとこういう過程がそこにはあったはずだ。


 なら今はどうだ? 今のこの状況は、僕の告白を受けて真音が江崎さんに詰め寄っている場面だ。言うなれば、西だ。僕が告白したから、真音は感情的になって江崎さんに突撃している。僕はこの時間で、のだ。


 そして告白のことを知った真音と当事者である江崎さんが対峙することで生まれる結果は、暴力的なトラブルだ。


 しかしこれまでの時間とは違い、この場には僕という存在がいる。


 未来人のアスはこう言った。望まぬ結果に至るというのなら、途中式を紐解き、望む答えとなるよう数式を改ざんすればいい、と。


 だから僕は数式を改ざんした。僕が二人のトラブルに介入できるよう、告白の方法を根本から変えたのだ。これは今朝真音が家の前にいたことで思いついた即席の案で、もともとは他の方法を模索していた。でも結果として僕はチャンスを得ることとなった。


「やめろ真音!」


 江崎さんに掴みかかる真音の手を払うように、僕は二人の間に割って入る。僕は二人のトラブルに介入した。


「真音落ちつけ! 僕が好きなのは江崎さんなんだ。邪魔しないでくれ!」


 今度は僕が真音の両肩を掴み、力強く真音に言い放った。それによって、真音はより一層険しい表情となり、僕のことを睨みつけてくる。


 そうだ。それでいい。人は他人から強く迫られれば、それだけ反発したくなる。ましては感情が抑制できない真音のことだ。僕の挑発ともいえる態度に食いつかざるを得ない。


「なッ……。慎ちゃんは、慎ちゃんはあの女のどこかいいのよ!!」


 真音は僕に肩を掴まれたまま、鬼の形相で僕の胸倉を掴んできた。


「僕は真音じゃなく江崎さんのことが好きなんだ!!」


 僕は真音の感情がより炎上するよう、油を注ぎこむ。それは功を奏し、真音は激昂して喚きながら僕を押してくる。それに合わせ、僕は後退する。


 そう、そのまま。


 本来江崎さんへ向かうはずだった真音の感情は、今僕に向いている。そして二人のトラブルの結果は自明だ。


 そのことを確認した瞬間、後ろに下がっていた僕は突然の浮遊感に襲われた。


 それと同時に、僕は真音を突き放す。それにより、真音は尻餅をついて倒れこんだ。


 視界が傾き、僕の正面には階段の天井が見える。そう、僕は真音に押され、階段を踏み外したのだ。


 次の瞬間には、僕は背中から階段に落ち、そしてそのまま階段を転げ落ちた。階段の踊り場まで転がり、壁にぶつかってようやく転落の勢いが収まった。


 疼痛で気を失いそうになる。だが無理やり意識を保ち、自分の身体の状況を確認する。階段から落ちることがわかっていたので、危険な落ち方は避けたつもりだ。大丈夫、頭は打ってないし、足も怪我していない。痛いのは背中と腕だけだ。これなら立てるし歩ける。


 真音と江崎さんのトラブルの結果、江崎さんは橋から転落した。だけど今回は、真音の感情の標的を僕にした。それにこの場所は池の橋ではなく学校の階段だ。女の子である江崎さんよりも丈夫にできているつもりの僕が落ち、それがリノリウムの床であるのなら、人が死ぬこともないだろう。


 僕は、僕が犠牲になるかたちで、僕の望む答えを導き出す。


「し、慎ちゃん!!」

「稲垣君!!」


 階段の上から真音と江崎さんの悲鳴が聞こえ、二人は慌てて階段を下りてくる。僕は二人が下りてくるのに合わせて上体を起こした。


「慎ちゃん大丈夫!? どこか怪我してない?」


 真音は今にも泣き出しそうな表情をしながら、僕の全身を触って怪我の有無を確認する。江崎さんは真音の後ろでどう対処すべきか迷いオロオロとしている。


「真音、これがお前の招いた結果だ」


 僕は真音を凝視しながら告げる。真音は僕の言葉に反応し、恐る恐ると顔を上げて僕を見つめる。


「真音は言った。自分に忠実だって。本能だって。これがお前の本能が招いた結果だ。自分の感情に従うのはいい。僕のことが好きでもいい。いいが、その結果が不幸になることも自覚しろ。他人に迷惑がかかることを自覚して、少しは感情を抑えて自重しろ」


 僕は語気強く、しかし同時に冷徹に言い放つ。


 真音は僕が傷つくことをなによりも嫌がる。そしてその傷ついた原因が真音自身の感情の発露であるなら、真音自身、自分を悔いてしまうはずだ。


「ごめんなさい……。ごめんね……慎ちゃん……」


 真音はこの状況と、そして大好きな僕に怒られたこともあり、ついに涙腺が決壊しとめどなく涙を流した。号泣しながら繰り返し謝り、懺悔する。


「僕のことを好きでいてくれるのは嬉しいけど、なら、少しは僕の気持ちも大事にしてほしい」


 僕はそんな真音を、痛む手で包み込んだ。真音は僕の温もりを感じ取ったのか、僕の腕の中で激しく泣き続けた。


「そうだ江崎さん。告白の返事を聞いてもいいかな」


 視線を上げ、僕はオロオロしている江崎さんを見つめた。


「それを今言いますか? そんなことより、先生を呼んできた方がいいのか、それともすぐに救急車を呼んだ方がいいのか――」


「僕は大丈夫だよ。あとで保健室に行く。それより返事を聞きたいんだ」


 僕は動転する江崎さんに優しく語りかける。正直保健室に行く程度で済むのかは謎だか、まあ痛いのは上半身だけだし大丈夫だろう。それより江崎さんを安心させる方が大事だ。


 江崎さんはどう答えるべきか迷った末、


「えっと、その……」


 たどたどしく返事しようとする。


「返事は、少し待ってもらえるかな?」


 そのわかりきっていた告白の返事を生で聞いて、僕は思わず吹き出してしまった。





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