ファイル5「悲愴」


 早退する旨を伝えると、あっさり認めてくれた。事態が事態だけに、認めないわけにはいかないのかもしれない。しかしこのまままっすぐ家に帰る気にもならず、僕と遼は校門を出てあてもなく歩き出した。目的地はないが、ただ何となく駅の方面に向かっている。


「あ……」


「あー……やっちまったな」


 なんの考えなしに人の多いところに向かっていたので、直前までそれを失念していた。駅前へ向かうには橋を渡らなければならない。江崎さんが亡くなった例の橋。


 この街は所謂ニュータウンで、駅の向こうには大型のショッピングモールがあり、街並みも計画的に整えられているのでとても綺麗で、今に至るまで時代に合わせたマンションとかが林立している。戸建ての区域もあるが、圧倒的に集合住宅の割合が多い。


 そんな比較的新しい住宅街から駅に向かう途中にあるこの橋は、南北に縦長い大きな池を超えるためにあるものだ。駅前の区画と住宅街を分断するかのように池が存在していて、この橋を渡らず迂回しても駅前まで行けるが、しかし最長で一キロメートルほどある池なので誰も迂回路を使わない。そんな事情により、唯一池に架かるこの橋は、まるで僕らが暮らす住宅街の玄関口であるかのようだった。


「落ちたとすると、このあたりかな?」


 僕は歩道を歩き、ちょうど橋の中心部で立ち止まって池を眺めた。遼も僕に合わせて止まり、欄干に寄りかかって池を見やる。


 その特徴的な形から池ではなくただの河川にしか見えない。池の周囲は公園として整備されており、人工的なニュータウンの中でここだけが不釣り合いに自然豊かだ。バードウォッチングに適した場所なのか、公園や橋の歩道には訪れる野鳥の紹介がされた看板が点在している。岸辺の広場ではなぜかバーベキューをしている集団が見受けられ、園内の歩道の総距離が丁度いいのかジョギングしている人もいる。


「ここ、結構な高さがあるな」


 遼は欄干に体重を乗せて下を覗き込んだ。確かに池と公園に跨る大きな橋なので、必然水面までの距離が遠くなってしまう。見た感じ三階か四階くらいの高さがあるのではないだろうか。比較対象がないのでよくわからないけど。


「ここから落ちるだけでもヤバいな」


 僕は遼の隣で水面を眺めながら呟いた。ここから転落した江崎さんは、いったいどんな気持ちだったのだろう。この高さから落ち、数瞬の浮遊感ののち入水。三月でしかも夜間なので水温も低下しているだろう。当然この気温なので厚着もしていただろうから、水中では冷たい池の水とその水を吸った衣服で溺れるのは確実で、すぐに救助しなければまず助からないだろう。きっと生きるために必死にもがいたに違いない。その様子は容易に想像できる。


「たださ、思ったんだけど――」


 ふと、遼が池を見渡しながら疑問を口にする。


「――どうやったらここから落ちるんだよ」


 それは僕も思った。朝先生から話を聞かされたとき、僕は状況を想像することが難しかった。


 橋には転落防止の欄干があり、大体僕の胸の高さくらいある。僕なら上ることはできるし、長身の遼ならもっと軽々欄干を超えられるだろう。しかし江崎さんは中学生にしては小柄な女の子だ。欄干を超えるにしても上るだけで苦労するだろう。そして何より、ここから落ちるには、自らの意思で欄干を超えなければ無理だ。


「まさか……自殺?」


 僕は橋の構造からみて、そんな信じがたい結論が出てきた。


「それはないだろ」


 しかし遼はすぐにそれを否定した。


「知ってるか? 溺死ってかなり苦しいらしいぞ。自殺するほど追い詰められた奴が、わざわざ苦しいやり方で救われたいとは思わないだろ。それにこんなところまで来なくても、家で首を吊ればいい。首吊りなら数秒で意識なくなるらしいから、苦しくないみたいだ。あとは……江崎の家は確か駅前のでかいマンションだったと思うから、最悪自宅のベランダから飛び降りれば――」


「もういいよ」


 遼は効率いい自殺の方法を列挙していくが、僕はそれを途中で止めた。遼も自分がどういった状況で何の話をしていたのかを自覚し、「悪い」と謝った。


「ただ江崎の場合死ぬ理由がわからねぇ。いや、周囲に気づかれないよう思い悩んでいたのかもしれないが、それにしても突然過ぎるだろ。自殺の動機も方法も不自然。この橋もどこか壊れていて誤って落ちるような危険もない。なら考えられるのは一つしかないだろ」


 遼は一度深く呼吸してから続きを話す。


「誰かが、ここから江崎を突き落とした」


 普通にしていれば一切落ちる要素がないこの橋ならば、人為的に落ちたという考えに至るのは当たり前だろう。問題はどのように、だが。考えたくはないが江崎さんが自ら落ちたのか、それとも誰かの悪意によって落とされたのかは、今の段階では真実は闇の中だ。


 江崎さんの死は謎が多すぎる。


「…………」

「…………」


 僕と遼はその結論に至ると、お互い一言も喋ることなく池を眺め続けた。橋の上では風が強く吹き抜けていき、僕たちの身体を芯から冷やしていく。それでも僕たちは江崎さんが亡くなったであろう地点から目が離せなかった。


「もう、帰るか」


 遼が促し、僕はポケットからスマホを取り出し時刻を確認した。ちょうど卒業式が終わったところだ。


「そうだな、帰ろう」


 僕はスマホをしまいながら歩きだし、遼も隣に並んでついてくる。僕たちの家は、学校から見れば橋と真逆の方向にあり、このまま道なりに進めば必然的に学校の前を通らなければならない。そしてもう卒業式が終わったということは、校門前は生徒が大勢いるだろう。早退した僕たちが校門前を通りかかるのはあまりにも不自然と遼は言うので、僕たちはあえて大回りして帰路についた。


「そういえば真音はどうした?」


 僕たちが帰宅する際にいつも別れている横断歩道までくると、遼は別れ際に真音の所在を聞いてきた。


「いや、今日一日真音を見てない」


 いつもなら毎朝わざわざ迎えに来るのだが今日は来ていない。だが正直今の今まで気にならなかった。むしろいつも気持ちが重たい真音がいないことに、少しばかり気が楽だったくらいだ。いや江崎さんが亡くなったのに気が楽だったというのはおかしいかもしれないが、しかし真音の鬱陶しさがない分、江崎さんへちゃんと哀悼することができたような気がする。


「そうか。まあ別のクラスだからな。むしろ今までが異常だったのかも」


 遼は自分なりに真音がいないことに納得したようで、改めて別れの挨拶をして家に帰っていった。僕は遠ざかる遼の後ろ姿を見ながらその場で信号待ちをする。


 遼が曲がり角を曲がり姿が見えなくなったので、僕は信号に向き直ろうとする。だがその瞬間、僕の目の前を横切る人物がいた。


 色白の肌に白い服装。脱色したかのような色素のない髪が揺れ、少年にも少女にも見える中性的な顔立ちが視界に入る。そんな人物、僕の人生の中で何人も見かけたことはない。


 僕は反射的に手を伸ばした。今にも信号無視して車が行き交う道路を横断しようとするその姿を捉え、そして襟を掴みそのまま僕の方に引き寄せると、その白い人物は尻餅をついて倒れた。


 それは前回、卒業式後の下校途中で遭遇した自称未来人のアスだった。いや、もう自称ではないか。正真正銘の未来人だ。


 アスは今しがた何が起こったのか理解できていない様子だったが、しかし目の前を走る車と、そして僕の存在を認めると、自身の状況をゆっくり理解していったようだった。


「ア、助けてくれてありがとう。僕の名前はアスと言います。まだこの時代に来たばかりだったので、この時代の危機的状況を把握しきれていませんでした。本当にありがとうございます」


 アスは尻餅をついたまま僕を見上げて礼を言ってきた。しかしその内容は一度聞いたことのあるものだった。


 尻餅をついた状態から立ち上がり僕と向き合う。だが尻餅をついていたのが僕の足元ということもあり、立ち上がって振り向いたアスの顔は非常に近いものとなるはずだったが、しかしそれは前回経験済みなので、僕はアスが立ち上がる動作の最中に一歩下がって距離をとった。


「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」


 アスは前回同様危機を救った僕にお礼をしようと申し出た。スッと僕の手を両手で握り、僕の瞳を直視している。


「そうだ、お礼としてタイムリープさせてあげます。未来に送ると困惑してしまうでしょうから、過去に送りますね」


 そして続く言葉も前回と同じだった。ちなみに今回もアスは一切瞬きをしていなかった。


「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」


 今の僕にとって、やり直したい過去など一つしかない。前回ではできなかった告白をやりたいと願ったが、今回はもっと大事なものだ。


 江崎さんの命だ。


 死んでしまったらすべてが失われてしまう。死んでいるよりは生きている方がいいに決まっている。本当なら死をなかったことにすることはできないが、しかし今の僕にはすでに起こった死を否定することは可能だ。


「ああ、なら、昨日の午前中に戻してくれ」


 僕は静かに答えた。


 僕は再びタイムリープして、今度は江崎さんが死なないよう改変する。たとえ何度繰り返そうとも構わない。僕がアスと遭遇するのは卒業式後のこの横断歩道だということは、前回と今回の二回でわかった。なら改変に失敗してもまたここに来て時間をリセットしてしまえば、僕が精神的に疲弊しない限りチャンスは何度でも訪れるのだ。


 僕は、僕が好きな女の子を助ける。ただそれだけのためにタイムリープする。


「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」


 僕はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が僕の手から離れ、僕の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。相変わらず僕の眼球を潰す勢いで圧がかかっている。


「ではいきます」


 今回は悶えるのを我慢する。そんな僕をよそに、未来人のアスは何かを始めた。いや、過去へ戻るタイムリープを始めた。






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