ファイル7「意外」
昨夜は親に小言を言われたのち自室の寝床に入ったわけだが、当然すんなり眠ることはできなかった。だがいつの間にか寝入っており、気がつけば朝だった。寝つきが悪かったからいつもより早く起きてしまったけど、いつも通りの朝だ。
「あ、慎ちゃんおはよう」
真音が当たり前のように早朝の僕の部屋にいるけど、これも普段と何も変わらないいつも通りの朝だ。幼馴染の女の子が朝起しに来るなんてことはできの悪いアニメの中にしかない現象だが、しかし残念ながらこれは現実だ。僕に向ける気持ちが重たいオタク美少女真音は、さも当然のように毎朝僕の部屋にいる。……あ、でも、前回の二周目は部屋に来なかったな。何かあるのだろうか?
「……お前、何してんだ?」
と僕は一周目及び三周目と二周目の差異に疑問を抱いていたが、身を起こして真音の方を向いた瞬間、そんなことがどうでもいいと思えてしまうくらい衝撃的な光景を目の当たりにした。
「何って、匂いチェック」
「何の?」
「制服の」
「だからってその部分を嗅ぐなよ……」
真音は僕が普段着ている制服を勝手に持ち出したのち、本人の部屋の中で股間部分に顔をうずめていた。いや、ていうか、普通に引くわこれ……。なんで、寝起きで自分の服の股間部分の匂いを嗅いでいる女を目にしなきゃならないんだ。本当にこいつ何やってんの?
「あの……非常に気持ちが悪いのでやめてくれる」
「なんで?」
なんで!? なんでときましたか!? 何言ってんだこいつ!?
「そもそもなぜ制服の匂いを嗅いでいるッ!?」
「なぜって、今日は卒業式じゃない。だから最後の匂いを記憶に刻もうと。今日が最後になるからね」
真音は制服に顔をうずめているせいか、ややくぐもった声で答える。
「おいまさか、これまでの三年間毎日こんなことやってたのか?」
「まあね」
「まあねって、僕はそんなこと全然知らなかったぞ!」
「いつもならもう三十分くらい寝ていたからじゃないかな。毎日慎ちゃんが起きる前に匂いチェックしてたから」
衝撃の事実! まさかの僕は、幼馴染が顔をうずめた制服を着て三年間を過ごしていたらしいぞ! これはもはや、実は床に落ちた食材をそのまま調理していたとか、実は自分の歯ブラシが掃除道具として使われていたレベルの大事件だぞこれ。確かにいつもなんか生暖かい感じはしていたけど、まさかそんな秘密があったとは……。どうするんだよ、僕は幼馴染が股間部分に顔をうずめた制服を着て卒業式に出席しなければならないのか!
「どうしたの慎ちゃん? 風邪?」
「いや……もうほっといてくれ」
僕はベッドに座りながら頭を抱えた。もう誰かなんとかしろよ、この変態を……。
「まあいい、……よくはないけど、汚さなければもう好き勝手にしろよ」
そう僕は言い捨て、トイレへ向かうため自室を出た。が、しかし、
「……なぜついてくる?」
廊下を進む僕の背後に、まるで守護霊の如く真音がピッタリくっついてきていた。立ち止まり振り返ってみると、真音はまだ僕の制服を顔面に押し当てていた。こいつ無駄にスタイルよくて女子なのに僕と同じ身長だから――決して僕がチビというわけではないはず――、目線の高さに普段穿いている制服があるのが実に奇妙な感覚なのだが。まあそれを言ったら、その制服の匂いを本人の目の前で嗅ぎ、あまつさえそのまま幽霊のように背後からストーキングされている時点で相当奇妙な現象なんだけどね。ホント、何やってんだこいつ?
「何って、朝一の一発するのかと思って」
「やめろバカ野郎」
僕の質問に真音は答えるが、その際片手を小刻みに動かしてジェスチャーをしてきた。しかしそれは女の子がしてはいけない類のジェスチャーだったので、僕はつっこみながら真音の手をはたいた。いきなり何やってんだよ! それに、仮にそうだとしても真音がついてくる理由にならねぇだろうが。何がしたいんだよもう!
「絶対に何もするなよ」
「ナニも?」
「うるせぇ」
僕は最大限警戒しつつトイレに入り、外の状況を確認しながら扉を閉めた。
「スーハ―スーハ―。クンカクンカ」
「露骨に匂い嗅いでいるアピールするな」
「はぁ……」
「恍惚とするな」
真音は扉の前にいるのか、時折変な声が扉越しに聞こえてくる。ああ……真音は朝から平常運転だな。これらの非常識行動の数々を、平常運転として半ば許してしまうくらいに慣れてしまっている僕も大概だけどね。
相変わらず僕に対する真音の愛が重たい。そのうちヤンデレ化が進み、束縛と評した軟禁とか、心中とか殺人とかやりかねないぞ。その感情の爆発が僕に向いている分にはまだいいが、これが他者に向いて迷惑を与えることだけは避けたい。小さい頃いじめられた僕を見て癇癪を起していじめっ子を殴り飛ばしたことが多々あるからな。いじめられてた僕が相手を心配するレベルの暴れっぷりだから、これから先僕案件で真音が他者を傷つける行為をしないか心配だ。
「トイレ長いけど、やっぱり一発――」
「してねぇ。大きい方のトイレだ」
やっぱこいつの非常識は許せねえ。男子中学生の日常に土足で踏み込んでくるんじゃねえよ。いつか何かしらの犯罪をしでかすだろうから牢屋でその精神を矯正しろ。
そんなこんなで卒業式当日だというのに、僕たちはいつもと変わらないバカな朝を迎え、ちょうど頃合いになったところで学校に登校した。ちなみに、もちろん僕は真音の顔によって生暖かくなった制服を穿いている。これからの高校生活でも同じような日常を過ごすことを考えると、なんだか妙に憂鬱となってしまう。
真音と一緒に登校し、昇降口を過ぎて教室の前で別れる。真音が隣の教室に入っていくところを見送ったところで、僕は自分の教室の前に佇む。一度深く呼吸して心を落ち着かせる。朝は真音とバカなことをしていたが、しかしここからはシリアスモードだ。
今回も、この三周目でも、江崎さんの机の花瓶を見なければならない。好きな女の子が死亡したという事実を突きつけられるのは、どれだけ覚悟をしていても耐えられるものではない。今更になって、昨夜挫けず夜通しで江崎さんを待ち伏せしていればよかったと後悔するが、しかしもう過ぎてしまったことはどうしようもない。今回は不可解で理不尽な現実を受け止めるしかないのだ。
僕は意を決して教室の扉を開けた。
しかし、僕は教室の中を見渡して違和感を抱いた。
「え?」
僕は困惑し、教室の入り口で立ち尽くした。
教室の中は、いつも通りの朝だった。前回感じた沈痛な空気など全くなく、普段と変わらない朝の喧騒がそこにはあった。クラスメイトの表情を見ていくと、卒業式前で気持ちが高ぶっているのか、誰もが笑い合ったり寂しがったりしていて、誰かが亡くなって心を痛めている様子は皆無だった。
僕は頼りない足取りで教室を進み、遠くから江崎さんの席を見つめるが、しかしその机の上に花瓶など置かれていなかった。前回見た名前もわからない白い花などどこにも見当たらない。席は空席で、僕は辺りを見渡して江崎さんの姿を探し、そして見つけた。江崎さんは安西の席の傍らにいて、安西グループの会話を一歩引いた感じで相槌を打っていた。
「江崎……さん」
僕は思わず呟いてしまったが、誰の耳にも届かなかったのか、僕の近くにいる人物で呟きに反応した人はいなかった。
江崎さんが生きている。その事実は大変喜ばしいことなのだが、しかしそれがあまりにも衝撃的過ぎて僕の心はフリーズして動かなくなった。なぜ? どうして? そんな疑問だけが先行する。
衝撃のあまり教室の一角で佇立していると、突如チャイムが鳴り響き、僕はそれによって我に返った。誰も不審に思わなかったところを見ると、僕がフリーズしていたのはものの数秒間だったようだ。
チャイムにより、クラスメイトは慌ただしく自分の席につく。僕もそれに倣い自分の席に座る。そして自然と視線は江崎さんの席に向いた。江崎さんも周囲の生徒と同じく自分の席に座った。前回白い花が飾られていた、あの席に。
何がなんだかわからない……。
僕は自分の机に肘を乗せ、頭を抱えた。江崎さんが生きているということは、何かしらの要因で江崎さんの死が回避されたということなのだが、それが何なのかが全くもって不明だ。それにそんなことを言ったら、前回何の要因で江崎さんが亡くなったのかもわからない。前回江崎さんが亡くなったのは、もしかしたら偶然の出来事というか、ただの不慮の事故だっただけなのだろうか。
なら、もしかしたら僕がタイムリープしようがしまいが関係なく、ただ確率の問題で江崎さんは亡くなったのではないだろうか。タイムリープしたことで前々回、前回、今回と差異は確かにあるが、しかしその差異が江崎さんの生死に直結するものだとは到底思えない。なら、本当にタイムリープは関係ないのか?
教室に、いつもは人生にくたびれた感じの担任が、今日はビシッと着こなした姿で入室してきた。しかし身に纏うくたびれ感がそう簡単に拭えるわけではないので、今日はなんだかうさん臭さが加味された変な雰囲気だった。そんな担任が最後の朝のホームルームを始めるが、僕は話を聞かずずっと江崎さんの生死の謎について考えていた。
当然その後の卒業式本番も上の空で、周りに合わせて立ったり座ったりを繰り返しながら、頭では江崎さんのことを思案していた。式中江崎さんの様子を伺ってみると、今日は体調がいいのか何事もないかのような表情をしている。当たり前だが幽霊とかではなく、実体として確かにその場に存在している。時間は異なるけど、でも一度死んだ人間とはとても思えなかった。
結局朝から江崎さんに関することで頭を悩ませていたが、しかしそのことで明確な結論が出ることはなかった。今回の江崎さんは死亡しておらず、確かに生きているという事実だけしかわからない。卒業式まるまる使って考えても、有益な見解には至らなかった。
「おい慎也、そんなところに突っ立ってても江崎は現れないぞ」
「慎ちゃーん。帰るよー」
一周目とは別の理由、というか全く逆の理由で昇降口に立ち尽くしていた僕を挟むようにして現れたのは、当然一周目のときと同じ遼と真音だった。
「慎ちゃん、帰るってば!」
「お前まだ落ち込んでるのかよ。どうせお前じゃ無理だ」
真音と遼は僕の脇を通り過ぎるが、歩き出さない僕を訝しんだのか、振り返って催促してきた。
「あ……うん」
僕は頼りない返事だけをして二人についていく。例のごとく遼が前を歩き、真音は背後霊であるかのようにピッタリと僕にくっついて歩いていた。一周目とは違い、僕が卒業式の後に何もすることがないのか、と話題を出さなかったこともあり、真音の家で卒業パーティをするという一連の流れはなかった。代わりに中身のない雑談があり、僕はそれに返事をするだけだった。なので会話の内容はまるで印象がなかった。
いつしか例の横断歩道に差し掛かり、僕は遼と真音と別れた。そして明らかに速度を超過した車やバイクを眺めながら、僕は待っていた。未来人ことアスが現れるのを。
ちゃんと時間を確認してはいなかったが、しかし例の未来人はこれまでと同様同じ時間に登場、何食わぬ表情で信号無視をしようとした。僕としては三回目なので勝手がよくわかっている。僕はベストなタイミングで手を伸ばし、アスの襟首を後ろから掴んで引っ張った。
「ア、助けてくれてありがとう。僕の名前はアスと言います。まだこの時代に来たばかりだったので、この時代の危機的状況を把握しきれていませんでした。本当にありがとうございます」
尻餅をついたアスは僕を見上げながら礼を言った。僕はそれに対してとくに反応することなく次の言葉を待った。
「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」
アスは前回前々回同様危機を救った僕にお礼をしようと申し出た。スッと僕の手を両手で握り、僕の瞳を直視している。
「そうだ、お礼としてタイムリープさせてあげます。未来に送ると困惑してしまうでしょうから、過去に送りますね」
そして続く言葉も前回前々回と同じだった。
「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」
「やり直したい過去ならある」
江崎さんの死が確率の問題なら、タイムリープによってなかったことになってしまった告白をやり直す。今回タイムリープする理由はそれだけだ。
「ああ、なら、昨日の午前中に戻してくれ」
僕は静かに答えた。
「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」
僕はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が僕の手から離れ、僕の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。相変わらず僕の眼球を潰す勢いで圧がかかっている。
「ではいきます」
今回は悶えるのを我慢する。そんな僕をよそに、未来人のアスは過去へ戻るタイムリープを始めた。
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