ファイル14「考察」
遼は少しの間黙考した。
「……ならやっぱ、過程を確かめるしかないだろ」
そして捻り出すかのように口にした意見はもっともなものだった。僕だってすべてを他人任せにするつもりはないから頑張って考えていたけど、でも遼の意見以外のことは何も思いつかなかった。やるのであれば、僕の告白から江崎さんの死亡までの過程をなんとかしなければならない。
「でも全然わからないんだよね」
僕は半ば脱力しながら答えた。簡単にわかるのならもう動いているよ。
「いや、ただ、過程のすべてを知る必要はないだろ」
「どういうこと?」
「風が吹けば桶屋が儲かるで例えるなら、風が吹いても屋内に避難すれば砂ぼこりに目がやられずに済む。鼠が繁殖しても鼠が来ないところで桶を保管していれば桶の需要も増えない。つまり過程の中でどこか一ヶ所修正を入れれば結果に繋がらないってことだ」
「いや、それはそうでしょ。問題はどこで修正を入れるかってことだよ」
僕が言った瞬間、遼は露骨に不機嫌な顔をした。え? またなんか失言した?
「だから過程のすべてを知る必要はないんだよ。最初と最後はわかっているんだから、最初の出来事の次にくる出来事とか、結果となる最後の出来事の一つ前とかを修正すれば、もうそこで結果は変わるだろ」
遼はまるでバカを見るような目つきで説明し、僕はそこまで言われてようやく気がついた。考えればそうだよな。全体を眺めてさてどこに修正入れよう、という考え方ではなく、今わかっている部分の前後をピンポイントで修正しようということか。それであれば確かに過程全部を知る必要はないな。
「なら、江崎さんが僕に告白された後にとった行動は何か、ってことだな」
「ああ。だからお前が別の時間で、江崎に告白した前後のことを詳しく教えてくれ」
告白した前後といっても、卒業式の予行練習を途中退席した僕は保健室へ向かい、そこで同じく途中退席した江崎さんと鉢合わせた。もうそのタイミングでしか告白できないことを悟り、人気のない保健室で告白した。そのあと気まずくなって退室した流れはそれぞれ違うが、教室に戻った江崎さんは安西たちと一緒に下校していった。僕の視点ではこの程度しか知らない。
「俺は江崎のこと、クラスメイト以上のことは知らない。お前にとって江崎はどういう人間なんだ?」
「どういうって……」
遼に尋ねられ、僕はしばし考え込む。小柄とか包容力のある雰囲気とか、柔らかそうな髪とか天使みたいな笑顔とか……でも今聞かれているのはそういった外見的な人物像ではなくもっと内面的なことだ。
しかし僕だって江崎さんのことを想うあまり、あまり話をしてこなかった。神秘的でさえあってなかなかお近づきになれなかったのだ。だから僕も江崎さんのことをあまりよく知らない。
でも知らないなりに、僅かでも知っていることをかき集めてヒントを探さないと前には進めない。江崎さんはどういう人物だ? 僕が江崎さんと一番よく話した場面はいつだった?
そこに至って、僕が江崎さんと一番よく話をしたのは、あの告白のときだということに気がついた。そして気がつくと同時に、僕はあのときのやり取りを記憶から探る。
「江崎さんは……モテない」
僕は時間経過によって曖昧になっていく記憶から一粒の情報を掬い上げた。
「はぁ? お前何言って――」
「江崎さんは、僕の告白を保留にしたんだ。その理由が、今まで誰にも告白されたことがないから、恋愛とかよくわからないって」
そのときの僕は、告白とは受け入れるか断るかの二択しかないと思っていた。だからこそ返事を待つという先延ばしの選択に虚を突かれた。その様子が表情に出ていたのか、江崎さんは慌てて弁解し、そしてその理由を明かした。
「慎也。お前、それだよ!」
遼は僕からの江崎さん情報に食いついた。
「恋愛経験のない奴がいきなり告白されたら、どう反応する?」
「え? それは……保留にするんじゃない?」
実際江崎さんがそうだった。
「ああ。保留するか、もしくは動転して反射的に断るかだ」
「そのパターンもあるか」
「そう。でだ、保留にするにしろ断るにしろ、それまで色恋に関わりがなかったのなら、その返事が正しかったのか不安になるはずだ。そこで不安を解消するためにとる行動といえば――」
「誰かに……相談する」
遼は力強く「そうだ」と肯定してくれた。
「相談するなら当然色恋に精通した人物が好ましい。で、江崎の周囲で恋愛事に詳しい奴は誰になるかだ」
「……誰もいなくね?」
他のクラスのことはよくわからないけど、でもクラスメイトで誰と誰が付き合っているなんて噂は聞いたことないな。まあ僕だけが知らないだけかもしれないけど。
「なら恋愛事じゃなくていい。恋愛経験のない奴にとって異性は未知の生物だ。ならその未知の生物に関わりがある同性は誰だってことだ」
遼は話の方向性を少しだけずらした。そのおかげで、僕は相談するにふさわしい人物に思い至った。
「……安西だ」
僕が辿り着いた答えに遼は深く頷いた。
安西弥生。僕のクラスでの女子上位カースト集団の中心人物。江崎さんはその安西グループに属している。正確には取り込まれたと表現するのが正しい。安西が江崎さんを取り込んだのは、江崎さんは男子から人気があるからだ。
人気者を放置するほど安西は人格者ではない。嫉妬深い安西は、人気者の江崎さんを客寄せパンダとして使い、寄ってくる男子に接触している。そして安西は江崎さんの株が落ちるようなありもしない噂を流し、結果として江崎さん目的で近づいてきた男子を方向転換させて自分の方に向けさせている。江崎さんの人気を安西が陰で掠め取っているのだ。だからこそ安西は男子と確かなパイプがあり、一方横取りされている江崎さんは男子とは縁がないのだ。
しかし事情を知らないであろう江崎さんの視点で安西のことを見れば、それは男子から人気がある女子として映るだろう。クラスの上位カーストという説得力もあわせて考えると、無垢な江崎さんならそう信じてしまう可能性もあるわけだ。
僕の告白を受けて、江崎さんは安西に相談した可能性が高いのだ。
僕の告白が、安西まで波及したのだ。
「でもよりによって安西とは……。だって安西は――」
「安西はネットからも工作しているな」
遼は言葉を遮り、僕が言いたかったことを先取りした。
安西が江崎さんの噂を流す手段は、学校で実際に会って話すこともあるが、大きいところではSNSの裏グループを活用していることだ。
口で広めるよりもネットで広めた方が拡散範囲と速度が違う。僕は以前存在だけを遼から聞いただけだから、実際どのサービスを使ってどのような仕組みになっているのかは見当がつかないが、しかし特定の生徒がアクセスできるような仕組みにはなっているはずだ。どの程度の生徒がそのSNSを閲覧できるのかは知らないけど、確かに学校裏コミュニティが存在しているのだ。
「でももし安西が、江崎さんが告白されたことをネットで暴露したのなら、そこから先どう波及したかなんかわかりっこない」
SNSでの拡散は範囲や速度だけではない。匿名性も仇となる。ましては学校の裏事情を密談する場なのだから、匿名でなければ誰も参加しないだろう。だからこそ誰がどのタイミングで閲覧したかなど、無限のパターン故に外部の人間が特定するのは不可能だ。
「短絡的に考えるなら、安西が流した情報を見た誰かが江崎の死に関与している、ということになる」
「でも遼。それだとそいつの動機がわからない。学校の生徒が関与しているところまで突き止めることができたのはいいが、でも僕たちは中学生だ。中学生が人殺しなんて発想できるわけがない」
「まあな。でもそいつが直接殺したんじゃなく、事故を誘発させてしまって結果として江崎が死んでしまった可能性もある。それなら俺らみたいな中学生でも人を殺めてしまうこともある。まあないとは思うが、可能性だけの話なら、実は江崎も密かにアクセス権を持っていて、自分のことが晒されていることにショックを受けて自殺してしまった、なんてこともあるかもしれない」
自殺という言葉を聞いて、確か二周目のときに遼が同じような話をしていたことを思い出した。可能性としてはなくはない程度だけど、でも僕はその可能性に触れることはしたくなかった。反射的に「その話はもういいよ」と言って話題を打ち切った。
「ここまでの流れで、どう過程を修正するかだな」
「ああ。江崎が安西に相談さえしなければ、ネットで拡散されることもない」
「江崎さんの相談を阻止するのか」
阻止さえできれば解決できる。しかし、
「どうやって?」
少し考えてみたけど、相談を阻止する方法が思いつかなかった。それは遼も同じで、僕が聞いても遼は「さあ?」と曖昧な返事しかしなかった。
「一緒に下校したのは確かだけど、でも江崎も他の人間がいるところで堂々と恋愛相談するとは思えねぇ。どこかで二人っきりになったときに相談するはずだが、そうなるとそれこそスマホでやり取りすれば済む話だ。時間も場所も関係ない。自由なタイミングで相談し放題だ。江崎のスマホを奪い取るくらいしか方法はないぞ」
「それは……完全に窃盗だな」
スマホを奪う方法しかないとなると厄介だ。江崎さんを救う目的で行為に及んだとしてもその後のリカバーが困難だ。バレれば僕たちがアウトだし、バレずに盗んで頃合いを見て返却するのはとても現実的とは思えなかった。
「じゃあやっぱりお前が告白を諦めるしかないな。告白されなければ恋愛相談をする必要もないわけだからな」
「ぬぐぐ……。手段と目的が入れ替わってるし」
告白後の恋愛相談を阻止するために告白をなかったことにするなんて、本末転倒もいいところだ。
でも最早それ以外の方法がない。だがそれでは意味がない。ならどうするべきか思案したときに、
「なら……」
と遼が考えながら提案してきた。
「何か妙案があるのか?」
「妙案ってわけじゃないが、妙案を見つけることができるかもしれない方法ならある。最初に言っただろ。最初の出来事の次にくる出来事とか、結果となる最後の出来事の一つ前とかを修正すれば、もうそこで結果は変わる、ってな。最初の方からじゃあダメなら、最後の方からアプローチするしかないだろ」
「最後って、まさか……」
「そう。江崎が死んだ現場に乗り込むんだよ」
これが推理小説ならば、探偵役が犯人を推理するために殺人の瞬間に立ち会うという、何とも強引で無茶苦茶な方法だった。まあでも僕が置かれている状況はミステリー作品ではなく確かな現実だし、それにタイムリープなんてものもあるから、方法としては可能だ。
いやむしろ最初からこの方法をしていればもっと楽に江崎さんを救えたかもしれない。一応江崎さんのマンションに張り込みはしたけど、告白と死亡が線で結ばれた後も挫けずに続ければよかった。そうすれば遼の助けを借りなくても済んだのだ。
「乗りかかった船だ。最後まで付き合う。だから江崎が死んだ状況をもう一回詳しく説明してくれ」
「最後まで付き合うって、え?」
「俺も昨日にタイムリープして協力する。おい、いいよな、未来人」
遼はそこまで言って、隣に座るアスに問いかけた。これまで蚊帳の外だったアスに、遼は決定事項だとでもいうかのように上から尋ねた。
「ええ。大丈夫ですよ。一日程度のタイムリープなら二人くらい同時に行えます。ただし、あまり派手なことはしないでください。タイムパラドックスが――」
「わかっている。最小のパラドックスで済ませるよ」
僕は言ってから気がついたが、告白している時点で最小のパラドックスに抑えることはできない。告白一つでここまで現実が改変したのだ。その改変を望む結果に修正しようものなら、パラドックスは違うベクトルに変化するだろう。このパラドックスがこれからの未来にどのような影響を及ぼすかわからないが、でも今を生きる僕としては、そんなの関係あるか、と一蹴したい。
僕は遼に事の次第を説明する。江崎さんが橋で転落して亡くなった話から、それを覆そうとループを繰り返した過程のこととか。
「なら、橋で待ち伏せるしかないな」
遼は説明を聞き終えて、そう結論を出した。
「ああ。じゃあアス、頼めるか」
話がまとまったのなら、実行に移すのみだ。僕はアスにタイムリープするようお願いする。
「わかりました。では昨日の午前中ですね。目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」
遼はアスの言う通りに目を閉じた。それを見てから僕も目を閉じる。アスの冷たい手が僕の頭を鷲掴みにし、そしてそのまま親指を瞼に押さえつけていく。
「ではいきます」
遼は三周目に突入し、僕は七周目に突入した。
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