ファイル10「真音」


 卒業式前日を僕は何事もなく過ごし、普段通りにベッドに入った。そして寝ているときに夢を見た。


 それは幼稚園の夢だ。


 夢の中で僕は、幼稚園児の真音にプロポーズをしていた。どんな言葉でプロポーズしたのかは曖昧だったけど、でも確かにプロポーズしたことだけはわかった。僕も幼稚園児だったので、おそらくそこまで難しい言葉は使わず、ストレートな言い回しだったと思う。


『ホントに!?』


 幼い真音は破顔し、大袈裟に喜んでいた。


『わたしも慎ちゃんのお嫁さんになる!』


 その日から僕たちは、常に一緒に遊ぶようになった。真音のおままごとに付き合う日々。当然僕が旦那役で真音が奥さん役だ。時折遼も巻き込み、僕の同僚役だったり真音の不倫相手役だったりして、幼稚園児とは思えないませたおままごとになったこともあったが、ときには幼稚園の片隅で、ときには自宅の中で遊んでいた。


『おいアイツいつも女と遊んでんだぜ』


 あるとき教室で男の子にからかわれた。それに反論する僕の反応が面白かったのか、からかいはエスカレートしていき、次第に小物を投げつけられるようになった。そしてしまいには周りの園児までも面白がって参加し、僕は一方的に集中砲火を浴びることとなった。投げ込まれる小物が身体に当たって痛みを発し、幼稚園児の僕は泣き出しそうになっていた。


『やめなさい!』


 そのとき、僕の前に立ちはだかる存在が現れた。真音だ。


『わたしの慎ちゃんに何するの!?』


『うわー、嫁が来たぞ!』


 真音がいじめられている僕を庇ったことで、小物を投げつけていた園児たちは盛り上がってしまった。真音の登場は、明らかに火に油を注ぐ行為だった。


『調子に乗るなー!』


 それに激昂した真音は、最初に僕をからかった園児に突進していき、そのままその子を押し倒してしまった。押し倒された子は不意打ちだったせいで何も抵抗することができず、馬乗りになった真音から殴られ続けた。幼稚園児の男女の差は然程ないはずだ。だからほぼ同格の者同士の喧嘩において、真音は一方的に攻撃をしていた。


 おそらくそれが、僕にとっての最初のいじめで、真音にとって初めての喧嘩だった。


 それ以降も同様のことは起きる。小学校に入学してもそれは変わらない。小学生なら走るのが遅いとか気が弱いとかの、些細なことでいじめの対象になる。その対象となる僕はいじめられ、そして真音が仕返しをする。


『慎ちゃんはわたしが守るからね』


 その日も僕はいじめられ、真音はボロボロになりながらも喧嘩した帰り道。ランドセルを背負った真音は夕日を背にそう言ってきた。


『無理だよ。真音ちゃんは女の子だよ。男子にかなわないよ』


『そんなことない! 男の子なんてキンタマ蹴って痛がってる隙に顔殴れば倒せるし! それに喧嘩の仕方とかマンガとかで勉強できるし』


 事実真音はそのような戦法で多くの男子を屠ってきた。


 当時の僕としては、真音に危険なことはしてほしくないと思っていた。


『好きだよ。ずっと一緒にいるからね。どんな邪魔が入っても、わたしと慎ちゃんの仲を引き裂くことなんてできないんだからね』


 でも同時に、いじめられて精神的に疲弊している僕にとって、真音の言動は救いだった。多分、あのときは真音がそばにいてくれたから、僕はいじめに耐えることができたのだと思う。


 子供は成長する。成長するとともにいじめの原因も方法も変化していく。それと同じく、真音の喧嘩の仕方も変化していった。途中で遼が僕たちのことを面白がるようになり、そしていつの間にか僕側の人間としていじめと喧嘩に介入していた。


『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』……。


 走馬灯のようにいくつもの場面が脳裏に現れ、それぞれ異なる年齢の真音が僕を呼びつける。


『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』……。


 それは次第に見覚えのないシーンへと変わる。それとともに真音自身もまるで悪魔が本性を現したかのように狂気に満ちた姿へと変貌していく。


『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』『慎ちゃん』……。


 僕は真音だった存在に飲み込まれようとしている。そしてついに……。


「はッ」


 気がつくと、僕の視界は自室の天井を映していた。途中でうなされていたようで、僕は寝ながらにして大量の汗をかいていた。


「でも……そうか……」


 睡眠中の夢は記憶の整理ともいわれ、過去の記憶映像がランダムでつなぎ合わされ適当なストーリーを作り出してしまう。今しがた見た夢も、僕の記憶からでたらめに繋いだものでしかなく、そのような過去が実際にあったかどうかは定かではない。ないが、それでも僕は、真音が僕にこだわる理由の一端に触れたような気がした。それは真音本人が思っている理由と同じなのかは謎だけどね。


 うなされていたこともあり、いつもより早い時間に目が覚めてしまった。ループによって初めて知った事実によれば、朝のこの時間、真音は部屋で僕の制服の匂いを嗅いでいるはずだ。でも嗅いでいないパターンもあるので一概にそうだとはいえないな。


 僕は真音のことを警戒しながら自室を一瞥する。


 真音は、いない。


「え?」


 毎日僕の部屋まで迎えに来ているので、一周目と同じ流れをなぞっている今回も幼馴染は部屋にいるものだと思っていた。二周目と四周目のときはいなかったけど、それは一周目と異なる流れだったからその影響だと思っていた。まあ、どういう影響があって真音が部屋にいないのかは全然わからないのだけどね。


 一周目をなぞるはずが、いつの間にか流れが変わっていた。僕はそのことに訝しむ。


「わけがわからない……」


 僕は混乱して呟いた。ループと真音はいったいどのような関係があるのだろう?


 気を紛らわせるため、僕は起き上がって自室を出てトイレに向かった。そして自室へ戻り扉を開けてみると、


「え? あ、し、慎ちゃん?」


 僕の部屋に真音がいた?


「お前、いつの間に来たんだ?」


 僕がトイレに行っている時間は僅かだ。ほんの数分、いや数分もかかってないかもしれない。その間に真音は家に上がり込み僕の部屋へ行き、そして僕の制服を取り出して匂いを嗅いでいることになるが、さすがにそれは無茶がある。仮に僕が起きたときには既に家の中にいて、僕と入れ違いで部屋に入ったとしても、制服を取り出す時間などないはずだし、なにより廊下で僕とすれ違うはずだ。


 僕が起床したときは、間違いなく真音は部屋にいなかった。しかし現に真音はいる。それはまさに、いきなりそこに出現したと言っても過言ではないほど不思議な現象だった。


「え? あれ? 慎ちゃんいつの間に起きたの?」


 真音は僕の制服を持ったまま、入り口に佇む僕と部屋のベッドを交互に見やる。当然ベッドに僕はいない。


「いや質問を質問で返すなよ。いつ部屋に来たんだよ」


「え? ……え? いや、さっき……」


 真音は激しく混乱しているのか、目が点になっている。


「わたしが入ったときは慎ちゃん寝ていたから、こっそり制服取り出したけど……あれ?」


「いや僕もさっき起きたけど、部屋に真音はいなかったぞ。トイレ行って帰ってきたらいきなりいるもんだから驚いたよ」


「え? そんなはずはないよ。だってわたし慎ちゃんの寝顔を見てから制服を取り出したから……」


「いや、そんなはずは……」


 いまいち話がかみ合っていない。そのせいか、僕も真音も自分が体験したはずの事実が信じられなくなり、自然と語気は弱くなっていった。


 僕は真音が部屋にいないことを確認してからトイレに行ったが、真音は僕の寝顔を確認してから制服の匂いを嗅ぎだした。


 何かがおかしい。僕と真音に認識のずれがある。でもその原因がわからない。これもタイムリープによるループの影響なのだろうか?


「ともかく真音、まずは僕の制服を置こうか」


「は、はい」


 僕も真音もぎこちない。そしてそのぎこちなさと認識のずれの疑問が解消されることなく、僕たちは学校に行くこととなってしまった。


 一周目を可能な限り再現する。そしてその再現は、朝の認識のずれ以外はうまくいった。まあ特別なことは何もしていないから、割と容易ではあったけどね。


 とくに目立つことをしていない一周目を、全く同じ流れになるよう行動したので、朝のトラブル以外に改めて語るようなことは何もない。だから結論だけを語る。


 結果、江崎さんは生きていた。何事もなかった。


 そしてそれにより、僕はあることを確信した。


 僕が江崎さんに告白できなかった、あるいは告白しなかった時間は、一周目と三周目と、そして一周目を再現した今この五周目。対して僕が江崎さんに告白した時間は、二周目と四周目。


 では江崎さんが生きていた時間はというと、一周目と三周目と五周目。死亡した時間は、二周目と四周目。


 タイムリープによって変更になった事象同士がリンクしている事柄は、この二つしかない。ならばこの二つは関連しているということだ。


 つまり、ということだ。


 繰り返す時間の中で僕は薄々気づき始めてはいたけど、でも僕としては絶対に信じたくないことであった。しかしこれだけの根拠があるとなると、それを認めざるを得なくなる。


 なぜ僕が告白すると江崎さんが亡くなるのかは全くもってわからない。そこにどんな因果があってそうなるのかは謎だが、僕の言葉が江崎さんを殺している。その事実は変わらない。


 どうして、なんだよ……。


 僕は五回目の卒業式後、遼と真音と下校しながらずっとそう心の中で呟いていた。適当に会話を合わせつつも、頭の中では理不尽な運命を呪い続けていた。



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