ファイル9「疑念」
結局、眠れなかった。ベッドに入っていたものの、頭ではずっと思案していた。
考えるべきことは多いけど、でも結論は出ていない。が、江崎さんが生きていた一周目と三周目、そして死亡した二周目との差異を考えたとき、僕はとある可能性に気づき始めていた。しかし僕としてはその可能性を全否定したい。確かにこれまでのタイムリープで明確な違いをあげればもうそれしかないのだが、でもそれが江崎さんの生死に関わるとは到底考えられない。だからこそ、余計わけがわからないのだ。
でも、だからといって確かめないわけにはいかない。結論は、そのことを試してから出せばいいのだ。
僕はいつも起床する時間よりも早く起き上がった。
「あれ?」
しかし起きてから自室の違和感に気がついた。
真音がいない。
毎日律義に僕の家に来て部屋に入ってくる真音。僕に対する愛が重たすぎる彼女は、毎朝匂いチェックと称して僕の制服に顔をうずめていた。三周目はその現場を実際に目撃したわけだが、今回の四周目では真音がそもそも部屋にいない。僕の部屋はカーテンから漏れる朝日によって中途半端に照らされ、静謐に包まれていた。
なんだこれは? 確か二周目も真音は朝来なかった。
江崎さんの転落事故に、真音の消失。これは何か関係あるのだろうか?
普段真音のことを鬱陶しく思っている僕だけど、でも普段とは違う流れになっているから少し心配になってきた。一応スマホで真音に連絡してみる。けど返信はなし。登校しなければならない時間になっても真音からの返信が来なかったので、僕は再度送信し、学校で登校してきた真音に事情を聞くことにした。ちなみに真音がいない関係か、今日は珍しく制服が生暖かくなかった。
一人で登校し、昇降口を抜けて自分の教室へ。教室に入る前に深呼吸する。覚悟を決め、意を決して教室の扉を開けた。
教室は案の定、沈痛な空気に包まれていた。教室の一角には人だかりができており、その集団からは「これ、なに……」とか「いじめ? 卒業式なのに?」といった困惑の言葉が漏れていた。僕は人の隙間から集団の中心に目をやる。
そこは江崎さんの席で、机の上には、花瓶に生けられた白い花が添えられていた。
「くッ……」
僕は小さく呻き、顔をしかめた。この光景は二度目だが、しかし到底慣れるものではない。好きな女の子が亡くなったという事実をこうして突き付けられるのは、身を割かれるほどの苦痛を僕に与えてくる。
「皆さん、席についてください」
ふと教室の入り口から覇気のない声がして、僕は表情を戻し、振り返って担任を見やる。いつもは人生にくたびれた感じの中年なのだが、今日の雰囲気はそんなレベルの話ではなかった。人生にくたびれたというよりは、人生に絶望したかのような、今にも消えていなくなってしまいそうなくらい悲愴感が漂っていた。
そして前回同様、担任から江崎さんが亡くなったことが告げられた。クラスメイトは皆衝撃的な事実を知って心を痛め、中には涙を流す人もいた。
事情の説明を経て、延長された長いホームルームが終わり、卒業式を執り行うから体育館へ向かうようにと指示されたが、しかし僕は席から立ち上がることができずにいた。二度目で事前に覚悟はできていた分衝撃的ではなかったが、それでもやはりこたえるものがある。心配した遼が僕の席まで来て何か言ってきたが、僕は遼の声を意図して無視した。
「……早退する」
僕はようやくそれだけを口にする。遼はそれを聞いて「俺も付き合う」と申し出た。先生に早退する旨を伝えると、あっさり認めてくれた。事態が事態だけに、認めないわけにはいかないのかもしれない。
前は江崎さんの死を受け入れることができなかった――今も決して受け入れたわけではない――ため、そのまままっすぐ家に帰る気になれず、僕と遼は校門を出て何となく駅の方面に向かった。しかし今回はこのまま家路についた。今橋へ向かう必要はない。前のときも、早退して橋へ向かったときには、橋はもうすでにいつも通りの日常を取り戻していた。今行って新たな発見ができるとは思えない。
二周目のときもそうだったけど、遼も同級生の死によって思うところがあるらしく、歩きながら「なんで死んだんだろうな」と話しかけ、それに僕は曖昧に答えていた。タイムリープしているからといって、江崎さんの死の謎が解明できたわけではないので、それ以上答えようがない。
僕たちは口数少ないままいつもの通学路を進み、そして普段遼と別れている横断歩道のところまできた。
「そういえば真音はどうした?」
遼は別れ際に真音の所在を聞いてきた。前もこんなこと聞かれたな。
「いや、今日一日真音を見てない」
結局学校に行っても真音と会うタイミングがなかった。スマホも返事を受信していない。
「そうか。まあ別のクラスだからな。むしろ今までが異常だったのかも」
遼は自分なりに真音がいないことに納得したようで、改めて別れの挨拶をして家に帰っていった。
前の二周目では、このあとすぐ未来人のアスと遭遇したわけだが、しかし今回はホームルーム後にトイレに立てこもったり、早退後池の橋へ向かったりしていないため、時刻はまだ午前中。アスと遭遇した正確な時間は把握していなかったけど、昼か午後であることは確かなので、まだまだ時間が余っていた。
そのため僕は、アスを待つことにした。ちょうどこの横断歩道が見える位置に公園とは言えない広さの広場があり、そこにあるたった一つのベンチに腰掛ける。バス停でもないので過行く車をただ眺める以外に何の用途があるスペースなのかは謎だが、待ち合わせには最適だった。
昼間だが三月の低い気温なので、何もすることなく屋外でただ呆けていると身体が冷えてくる。吐く息が白い。寒いので長時間この場にいることは難しいかもしれない。ただそれでも僕は何十分もこの広場のベンチに座り続けていた。今までのタイムリープにまつわる現象のことを考えていたわけではない。むしろ何も考えていなかった。もう考えることに疲れた。頭が休息を求めているのかもしれない。僕はただ身体の求めに従い休んでいるだけだ。
「ここ、いいですか?」
ふと、目の前に人が立ち止まった。僕は視線を上げてその人物の顔を見て、思わず「あ……」と声が漏れてしまった。
白い服装に色白の肌、脱色したような髪に、機械みたいに無表情な顔。
未来人のアスだった。
僕は咄嗟にスマホを取り出し、時刻を確認した。もうあと少しで昼だか、まだ午前中と呼べる範囲の時間だった。そうか、アスは卒業式当日の昼前にここに現れ、このベンチにでも座っていたのか。そして卒業式が終わって少し時間が経った昼頃にベンチを離れ、そこの横断歩道を信号無視で渡ろうとしたところで僕と遭遇していたのか。
「ああ、どうぞ」
僕はそこまで考えながら腰を浮かせ、ベンチの端に移った。するとアスは小さく頭を下げてからベンチのちょうど真ん中に腰かけた。
「そうですか、なるほど」
アスはベンチに座った途端独り言を口にしたが、僕としては何がなるほどなのかさっぱりわからなかった。未来人は未来人で何か思うところでもあるのだろうか。
「アナタは、前回の時間、いや今適応されている時間以外の時間では、ここにいませんよね?」
不意に、同じベンチに座るアスの方から話しかけてきた。
「えっと……」
僕は答えようとアスの質問の内容を解釈しようとするが、よく考えてみたけどその質問の意味はまるでわからなかった。時間と言っているからタイムリープ関連のことだとは思うが、なんだ適応されている時間以外の時間って?
「アナタ、タイムリープしていますね」
僕が返答に窮していると、アスの方から会話の核心をついてきた。
「……わかるのか?」
「ええ。この時代にタイムリープする技術はありませんから。未来から来たワタシを除いてはね」
「独力でタイムリープできる未来人は、繰り返されたそれぞれの時間の記憶があるってことか?」
「それは半分正解で、半分間違いですね」
それはどういう意味なのかと、僕は尋ねようとしたが、
「でも、このワタシがアナタをタイムリープさせたということは事実のようですから、何かしらの重大な理由があるのでしょう。おそらくアナタが前回タイムリープした時刻にはまだ早いかと思いますが、もしよろしければ再度タイムリープさせましょうか? それともここで打ち止めにしますか?」
と、僕が言う前にアスの方からタイムリープの提案をしてきた。
僕はアスの言っていることに違和感を覚えると同時に、なんとなく理解できたような気がした。
繰り返されるそれぞれの時間の記憶があるのかという問いに対し、アスは半分正解で半分不正解と答えた。確かに、今までの時間とは違う行動をしてこの時刻この場にいる僕のことをアスは看破したが、しかし僕をタイムリープさせた記憶がないようで、状況判断から大体のことを把握しているようだ。
アスの言う通り、記憶があるようでないみたいだ。それがどういう仕組みになっているのかは皆目見当がつかないけどね。
ただ、タイムリープしてくれることはありがたい。同じ時間を四回繰り返したことで生まれた疑念を解消するのに、もう一回時間を遡らなければならないのだ。
「じゃあ、タイムリープをしてくれ。戻る時間は昨日の午前中だ」
「わかりました。昨日の午前中ですね。では目を閉じてください。今から頭を押さえて親指を瞼に添えます」
僕はアスの言う通りに目を閉じた。するとアスの冷たい手が僕の頭を両側から押さえつけた。そしてそのまま、眼球が潰れてしまうのではないかと心配するほどの力で親指を瞼に押さえつけていく。
「ではいきます」
未来人アスはタイムリープを始めた。
僕が時間を戻って一回試したいこととは、何もしないことだ。特別な行動は一切しないで卒業式を終えてみること。
それは江崎さんに告白しないし、前日の夜もマンションを見張ることもせず、朝の真音による匂いチェックも気づかないふりをすること。すなわち、最初の時間、一周目を再現することだ。
僕は、江崎さんの死に関する疑念を解消しなければならない。そのための確認作業をする。
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