フォルダー3
ファイル11「数式」
早くアスに会って、六周目に突入したい。
しかしそう思うと同時に、六周目に突入して何をするのだ、と僕の心が訴えかけてくる。
僕が告白すれば江崎さんが死亡する。
これだけ繰り返した結果がこの事実なのだから、またタイムリープしても何も変わらない。むしろ江崎さんが生存している今を継続させた方が妥当ですらある。死んでいるよりは生きている方がいい。それには僕の気持ちなど全くもって関係ない。江崎さんを生者とするなら、僕は僕の想いを断ち切るしかないのだ。
だけどそう簡単に割り切れるものでもないのは確かだ。
僕はどうするべきか見失っている。
五周目の下校、僕はいつもの自宅近所の横断歩道で遼と真音と別れる。二人が通りから家が立ち並ぶ路地に入って姿が見えなくなったところで、僕の目の前を横切る人物がいた。その人物は速度超過した車両が頻繁に行き交う道路を、信号無視をして横断しようとしていた。
未来人アス。
僕はアスの襟を後ろから掴むことで、横断を阻止し、危うく車に轢かれるところを助ける。
「ア、助けてくれてありがとう。僕の名前はアスと言います。まだこの時代に――」
アスは自覚あるのかないのか、五度目となる礼を言う。しかし僕としてはもう聞き飽きていた言葉だったので、大部分を聞き流した。
「アナタはワタシの命の恩人です。何かお礼をさせてください」
「そうだ、お礼としてタイムリープさせてあげます。未来に送ると困惑してしまうでしょうから、過去に送りますね」
「なにか、やり直したい過去とかありませんか?」
アスが立て続けに言った言葉は、これまでと全く同じものだった。僕はこれに同意さえすれば、タイムリープして六周目に突入することができる。
「……なあ、少し話でもしないか?」
しかしこれまでの実績を考慮すると、このままタイムリープしても何も解決しそうになかった。だからこそ僕は、情報を求めた。とりわけ時間に関することを。よくタイムパラドックスとかなんとかいうけど、そのあたりのことが、僕の告白と江崎さんの死亡が結びついているのではないかと予測を立てていた。
「ほう……」
アスは基本的にロボットのような無表情を貫いているが、しかしこのときだけは目を細めて僕を注視した。おそらく、これまでとは違う行動をした僕を訝しんでいるのかもしれない。このあたりのことは、繰り返される時間のそれぞれの記憶を中途半端に把握しているからではないだろうか。知らないのならこんな反応はしないはずだしな。
僕はアスの反応を気にしつつ、これまでのことを話した。僕の告白と江崎さんの死について、僕が認識していることすべて。
「なるほど、そういうことになっていたのか」
アスは変わらず無表情のまま僕の話を聞いていて、僕が語り終えたときにそう呟いた。
「わかりました。では時間についてお話しましょう。長い話になりますので、予めご了承を」
「ならそこのベンチに座らないか? 歩道で立ち話は他の通行人の邪魔になる」
僕がそう提案すると、アスはすんなり首肯してついてきた。二人して、何のためにあるのかが全くもってわからない横断歩道近くの広場に行き、そこにあるたった一つのベンチに並んで腰かけた。正面には、速度を超過した自動車が行き交っている。
「そもそも、時間とは何ですか?」
アスはそう切り出したが、僕としてはなんと答えるべきか窮した。そんな哲学的なことを問われても、中学校を卒業したばかりの子供がそんな概念的なものを説明できるわけがない。時間はただ過去から未来に流れていくだけだ。
僕が回答に困り果てているのを悟ったのかはわからないが、アスは表情を変えずに先を話し始める。
「時間とは、すなわち数式です」
「え?」
しかしその意外過ぎる言葉に意表を突かれ、僕は反射的に聞き返してしまった。
「時間とは数式です」
アスは律義にもう一回言ってくれたが、でもその意味を僕は理解できなかった。時間は数式だと言われても、なぜそうなのかという疑問しかわかない。
「アナタにとっては以前、ワタシにとっては別の時間に、タイムリープする方法をご説明しましたね」
「あ、ああ」
確か身体と時間を情報化して転送するんだっけ? で、他人をタイムリープするにはスペックが足りないから、僕は意識しかタイムリープできないとかなんとか。そのことは正直よくわからなかったけど、でもタイムリープができることは実体験として把握できている。
「ワタシの時代では情報主義社会が形成されています。情報主義では時間や空間という概念も含め、あらゆるものを情報化することが可能です。情報化、つまりデータ化するということは、すなわち数値に置き換えるということ。すべての事象を情報化できる情報主義が成立したワタシの時代では、言うなればすべてを数値にすることができ、数値になるなら数式を組むことができます。だからワタシにとって、情報化できる時間は数式と同義であります」
IT関連のことに造詣がないからよくわからないけど、プログラミング的なことなのかな? いやでもプログラミングって数式なの? よくわからない。もうこの段階で躓いているよ……。
「ピンとこないですかね? 難しく考える必要はないです。あらゆる事象は数字に置き換えて理解することができる、ということだけをわかってもらえれば十分です。そのことに気がついた人類は、すべてを理解するために高度な情報処理能力を欲した。そしてその処理能力を実現させ、すべてを理解できたことにより情報主義は誕生したのです。数学とは万能言語なのです」
数学は万能言語。そのことを理解できるかできないかの差が、つまりアスと僕の違いということだと思う。
「すべてのことを数式で解析できるというのは、意外な作用をもたらしました」
いまいち理解できていないまま、アスは話を続ける。
「それは、運や偶然といった不確定要素の完全否定。すべての事象は自明であり、偶然など存在しません。出来事にはそれが発生する理由が確かにあるのです。考えてみてください。数学の問題で、運や偶然で答えを導き出すものはないはずです。答えは数式で求めることができ、数式はそれぞれ明確な値がなければ成立しません。事象を数学的に解釈しているワタシの時代では、そういった不確定要素は残らず駆逐されたのです」
「ああ。そういわれると、なんとなくわかったような気がする」
実際数学のテストで運の要素が必要な問題にあたったことはない。偶然で問題が解けたとしても、それは僕自身の発想の要素であり、問題自身の要素ではない。なるほど、すべてが数学となる世界なら、確かに運とか偶然は存在しないな。
「数式で解析できる時間も同じです。一見なんてことないようなことでも、そこに別の
「それは……バタフライエフェクトとかいうやつか?」
僕も創作物で耳にした程度でよく知らないけど、確か蝶の羽ばたきが遠いところで竜巻に発展するとかなんとかってやつ。小さいことでも様々な要因を巻き込んで大きな現象を生み出すってことだな。
「ええ、そのようなものです。別の言い方をすれば、ドミノ理論や、風が吹けば桶屋が儲かるというものですね」
「風が吹けば桶屋が儲かるって……未来人のくせによく知ってるな。横断歩道の渡り方すら知らなかったのに」
日本語のことわざが未来まで残っていることに驚きだよ。
「横断歩道の件についてはワタシの勉強不足です。もっとこの時代のことを情報収集してから来るべきでしたね」
アスは自分の未熟さを認めたが、しかしなにぶん機械みたいに表情が動かないので、本当に自身が至らないことを自覚しているのかがわかりにくかった。
「『風が吹けば桶屋が儲かる』ということわざは、ワタシの時代では重要な意味を持っていまして、ワタシとしては知識として知っています」
「そうなのか?」
「ハイ。『風が吹けば桶屋が儲かる』がどういった由来かご存知ですか?」
僕は黙って首を振り知らないことを伝えた。
「風で砂ぼこりが立ち、それが目に入って視力が悪くなる。目が悪い人は芸で生計を立てるしかないので三味線を購入する。すると三味線に使われる猫の皮の需要が増え、猫が捕まります。猫の数が減少すると天敵がいなくなったことで鼠が繁殖し、増えた鼠が桶をかじって駄目にしてしまう。それにより桶の需要が増え桶屋が儲かる、ということです。ワタシのアーカイブではそうなっています」
「なんかそれ、こじつけじゃん」
「アナタにとっても大昔のことですので、未来の人間が理解に苦しむのも仕方のないことです。ただこのことわざは時間の仕組みを言い表すのに最適なのです。数値が集まって式を作り、解を導き出し、その解も新たな数値として式に組み込まれる。風も視力低下も三味線も猫も鼠も桶も、全部数値です。それらが繋がって式となり、桶屋という解が導き出される。それだけのことです。『風が吹く』のと『桶屋が儲かる』という情報しか開示されていないから、違和感があるのです」
数値が集まって式になり、解が導き出される。1+2+3=6となるが、これが間の数字が隠れて1=6と見えるからわけがわからなくなるのだ。それは僕が陥っている状況も同じだ。僕が告白したという数値から、江崎さんが死亡したという数値までの途中式が見えてないから、どうしようもなくなっているのだ。最初と最後だけではだめなのだ。過程も知る必要もある。
「あッ! そういうことか」
僕はそこまで考えて、ようやくそのことに気がついた。
「ハイ。タイムリープして
「過程を……途中式を把握し、それを改変すれば、江崎さんの死はなかったことになるのか?」
「正直、情報主義に生きるワタシとしましては、この時代の恋慕についてよくわかりません。かつてデータとして記された内容を知識として知っているだけです。それに、すべてが情報化される情報主義では、人の生死などあってないようなもの。記憶も肉体も情報化によるコピーをしてストレージしていれば、いくらでも融通ができます。だからこそアナタの行動原理に共感することはできません」
アスは一拍の間を開けて続きを話し始める。
「ただ、アナタがどうしても過去を改変したいというなら、どうぞお好きに。なんの巡り合わせなのかはわかりかねますが、アナタの式にワタシという数値が加えられているのは確かです。ワタシという数値をどう計算していくかはアナタ次第。そこからうまく四則演算すればアナタの望む答えも得られるでしょうね」
そしてアスは一度区切り、僕を見つめながら、
「ワタシはアナタに問います。アナタにとっての時間とは何ですか? 自分自身の時間を、どのように定義付けますか?」
このような難題を僕に投げつけてきた。それに対して僕は、こう答えるしかない。
「ああ、わかったよ。僕は江崎さんを救う答えを見つけるために、数式全体を見直すよ」
僕の時間は、江崎さんの命を救うことだ。
数学の問題は答えだけあっていてもだめなのだ。ちゃんと途中式を書かないと意味がない。これまでの僕は不意の問題と望まぬ答えを突きつけられ、がむしゃらに足掻いていただけだ。なぜそのような答えになるのか証明もせず、無理やり答えを捻じ曲げようとしていた。
そこまでわかったのなら、やることは明確だ。
無理やり答えを捻じ曲げるのではなく、しっかり式を証明して答えを否定し、そのうえで新たな式を考え、正しい答えに導くだけだ。
まずは、僕の告白がどのような過程を経て江崎さんの死に結びついているのかを解き明かさなければ。
「ああ、ただし――」
僕は決意を新たにしたが、しかしアスが出鼻をくじくようなことを言い出した。
「あまり派手なことはしないでくださいね。ただでさえ五回もタイムリープしていますから、そろそろ
「なんだ……それ」
無機質な表情で忠告するアスだが、僕は思いのほかアスが語ることにおののいた。そんな不穏なことを聞かされたら、どう行動していいのかわからなくなってしまう。
「……そうですね。これも説明しなければなりませね。タイムパラドックスのことについて。ひいてはタイムパラドックスが引き起こした、ワタシの時代の話を」
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