第12話
*
「貴方はまだ、庭を継ぎたいと思いますか? 貴方のご実家よりも簡単に暴漢が紛れ込む、貴方を守れないかもしれないこの屋敷で、暮らしたいですか」
いつものベランダで、お茶を出した執事が、そんなことを聞く。
「……もちろん、庭を継ぎたいと思っています。さらわれたのは怖かったけれど、サクラソウが助けに来てくれました。ほっとしました……今度から私も気をつけます」
「では、私からもお願いです」
「おねがい?」
「私が何であるのかを当ててみてください。庭を愛するというのなら、きちんと、屋敷も庭も見つめてくださるおつもりでしょう? せめて、名前を当ててくださいね」
初対面のときに執事を名乗った青年は、青紫を帯びた瞳を細めてマリーを見ている。
「アルバでは、ないんですね」
「シュルハと同じように、別の名を名乗る者も、いるんです。……貴方はもう、きっと気づいていらっしゃるんじゃないでしょうか」
きれいな、青紫色。
同じ色を、屋敷に入るときに見た。
紫みを帯びた青い花。細い蔓をのばして、ベランダに絡みついていた。
「貴方は、クレマチス?」
「その通り」
本当に、しんから嬉しそうに微笑まれて、マリーも幸福な気持ちになった。
「メアリベル――あの方が去ってから、庭の魔力が薄れて、多くの花が休眠しました。私達はずいぶん、図太く姿形を保って化けていましたが……手入れのできていない、荒れた庭でも、構いませんか?」
マリーの返事は決まっていた。
「私を庭へ連れて行ってくれますか?」
「えぇ。……それは、彼の役目ですが、きっともう彼も、頃合いだと思っているでしょう。貴方がさらわれたとき、ひどく取り乱していましたし、もう追い返してもいいとは思っていないはず」
「心配をかけて、ごめんなさい」
「いいんですよ、お嬢様。我々は元々、自分たちのためだけに花を咲かせる。それを愛おしんで、大切にしたいと願うひとのことを、我々は不思議にも思っている。そして、得難い幸運だとも思っているんです」
乱暴に手折られたり、ただ誰にも知られずに枯れていくのが自然なこと。
それを特別な物に変えるのが、人間なのだ。
マリーはふと、気がついた。
「もしかして……貴方は、ベランダから庭を見下ろせるんですね? 門が閉まっていても、中の様子が上から分かる」
「そうですね。……当初、中のことを知らない、と言ったのは嘘でした。まぁ上から見えると言っても、ほんのちょっと、入口の木々の頭が見えるくらいですが」
貴方もご存じの通り。と、クレマチスは笑う。お茶の時間はいつも、ベランダに出て、風に吹かれながら過ごすのだから、マリーだってその景色については知っているのだ。
「あら、そういえばそうですね。私ったらつい……私がいたのは二階までだったから、貴方の方が、上の階にも咲いていて、よく見えるんじゃないかと思ったんですけど」
「上階でもあまり代わり映えはしませんね」
「そうなんですか」
「ところで、サクラソウが気にしてますよ。廊下に立って、貴方を待っているようです。何か話があるのかも」
にこ、とわざとらしいくらいの笑みを浮かべて、執事はマリーに外を示した。
「いいことがあるかもしれませんね、マリー様」
*
廊下に出ると、
「おい、お前」
ぶっきらぼうに、サクラソウがこちらを見ないまま言葉を投げた。
「私の名前は、「お前」ではありません」
「何だっていいだろ」
「よくないです。貴方はサクラソウでもバフンウニでも構わないんですか」
「ウニに対して失礼な感じの名前を持ち出して並べるなよ」
呆れたサクラソウは、もういい、といったん会話を放り出した。
ポケットに手を突っ込んだまま、しばらく眉間にしわを寄せていたので、マリーは隣でじっと待った。
やがて少年は、小さなため息をつく。
「マールブランシュ・ルブラン」
「はい」
マリーが返事をしたのを、聞かなかったように、そっぽを向いて、サクラソウは言葉を続けた。
「お前、庭、まだ見る気あるのか?」
「あります。もちろんです」
見せてくださるんですか、とマリーが言う前に、サクラソウは「ついてこい」と一言残して歩きだした。マリーは慌ててついてゆく。
途中で追いかけてきた執事に帽子を渡され、かぶりながら、胸が躍るのをおさえきれなかった。
外へ出て、サクラソウは、どこが入り口だか分からない柵の中に、適当に腕をつっこんだ。
門が開く。絡まりあっていた蔦が引きちぎられ、ざわざわと文句を言いながら、急いで左右に退いていった。
「ようこそ、小さいルブラン」
相変わらずぶっきらぼうな物言いで、サクラソウは歓迎の言葉を並べた。
――中はさぞかし荒れていると思っていたのに。
マリーは息を吸い込んだ。
葉が茂りすぎて、蔓薔薇ももさもさして見通しが悪かったが、どの花々も絢爛と咲き誇っていた。水仙も、薔薇も。小さな、名を知らぬ花々も。季節感を無視して。あらゆる花が咲き乱れている。
風が、葉達を大きく鳴らした。嵐のように。
「やっぱり、みんな、おばあさまを愛していたのね。だってそうでもなければ、おばあさまの愛した庭を、こんなふうに守り続けようと、頑張っていられない」
ありがとうございます、と、涙ぐんで、マリーは呟く。
「私、頑張ります……ありがとうございます、ここに入れてくださって。受け入れてくださって」
サクラソウはこちらを見ない。けれど、どこか、その横顔は穏やかだ。
サクラソウの花言葉は、棺を飾る花、最初に咲く花。
そして、――運命を拓く。
マリーは空を見上げる。
(マリー。お願いね。貴方ならきっと、大丈夫)
風の中、祖母の笑い声が聞こえた気がした。
マールブランシュと魔法の庭・了
マールブランシュと魔法の庭 せらひかり @hswelt
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