マールブランシュと魔法の庭

せらひかり

第1話

「本当に、お嬢様お一人で大丈夫ですか?」

 母よりも年上の、教育係としても頼みにしていた女性の声に、マールブランシュ・ルブランは毅然と応えた。

「大丈夫よ。だってもう、私は十二歳なんですから」

 ぎゅ、と鞄に荷物を詰める。大事にしていたぬいぐるみ、お気に入りの空色のワンピース、はき慣れた靴。眠る前に読む、大好きな本。お父様からもらった指輪は、紐を通して、胸に下げた。

「大丈夫よ、ヘルベチカ。おばあさまの懇意にしていた方々だもの。悪い人はいないはずよ。きっと、うまくやっていける」

「けれどマリーお嬢様」

 ヘルベチカと呼ばれた女性は、柳眉をひそめて、胸元で手を握りしめる。彼女の心配が痛いほど分かるから、マリーは絶対に彼女を振り向かないで、荷物を自分で準備した。

「普通の学校に行かれない、どこへも行けないんだったら、私、せめて、おばあさまの遺した場所を守りたいの」

 屋敷の中で守られて暮らしていた少女は、金の巻き毛を結い上げて、自分の足で外へ出かけた。――せめて途中までは見守らせてほしいとヘルベチカが願い出て、馬車を用立て、目的地までは遠足のように賑やかになったけれど。

 マリーは、一人でだって、行くつもりだったのだ。


 屋敷前の巨大な鉄門は、手を触れるだけで勝手に開いた。険しい表情を崩さないヘルベチカに、微笑みかけてから、マリーは敷地に足を踏み入れる。

「ごめんくださーい。こんにちはー!」

「どなたも、いらっしゃらないみたいですね」

 先にお手紙を出しておいたのに。管理人はいるはずだから、とマリーの母親が連名で、娘が行くという連絡を入れたはずだ。

 だのに、誰も出てこない。

 屋敷の戸は閉め切られ、その陰鬱な様子は、お化けでも出てきそうな感じだった。ベランダに青いクレマチスが咲いているものの、生気は全く見られない。

 身震いしたマリーに、ヘルベチカが幾分安堵したふうに声をかけた。

「帰りますか」

「いいえ! まだ、お庭も見ていませんから」

 マリーは屋敷の周囲を歩いて進む。視界を遮る、広々とした囲いを発見した。

「入れないかしら」

 庭を囲っているのであろう柵を、蔦が更にみっしりと覆い隠し、どこに出入り口があるのか分からなくしていた。

「蔦の壁を押しながら歩く、というのも、あんまり現実的じゃないかも……」

 上ばかり見ていた視線を、下に落とすと、小さな花が見えた。

「あ、サクラソウ」

 薄紅色の柔らかな花が、地面から少し高いところで、風に吹かれて首を振っていた。葉が大きく、花は小ぶりだ。庭周りの柵よりも外に生えている。もしかすると自生しているのかもしれない。

(でも、こんなにたくさん……おばあさまが植えられたのかも)

 よくよく見ると、サクラソウは、庭の柵の周囲を、ほぼ隙間なくぐるりとめぐっている。

(これだけの数だもの、きれいに植えられているんだ)

 踏みそうになっていたので、避けて、マリーは距離をとった。

「かわいい」

 しゃがみ込んで、花びらを指先でつつく。

「どこが入り口なのかしら。貴方分かる?」

 何となく話しかけてみる。

 心配そうにマリーを見守っていたヘルベチカが、ふと来た道を振り返った。

「マリーお嬢様」

 声をかけられ、マリーも振り向く。

 誰も居ないと思っていたのに、誰かがそこに立っていた。少年、だろうか。彼が近づいてくるのを、マリーは待った。空を雲が走り、大きな影が生き物のように地面を駆けて、簡単に柵の向こうへと消えていった。

「何者だ、貴様」

 相手が口を利いた。すっと通った鼻梁、艶のある黒髪。年は若いが、シャツはぴんとしており、出で立ちは悪くない。

 立ち上がったマリーは、首を傾げた。

「あの。どちらさまですか?」

「……」

 むっつりと黙り込み、少年はマリーを見下ろした。聞いているのはこっちなんだが、と言いたげな威圧に、マリーの気持ちは屈しなかった。

(こういうときはにこにこして、押し通せばよいのよ、って、お母様が言っていたわ!)

「名乗りが遅れました。こんにちは。わたくしはマールブランシュ・ルブラン。祖母メアリベル・ルブランと約束した、庭の管理のための下見に来ました」

 それで貴方はどなた?

 存分に思いを込めて、マリーは相手の顔を見つめる。

 圧力に負けたのか、少年がたじろいだ。

「……知らないなら、呼ばなくていい」

「私は名乗ったのに、貴方は名乗ってくださらないんですか? 年齢も近そうですし、お友達になれそうなのに」

「なんっ、で、いきなり、初対面でお友達なんていう単語が出てくる」

 狼狽する少年に対して、マリーは、小首を反対側に傾けた。ヘルベチカが後ろで、相変わらず心配そうな顔のまま、丁寧に頷く。

「お嬢様はこういうところが、おありになりますから」

「何の説明にもなってないだろ! お前っ、こいつの何だ。お守りか? 勝手なことしないよう、ちゃんと見張っとけ」

「お守りではありません。教育係です」

 ヘルベチカの言葉に、マリーも頷く。

 じろじろとマリーを眺め回して、少年は鼻息も荒く言い放った。

「小さい子どもが来るようなところじゃない」

「子どもじゃありません。十二歳です」

「子どもじゃないか」

 呆れかえった少年は、マリーを通り越してヘルベチカの方を向いた。

「何とかしろ。連れて帰れ」

「そうしたいのはやまやまですが。お送りした手紙の通り、メアリベル・ルブランの跡を継ぎたいと、言って聞かないので」

「迷惑だ」

 本当に心底迷惑そうに言い返し、少年はさっさと背を向ける。

「待ってください! まだ、貴方のお名前も聞いてません」

 マリーがぱたぱたと追いかける。少年は邪険に振り払った。

「うるさい。黙れ。名乗る必要なんてない。お前はすぐに帰るんだから」

「でも! 私、おばあさまと約束をしたんです。とてもきれいな庭だから、きっと大切にしてねって言われて。私、継ぎたい、見てみたいって思って」

「長いこと放っておいて、何が庭だ。ちゃんと面倒見る気もないくせに、簡単に入り込もうとするな」

 少年のにべもない態度に、ヘルベチカがため息をつく。

「お嬢様。帰りましょう」

「何で。どうして。ヘルベチカ、どうして止めるの」

「あの少年は、ここに勝手に入り込んでいるのではないでしょう。メアリベル・ルブラン様が懇意にしていた者だと思います。貴方のおばあさまは、見知らぬ者に勝手に庭を荒らされないよう、守りの魔法をかけてからこの世を旅立たれたはずですから」

「でもっ、どうして、……あんなふうに冷たくされなければいけないの?」

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