第3話
「あぁ申し遅れました。私は屋敷の管理を任された者です」
「執事さんですか?」
「えぇ。失礼いたしますが、お嬢様は、どちらからいらしたんでしょう?」
「わたくしはメアリベル・ルブランの孫、マールブランシュです。近郊の自宅から来て、先程こちらに着きました」
続いてヘルベチカが、「手紙を送ったのに、迎えもありませんでしたね!」と咎めるようなことを言うと、青年は肩をすくめた。金色の髪が、背で一つに束ねられ、袖無しのベストの肩にかかっていた。
「申し訳ございません。引き継ぎが遅れたもので」
「引き継ぎ?」
「私は、アルバと申します。生前のルブラン様にかわいがっていただいておりました。ですが、屋敷すべてを任されるようになったのがごく最近なもので――言い訳に過ぎませんが、お許し下さい」
青年の穏やかな青紫の瞳が、マリーを見つめた。
従兄弟達や父も、こんなふうにマリーを見て、頭を撫でてかわいがってくれたものだ。
(悪い人ではなさそう……)
人型に戻ったヘルベチカが、まだむくれているので、片手で制しながら、マリーは「こちらこそ、よく事情を確かめもしないでいきなり訪ねてきた形になって、ごめんなさい」と丁寧に挨拶を返した。
「丁寧にありがとうございます、お嬢様。屋敷のベランダにおりましたところ、こちらで、ここの者がご迷惑をおかけしている気配がしたもので――飛んで参りました。お怪我はありませんでしたか」
「突き飛ばされて、怪我をするところでしたよ!」
ヘルベチカはなおも続けて言おうとしたが、勢い込んで咳をした。その隙に、マリーは、またさっきのように嫌がられるかもしれないと恐れる気持ちを、おさえながら言った。
「私がしつこく、庭を見せてくださいって言ったから、機嫌を損ねたんです」
「お嬢様は悪くありませんよ!」
「私、庭に入りたくて」
「……はぁ。そうでしたか。いやはや」
青年執事は、困ったように頭をかいた。ラフな仕草に、ヘルベチカが文句を言いたそうにしたが、マリーの視線を受けて黙った。
「身分などのことが分からない、ということでも、無礼をいたしましたようで……彼は人間ではないので、どうかお許しください」
「人間じゃ、ない……?」
(ヘルベチカみたいに?)
大昔の先祖の中に、魔力を持った獣がいたと言われるヘルベチカのような、特別な何かが、あの少年にもあるのだろうか。
執事は、ふと起こった風に、目を細めた。
「彼はサクラソウ。花の精霊が実体化した者――と言えば聞こえはいいのですが。長年庭にいて、強い魔女の魔力を受けていたもので、意志が芽生えた……つまり、貴方のおばあさまの魔力の恩恵で、人間に化けて出歩けるようになった、花なんです」
「芽生え……」
芽生える、という言葉で、マリーのイメージ上の植物が、にょきっと伸びた。
「にょきにょきと、芽生えたんですね! 意志が!」
「にょき……」
擬音表現に違和感を覚えて執事が黙ると、マリーはぽんと手を打った。
「それでは、おばあさまの魔力で、ポットが踊り出す代わりに、お花が歌い踊るんですね?」
「いや、踊ったり歌ったりはしないと思いますが――」
なにぶん気難しい者が多いもので。
呟いてから、執事は気を取り直した。青紫を帯びた目を瞬き、眼鏡越しに薄く微笑む。
「まぁとにかく、とても美しい庭ですよ。私も、先代のルブラン様なき後は、門が閉ざされてしまったので、中を見ることができませんが」
ひとけのない、薄暗いと思えた屋敷を、執事は振りあおいだ。
「ところでお嬢様。立ち話をさせてしまって失礼いたしました。よい茶葉もございますし、二階のベランダで、お茶でもいかがでしょう」
「はい! ありがとうございます」
一も二もなく、マリーは頷いた。
このまま屋敷にも庭にも入れないで帰る羽目になることを、覚悟しかけていたものだから、少しでも休めるのはありがたい。
馬車に乗ってきたとはいえ、結構時間がかかってしまって、体は予想以上にくたびれてもいたのだ。
勢いよく頷いたマリーに、執事はちょっと驚いてから、
「それでは、どうぞこちらへ」
急いで屋敷に引き返したのだった。
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