第8話
呼びかけられ、マリーは思わず首を傾げる。
「それは、祖母の名前です」
答えながら振り返ると、太陽を背にした男が、こちらを覗き込んでいた。
「祖母?」
大人の、男の人だというのに、彼は心細そうな復唱をした。黒ずくめの男を、立ち上がってもなお見上げたまま、マリーは「はい」と返事をした。
「メアリベルは、私の祖母です。この間亡くなりました」
「知っている。メアリには、世話になったし世話もした」
「そうでしたか! 祖母がお世話になりました。私は孫のマールブランシュ。跡を継いで、庭の手入れをしようとしている者です。よろしくお願いいたします」
警戒心のかけらもなく丁寧に挨拶すると、男は戸惑って、口をぐにゃりと、不服そうに折り曲げた。
「庭は、閉める」
「えっ、折角祖母が大切にしていた庭です。荒れさせたくありません!」
「閉める。お前はまだ「魔女」じゃないだろう。メアリベルに似てはいるが、きちんと基礎を学んだ者ではない。そういう、ただの人間が扱うには、この庭の植生は向かなさすぎる」
「確かに私は、魔女ではないですが――」
「ここは、魔女の作った、魔女のための庭だ。きれいな花だけではない。毒や薬が、決められた配置で植えられている。きちんとした手順で、収穫すべき時期に収穫し、手入れしなくてはならない。ドクダミは長雨の前に摘む――知っているか?」
「いえ、全く。お恥ずかしいですが……これから、学びます」
男はマリーを見下ろしたまま、しばらく沈黙していたが、やがてためいきをついて背を向けた。
最近やけに、ため息ばかり聞いている気がする。
「あの! 呆れてしまわれたかもしれませんが、庭を失いたくないんです。祖母のほかに、魔力を持っていて庭を継げそうな人は私しかいないし……あの、名前を教えていただけませんか」
「聞いてどうする。――シュルハだ」
文句を返しながらも、男はマリーに応じてくれた。
「シュルハさん。私、」
「……お前は、諦めないつもりなのか。道理でしつこい。やはりメアリベルの子孫か」
失礼な呟きが聞こえたが、マリーはあえてにこにこして、彼を見送った。
「おばあさまのことを聞けそうな人が、また一人増えたんだもの。いいことだわ」
うんうんと頷いて、抜いた草を隅に片づける。
つんつん。
足下を何かにつつかれ、マリーは辺りを見回した。
「?」
(今日はやけに、お客様が多いのね?)
小さい子どもでもいて、つついているのかと思ったのに、誰の姿も見つからない。
メアリベルが見ていないうちに、塀を伝った蔦が伸びる。靴紐やスカートの裾をつついた。
「!」
ばさっ、とマリーは、服の表面をはたく。
「毛虫?」
虫がくっついているから変な感じがするのだ、きっと。
マリーはひとしきり暴れてみた。
蔦はマリーから離れて、門の周りの塀に逃れた。しばらくしてマリーが落ち着くと、再び、ゆっくりと近づいていく。
「誰?」
マリーの肩口で誰何された蔦は、びくりとした。が、マリーが蔦を見るよりも早く、一斉にざわざわと葉を鳴らして襲いかかり、マリーをぐるぐる巻きにして引きずっていった。
悲鳴は辺りに響かなかった。
*
「シュルハ! お前あいつに何をした!?」
胸倉を掴もうとしたサクラソウの手が、男に簡単に握られてしまう。黒ずくめの男は、慌てているサクラソウに、低い声で問いかけた。
「落ち着け。何があった? 俺は確かに、メアリベルの娘に会ったが」
「娘じゃない。孫だ」
「どっちでもいい。メアリベルの子孫だ。本人じゃない」
二人とも、その言葉でつかの間、痛みを感じて黙り込んだ。
「って、落ち込んでる場合じゃなくて! 草むしりしてただろう? お茶の準備ができたから呼んでこいって、あの執事気取りに言われたんで様子を見に行ったら、いなかった」
「いない? 俺はついさっき別れたばかりだ。彼女も、そう遠くへは行ってないだろうに」
「だから! どこへ行ったんだ」
「知らない。そういえば……」
「何だよ」
「今は都で、魔女集めが流行していると言う」
もったいぶって言われ、サクラソウは吐き捨てた。
「何だそれ。またお前、近所のばあさん達と茶飲み友達やってるのか。さすがドクダミだな、薬効があるからその辺のどこの家にも生えてるもんな。どこへでも行けるわけだ」
「お前も似たようなものじゃないか。それと、その者達が言っていた。ルブランの娘が、一人で屋敷に滞在していると」
「あぁ! あのベランダの端とか、外から見えるもんな」
サクラソウは、どうにかしないとな、と独りごちた。
「で、魔女集めって何だ」
「魔力のある女の子をさらうそうだ。船への加護をさせたり、飾りたてて家に置いて立てておきたい豪商が増えているとか」
「なんっ、は、犯人を! 早く犯人を見つけないと!」
サクラソウは男から手を離し、あたふたと走りだそうとした。
「まぁ、彼女が「魔女」と呼べるかどうか怪しい。さらわれたとは限らないだろう」
「お前! そういう話をしといて、それはないだろう!」
「どのみち、アレはこの庭には入れないのだろう? そうであるならば、関わらなくてもよいはずだが」
「関わらなくてもよくたって、さらわれたのを放置しておいていいわけもないだろう!」
止めようとした男を振りきって、サクラソウはマリーの名を呼びながら、マリーを見た庭木がいないかどうか、確認しだした。
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