第9話

「気に入らねーんだよ」

 茶の巻き毛を揺らし、男の子はマリーに文句を言った。いきなりぐるぐる巻きにされてショックで気絶していたマリーは、蔦に頬や足をつつき回され、擦り傷が痛んで目が覚めた。

「……ここ、どこ? 貴方は?」

 四方八方、蔦の茎や葉が覆い隠している。繭玉の中のようだ。マリーも男の子も、その籠の中に閉じこめられているのだった。

「……気に入らねんだよ」

 もう一度、男の子はマリーに文句を言った。眉毛がぴくぴくと動いている。

「のーてんきなとこも。魔力があるくせ、俺達が名乗らねーと正体も分かってくれないとこも。あいつそっくりな顔しといて、貴方誰とか言うとこも。気に入らねーんだよ」

「あいつ……?」

 マリーに似ていて、庭に来る人物と言えば。

「おばあさま……メアリベル・ルブランのこと?」

「そう。それ」

 男の子は顎をあげて小刻みに頷いた。片手を蔦に絡ませ、ゆさゆさっと揺さぶった。

「お前、あれっだけしつこく庭に入ろうとしてるくせに、俺達のこと知ろーともしない。見てもない。むかっつくんだよ」

「貴方達のこと?」

 そういえば――庭の入り口にいたあの少年は、サクラソウだった。

「貴方も、人間ではないの?」

 男の子は鼻を鳴らした。くりくりと動く目を、大人みたいにぎゅっとすがめる。

「つまんねぇ女」

 周囲の蔦が、ざわざわと小川のようにざわめく。あるいは大雨でも降っているようだった。

「さっさとどっか行っちまえ」

 とたんに、辺りの蔦が、マリーの髪を引っ張った。

「痛い、やめて。乱暴なことしないで」

 マリーは涙目で髪を取り返し、抗議した。

 不服なのか、頬を膨らまして男の子はこちらを睨んでいる。それ以上は蔦もマリーをいじめてはこなかった。

 年下の子の様子を見て、マリーは髪を手でとかしつけながら考えた。

(もしかして……)

 サクラソウの少年も、マリーが彼のことを知らないのを、不満がっていなかっただろうか。

(花々は、おばあさまのことを恋しがっているだけだと、思っていたけれど……)

 みんな、きっとまだ子どもなのだ。彼らは。

 自分のことを見てほしい、大事にしてほしい、知っていてくれて当然なのにないがしろにするだなんてひどい――自分達を愛してくれていたメアリベルがいなくなって寂しいのと同じくらい、これからも愛してくれる人がいればいいのにと、願ってはいないか。

(私には、お父様やお母様、従兄弟のお兄ちゃん達がいる。ヘルベチカだっている。愛してくださる方が、いるわ)

 では、彼ら、庭の花々は?

 人間に愛されているのが嬉しいのだと、執事は知ったふうに言っていた。

 祖母がいなくなってから、花達は、自分達だけで咲いていて、寂しくなかっただろうか。

 マリーが来て、――本当に、迷惑なだけだった? ずっと、声をかけて貰いたがって、いなかったか?

「貴方のお名前は?」

 声がかすれる。マリーの言葉に、むくれながらも、男の子は言葉を返した。

「アイビー」

「アイビーさん。庭の花々は、お互い、仲良くやっていけていますか?」

「あぁ? うん、まぁ。ちょっとはびこりすぎたり、枯れかけたヤツもいるけど」

「祖母に比べたら、至らないところもいっぱいあると思いますけれど、私、精一杯、お庭に踏み込んでみたいんです。このまま、努力しないままで失われていくなんて。庭が残る可能性をゼロになんて、したくない」

 ぎゅ、と男の子、アイビーの手を取って、握りしめて、マリーは言った。

「だから、貴方達さえよければ、よろしくお願いしますね」

「うえっ……?」

 動揺した蔦は、いったん全ての動きを止めた。停止時間は長いようで短かった。変な悲鳴を上げて、蔦はざわざわと葉を鳴らし、いきなり囲いを取りのけた。

 急に明るい地面に投げ出され、マリーは呆然と転がった。

「こんっの、大バカ野郎!」

 サクラソウが駆けてきて、思いきりアイビーを叱りとばした。

「何だあいつ!?」

 アイビーは叱られているのに、あまり堪えていなかった。

「すっげ変だぞ!?」

「だから下手に関わるなと言ったんだ」

「あいつ、メアリにそっくりだな!? 人の話聞かないな!? 何なんだ? コピーか!?」

「優しい顔してごり押ししてくるからな。気をつけろ」

 目を付けられたが最後、「ねえこっちでお茶を飲まない?」から始まって、優しく、心をほどかれ、こっちが何か無茶をしようとすれば涙ぐまれ、すっかり骨抜きにされるのだ。

「魔女は、怖いぞ」

「知ってるっつの!」

 神妙に言ったサクラソウに、アイビーは勢いよく言い返した。皆、骨身にしみているのだ。

 魔女は怖い。

 優しい顔をしていても怖い。何だか逆らえない。

 ――それがどうしてなのか、今一つ、ちゃんと分かってはいないけれど。

「とにかく……」

 マリーのことは、他の植物に任せて屋敷に連絡し、執事を呼びつけて連れ戻してもらった。脱水しかけてはいるが、水を飲んで休めば大丈夫だろう、と言われ、安堵して気が抜けてしまった。

「……アレ、庭に入れるのか?」

 アイビーの、しょげた口調に、まだ分からない、とサクラソウは煮えきらない返事をした。

 マリーが寝入った頃、サクラソウは屋敷に足を向けた。夜に活動する種類ではないけれど、人の姿をとれるようになってからは、眠いのを我慢をすれば動ける。

「あいつは無事か?」

 執事はサクラソウに気づいて、頷いた。

「アイビーも他の者も、少しずつ、動き始めましたね」

「そうみたいだな」

「屋敷の中でも、これまで消えていたものが、こうしてずいぶんと形を取って、働けるようになった」

 執事はくるりと後ろを見やる。そこには、いくらか向こう側の透けている、メイド姿の女性が立っていた。ゆっくりとした動作で、窓や壁を拭いている。

「おかげで賑やかになってきたし……まぁ、あの子でもいいかな、と考えています」

「どうだか」

「おや。信じていない? この間から、あの子のことはいいなと言っているのに」

「あいつは若い。ちびっこのひよっこだ。心を閉じたルブランがあのアホんだら夫と出会って変わったように、ここ以外の生き方をいくらでも選べる」

「本人は、選べるものがあるとは、あんまり考えていないみたいなんですけど……ふふ」

 つまり、あの子がどこかへ行ってしまうのが、怖いんだろう。指摘され、ほくそ笑まれて、サクラソウは顔をしかめる。

「お前ほんっと、性格悪いな」

「今を楽しむ。元々、我々には「今」と「次世代」しかないんですから」

「どーッだか」

 とりあえずマリーが無事なことを確認できたのだから、それでいい。

 サクラソウはさっさと屋敷を出る。月明かりが、土の道をぼんやりと照らしだしていた。

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