第10話

 翌朝、アイビーと仲直り(?)して、マリーは庭の周辺の探索を再開した。

 アイビーがいれば、蔦は屋敷のあちらこちらに生えているし、サクラソウは一人でマリーを見張るより楽ができる。蔦と仲良くしておけと言われたマリーは、別に今までだって、仲が悪かったわけではないと思いながらも、

「知る努力が、足りなかったかも」

 と考えた。屋敷の書棚から、大型の植物図鑑を引きずり出して、それを運んで、広げながら植物一つずつに声をかける。

 ――だから、サクラソウもマリーも、油断していたのだ。アイビーも、子どもの姿は伊達ではない。居眠りしたり、出歩いて遊んだりもする。つまり、見落としがあった。

「ちょっと、マリーお嬢様を見かけませんでしたか?」

 執事はサクラソウを見かけて、怪訝そうに首を傾げた。サクラソウも顔をしかめる。

「いない? またいないのか?」

「いませんね。昨日に引き続き」

 どこかで遊んでいるのなら、休憩時間をとって休むなり、お茶を飲んで喋るなりしようと思ったのに、執事はマリーを見つけられなかった。

「どうせ屋敷の中だろ」

「だといいんですが」

 まぁ念のためだ。サクラソウは、マリーを探した。

 いきなり視界が暗くなった。最初は立ちくらみだと思ったのだ。

 次に、腕を乱暴に掴まれ、担ぎ上げられて、肝が冷えた。

(さらわれる!?)

 叫ぼうとした口には生ぬるい布が押し込められた。息ができなくて意識が途切れる。周囲の草花がきゃあきゃあと叫んでいる気がしたけれど、ただの夢かもしれなかった。

 目が覚めてからは割合丁寧に扱われた。お姫様か、それこそ何もできない赤ん坊みたいに、手足を拭いて清められ、服も変えられ、清潔な姿にして、そして、閉じこめられた。

 ――それでも私は、魔法を使わないのよ。

 マリーはベッドに寝転がる。唇を噛んで、瞼を閉ざした。どうしたらいいんだろう。

 閉じこめられて、苛立った。知らない、真新しいぬいぐるみをたくさん与えられたけれど、嬉しくも何ともない。

 自分が大切にしていたぬいぐるみも、本も、服も、きちんと鞄に入れて、しまってあるのだ。祖母の屋敷の、自分の部屋に、置いている。――ここにあるのは、知らないモノだ。

「かわいいお嬢さん。おとなしくしているんだよ」

 そう呼ばれて、こんな扱いを受けるのは、今のうちだけだと分かっている。マリーが暴れなくて、おとなしくしていて、そうして、子どもであるからだ。

 ――暴れたりしたら、そのかわいい真珠みたいな耳たぶがそぎ落とされるかもしれないねえ。

 大分前に、仕立てのいいベスト姿の男が、マリーの様子を見に来ていた。つやつやした鼻下の髭を動かしながら、気持ち悪く、そんなことを言っていた。

 ――もしも大人であったら、鎖をつけたりぶったりしないと、聞き分けがないかもしれないねえ。だから、物分かりのいい子どもでよかったなあ。

 ねっとりした声を思い出して、マリーはベッドにうつ伏せたまま、身震いした。頭を振る。嫌だ嫌だ。視線がベッド脇に転がる。

 ベッドの側にあるテーブルの上には、白い皿が乗っている。皿の上にはクッキーや見目のいい砂糖菓子、生の果物が並べられ、かわいらしく飾られていた。

 ――大人になるとね、マリー。

 思い出す。父は、家を出ようとしたマリーに、わざわざ怖い話をしたのだった。

 ――人の意志を奪う薬や、意志はあっても指一つ動かせなくなる薬を使う者がいるんだ。あるいはもっとひどく、拷問を行って本人の心を折ってしまう者もいる。だが、お前は子どもだ。非道なやつらも、飴や欲しいものを与えさえすれば言うことを聞くと思っている。だけれど忘れるな。傷つけられているということには、代わりがない。

 お菓子を祖母や友人に貰うのと、何が異なるのか、そのときのマリーには分からなかった。

 閉じこめられ、甘ったるく話しかけられ、意志のないもののように扱われた今、とても、とても、不愉快だった。

(私は、こんなもので言うことを聞くような子どもじゃない)

 赤ちゃんだって、こんなもので言うことを聞いたりしないのに、それが分からない「大人」がいるのだ。悲しくて悔しくて、嫌だった。

 外が見えないよう、窓ははめ殺しで、黒い板になっていた。

 あまりお腹が空いていない。時間は、さらわれたときからそんなに経っていないはずだ。

(せめて、外の様子が分かればいいのに)

 夜更けに抜け出すのは無理だろう。ここがどこなのかも分からないから、逃げる道もおぼつかない。逃げるなら、夜明けがいい。寝静まった中を走って逃げよう。

(外が、分からないかしら。もしくは逃げ道や道具になりそうなもの……)

 マリーは、室内を探検し始めた。

「ルブラン家の所有する貿易船は、強大な魔女の力に守られていて、決して難破しないと言う」

 男は、鼻下の髭をふっと吹いて、にやあっと、こみ上げた笑みで顔をゆがめた。

「これは、高ァく売れるぞ」

 波の音がする、高台の屋敷の周囲には、点々と自生の花々が咲いている。

 中にはサクラソウの花も、あった。

 男が高笑う窓の外で、涼しげなシャツとズボン姿の少年が、ひょいひょいと花をまたいで、玄関に向かっていく。

 使用人が複数いたが、ちょうど外を見ていたり、話をしていて、少年のことを見ていなかった。

 いくらか億劫そうに眉をひそめた少年は、誰にも邪魔されずに、建物の中を歩いていった。

 開け放されたドアを通って、笑いやめた髭の男の前に立つ。

「うちの人間を返して貰おうか」

「何だ貴様」

 少年は、目を見開いた男の言葉には答えないで、肩をすくめた。

「ルブランの子どもを連れていっただろう。返して貰うぞ」

「はぁ? 何だ、あの小娘の知り合いか。何故子どもがこんなところに入り込めたのか知らないが、あれは返せない。何と言っても――たかだか小娘だが、いくらでも金を積んでいいと言う者がいるんだよ。大事な大事な、商品。モノだ。安心しろ、丁寧に扱う。贅沢もさせて貰えるだろう、よかったなぁ」

「そうか」

 少年の、声の響きには苛立ちがある。

「別にさらっていってもよかったんだが、予告はしておく」

 顔をしかめた少年は、瞬きのうちに、男から遠ざかっていた。歩いているのではなくて、一瞬で、滑るように遠ざかったのだ。

 ぽかんとした男の、視界に、ぶわりと白い影が膨らむ。花びらが――息を奪うほどの勢いで、白さを帯びた紅色の、サクラソウの花びらが、男めがけて襲いかかった。

「!?」

 もがいても視界は晴れない。耳も鼻の穴も覆われてしまう。男は恐慌を起こして走り出したが、絨毯に足を取られて転び、酸欠で気絶した。

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