少しずつ忍び寄る畏れは、“彼女”へのものか己へのものか。

これはスプラッタとか、幽霊とかそういう目に見える類のホラーとは一線を画していると私は思う。だからと言ってホラーじゃない、という事はない。前述したある種直球的な怖さよりも、この作品にはじわじわと奥底から忍び寄ってくるような、呼び覚まされるような畏れが確かに存在する。


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物語は大きく7編と、最後の1編から成り立っている。それぞれ違う語り手が出てくるのだが、彼らに共通するのは、物語の要となる“彼女”と出会うこと。

『今の生活に満足している?』

という“彼女”の言葉をきっかけに、語り手達はそれぞれに歩む道を歪めて行く。自分は今の生活に満足しているのか。何でそう思えないのか。自分は一体、どう生きて行くべきなのか。

“彼女”に揺さぶられた語り手達が進む道は、時に皮肉的で、仄暗く、哀しくも思えてしまう。

私たちの中で、今の生活に満足している人が果たしてどれだけいるだろう。若し語り手達のように、“彼女”を目の前にした時、私たちは何て答えたらいい?


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藤子不二雄A氏を思わせる独特の文章が、この作品の静かな畏れをより一層際立たせていると感じた。

さぁ、貴方もほら、まずは1編。
そうすればきっと貴方も、忍び寄る畏れを感じるだろう。

その畏れは果たして、“彼女”に対するものなのか己に対するものなのか?


答えは、まだ出ない。

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