これはスプラッタとか、幽霊とかそういう目に見える類のホラーとは一線を画していると私は思う。だからと言ってホラーじゃない、という事はない。前述したある種直球的な怖さよりも、この作品にはじわじわと奥底から忍び寄ってくるような、呼び覚まされるような畏れが確かに存在する。
###
物語は大きく7編と、最後の1編から成り立っている。それぞれ違う語り手が出てくるのだが、彼らに共通するのは、物語の要となる“彼女”と出会うこと。
『今の生活に満足している?』
という“彼女”の言葉をきっかけに、語り手達はそれぞれに歩む道を歪めて行く。自分は今の生活に満足しているのか。何でそう思えないのか。自分は一体、どう生きて行くべきなのか。
“彼女”に揺さぶられた語り手達が進む道は、時に皮肉的で、仄暗く、哀しくも思えてしまう。
私たちの中で、今の生活に満足している人が果たしてどれだけいるだろう。若し語り手達のように、“彼女”を目の前にした時、私たちは何て答えたらいい?
###
藤子不二雄A氏を思わせる独特の文章が、この作品の静かな畏れをより一層際立たせていると感じた。
さぁ、貴方もほら、まずは1編。
そうすればきっと貴方も、忍び寄る畏れを感じるだろう。
その畏れは果たして、“彼女”に対するものなのか己に対するものなのか?
答えは、まだ出ない。
恐怖とは、果たして何なのか?
不安を煽られることでもあり、災厄に怯えることでもあり、居るかどうかもわからぬ存在に恐れを抱くことでもある――けれど一番怖いのは、『当たり前だと思っていた日常がゆるやかに壊れていく』ことではないでしょうか?
『今の生活に満足している?』
彼女なる存在に、こう問いかけられた登場人物達は徐々に日常の歯車を狂わせていきます。いえ、『ズレていた部分を正しく噛み合わせた』と表現した方が正しいのかもしれません。
この描写が何とも不思議で、リアリティに溢れているというよりはもう少し引いた印象を受けます。
例えるならフィルターを通したような、第三者的な感覚。
もっとわかりやすく言うと、彼らの生活を隠しカメラで捉え、それを広い広い映画館でたった一人で観ているような、漠然としつつも明確な心許なさを覚えました。
ゆるやかに、しかし確実に心を侵食していく『恐怖』。
気付けば自分の耳にも、あの問いかけが聞こえてくるように思われ、読み終えた後は暫く放心してしまいました。
『今の生活に満足している?』
この問いに、あなたならどう答えますか?
心にじくりと不穏の影を落とす、新感覚のホラー作品です。
作者様が紹介文にて、『心を気付かない程少しずつ切り取り続けていく恐怖を与え続ける事が出来ればと思います』と仰っておりますが、少なくとも私にとっては、その試みは成功していると言えるでしょう。
正直に申し上げてしまえば、私は最初の頃、この作品をどこかホラーっぽくないと思いながら読んでおりました。
しかしながら、この作品における『恐怖』とは、読み進めていくにつれて現れる現実と作品との境界があやふやになるような感覚、どこまでも捉えることのできない『彼女』の存在、全体を通して変わることのない精緻にして淡々とした文章、その全てが少しずつ運び来るものであったのです。
『少しずつ切り取り続ける』というのはよく言ったもので。
決して深い爪痕を残すわけではなく、しかしそれゆえにいつまでも心の中にとどまり続ける。
読了したとき、私の心の中には、確かにそんな『恐怖』が存在していたのです。
不気味にして捉えどころのない、それでいながら次へ進むのを止めることのできない、そんな不思議な作品です。
まるでサウンドノベルを読んでいるかのように、読み終えてなお謎を残す七つの物語。主人公たちの、すさんだり歪んだりした心の中に、いつの間にか「彼女」が入り込んできます。繊細な日常描写からの「彼女」とその靴を目撃することで、次第に不気味な空間へと誘われ、捕らえられ、そして「彼女」からひとつの問いを投げかけられます。
「今の生活に満足している?」
読み手の私たちは、蜘蛛の巣に生贄を捧げるがごとく、ひとり、ひとりの、その後の様子を注意深く観察していくのです。彼らの犠牲に報いるために。その謎を解き明かすために。そして、私たちの好奇心が、まるで使命であるかのように感じられたならば、あなたの中には、すでに「彼女」が入り込んでしまったのかもしれません。
七つの物語をとおして、彼女の謎、『彼女を待ちながら』というタイトルの意味を探っていきましょう。そして七つの物語を読み終えた「実績解除」の先にある舞台に、皆さんは何を見るのでしょうか。
ホラーというよりは、不思議な物語。
淡々とした文章で描写される日常のなかに、静かに不協和音が混ざり込み、かと思えば異質の固まりがいつの間にか隣で微笑んでいる。
そして訊ねてくるのだ。
「今の生活に満足している?」と。
人物の心情描写が丁寧で、その分、読んでいるうちに胸に重いものが積もってくる。なんとなくもやもやを掻き立てられながら読み進め、少しずつ背中がぞわりとしてくる。
ホラーというよりは、不思議な物語。――だけどやっぱり、なんだか怖い。
そんな物語です。
※※※
以上、作品の連載中に書かせていただいたレビューだったのですが、完結致しましたので加筆させていただきます。
「ホラーというよりは、不思議」「なんだか怖い」と以前書き、確かにその面がこの作品の魅力であると思っていたのですが……途中からの、怖さのシフトチェンジが凄まじいです。
話毎に怖さの種類が変わっていき、読後は背中が間違いなくぞわぞわしているはず。
読み手を知らぬ間に作品の技にかけてくる、まごうことなきホラー作品です。
ぜひ、最後までご覧ください。