エピローグ

 今年のハロウィンは完璧だった。

 雲のあいだを掻き分けるようにして永遠と続く階段を登りながら、カブ頭のウィルは満足げでした。


 貧困に苦しむ可哀想な少女には、使い魔のコウモリが溜めこんだすべてのお菓子や料理を、秘かに家へ送りつけておきました。コウモリに食べ物を丸呑みさせていたのは、最後に少女に届けるためだったのです。そしてその少女にいたずらする男子を懲らしめ、改心させました。


 救いのない亡者どもには、一人の少女に慌てふためく人間たちのあられもない姿を提供しましたし、ピアノ演奏で夢を与えました。


 これで完璧だ。私の根無し草の旅も、ついに終焉を迎える。


 ウィルは天国を確信しながら、階段をのぼっていきます。雲のうえの広場へと出ました。そこは標高何万メートルの断崖絶壁で、突き当たりに立派な門と奥に階段が見えていました。


 門のまわりにはアスフォデルス・アルブスというユリ科の白い花が咲き誇っています。そのまえには青い警備服を着た一人の門番が直立していました。ウィルは門番に近づいていきます。


「やあ。これは、これは」


「そなたはウィル。おまえのような罪人が、なぜここに」


「失敬な。私は自らの罪を償う旅路をまっとうしたのだ。今度こそは天国へと招かれるはず」


 門番はじろりとウィルのカブ頭を覗き見て、厳しい表情のまま天国への門に付けられていた鍵を外しました。


「天におわします神はすべてをご覧になる。もしもそなたの言葉が本当であれば天国までいけるはずだ」


「そのように」

 ウィルは自信ありげに一歩を踏み出しました。以前、天国への門をくぐったあと、段差に足を掛けた一歩目で階段が崩れ落ち、そのまま下界に真っ逆さまということがありました。


 しかし今回は崩れる気配がありません。しっかりと階段は天上へ伸びています。ウィルはご機嫌で鍵を掛ける門番に言いました。


「ご機嫌よう」


「神のご加護がありますように」


 ウィルは白い手袋はめた手をあげ、意気揚々と階段を登っていきます。その一歩ごとに天国が近づいています。いける、いけるぞ。悪魔にもらった炭は炎を逆巻かせる勢いでした。


 天上界を夢見ながら、ふと、さきほどの門番の声に引っかかりを覚えました。それは天国に登ろうとして失敗した前回の記憶ではなく、ごくごく最近、耳にしたような気がしたのです。


 ウィルは下あごあたりに手を添えます。はて、一体どこで。


 記憶の糸を辿ろうとした次の瞬間、足を掛けた段差が崩れました。そして階段もパズルのようにほろほろと崩壊していきます。


「よもや」


 全体重を足に預けていたウィルは持ちこたえられずに、真っ逆さまに落ちていくしかありませんでした。そしてさきほどの門番とすれ違います。門番はウィルの敬礼していました。


「前進は認める。だがもうすこし、徳を積むように」


 ウィルは怒りの黒い炎を逆巻かせました。そして遠ざかっていく門番に向けて叫びました。


「なにがパッヘルベルだ、うそつき門番め。老翁に化けて私を監視してやがったな」


「ほっほっほ」


「私は諦めぬ。なんどでも、なんどでもだ!」


 こうしてウィルの悪企みは今回も砕かれ、ふたたび徳を積む旅を続けなければなりませんでした。




 天国へ拒まれたウィルが目覚めた場所。

 そこはなんの因果か、テムズ川のほとりの河原でした。早くも小鳥が寒々しい朝を告げる時期で、一面に霜が降っていました。


「ここは」


「あ、ウィルさん。お久しぶりです」


 甲高い声を見遣ると、そこにはジャック・オ・ランタンの鎧を被った楕円形の生物がいて、こちらに猪突猛進してきました。そして目と鼻の先で止まります。


「やはり、天国へ行けませんでしたか」


「ふん、天国でふんぞりかえった者どもめ。よほど私が怖いと見える。恐怖の大王、偉大なるジャック・オ・ランタンが平穏を崩すのがな」


「そうですね。あなたは恐怖の象徴ですもの。それはそうと、ウィルさん。例のお恵みを」


 ゆで卵は甲冑を脱ぐと、額に張ってあるホッカイロを指差しました。いつのまにやら、ホッカイロの上端にチャックが取りつけられています。その中身をのぞいてみると、すっかり鎮火した炭ばかりになっていました。


「まったく。温かくなろうとするなら別の方法もあるだろうに。こんな子供だましを後生大事にしているとは」


「子供だましじゃありません。ぼくの生涯の宝物です」


 プリプリ怒るハンプを尻目に、ウィルは自分の口に手を突っ込んで一つの炭を取り出しました。そして片手で表面を払い、もう一つの手に炭屑をこんもりさせます。そして口から炎を吹き出して炭屑に火を付けるのです。そしてその炭屑を、ハンプのホッカイロへさらさらと注いでいきます。ハンプは南無南無と拝んでいます。


「ああ、温かさで生き返りますぅ」


「して、我が使い魔は」


「近くにいますよ」


 ウィルが親指と人差し指を輪っかにして口笛を吹くと、コウちゃんというあだ名を付けられたコウモリが住宅地方面の偵察から戻ってきました。そしていつものようにウィルの肩で止まり、耳元でささやきます。


「ふむ。私は一ヶ月も伸びていたのか。いやはや恐ろしい」


「それで。これからはどうするんですか」


 チャックを仕舞うハンプに、ウィルは言い放ちます。


「無論、次のハロウィンに備えるのみだ。ところでハンプ。おまえも一緒に来るか。恐怖の伝道師としての役目を与えよう」


「いいんですか」


「ああ。旅は道連れ、世は情けだ。さあ、来年のハロウィンへ向けて早速悪巧みだ」


「はい!」


 こうして三匹の怪物は、朝日に背を向けるようにして河原の向こうへと歩み去りました。


 その河原に面した土手を、一台の自転車が通り過ぎていきます。


 前髪が長い少年が自転車を漕ぎ、その後ろにはポニーテールをそよがせる少女が乗っていました。白い吐息が朝日に輝くなか、色違いのマフラーを首から垂らす二人は笑顔でした。


 台座に乗っていた彼女はふとなにかが気になり、トパーズ色の眼を河原に向けます。けれどそこには冬支度を始める河原しか映っていません。残念ながら、愉快なハロウィントリオを捉えることはできませんでした。


「どうしたんだ、ミサ」


「ううん。なんでもない。急ごう、ノア」


 一台の自転車はちいさな二人を乗せて、小学校へと急ぎます。




 それはクリスマスが間近に近づいてきた、とても寒い冬のことでした。

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偉大なるジャック・オ・ランタン 神乃木 俊 @Kaminogi-syun

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