★20時30分
ミサの話と若干前後して。
ハンプに追いかけられていたノアは、息を切らしながらお城に繋がる坂道を登っていました。翼がうちわのように大きいコウモリや、聞いたことがないような奇声で鳴く野鳥がときたま頭上を横切っていきます。帚に乗った魔女や人魂らしき影がときたま地面の影を伸ばし、ノアを不安にさせます。
ノアは自分の罪を夜空へとひたすらに告白していきました。ミサが広場を大混乱させている最中のことです。
「それで俺はむかついて、そいつの嫌いなグリーンピースを給食にこぞっていれてやったんだ。それからそいつの上履を隠した。それから」
ノアは足を止めることなく走り続ける一方で、赤い数字を減らすために頭をフル回転させます。最初は小気味よく消えていた数字も、終盤になればなるほど減らすのが難しくなっていきます。
仲良しやクラスメイトの名前や顔を思い出しながら、こんなこともあった、あんなこともあったといたずらを思い出す糸口にしていきます。
「はあはあ、あとは」
痛そうな棘が迫り出している木の陰にあった大木に腰をおろしながら、ノアは額に張りついた前髪を手で払います。赤い二つの満月がノアを照らします。その側には不気味な雰囲気の館があり、塀には茨が絡みつき、屋根にはガーゴイルがうごめいているのでした。そこはじつは、パッヘルベル老翁さんのお城なのでした。
「あとおれは、なにをやったっけ」
「良い眺めだね」
「うおっ」
気がつくと、振り切ったと思っていたハンプがいつのまにか横にちょこんと腰掛けていて、街の灯りにうっとりしています。
「世界がこんなに美しいなんて、殻に閉じこもっていたときには知らなかったな」
「お前、なんなんだよ」
「やっと話を聞いてくれる気になったんだね。僕はハンプ。君が投げつけた生卵が、ウィルの石炭でしっかりウェルダンになって生まれてきた生物さ。僕に構ってくれるのは嬉しいけど、今は想い出すことに専念したほうが良いよ」
色々と聞きたいこともありましたが、たしかに今は正体不明のゆで卵に構っている場合ではありません。人里離れた丘までは怪物たちの手も回らないのか、ここは安全地帯のようです。
「あとは、どんな悪さをしたっけなぁ」
ハンプはじろじろとノアの横顔を覗きます。そのまま顔を触ろうとするので、ノアはその手を叩いてやりました。ハンプはぶたれたのにも関わらず、ぷくっと鼻翼を広げて悦に入っています。
「ノアはわんぱくだね」
「どうだろうな」
辺りには肌寒い山風が吹いて、生い茂るカボチャの葉をざわめかせます。
一糸まとわぬハンプは寒いのか、ぶるぶるとふるえて手をさすりはじめました。そうかと思えば盛大なくしゃみでノアの考えを吹き飛ばし、どこかに消えたと思えば、大きな葉っぱを手に戻ってきてちーんと鼻を噛みます。
考えごとをしているノアにはうるさくてたまりません。
「うっせぇな、すこしは静かにしろ」
「うむ、ほうふる」
ハンプはすっかり夜風に冷えたのか、鼻声になっていました。見るに見兼ねたノアは自分の左の懐に忍ばせていたものを、ハンプのやわらかな肌にぺたりと張りました。
「うわ、なんだこれ。ほっかりする」
「ホッカイロ。低温火傷に注意しろよ」
「これはいいね。ノア。ありがとう」
「あ、そういえば」
そこでノアがホッカイロを盗んだことがある過去を夜空に白状し、一つ赤い数字が減りました。するとハンプは自分のことのように喜んでくれました。
ノアは頬をゆるめます。こいつ、案外悪い奴じゃないのかも。
そのとき、ハンプとは別の声がどこからか聞こえてきました。
「どうだ、罪の告白は順調か」
「その声は」
ノアは思わず立ちあがりました。そして声の出所を探ります。さっきまで姿を消していたはずのウィルの声だったからです。間違いありません。
ウィルはノアたちのまえにそびえていた、一際大きい木の幹から現れました。その手には顔と同じ姿形のランタンが握られています。
「些細なほころびは積み重なり、やがて理性という堤防を決壊させる。自分の行いを反省しているか」
「は、なにが」
「いつまでも子供のままではいられない。取り返しがつかなくなるまえに、自分の非を認めろ」
「うるさい。俺に指図するな」
「あ、ノア」
ハンプは走り出したノアを引き止めようとしましたが、ノアはハンプを突き飛ばしてウィルへ駆けていきます。その手には拾った巨大な大木が握られていました。ノアはウィルの顔を目掛けて、巨木を下から上へ向けてアッパースイングしました。
大木は棒立ちだったウィルの頭に的確に命中します。両手に掛かるカボチャの重みを感じながら大木を振り抜くと、ジャック・オ・ランタンはいとも簡単に体から離れました。大空に掛かる虹のような軌道で遠ざかっていきます。眼の前に残ったのは、頭を失って直立したタキシードの体だけです。
「はあ、はあ。やったか」
ノアはびっしょりと濡れた背中を亀の甲羅のように丸めました。手にはたしかな手応えが残っています。
けれどすぐに、自らに掛けられた呪縛が解かれていないことにノアは気がつきました。景色は誘われた異世界のまま、眼の端にちらついていたカウントダウンは消えるどころか勢いを増して減っていくからです。
「な。こ、これは」
「……つまらないな」
背筋も凍るような、冷淡に染まったウィルの声がしました。
「あち」
そこで大木を握った右手に痛みが走ります。そちらを見ると、ノアが手にしていた大木が青白い炎で燃えているではありませんか。
「うお」
ノアは大木を手放しました。その瞬間、蒼い炎が大木を一瞬にして炭化させてしまいました。蒼い炎は周囲に燃え広がることなくその場で鎮火していきます。
そして先ほどまでウィルがランタンにしていたジャック・オ・ランタンが、独りでに宙に浮きはじめました。そして失われた頭の部分にくっついたではありませんか。それはさっきまであった頭の機能を代わりに果たしているようでした。
「興ざめだ。子供ということもあり、格別に甘い条件を提示したというのに、お前にはまったく反省の色が見られない。同情の余地なし」
「な」
「お前は人としての理性を完全に見失った。ここがお前の墓場になる。覚悟しろ」
ウィルはノアに向けて真っ白な手袋を付けた腕を伸ばしました。そしてその指先から青い炎のようなものを噴射しました。青い炎は四方からノアを取り囲んでいきます。逃げ場はありません。
「慈悲を掛けて一瞬で焼いてやる。痛みはない。安心しろ」
蒼い炎がにじり寄ってきます。ノアはもう駄目だと観念して、瞼を閉じました。
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