☆20時

「おかしいよね。コウちゃん」

 

 ミサの肩で羽を休めるコウモリにコウちゃんとあだ名を付けたミサは、独り言のようにささやきました。コウちゃんは信じられないくらいのお菓子やもらい物を飲みこんで、お腹をぽっこりさせて満足そうです。


 時計台広場に至るまでの道中、ミサは色々な家へとお邪魔しました。いつもならミサの衣装を褒めてくれて、笑顔でお菓子をくれるのですが、今回の反応は尋常でなかったのです。


 対応してくれた大人たちすべてが、まるで本物のお化けが玄関に立っているかのように飛びあがり、神様に祈るように十字を切りました。


 そして、どうかこれで勘弁してくれと大量のお菓子や美味しそうな夕飯の残りをお裾分けしてくれたきり、玄関を締めて鍵を掛け、お礼の言葉さえ言わせてくれないのです。


 はじめのうちは、大袈裟な演技で私たちを喜ばせてくれているのだろうと愉快な気持ちでしたが、家々を巡っていくにつれ、この慌てようは演技ではないのではと疑うようになりました。杖をついたお爺ちゃんが玄関先で転けそうになるのを眼の当たりにしたときは、心からひやっとしました。


「この格好じゃあ、そんなに怖くないはずよねぇ」


 ミサの背後から秘かにウィルが脅かしている可能性も考えましたが、その線も薄そうです。いずれにせよ、もらい物はすべてコウちゃんにあげています。体より何倍も大きいお菓子や食べ物をびっくりするほどの大口で丸呑みしていきますが、それでもまだ足りないらしいのです。


 ミサはぽっこりお腹を指でさすります。


「コウちゃんは可愛いんだけど、食いしん坊だね」


「キキッ」


 こうしてミサは次なるお菓子を求めて、暗い路地から広場へとたどり着きました。


「まあ、きれい」


 広場は盛大に飾り付けられ、絵本で見るような神秘的な雰囲気でした。田舎街のシンボルである時計台のてっぺんから周囲の家々の屋根に向けて、折り紙で作られた色とりどりの鎖が伸びています。ロウソクも他の場所より多い印象でした。多くのお化けに扮した子供たちや大人が炎に影を伸ばしながら闊歩しています。


 ミサはここに来てはじめて、友達との待ち合わせを思い出しました。


「いけない」


 ミサは口元を覆いました。ウィルの登場ですっかり約束を忘れていたのです。申し訳ない気持ちで一杯になりました。


 けれど時計台の下を見遣り、ミサは驚きました。なんとミサの友達がまだそこにいるではないですか。そうです、彼女たちはミサを心配して家まで呼びにいっては戻ってきて、代わり番こに家々を巡ってはまた時計台に引き返し、ミサの到着を待っていたのです。


「遅いね、ミサ」


「まさか、人さらいにあったとか」


「やめなよ、そういうこと言うの」


「だって、どこにもいないんだよ」


 彼女たちはミサがどこにも見当たらず、不安で一杯でした。それを表情で読み取ったミサは、彼女たちに謝罪と身の安全を伝えようと近寄っていきました。


 そして広場に集まっていた人たちが、ついにミサを目の当たりにしました。


 お母さんの手に抱かれていた赤ん坊がミサを目にした瞬間、この世の終わりのように泣き叫びました。異変に気づいたお母さんが赤ん坊の視線の先を見遣ります。そこには異形の化物が広場へ乗り込もうとしていたのでした。


 ミサは全身を真っ黒なコートに覆っている骸骨の死神へと姿を変えていて、背中からは大きな鎌を覗かせていました。地面についたコートからは黒い墨汁のようなものが垂れ流し、そこからは次々と骸骨がよじのぼってきます。そして壊れたおもちゃのように上顎と下顎を打ち鳴らして、徘徊を始めるのです。


 ミサのまわりを赤、黄、緑の鬼火が徘徊し、コウモリが大量に飛び回っています。それはまるで冥界へ歩み進める死者の葬列でした。ミサのローブに掛けられた魔法が放つ、数分間限定の幻影に過ぎないのですが。


 広場の人はそんな事情はつゆ知らず、悲鳴を背に突き進む死神、つまりはミサに腰を抜かして、くんずほぐれつ逃げていきます。


 ミサはまわりの人が見ている景色に気がつかず、なんでこんなにも自分は怖がられているんだろうとすこし傷つきながら、お友達に声を掛けようとしました。当然のことながら、死神に近づかれていると勘違いした友達は、必死の形相で逃げていきます。


「きゃあ、化物」


「こっち来ないで」


「いやぁ」


 ミサの仲良しさんは飲んでいた飲み物を投げつけるようにして走り去っていきました。飲み物は幸運にもミサの横をかすめていきましたが、それは決定的な出来事でした。


「やっぱり、なにかおかしいよ」


 ミサは時計台の下で広場を振り返りました。逃げ込んだ建物の窓や非難した机の下から、多くの人たちの不安そうな二つの眼でミサを窺っています。騒ぎの中心は明らかに自分なのでした。


「私は、ここにいちゃいけないんだ」


 なんとなく異変を察知したミサは、広場を去ろうとしました。すると肩で羽を休めていたはずのコウちゃんはそこにはおらず、屋台に並んだ御馳走を丸呑みにしていたのでした。


「こら、コウちゃん。駄目だよ」


 ミサが尻尾を掴んで逆さ釣りにすると、コウちゃんはしゅんと反省を見せたあと、ミサの肩に渋々戻りました。こうしてミサは広場を後にしました。



 

 ミサは出来るだけ人目のつかないように広場から離れていきます。すこしずつ勾配をあげていく坂道を、ローブが地面につかないようにまくしあげながらのぼっていきます。


 ふと疲れに足を止めて木々の梢から街並を眺めると、広場は落ち着きを取り戻してお祭りを再開したようでした。ミサはすこしだけほっとしました。


「悪いことをしちゃったな」


「キキキッ」


 罪悪感を抱えながら坂をのぼっていくと、立派なお城がミサを待ち構えていました。ミサは門の横の塀に立て掛けられた表札を覗きます。そこにはパッヘルベルと刻まれていました。


「ここが、パッヘルベル老翁さんの家か」


 噂はもちろんミサの耳に届いていましたが、ここまで来たのは今日が初めてでした。今までは近くの家々を巡るだけで満足していたからです。


 ミサは丘の頂きにあるお城のまわりをうかがいました。


「だけどもう、人が住んでいそうな建物はここしかないし。よし、ごめんください」


 ミサは意を決して、堅牢そうな鉄格子に手を掛けました。その金属の音を嫌がったのか、ぴくっとコウちゃんは耳を立てると、どこかに飛んでいきました。


 鉄格子の先には、手入れの行き届いた芝生の庭が広がっていました。そしてそのまんなかを区切っている、お城の玄関へと続く道の途中に二台の長机が置いてあり、灰色のローブを着た老翁さんが座っていました。やわらかな白い花弁で咲き誇るお花を背景に、ロッキングチェアーで揺れています。


「ほっほ。いらっしゃい」


「あ、失礼します」


「よくぞ、おいでなすった。今年はなかなかに訪問者がすくなくてのぉ。退屈しておったわ」


「もしかして。それ、私のせいかもしれません」 


 ミサは出来る限り人目につかないようにと、丘を登ってきました。けれどそのせいで子供たちが坂道を登るのを気味悪がり、パッヘルベル老翁さんのお城への登城を諦めてしまう例も、すくなからずありました。


「すみません」


「それも良いことよ。おや、お嬢さん。そのローブは」


 老翁さんは目尻の皺を深めて、食い入るようにミサのローブを見つめます。ミサはローブを見せびらかすようにしてみせました。


「ああ、これ。お母さんに作ってもらったんです」


「そうか、素晴らしいローブじゃ。生地がしっかりしておるのう」


「すべすべして、着ごこちもいいんですよ」


「それは羨ましい。儂にも触らしてくれんかのう」


「いいですよ」


 老翁さんは差し出されたミサのローブの腕をさするようにすると、立派に蓄えた髭のなかでもごもごとささやきました。そして念押しのように両手でローブを挟んだあと、横にあったサイコロを二つとってミサの手に握らせました。


「間違いない、非のうちどころのない傑作じゃ。これは儂を楽しませてくれたお礼じゃ。一度振って見なされ」


「え。いいんですか」


「遠慮することはない。さあ」


 ミサはローブを褒めてもらえたことに嬉しくなって、想いっきり両手をくっつけてサイコロを転がし、えいっと机の容器に向けて勢いよく投げました。最初に赤い目の1が出ました。もう一つはくるくると立方体の角で回っています。


「頑張れ」


 ですがミサの応援虚しく、サイコロの出目は6でした。


「ほっほ。残念」


 ミサは肩を落としました。

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