☆13時

 ミサがお昼休みに友達と廊下を歩いていると、背後からとある男子に呼び止められました。


「おい、ミサ」


 ふりかえった先にはミサがもっとも警戒する男子がいて、廊下のまんなかで右のお腹を押さえています。表情をうかがい知ることはできません。男子にしては比較長く、淡い栗色の前髪が表情を隠していたからです。


「どうしたの」


 ミサは友達の輪のなかで、困惑しながら相手の出方を待ちました。そうというのも、眼のまえにいる男子こそ、昨日の休み時間に嫌なことをされた相手だったからです。みんながいる教室でスカートをめくられ、ミサは顔から火が出るほど恥ずかしい想いをしました。本来なら口も聞きたくない気分です。


「脇腹が痛いんだ。いてて」


 差しこむように痛むのか、男子はお腹を抱えるようにしてさらに屈みこみます。明らかに様子がおかしいと思ったミサは、これは一大事だと、心に捲いていた警戒の紐をほどいて駆け寄りま

す。


「だ、大丈夫。どこが痛いの。なにかにぶつけたの」


「そ、それが」


 男子はミサに顔を近づけました。眼はいたずらに笑っています。男子は服を掴んでいた右手を、ミサの顔の前で勢いよく広げてみせました。てのひらには触角をぴんと伸ばした緑色の虫がうごめいていました。


「きゃあ」


 ミサは飛び退くようによろけて、そのまま硬い廊下でお尻をごつんと打ちつけました。男子の手には何匹ものバッタが握られていたのです。


 バッタたちはようやく解放されて嬉しいのか、長い後ろ足でぴょんと跳ねて洗い場やベンチへと飛んでいきます。ミサのまわりにいた女子たちは悲鳴をあげて逃げまわります。その慌てように、腹痛を演じていた男子は手を叩きます。


「やーい、引っかかってやんの。悔しかったら、ここまでおいで」


「ちょっと、ノア。待ちなさいよ」


「いたた」


 ミサが痛むお尻をさすっているあいだに、ミサの友達がいたずらっ子の男の子、ノアと呼ばれた少年を教室まで撃退してくれました。気にしたら負けだよと、ミサの友達は慰めてくれました。けれどミサの心は晴れません。


 ノアはなぜ、自分ばかりにいたずらしてくるんだろう。それが不思議でなりません。やっぱり、私がクラスで一番どんくさいからかな。


 ミサは心のなかで盛大なため息を吐いて、やれやれと立ちあがりました。そしてお散歩を再開します。


 一方、教室の入口から様子を窺っていたノアは、遠ざかっていくミサに肩透かしを食らった気分でした。金色のポニーテールを引っ張ってやりたくて、ウズウズしています。


「っくそ、追いかけてこいよ」


「おい、なにやってんだよ、ノア」


 教室の隅っこにはノアの悪友たちがいて、今宵のハロウィンに向けて準備の最中です。開け放たれた窓辺近くで輪になり、布団のシーツに青色のスプレーをまぶしているところでした。


「ああ。なんでもねぇよ」


 ノアは悪態をつきながら悪友の側にいき、主人不在の空き椅子に乱暴に座りました。いつも一緒にいたずらに励む悪友はお手製のシーツを被っては、お化けの真似をして笑いあっています。


「今年もパッヘルベル老翁さん、豪華賞品を用意しているらしいぞ」


「今回ばかりは俺がとる」


「えー、僕が取るんだよ」


 悪友たちの話題にのぼっていたのは、変わり者の老翁さんが開催する奇妙な催しでした。


「なんでも、1のぞろ目が出たら地球一周旅行がもらえるらしいぜ」


「すげぇ、まじかよ」


「でもサイコロを振るには、ド派手な仮装じゃないといけないんだろ」


「そうだぞ。去年はうちの兄ちゃんは認められてサイコロを振ったんだ。だけど全然揃わなくて、なにももらえなかった」


「一発勝負か。厳しいな」


 ノアは悪友たちのばか騒ぎに「下らねぇ」と呟き、開け放たれた窓の向こうを眺めていました。そこにはキンモクセイの根元で佇むミサたちがいて、まわりの花壇を眺めています。


 ミサは咲き誇るバラやガーベラにほほえんでいました。ノアには決して向けてくれない、自然な笑顔を咲かせながら。


 ノアの視線に気がつくと、ミサはうつむいてしまいました。ノアの心の靄が濃くなります。つくづく面白くない気分でした。ノアは舌打ちして席を立ちます。向かう足は当然、ミサのところです。


「どこいくんだよ」


「トイレ」


 なぜこんなにも、ミサに対して躍起になっているのか。ノアには分かりません。馬鹿馬鹿しいと思うものの、気がつけばミサを探している自分がいます。ノアは乱暴に渡り廊下を踏み鳴らしながら、靴箱に向かいます


 訳が分からない想いに振り回されるなんて、たくさんだ。


 けれど心のなかでいくら暴言を吐いても、見えない引力を断ち切ることは出来ません。そんなもどかしさもあわさって、ノアはミサにちょっかいを出すことをやめられないのでした。

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