第10話 まだ先輩はそこにいた

 幕が下りると、舞台装置の撤去と次の上演の準備で、辺りはごった返す。

 舞台袖に駆け込んだ僕は涼美先輩を探したけど、もうどこにもいなかった。

 ……異世界に滑り込んだだけだよね。

 どこかにいるはずの先輩に心の中で呼びかけると、後ろから叱り飛ばされた。

「ゴミ拾って、そこ!」

 慌てて足下の紙切れを拾って、ハッとした。

 ……涼美先輩?

 振り向くと、そこにいたのは色っぽい年上の女生徒じゃなかった。

「やったね」

 舞歌が背中を叩く。

 それはそれで嬉しかったけど、その後ろに立っているヤツを見たら気分が萎えた。

「すまん、礼が遅れた」

 手を合わせてウインクなんかしてるのは、都筑だった。

 ……男に愛想振りまかれても面白くないわい。

「あんまり舞歌を困らせんなよ」 

 シャドウの口調を真似てみたら、何だか悔しくはなくなった。歩き方も意識してみたりする。 

 2人に背中を向けて楽屋へ向かうと、涼美先輩の歌が身体に流れ込んできたみたいに力が手足にあふれてくる。

 手を入れたポケットが、後で都筑が使うかもしれない衣装だったことに気がついた。

 まずいと思って手を出してみると、まだあの紙切れを握っている。

 開いてみると、詩が一編書いてあった。


 己を知れ 光も影も

 汝を知るもの これにあり

 目を背くなかれ 己の闇から

 そは汝の来たりしところなれば


 その冬、舞歌たちは地方ブロック大会に出場した。そのときには僕はもう、退部していたけど、未練はなかった。

 今まで逃げていた勉強を、小学校レベルからもう一回やり直すことにしたのだ。恥ずかしいという気はしなかった。この夏、最大のピンチを乗り切った僕は、結構自信をつけていたからだ。

 舞歌と都築の仲も進展して、何か僕からずっと遠いところに行ってしまったみたいだった。でも、気にはならなかった。ちょっと遠出して、ブロック大会を見に行くことだってできた。

 夏には僕がいたところに、都築がいる。実はシャドウなんじゃないかと思うくらい、完璧だった。 

 その日の上演が全部終わった会場を出ると、もう薄暗くなっている中で部員たちが追いかけてきた。

「三上! どうだった?」

 誰が言ったか分からなかったけど、僕は構わずにカッコつけて全員を見渡した。

「まあまあだな」

 すかさず舞歌が口を挟む。

「赤点男が何言ってんの」

「残念でした、無事クリスマスが過ごせそうです」

「一緒に過ごす相手もいないくせに」

「はいはい」

 都筑が口を挟んでくる。

「じゃあ、舞歌が……」

「ちょっとどういう意味それ、幸威がそれ言う?」

 いきなり怒り出した舞歌を、部員たちに混じって僕もなだめた。そのうちペコペコ謝りだした都筑を見て、みんなドっと笑った。

けど、僕はそんな気にはなれなかった。

 ……何か、寂しいな。

 なぜだろうと思って、気が付いた。

「涼美先輩」

 呼んでみたのは、ここにいる部員のどこかに混じっていて当然だと思ったからだ。

 でも、返事がない。あちこち見渡しても、どこにもいない。

 その時、後ろから聞いたことのある声がした。

「やってくれたな」

 振り向いてみたけど、やっぱり誰もいなかった。

 確かに、シャドウの声だったのに。

 もしかすると、冬の闇の中に溶けてしまったのかもしれなかった。

 ……帰ろうかな。

 部員たちの大はしゃぎは、もう別次元の彼方だ。僕には僕の生活がある。 

 ……まあ、がんばれよ。

 いろんな意味で舞歌と都筑に言ってやろうと思ったけど、その時だった。

 ふと、会場のぼんやり明るい車寄せの下でバス待ちをしている人の中に、涼美先輩に似た大人の女性を見かけた気がしたのだ。

「あの……」

 声をかけようとしたところで、また背中を叩かれた。

 振り向くと、舞歌だった。

「まあ、がんばれよ」

 どういう意味で言ったか、よく分からない。すぐに背を向けて駆け去っていくブレザーの背中から、声だけが聞こえた。

「……って、幸威が言ってた」

 大きなお世話だと思いながら車寄せを見ると、バスが走り去っていくところだった。

 余計なことをしてくれたと思いながらも、やっぱり舞歌は憎めなかった。

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センパイから影法師を借りてみました 兵藤晴佳 @hyoudo

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