第7話 涼美先輩の告白

 鳥だか蝶だか分からないモノがふわふわと壁を抜けて飛び交う廊下を走り抜けた僕たちは、何とか校舎の外へと脱出した。

 それが良かったのかどうかは分からない。グラウンドはグラウンドで、あの青い馬やらラッパを持った兵隊やらが行進したり空を飛んだりしている。

 また、この間のやさっきみたいなのに出くわすのはごめんだった。

「合宿なんかやめとけばよかったね」

 涼美先輩が弱音を吐くのは初めて聞いた。僕たちとは違う次元の人がどうやってここで暮らしているのかはよく分からなかったけど、話は合わせなくちゃいけないと思った。

「俺がいるから大丈夫さ」

 そうは言っても、どこかに逃げ込んだ方がいいという気はした。あちこち探していると、すぐ眼の前に半開きのドアがある。とりあえず、涼美先輩の手を引いて駆け込んだ。

「あ、シャワールームだ、ここ」

 校内には、合宿用の風呂もある。今夜は男子が風呂に入って、女子はシャワールームを使ったのだ。どっちがどっち専用ということもないし、泊まるのは今夜だけのことなので、隠れるのに気にすることもない。

 ドアを閉めて、息を殺す。どこかから入ってくる連中には意味がないけど、気休めに内側からカギをかけた。

 涼美先輩がほっと一息ついた。

「とりあえず、朝になれば」

「そうだな」

 話を合わせると、また頭を叩かれた。

「夜が明けたら、あんたはさっさと出るの」

 それは筋道の通らない話だった。

「俺はシャドウだから見えない」

「あ、そうか」

 二人で、息を殺して笑った。ついでに、僕は疑問をシャドウとして口にしてみた。

「何で俺たち、わざわざこっちで暮らしてるんだろな」

「あっちにはそんなに長いこといられないじゃない」

 涼美先輩の影が薄いわけだ。でも、2つの世界で見るものは、建物から何から全部同じだ。それについては、こんな風に聞いてみた。

「そうだな、行ったり来たり便利だけど」

「まあ、あっちとこっちで使ってるものは全部同じだし」

 つまり、住んでいる次元だけが違うらしい。でも、今、僕はシャドウと入れ替わってここにいる。これにも時間制限があるんだろうかと尋ねてみた。

「もし、三坂が俺と入れ替わったままだったらどうなったろうな」

「さあ……」

 その答えが出る前に、ドアのカギが回る音がした。慌てて涼美先輩と脱衣場の隅に引っ込むと、天井の明かりがついた。あの幽体がそんなことをするはずがない。普通の人間がやってきたのだ。

 ほっとしたのも束の間だった。

 そこに現れたのは、ピンクのパジャマ姿の舞歌だったのだ。

「あ、舞歌ちゃん、かわいい!」

「聞こえるだろ!」

 女子がシャワールームに入ってきてやることは1つだ。僕は慌てて、ここを飛び出そうとした。涼美先輩はというと、落ち着いて逃げもしない

「何してんだ!」

「逃げなくていいわ」

 冗談じゃない。

「でも、これバレたら」

 人生が終わる。

「見えやしない」

 よく考えたら、僕は今、涼美先輩の次元にいるのだ。舞歌が気づくことはない。

「そういえばそうだな」

 でも、そういう問題じゃなかった。舞歌が、パジャマを脱ぎ始めたのだ。よっぽど部屋が寝苦しかったんだろうが、そんなこと言ってる場合じゃなかった。

 今度は、涼美先輩が僕を床に押さえ込んだ。

「見るな!」

「見えやしないって言ったのに」

「でも見るな」

 言いたいことは分かるが、変質者扱いはやめてほしかった。でも、涼美先輩のお仕置きは止まらない。

「あっちが気づいてないだけでしょ」

「だってこういうシチュ初めて」

 そこで先輩の手が止まった。

「シャドウ、あなたちょっとキャラ違うんじゃ」

 しまった。そこまで考える余裕がなかったのだ。声を低くして、必死でごまかす。

「おちついてよ涼美」

「うろたえないで見苦しいから」

 とりあえず、なりすましはバレなかったらしい。

 そっちの危機は去ったが、こっちは危機の真っ最中だった。パジャマからその下から、着ているものを全て脱ぎ捨てた舞歌がシャワーを浴び始めたのだ。

 一応、カーテンかなんか閉めてるみたいだけど、目のやり場に困るのは変わらない。いくら舞歌が気づいていないといってもだ。

 そのリアクションは、完全に誤解されたみたいだった。

「シャドウも男だってことか」

 別に僕のことじゃないので気にしなくてもいいのだが、ここは演技だ。

「もともと男さ」

 開き直りだけど、これはこれで正解だったらしい。頭にコツンと軽いゲンコツで済んだ。

「仕方ない、許す」

「許すも許さないも」

 なんだか、シャドウというキャラがつかめてきた。結構、カッコいい。涼美先輩が頼りにするのも分かる気がした。

「だって、私たちは2人で1人なんだから」

 ……え? ええ?

 僕を押さえ込んだまま、涼美先輩が身体を這わせてきた。

 ……ちょっと、これ、ダメでしょ!

 さすがにここまでくると、シャドウのふりはできない。本当のことを言わないと、なんだか大変なことになりそうな気がした。

 例えば、この姿勢で舞歌の次元に現れちゃったりとか?

 シャワールームだわ2人でお寝んねしてるわとなれば、100%の確率で僕の人生は終わる。

 ここは、決断の時だった。

「あ、あの……」

 甘い囁きが、重大な告白を止めた。

「好きよ、シャドウ」

 だめだ。ここで大騒ぎになったら、舞歌の前に姿が現れてしまうかもしれない。

「何だい、急に」

先輩の恋人のふりを続けると、切ない想いの告白は続いた。

「だから、他の女の子は見ないで」

「見てやしない」

 こんな会話を、舞歌としたかった。シャワーを浴びてては無理だけど。

「ずっと一緒にいてね」

 涼美先輩が、すごくかわいく見えた。

 あ、舞歌は置いといて、だけど。

「ああ、ずっと」

 シャドウのふりをして答えると、先輩はさらに甘えてきた。

「もう、身代わりにしたりしないから」

「身代わりになったままだったら?」

 僕もつい、調子に乗ってからかってしまった。それが良かったのか、悪かったのか。

 涼美先輩の口から、恐ろしい事実がこぼれ落ちた。

「分かってるくせに……あなたがずっと三坂君になって、三坂君があなたになる」

 それは、ダメだ。この時、僕はハッキリと元の世界に戻ろうと決断した。

 でも、それは夜が明けてからだ。まだ、舞歌がシャワーを浴びている。出ていくまで待たなくてはいけなかった。

 僕はシャドウの立場で、自分を思いっきりバカにした。

「三坂君が君を?」

「守れるわけないわ」

 はっきり言われると、結構、胸に痛い。でも、今の僕はシャドウだ。遥かに劣っているのを認めるしかない。

「そうだね」

「三坂君は、もう大丈夫よ」

 意外なところで、涼美先輩が認めてくれていた。このときばかりは、シャドウを離れて本当の気持ちを口にすることができた。

「……そうだね」

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