第8話 見てはいけないものを敢えて
蛍光灯の色が、水の中のような青色に変わる。
もともと舞歌のシャワーは音がしない。カーテンがかかっているだけだ。
その中から人影が現れたとき、僕は2つの意味でドキッとした。
……来た!
……もしかして、舞歌?
そう思わせるほど、その背格好は似ていた。しなやかでいて、どこかまだ、そう、涼美先輩とは違う何かが残っている。いや、まだそこには達していないというのがいいのか。
じゃなくて!
その涼美先輩は、片膝突いて屈むなり、呪文を唱え始めた
覚めよ 覚めよ
おのれがうちから
まだ見ぬ光の
あふれくるままに
身体の奥には、力がみなぎっている。でも、僕は動けなかった。
シャドウとして立ち上がろうとしたところで、カーテンが動くのが見えたのだ。
横になっているしかない。舞歌がカーテンをはねのけて出てくる。
……見ちゃいけない、見ちゃいけない。
見たってバレやしないのだが、それはどうしてもできなかった。
「シャドウ!」
涼美先輩が、僕の横に倒れた。舞歌からは目をそらしているのに、身体の線の似た影は先輩に襲い掛かっている。
悲鳴が上がる。水の中の光のなかで、青い身体が先輩の豊かな胸に覆いかぶさった。剥き出しの方に浮かんだ蜘蛛のような痣が、まるで生きているようにうごめく。
壁に移る影で、舞歌が濡れた身体を拭いているのが分かる。
……ごめん、舞歌!
僕は、固く目を閉じて立ち上がった。シャドウみたいにはできないから、ただ、両足を踏ん張って立つしかない。
身体が、ぞくっと震えた。この間の、あの感触だ。青白い影に、身体を乗っ取られかかった時の冷たさだ。
気が遠くなっていったけど、それでいいと思った。
……涼美先輩から、離れろ。
そう思った時、身体の中で何かが砕け散るような気がした。柔らかい感触が、僕の身体を包むのが分かった。
「……やっぱりね、朔くん」
目を開けると、もう舞歌はいなかった。代わりに、涼美先輩が僕を抱きしめていた。
「知ってたんですか?」
身体が粉々になりそうな痛みをこらえて、僕は聞いた。先輩は答えなかった。
「動かないで」
唇に、甘い感触があった。全身から、痛みが引いていく。
呼吸が戻ってきたとき、眼の前では涼美先輩が微笑んでいた。
「バカ」
涙が一筋流れたけど、どうしてだかわからない。ただ、きれいだと思った。
「これ……命令のキスだから」
「命令?」
「これで三坂君が私の新しいシャドウ」
そういう涙だったのだと思った。ただ、どんな思いを込めたものかは分からなかった。
分かるのは、一番恐ろしい結末になったということだけだった。でも、聞かないで不安を抱えたままなのはいやだった。
「じゃあ、シャドウは?」
「本物になる」
予想した答えが返ってきて、僕は涼美先輩の腕を振りほどいた。
「いやだ」
涼美先輩は不思議そうに言った。
「もう、何も問題ないわ」
確かに、それは一度望んだことだった。でも、絶対に認めたくなかった。
「僕は帰る」
「帰ってどうするの?」
駄々をこねる子供をなだめるような口調だったけども、僕は首を横に振った。
「それでいいんだ」
困ったように、先輩は僕をなだめる
「徳永さんは都筑君のことが好きなんだけど?」
「それでもいい」
「今のあなたで舞台に上がったら、失敗して嫌われるだけよ」
どんな言葉で説得されても、聞くつもりはなかった。
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