第2話 僕はもともと帰宅部ですが何か
それでも、今までのことを考えると、涼美先輩の要求に応じるわけにはいかなかった。
今、僕の代わりに舞台に立っている「シャドウ」と入れ替わっても、同じことができるという自信はなかった。
先輩と僕の他には誰にも見えない「影」。
役者なんかやったことのない僕の耳元で台詞を囁き、マリオネットを操るように僕の動きを背後でリードしているのが、先輩の言う「シャドウ」なのだった。
「知ってるでしょう、今、すごくうまくいってるの」
「あれ、卑怯じゃない」
「だって舞歌も……」
思えば、期末考査が終わった10日前のことだった。
終礼が終わってすぐに帰ろうとした僕を、舞歌が呼び止めたのだ。
「ちょっと待って、朔!」
廊下では、玄関へ向かう帰宅部と、体育館や部室棟へ向かう部活動生徒が正反対の方向へすれ違う。その人の波をかき分けながら、たったかたと駆け寄ってきた幼馴染は、部活の公演ロゴがプリントされたTシャツ姿で、いきなり頭を下げたものだ。
「お願い、朔! 一生のお願い!」
昔っから、これを何十回繰り返されてきたか分からない。随分な無茶振りもあったけど、僕はそれを一つだって断ったことがない。というか、舞歌が頼んだ時点で聞かなくちゃいけないというのがデフォルトになっていた。
「何だよ、改まって」
この時点で、僕はもう言いなりモードに入っていた。OKしたときの笑顔が、僕はたまらなく好きなのだ。
でも、下心なんかない。
中学校まで舞歌はそういう相手じゃなかったし、僕もそういうことには興味がなかった。
それが変わったのは、入学式の終わった日の午後のことだった。桜の花びらが舞い散るなかで見た、舞歌のブレザーがドキッとするほどかわいかったのだ。
何だか胸の中がもやもやしだして、入学式まではいつも一緒に学校行ったり家帰ったりしていたのが照れ臭くなった。舞歌も演劇部に入って忙しくなったのか、学校でしか顔を合わせなくなった。
クラスも別々で、5月の連休明けの中間テストが終わってみたら、舞歌は学年トップで、僕は赤点の補充授業グループになっていた。そんなわけで、帰る時間帯がたまたま同じになったのが僕のドキドキにとどめを刺した。
補充授業の初日、薄暗くなってからとぼとぼ独りで帰るところに呼び止められ、紹介されたのが2年の
やっと終礼と同時に帰れるようになったのに、また部活やってる舞歌と顔を合わせる羽目になったのは、今年最大の不幸だったと言わざるを得ない。
ただ、気になったことがひとつあった。終礼が終わると舞歌のそばにいつもいる都筑の姿がないのだ。たまたまってこともあるけど、それはそれで気が楽だった。
でも、その幸せは舞歌の一言で打ち砕かれた。
「部活入って」
「はい?」
「演劇部に」
何が何やらさっぱり分からなかった。声をかけられたのは嬉しかったけど、都筑と顔を合わせるのはつらかった。だいたい、帰宅部生活にすっかり慣れてしまった身体で、暑い夏の日を生き抜けるとはとても思えなかった。
でも、舞歌は僕が断るなんてことはたぶん、考えていなかっただろう。薄い胸の前で手を組んで、じっと見つめてくる。
「ずっととは言わないから、夏休みまででいいの!」
「わけわかんない」
アテにされているのかいないのか、そこらへんをはっきりさせてほしかった。
「このままじゃ地区大会出られないの」
部活のことなんか全然分からないのに、いきなり大会がどうのと言われても困る。聞きたいことは言葉にしきれないくらいたくさんあったので、一言にまとめて聞いてみた。
「何で?」
「都筑君倒れた」
一瞬、眼の前がぱっと明るくなったのがものすごく恥ずかしかった。人の不幸をよろこんだりしちゃいけないのだ。僕はどっちの気持ちもぐっと抑えて、目を固く閉じた。
それをどう誤解したのか、実に切ない声で舞歌は頼んできた。
「代役やって」
「誰の?」
だいたい分かっていたけど、いきなり断るのも何なので、一応は聞いてみた。
「だから都筑君」
1年先輩を「くん」づけかよと思ったけど、そんなことは理由にできない。頭悪いなりに、遠回しな断り方を考えてみた。
「他にいないの?」
「人数ギリギリ」
人のことは言えないけど、僕から見ても計画性がまるでない。ついツッコんでしまった。
「だから何でそんな台本を」
「ごめん、書いたのあたし」
1年で書いた台本をやらせてもらえるっていうのが世間相場としてどうなのかはよく分からないけど、舞歌はやっぱり頭いいんだと思った。
そういえば、昔から女優になりたいとか映画監督になるとか言ってたような気がする。聞き流していたからよく覚えていないけど、あれは本気だったらしい。
そう思うと、知らん顔をしてたのも済まない気がして、代役も断れなくなってしまった。
「何の役?」
「主役」
それなら話は別だった。無理なものは無理だ。
「じゃあ他の人に……」
断りの一言を、舞歌は最後まで言わせなかった。
「こんなこと頼めるの、朔しかいない」
確かにそうだろうと思った。僕はあまり賢いほうじゃないけど、こんなことは普通、言えない。だから、周りがうるさいのをいいことに、ついぼやいてしまった。
「要するに便利なやつ?」
舞歌は即座に小首をかしげた。
「何? よく聞こえなかった」
本当かどうかは分からない。でも、ごまかすほうが無難だった。
「何でもない」
それがなぜか、OKの返事になったらしい。
「ありがと、好きよ、朔」
はしゃぐ舞歌の一言にドキっとはしたが、こればっかりはそう簡単に聞くわけにはいかなかった。
「まだ何にも言ってないけど」
「やってくれるよね」
「いや、でも」
必死で主張するNOは、舞歌の耳には届かなかったらしい。満面の笑顔で、とどめの一言が来た。
「ダメ?」
もう、逃げ道はなかった。彼氏持ちの幼馴染にひざまずけと、心の奥で叫ぶ声が聞こえるような気がした。
「……やる」
あとはかわいらしい手に腕をつかまれて、部室まで引きずられていくしかなかった。
「というわけで代役頼んできました!」
ドアを開けた舞歌の報告に応じるハイテンションの歓迎は、僕にとってはもう、イジメでしかない。それでも蚊の鳴くような声で、最後の抵抗を試してはみた。
「まあ、夏休みまでなら」
一応は聞いてくれていたらしく、答える声はうるさいながらも優しかった。
「気に入ったらずっといてね」
気持ちはうれしかったが、そんな気はない。
「いや、いいです」
「無理言っちゃダメよ」
そうフォローする部員もいたが、明らかにその目、は舞歌に「逃がすな」と言っていた。
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