第13話 遊びは終わりだ

「よぉ、今日はずいぶんとおめかしをしているじゃないか」

 久しぶりにその姿を見た悪魔は、ずいぶんと様変わりをしていた。

 前に遭遇したときは巨大なボロボロのぬいぐるみの中に皮を?いだ犬をむりやり押し込めたような姿であったが、今は銀色の毛並みをなびかせた美しい銀狼のような姿をしている。


 およそ聖なる獣だといっても信じてしまう奴がいるかもしれないが、こいつはれっきとした悪魔であり、堕天使なのだ。


「ウルルル……」

 その堕天使の喉から、まるで機嫌のいい猫のような低い音が響く。

 尻尾を左右に振り、まるで飼い犬がじゃれ付きたがっているようなようにも見えるが、頭を撫でる前に手を食いちぎられるのは誰が見ても明らかだろう。


 そして奴が一歩足を前に踏み出した瞬間、白い光と共にジュッと水が蒸発するかのような音が響いた。

 どうやら、俺の描いた拙い魔法陣はしっかり仕事をしてくれたらしい。


 ――よし、今だ。

 堕天使の体がその痛みに一瞬硬直した隙を狙い、俺は腰の水鉄砲を抜き放った。


「これでも……くらいやがれ!!」

 放たれた聖水は過たずアリエルの体に降り注ぎ、まるで熱したストーブに水をかけたかのような派手な音と共に煙を上げた。


「ギャアァァァァァァァァァァァァ!?」

 鼓膜を突き破るかのようなアリエルの悲鳴にも俺は耳をふさがずに耐え、俺はさらに両手で水鉄砲を構えて聖水を放つ。

 だが、その水飛沫がアリエルの体に触れる前に、奴はその体を翻した。

 近場の壁を蹴り、天井で跳ねてそのまま魔法陣の中にいる俺のほうへと突っ込んでくる。

 玉砕する気か!?


 だが、奴は予想もしていなかった行動に出た。

 その巨体が空中でいきなり小さくなったかと思うと、一瞬で小さな犬のぬいぐるみになったのである。

 そして、そのまま魔法陣をすり抜けて俺の近くに転がってきた。


「うわっ、うわわわっ!!」

 くっ、ぬいぐるみの中に引っ込めば魔法陣の影響を受けないということか!

 甲楽城が核を持って実体化した悪魔は面倒だといっていたが、まさにそのとおりである。


「亮二の馬鹿野郎、なんてことしやがる!!」

 気が付くと、俺の口から悪態がこぼれていた。

 かえすがえすも、あの"ひとりかくれんぼ"の儀式が邪魔で仕方が無い。


 だが――せっかくうまくやったつもりだろうが、悪いな。 この程度の事は想定済みなんだよ!

 俺はそのまま転がるように魔法陣から離れると、脇にあったシートをめくり上げた。

 シート下から出てきたのは、亮二の愛車であるマウンテンバイク。

 俺はその自転車にまたがると、頼りないランプに照らされた夜の廃工場を全力で駆け出した。


「さぁ、こい! 化け物!! しっかりついてきやがれ!!」

 俺は環菜に指定されたコースを思い出しながら、後ろを振り向く。

 すると、アリエルは再びぬいぐるみの姿で魔法陣を乗り越え、ようやく銀狼のような姿を取り戻したところだった。


 ――く、来る!

 全力で自転車を走らせる俺だが、獣の吐息と足音は後ろからどんどん近づいてきた。


「く、くらえ! 最初のお札、発動だ!!」

 俺が盛り塩の据えられたドアを通り抜けると、環菜が仕掛けたセンサーが反応し、防火シャッターが自動的に閉まり始める。

 同時に懐から普段から愛用している瓶詰めの塩を取り出し、後ろに向かってばら撒いた。


 ドスン!

 後ろからさまじい衝撃音が俺を追い越し、続いてアリエルの怨嗟に満ちた声が周囲に響く。

 へっ――自動ドアと清めの塩、物理と魔術の二重障壁の味はどうだ!?

 だが、心の中でそう呟いた瞬間、バキィィィンと大きな音が後ろから鳴り渡った。


「ちっ、思ったより早い」

 俺は舌打ちをしつつ、ペダルをこぐ足に力をこめる。

 そもそも、これで奴を振り切れるとは発案者である環菜も実行者である俺も最初から思ってはいなかった。

 なぜなら……俺はとても運が悪いからな。

 だから、こうやって時間と距離を稼ぐのが俺達の目的である。


「よし、そろそろ……二枚目のお札……あった!」

 廃工場の長い廊下を走りながら、俺はいったん自転車を降りて二つ目の切り札の入った袋を手に取る。

 そしてその中身を思いっきり後ろにぶちまけた。

 同時に大きな影が現れて……。


「ギャイィィィィィィィィン!? ギャイン! ギャイン!!」

 アリエルは今までで一番悲痛な叫び声を何度も上げながら転げまわる。

 よし、効果はてきめんだ!!


 俺がばら撒いたのは、撒き菱である。

 しかも、俺の愛用しているタンスについていた姿見の鏡を砕いて作った代物だ。

 さらに、この撒き菱には狼退治ウルフベインの異名をもつトリカブトの汁を塗ってある。

 あいにくと使用したのは園芸用に無毒化されたものではあるが、狼に類するものを退ける魔術的な効果はどうやら顕在だったらしい。


「よし、今のうちに……」

 俺は再び自転車にまたがると、環菜の指定した最終地点へと急ぐ。

 後ろからは、ふたたび獣の足音が響き始めた。


 ちっ、やはり最後の手段まで使うことになるのか。

 俺が先ほどから行っているのは、『呪的逃走』と呼ばれる魔から逃れる伝統的な儀式であった。

 古来より身に着けているものを後ろに投げ捨てつつ魔から逃げるというもので、【三枚のお札】という昔話や、黄泉の国から逃げ帰る伊邪那岐命いざなぎのみことの物語が日本では有名である。


 そしてこれらの物語に共通するのは、投げ捨てるものは全部で三つ。

 さらに、その全てを使い切るというのがお約束なのだ。


「ならば……最後の切り札だ! 食らえ!!」

 俺は環菜に指定された場所に到着すると、携帯電話を取り出して留守番電話のメッセージを再生する。

 そして音が流れはじめたのを確認してからそれを左の肩越しに放り投げた。


 カラカラと転がった携帯電話はアリエルの足元で止まり、そこに収められた声……甲楽城が力をこめて吹き込んだ旧約聖書の一節を歌いだす。


『……Non timebo milia populi quae circumdederunt me.

(よろずの敵に囲まれようとも、我に恐るるもの無し)

Surge Domine.

(神よ、立ち上がりたまえ)

Salvum me.

(神よ、救いたまえ)

Fac Deus meus.

(あぁ、驚愕せよ)

Quia percussisti omnium inimicorum meorum maxillam dentes impiorum confregisti

(主が仇なす者全ての頬を打ち、その牙をことごとく砕き給うたがゆえに)』


 その精悍な狼の顔が恐怖にゆがむも、時すでに遅し。

 まるで氷がきしむような音を立ててアリエルの爪と牙が全て砕け散った。


 そして、その瞬間を待っていた者がいる。

 ――亮二だ。


「いくぜワン公ぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 彼は隠れていた扉の陰から飛び出し、その手にしたコップの中身である塩水をアリエルにかけた。

 さらに残った塩水を口に含んで吐きかけ、最後に刃物――ひとりかくれんぼの始まりに使われたカッターナイフを、恐れと驚愕で身動きできないアリエルの体に突き立てる。

 怒りに濁ったアリエルの瞳が、乱入してきたにくき男の顔を映しだした。


「俺の勝ち、俺の勝ち、俺の勝ち!!」

 亮二が早口でひとりかくれんぼの終了条件である言葉を告げると、アリエルの動きが完全に止まり、体から霧のようなものが上りはじめる。


「やったか?」

「馬鹿、フラグ立てんな!!」

 亮二に向かって俺が叫んだ次の瞬間……アリエルの巨体が耳をつんざくような音と共に爆発した。


「おわっ!?」

「うげっ!」

 爆発の衝撃で、俺と亮二はふたり仲良く廃工場の壁に叩きつけられて蛙を踏みつけたような声をあげた。

 い、痛ってぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!

 ここまで無傷でやってきたのに、最後の最後でしくじった!!

 やっぱり俺は運が悪い!


「い、生きてるか恒徳つねよし

「……死んだ。 もう動けない」

 そういいながらもゆっくりと体を起こすと、アリエルのいた場所に白い犬のぬいぐるみ一つ取り残されている。


 かくして終了の条件が満たされ、ようやく"ひとりかくれんぼ"の儀式は終了した。

 だが……終わったのは"ひとりかくれんぼ"だけなのである。


「来るぞ……」

 緊張をはらんだ亮二の声に、俺は黙って腰に挿した水鉄砲をふたたび抜き放った。

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