第9話 悪魔の抜け殻

 リフォーム……その言葉を単なる隠喩だと思っていた俺は、目の前に並んだ十人以上の屈強な男たちを前にして、自らの想像力の敗北を悟った。

 悪魔祓いって、もしかしたら筋肉で解決したりするのだろうか?


「あの……この見るからに体育会系な方々は?」

 おそるおそる甲楽城の顔を見ると、予想通りなぜ疑問が出てくるのかがわからないといった顔をされた。

 いや、そっちの常識で考えないでくれ。

 俺はただの巻き込まれた一般人だ。


「わが社が提携している引越し業者の皆さんだ。

 むろん、これが心霊物件がらみであることも十分に承知している」

「なんで引越し業者……」

「むろん、お前の部屋の荷物を運ぶために決まっている。

 それとも、新居のためにすべての家財道具を買いなおしたいのか?」

「心からお断りします」

 俺の反論を札束で殴るようにしてだまらせると、甲楽城は無造作にマンションのドアに手をかけた。

 ちょっ、まだ心の準備が!!


 だが、思わず飛びずさりそうになった俺をあざ笑うように、ドアの向こう広がるのはありふれた空間。

 特に異臭がするわけでもなく、床が血まみれになっているということも無い。


 いや……一瞬だけ俺の部屋のものではない、何かが腐ったような香りがしたが、それを確かめる前にその香りは失われてしまった。


「気づいたか。 それは悪魔の残り香だ」

「ひっ……」

「何を怯えているかはしらないが、足手まといになるならこのまま見捨てるぞ?」

「だ……大丈夫だ。 俺は、まだやれる」

「それでいい。 渋谷、まずはこの部屋に奴が宿るために使われた触媒を探すぞ」

 そういいながら、甲楽城は無防備に部屋の中へと踏み込んでゆく。

 甲楽城の言葉によれば、悪魔が何かの建物に憑りつく場合、その触媒となっているものが必ずあるものらしい。


「ここはあの悪魔の本拠地だろ。 いくら昼間だからって、危険はないのか?」

 奴の背中を追いながら、俺もまた一日ぶりになる自分の部屋へと足を踏み入れた。

 そして引越し業者の体育会系たちがさらにその後ろにぞろぞろと続く。


「心配するな。

 まず、この中に悪魔はいない。

 むしろいてくれたほうが楽なのだがな」

「なんでそう言いきれるんだ?」

「あの悪魔を呼び出した術式は、夜中の限られた時間帯にしか悪魔をこの世界に留める事ができない。

 さらに、ひとりかくれんぼの儀式によってぬいぐるみと言う触媒を得た今、もはや奴はこの部屋には縛られていないだろう。

 だとしたら、わざわざ敵に知られている場所に居座ると思うか?」

 言われてみればそのとおりである。

 自分が奴の立場だったとしても、そんなリスクのある場所に立てこもる事はしない。


「まったく、なんて部屋に引越しちまったんだろう」

「……まぁ、認めたくは無いだろうが運命というやつだ。

 魔術という理論の観点からすると、この世で発生するすべての事象は必然でしかない。

 神は賽を投げないものだ」

「けっ……運命なんて、大嫌いだ」

 部屋の中を見回すと、亮二が逃げるときに荒らしたままの状態の状態になっていた。

 

 砂嵐になっていたテレビは、亮二が逃げるときにコンセントを引っ掛けたかなにかで電源が切れてしまったらしく、今は何も映してはいない。

 リビングの隅では、押入れの扉が外れたままに打ち捨てられ、動画中継用のカメラはひっくりかえったまま寂しそうに天井を見上げている。

 なんとなく不憫に思い、俺はカメラに近寄って入ったままになっているそのスイッチを切った。


 すると、いつの間にか横に立っていた甲楽城がそのカメラを拾い上げ、一番年配の引越し業者へと手渡す。


「悪魔の気配を記録した道具だ。 おそらく汚染されている」

 なんでも、魔術には『感染魔術』という理論があり、いちど触れ合ったものには縁が結ばれ、その縁を通じてお互いに影響しあうという法則があるらしい。

 だからこの手の汚染されたものを放置しておくと、その縁をたどって呪いを受けてしまったり、悪魔がやってきてしまう事があるのだとか。

 まったくもって、理不尽で物騒な話である。


「わかりました。 強めの浄化処置を施します」

 神妙な顔でそれを受け取ると、引越し業者は白い手袋をはめてそれを受け取った。

 よく見れば、その手袋には五芒星が刺繍されている。

 昔の東京を舞台にしたファンタジー映画の主人公に、そんな魔人がいたような……なんか、いよいよ本格的にオカルトじみてきたな。


「では、お前の持ち込んだものを撤去するぞ。 指示を出してやれ。

 見る限り悪魔の気配が強く染み付いたものは他に無いが、一通りの浄化はしたほうがいいだろう」

「……わかった」

 下手をすれば、家財道具のほとんどを処分するかもしれないと聞かされていただけに、この結果は非常に嬉しい。

 貧乏学生に、タンスや布団を買いなおすような出費は死活問題なのだ。


 そして一時間ほどすると……部屋の中の荷物はすべて持ち運ばれていった。

 床と天井しかない部屋からは、もはや生活の匂いが感じられない。


 引っ越してきたときと同じ光景であるはずなのに、どうして去るときの部屋と言うものはこうも寂しげなのだろうか。

 正直、あまり好きな光景ではない。


 なお、運ばれていった荷物は浄化処理をかねて甲楽城の所属している会社の倉庫に収められている。

 そのあたりの手際や準備の良さは、さすがに専門業者と言うべきだろうか。


「では、はじめようか」

 部屋が空っぽになると、いよいよ本格的な調査の始まりだ。

 甲楽城はカーテンの無い窓を開け、荷物から細かい彫刻の刻まれた金属製の容器を取り出した。

 どうやら中には液体が入っているようである。

 そしてその容器の蓋を開き、入れ物の中に大きな筆のようなものを突っ込むと、その筆のようなものを振り回し、部屋の中に容赦なく中の透明な液体を撒き散らす。


「それ、いったい何なんだ?」

「聖水と聖水散水器アスペルギルムだ。 しらないのか?

 聖水を使って場を清める正式なやり方なのだがな」

 その時、その筆先から跳ねた水滴が天井にあたり、ジュッと何かが焦げるような音がした。

 いや、これは物理的な音ではない。


「なぁ……これ」

「ふむ、上か。 天井の板を外せ」

 俺が疑問を口にするより早く、後ろに控えていた者達があっていうまに天井の板を取り外す。

 だが、予想に反してその板には何も記されていなかった。

 すくなくとも、人に見える範囲ではの話であるが。


「わかるか、渋谷。

 焦点を合わせず全体を見るようにするんだ。

 何かをはっきり見ようとするな。

 できれば板を通り越して、さらに遠くを見るようにしろ」

「あ、何か……ある?」

 甲楽城の指示にしたがってぼんやりとその板を眺めていると、不意に金色の淡い光が板に張り付いているような幻が見え始めた。

 はっきりと目に映るわけではない。

 だが、そこにそんなものがあるような気がするのだ。


「円形……その中に文字や幾何学模様のようなものがあるような気がする。

 なんか、火星とか金星とかのマークがゴチャっと詰め込まれているような……」

「ほう? そこまでわかれば上出来だ。

 やはり、お前には才能がある。

 いいか、普通の人間の目にはほぼ何も見えないだろうが、ここには蝶の血を混ぜた透明なインクで悪魔の紋章が記されていて、お前が感じたのがソレだ」

 なるほど、それで今までこの部屋で怪しげな物的証拠が見つからなかったのか。

 よく考えてみれば、これは悪魔のためのものなので、人に見えなくてもまったく問題が無い。


「いったいどうしてこんなものがマンションの部屋の中にあるんだよ……」

「むろん、そういう部屋を欲した奴がいるからさ。

 悪魔を飼いたがるような外道は、お前が思っているよりはるかに多くこの世界に存在していると言っておこう」

 そしてその紋章の刻まれた天井板も引越し業者に手渡すと、俺達はそのまま部屋の外に出た。


 なお、甲楽城の仕事は部屋に存在する邪悪な者の排除までなのでここで職務は終了である。

 今から本格的に小物の配置などで室内の魔力を整え、人の暮らしやすいように改造するのだが、それは別の人間の担当らしい。


「さてと……昨夜説明したとおり私の仕事はここまでだ。

 後はわかっているな?」

「あぁ。 俺達に出来ることなのかはわからないが、出来なきゃ死ぬんだろ?」

 そう、甲楽城の仕事は部屋から原因を取り除くまでの部分。

 ……外に放置されている悪魔の処理は管轄外なのだ。


 そして管轄外である以上、甲楽城は莫大な報酬と引き換えでなければ動く事ができないのである。

 なんでも、報酬とつりあわない仕事をすれば世の理を乱すことになるからなのだそうだ。

 難しい事はわからない。

 わかっているのは……悪魔をどうにかしない限り、俺が死ぬということのみである。


「助言と助力は惜しまない。 生き残ることが出来たならば……私の弟子としてお前を鍛えてやろう」

 そう告げると、甲楽城は奴らしくない穏やかな笑みを浮かべて去っていった。


「生き残る事ができたら……か」

 誰もいなくなった部屋に、俺の独り言がむなしく響く。

 そして、俺の命をかけた悪魔祓いか始まったのである。

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