第5話


「やめろ! 距離を置け!」

 コルテスが声を張り上げた。同時に、ゲレロは傍にいた同じような格好をした男に何かを告げた。男が声を張り上げる。同じように、戦士たちに距離を置くように呼びかけたようだった。

 戦場が、静まる。

 センポアランとエスパニャの指揮官だけが、戦旗を振った。あちらにも一時撤退の指示を出したようだった。

「――よう、ゲレロ。何事だ、これは?」

「あんた方の邪魔をしに参りましたよ、コルテス殿」

「そりゃあ傑作だ。あんときせっかく迎えに行ったのに断ったかと思えばこの有様か」

「ええ。人生とは妙なものですな」

 互いに笑いながら軽口を叩きあっている。だが、ゲレロはアギラールに剣を向けたままで、コルテスはそのゲレロの背後に立っている。

「コルテス殿、ちぃと我儘を聞いてくれねぇかな」

「言ってみろ」

「アギラールと一騎打ちをさせてほしい」

 ――友が何を望んでいるのか、アギラールには判らなかった。

「何を……!」

「お好きにどうぞ?」

「コルテス殿!?」

 コルテスはただ笑うだけだった。

「……ねぇ」

 ふと、マヤ語が混じった。マリンチェだ。複雑そうな顔で、ゲレロをまっすぐ見つめている。

「あなたはエスパニャの人なの? どうしてマヤの格好をして、こんなところに来ているの。どうしてアギラールに剣を向けているの」

「――俺はエスパニャの生まれだが、妻はマヤの女だ。そして今は、マヤの人間としてここにいる」

 ゲレロはマリンチェにほほえみながら答えた。

「俺は逆にあんたに聞きたいけどな。メヒコ娘がなんでコルテス軍にいるのか、って。いろいろあるんだろ?」

「……ええ、そうね。あなたもいろいろある、ってことね?」

「まあな。俺はこの地をエスパニャに染めたくない。それだけさ」

 ゲレロがふっと短く息を吐いた。

「さっき、お前に剣を流されて気がついた。お前、剣を学んだな」

 脳裏に、アロンソ・ヘルナンデス・プエルトカレーロの姿がよぎった。

「ま、そんな深く考えんなや。昔はよくやりあって遊んだろ?」

 それは木切れで、だ。そう言い返したかったが、何故か声が出なかった。

「シコテンカトル――ああ、こっちの男な。こいつが俺らの指揮官で、トラスカラの戦士だ。マヤからは俺と数人だけが来ている。だが、シコテンカトルは俺を評価してくれている。この場での立ち回りも理解してくれている。俺が倒れれば、シコンテンカトル率いるトラスカラ軍は全軍、そちらに下る」

 それは覚悟だった。友の覚悟に、アギラールは答えるしかないと悟った。

「どうにも、ならないんだな」

「ああ。悪いな」

 吹き付ける寒風が目に痛い。しかし、火照った顔を冷やしていくのはありがたかった。泣きたいわけではない。そんなこと、無意味だと判っている。だからこそアギラールは考えるのをやめた。

「あ……あああああああ!」

 聲が迸った。走りだした足先が痺れる。

 そして、アギラールの振りかざした剣はかつての友へと肉薄した。



 マリンチェには悲鳴に聞こえた。アギラールの上げる声は、ただの悲鳴だった。悲鳴とともに剣がかざされ、はじかれあう。

 何故。胸中で繰り返し浮かぶその言葉を、マリンチェは今はただ飲み込んだ。見届けなければならない。

 戦や動きのことはマリンチェにはよく判らない。ただなんとなく、アギラールの動きにアロンソを思い出した。誰も動かない。何も話さない。ただ二人だけが幾度か交差し、短く声を上げあっている。奇妙な刻が暫く続いた。

 先に体勢を崩したのはアギラールだった。息を切らしはじめ、動きも鈍った。もとより彼は戦士ではないのだから当然と言えた。それでも幾度か切り結んだ後――ふっと、体勢を崩した。大地に膝を突く。

「アギラール!」

 思わず声を上げていた。前に出かけたマリンチェを遮ったのはコルテスの太い腕だった。

「心配するな」

 コルテスは低い声で言った。

 マヤの戦士が飛びかかる。

「あれに剣を叩き込んだのは」

 アギラールが転がって一撃を何とか避けた。一瞬の間だった。マヤの戦士の剣は大地に突きたった。

「アロンソ・ヘルナデス・プエルトカレーロ」

 マヤの戦士が振り返る。アギラールはすでに剣を構えて立っていた。

「――希代の戦士だ」

 アギラールのつきだした剣はまっすぐ、マヤの戦士の胸を貫いた。



 冷たい夜だった。久しぶりに傾けた酒はこの辺りのもので、旨いとは思えなかったが酔うには十分だった。

「友人だったのね」

 背後からの静かな声に、ふとアギラールの口元が緩んだ。情けないと自ら思えるような、自虐的な笑みだ。しかし、今更彼女に隠しようもない。アギラールは振り返らぬまま、月を見上げて告げた。

「大切な友だった。共に育ち、共に大人になった。同じ船で旅立ち、同じ日に嵐に合い、同じように囚われの身になった。だが、私はコルテス殿と合流し、あいつはそうはしなかった」

「彼はどうしてそっちを選んだの」

「マヤの女に惚れたんだ」

「そう」

 相槌の声が直ぐ側で聞こえた。マリンチェはこちらを見ない。ただ同じように月を見上げながら、アギラールの隣に腰を下ろした。

 ぱちぱちと、火の爆ぜる音がした。

「ゴンサーロ・ゲレロという」

「それが彼の名なのね」

「ああ」とアギラールは首肯した。

「友の名だ。覚えておいてくれ」

 マリンチェは無言のまま小さく頷いてくれた。目を閉じる。浮かぶのは数々の思い出と、屈辱と恐怖にまみれ、絶望と泥の味を噛み締めたあの日々だ。絶望の中で生きてこられたのは、たしかな友が傍にいたからだ。いつかは、また、エスパニャの地に帰れると信じ、そして誓い合ったからだ。

 しかし、契りは叶わなかった。言ってしまえば、ただそれだけとも言える。

「ゲレロは、マヤの女に惚れて女房にした。子供も、儲けてたはずだ」

「そう」

 頷いたあと、マリンチェは少し躊躇うような口ぶりで言った。

「彼は裏切ったのね。祖国を」

「――そうだな」

「貴方は彼を愚かだと思う?」

 問われ、アギラールは一瞬口ごもる。しかしすぐに答えは出た。短く、首を左右に振る。

「いや。思うところはあるが、人は簡単じゃない」

 アギラールはマリンチェを見た。冴え渡る月光の中、マリンチェの瞳は夜よりなお鮮やかに輝いている。

 マリンチェは、今まさに祖国を裏切ろうとしているのと同じだろう。このまま、自分たちについてくるとなればそうならざるを得ない。ゲレロの影が、マリンチェに重なって見えた。

「マリンチェ」

「何」

「抱きしめていいか」

 口をついてでた言葉に、アギラール自身驚いた。マリンチェもまた、目を見開いている。

「なにそれ。許可を求めるの? 律儀ね」

「いや」

 抱き寄せる。マリンチェは抗わないでくれた。

「予告しただけだ」

 友を殺めた手で彼女を抱くことに抵抗がなかったわけではない。それでも、彼女はこの細い体で一人で立っている。国、宗教、意志、立場。様々なものと、向きあう強さを抱いている。その彼女を今は、抱きしめたいと思った。それだけだった。

 月はただ、頭上にありつづけている。

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