第4話
行列はまっすぐに首長の家へと向かっていく。派手な衣装を身に着けているのは先頭にいる五人だけだった。その後ろは奴隷たちだ。
少し、指先が震えた。かつて一度だけ、故郷で見えたことがある。だが、遠い記憶だ。そのはずなのに、指先の震えが止められない。
「マリンチェ」
アギラールがマリンチェの顔を覗き込んだ。
「大丈夫か。向かうぞ」
顎を引いて短く首肯した。首長の家に行くと、地面に平伏した首長とその使いたちの姿があった。モクテスマの税徴収人の一同は大仰に口上を垂れ流している。だが、コルテスたちは少し離れたところで立っているだけだった。
アギラールがすぐにコルテスの傍に寄った。短く言葉を交わす。その間さえ、税徴収人の一同はこちらを見もしなかった。マリンチェが訝しがるうちに、首長たちは引っ立てられ、外に出ていった。出ていく直前、マリンチェは慌てて通訳のオルコネアを呼び止めた。
「どこへ行くの」
「近くに、この方たちのための宿舎を設けてあります。そちらでお話の続きでしょうな」
ふと、税徴収人一同のうちひとりが、マリンチェに視線を向けた。気味の悪いものでも見ているかのような目が気に障った。だが、それだけだった。彼らは揃って出ていってしまう。
緊張した空気がそのものを引き連れて出て行ってから、誰かが大きく息を吐いた。ベルナル・ディアスのようだった。コルテスがまた、笑った。
「何?」
アギラールに訊ねると、コルテスの言葉を訳してくれた。
「あれは随分とこちらを恐れているようだ、と仰っている」
「……そうね」
マリンチェもそれはなんとなく感じ取った。コルテスも傍にいるというのに、あえてみていない様子だったからだ。最後にマリンチェに向けた視線も、一種の不安を内包しているように思えた。
コルテスたちが何かを話し始めた。エスパニャ語なのでマリンチェには殆ど判らない。肯定、否定、短い単語。その程度ならなんとか聞き取れるようにはなったが文章としては理解できなかった。ふと、コルテスが傍に寄ってきた。
「マリンチェ」
名前を呼ばれる。すぐに彼は、マリンチェの肩に手を置いて、エスパニャ語で短く何かを告げた。
正確に理解出来たかどうかは判らない。だが、不思議と感じ取れた。こくりと、頷く。
――頼んだぞ。
そう、言われた気がした。
コルテスたちが歩きだした。マリンチェもついて歩を進める。首長の家を出るとすぐ、ふらふらとした足取りの首長たちがやってきた。コルテスが走り寄る。こちらを見つけた首長たちがぼろぼろと涙を流し、その場に座り込んだ。少し離れた宿舎からは、笑い声が流れてきていた。コルテスが、首長の肩を強く抱いた。しかしすぐに身をはがし、怒鳴りだした。
「これでは全く、盗人か強盗かといったところじゃないか! 何故黙っている、何故抗わない!」
アギラールが訳した言葉を、マリンチェは出来る限り抑揚すらそのままに怒鳴って見せた。うろたえた使者がぼそぼそと訳す合間も、コルテスの口上はやまない。何かある、と思わずアギラールと目を合わせた。
コルテスはそのまま、あの盗人を投獄せよと言い出した。さすがにこれはマリンチェも驚いたが、訳すことだけに専念した。やがてコルテスの熱に当てられたのか、首長たちが動き出した。あっけないほど簡単に、税徴収人は捕らえられ、地下牢に入れられた。
「……どういうつもりか、訊いてもいいかしら」
ぼそりとマリンチェがつぶやくと、そのままマヤ語でアギラールが答えてきた。
「明け方までまとう。何かお考えがあるようだ」
「また朝、ね」
「物事の始まりは大概が朝だ」
明朝、まだ陽も昇りきらないうちにコルテスが動いた。昨晩、積年の恨みを投獄という形ではらしたセンポアランの首長たちが酔いつぶれたのをそのままに、地下牢へと足を進めたのだ。
そこにつながれていた五人の税徴収人を一瞥し、コルテスは二人を指した。アギラールに何かを告げる。アギラールが頷き、その二人の手枷、足枷をはずした。
驚いたのはマリンチェだけではなかった。ベルナル・ディアスもペドロも、当の徴収人たちも目をみはっている。その中で、コルテスは二人を次々に抱擁した。なるほど、とマリンチェは思った。彼にとって抱擁は、警戒心を解くための一種の術なのだろう。
「昨晩はお疲れであった。どうにも、止められなかったのだ。なんとか説得し、二人だけは帰せるようになった。私の力不足故、皆に帰っていただけないのは心苦しく思う。だが、どうか、信じてくれ。我ら〈白い顔〉の一団は、モクテスマ殿と友人になるためにここまで来たんだ」
あまりの白々しさに少々呆れながらも、マリンチェは出来る限り柔らかく伝えた。コルテスは身につけていたいくつかの装飾品を徴収人に握らせた。道中の資金にするなり、モクテスマ殿に納めるなり好きにしていい、と言った。
最後に、「我らは友だ」とまた白々しい言葉をマリンチェに翻訳させて、コルテスは二人を見送った。
「どういうつもり?」
さすがに訊いていいかどうか訊くのすら馬鹿馬鹿しくなり、マリンチェはアギラールを通じてコルテスに告げた。コルテスはにやり、とまたあの太い笑みを見せた。
「保険だ」
◇
センポアランを後にして、一行はまた海岸へ戻った。もちろん戻る際には、センポアランの神殿にあった神像を破壊し、キリストの十字架を掲げることを忘れなかった。生贄の禁止も伝えたが、正直どこまで効果があるのかは判らなかった。ただ、アギラールは思う。帰るときに見せた、センポアランの首長たちの泣きそうな顔は、それだけモクテスマの圧政に苦しんでいるということなのだろう。
どこもそうだ、と思う。どんな国も、宗教観や慣習は違えど、大きいものの強さに下々は怯えるしかない。
海岸に戻るとすぐ、アロンソ・ヘルナンデス・プエルトカレーロが現れた。穏やかないつもどおりの微笑でコルテスを迎えたが、少し不穏な気配をアギラールは感じ取った。隣を見ると、マリンチェも怪訝な顔をしていた。つくづく、匂いに敏い女性だと思う。
と、コルテスが苦笑しながら口を開いた。
「何かあったな?」
「少々、面倒くさいことになりそうです。留守を預かった身として誠申し訳ありません」
「いや、いい。なんとなく想像はつく。夜までは持つか?」
「貴方様が戻られましたことですし、状況もそこまでは切羽詰まってはおりません」
アロンソの言葉に、コルテスが頷いた。ふと、アギラールに視線を寄越してきた。
「何ですか?」
「顔貸せ。話がある」
嫌な予感しかしなかった。
マリンチェに断りを入れてから場所をコルテスの移動式天幕へ移した。見張りもつけていない天幕にはいると、コルテスがどさりと腰を下ろした。
「さて。よろしくない話と今後の話とどっちから聞きたい?」
「どっちでもいいです」
「つれねぇなぁ」
コルテスがくつくつと笑った。それからふいに、にこり、と笑った。
「俺、お前に盛大な嘘吐いちゃってました」
「……ちゃってじゃありません。何ですか」
嫌な予感にこめかみがずきずきとうずき出すのを覚えながら、アギラールは絞りだすように問うた。コルテスが声を潜めた。瞳がぎらりと嫌な光を反射する。
「俺はベラスケス総督の命令は受けていない」
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