第4話


 喉がひりつくように痛んでいた。それが現実だと、否応なく主張してくるのをアギラールは感じていた。

 見知った顔だった。いや、よく知った顔だった。黒髪は少し癖がある。前髪だけがいつも左に跳ねるのだ。瞼は少し重たげで、唇は薄い。そんなところは変わっていなかった。ただその顔には、赤や黄色で見たこともない化粧が施されていた。衣装も、違う。獣じみた服だと思った。頭には羽がつけられていた。

 それでも、違えようもない。

「何故」

 かすれた声に、目の前の男は笑った。

「偵察だ。お前たちだと、なんとなく気付いてはいたが」

 ちらりと、彼は視線をずらした。その先にいるのはマリンチェだ。彼女は突然のことに戸惑いつつも、こちらの様子を窺っているように見えた。

「それは、メヒコの娘か」

「あ……ああ。今は、コルテス殿の軍で通訳をしている」

「そうか。不思議だな。――おい、娘。名は? ああ、いや、マヤ語のほうが」

「マリンチェよ」

 エスパニャ語からマヤ語へと変えようとしていたゲレロの言葉を、マリンチェが遮った。メヒコの娘からエスパニャ語が飛び出たことに驚いたのだろう。ゲレロは目を瞠っている。

「あなたは誰」

 マリンチェの短い言葉に、ゲレロが苦笑した。

「――もしかしたら、そちらにいたかもしれない、エスパニャの男だ。今は、マヤの戦士だが」

「マヤの? 何故。ここはもうアステカの域内よ。ずいぶん遠いわ」

「いろいろあってな」

 ゲレロはふっと息を吐いた。笑みを向けてくる。

「――明日。また、我らは来る」

「……ま、て」

「相手をしてくれ。なんなら、今殺してくれてもいい。大人しく殺される気もないがな」

 昔と変わらず、どことなく照れたようにはにかんで笑うと、ゲレロはこちらに背を向けた。来たときと同じように木々の間へ消えていく。その背中を、アギラールは追いかけることが出来なかった。誰なの、というマリンチェの戸惑ったような問いに、ただ、すまない、とだけ返した。

 マリンチェを伴って隊へ戻った。少々、申し訳ないという気持ちはあった。彼女とはまだ、いろんな話をするべきだと思っていたからだ。だが、今のアギラールにその余裕はなかった。

 戻ったとき、コルテスはちらりと視線を寄越しただけだった。アギラールは何も言わず、自身の寝床へと潜り込んだ。マリンチェがコルテスに何か進言するかもしれないが、止める立場でもない。だが、眠れるわけもなかった。ただまんじりと、夜が過ぎるのを待った。



 ゴンサーロ・ゲレロという人物は、大概において破天荒と称される男であった。

 幼少時、両親に引き取られ見知らぬ街についたばかりのアギラールにとって、彼は一種のあこがれだった。勉学以外にも、遊びやいたずらに至るまで、随分と面倒を見てもらった。派手ないたずらをしたときは、大方ゲレロの発案ではあったが共だって大人に叱られもした。

 大人になった後も何かと良くしてくれた。自分の進み先に迷ったときは、ゲレロの助言を頼りにした。良く笑い、良く怒った。大食漢で、気まずいことがあるとはにかむように笑った。

 サント・ドミンゴに出発するときも、お前一人だと不安だと笑って、一緒に船に乗り込んだ。

 嵐の中で漂流したときも、マヤの民に捕らえられたときも、傍にいた。互いにくじけそうなときは、くだらない思い出話をエスパニャ語で語り合い、暦を確認しあい、祈りを捧げ乗り切った。

 ――大切な、友だった。



 翌朝早く、アギラールは天蓋を抜け出した。すでに起きていたらしいマリンチェが何か話しかけてきたが、頭に入ってこなかった。

 戦闘はすぐに始まった。陽が昇るとともに始まり、陽が沈むとともに終わるという、なんとも儀礼的な戦争だ。昨日同様の作戦が取られ、戦況もまた、昨日と同じくセンポアラン、エスパニャ軍が押していた。マリンチェも黙々と通訳に徹している。昨晩のことを、彼女がどう扱ったのかは判らなかった。

「奇妙だな」

 ぽつり、とコルテスがこぼした。陽が天頂に上った頃だった。

「奇妙、ですか」

「お前のそのくそ暗い顔と頭で気付くか判らんが」

 ひどい物言いだったが、否定のしようもなかったのでアギラールは押し黙っていた。

「戦況は昨日とほぼ同じだ。戦術もだ。ありうるか? あっちは惨敗といっていい。対策をとらず戦をするなんてことあるのか」

「判りません」

 絞り出すように、アギラールは呟いた。

 昨日のゲレロの困ったような笑い顔が頭を離れない。昨夜、ゲレロはまた来る、と言っていた。それがあの隊の中にいるのか、それとも別の意味を持つのか。深く考えることを、頭が拒否していた。

 コルテスが髭をいじりながらこちらを見据えた。アギラールは視線を逸らすしかなかった。ややあって、コルテスが立ち上がり――同時だった。

 飛来した矢が、先ほどまでコルテスのいた大地を貫いた。

「そういうことか」

 にやりと、コルテスが笑った。剣を抜く。オルコネアやセンポアランの兵がざわめく。マリンチェも顔をこわばらせていた。

 すぐに、第三の隊が流れ込んできた。奇声を上げ、それぞれに武器を振り回している。悲鳴と喧噪が満ちた。指揮隊以外にも、ここには戦に役立てない女子供に、奴隷たちがいる。マリンチェはディアナとともにそういった人々を集め、移動させようと声を張り上げていた。コルテスは一人で切り込んでいった。戦旗を振り指示を出す者は、この場では少ない戦士だった。彼らもまた前に出て行く。指示を失ったあちらの戦場もまた、混乱を起こしていることだろう。

 アギラールは狼狽しながらも、マリンチェたちの元へ走った。

「マリンチェ、ディアナ! 周りに気をつけろ!」

「判ってるわ!」

 普通であれば木々の茂みを利用すれば、背後を守れる。だが、今の大弓の一撃は茂みの中から放たれ、トラスカラの第三隊もまた茂みの中から現れた。そこに道があるとは見えなかったが、地の利に関してはやはり土着の者にかなうわけがない。四方に気を回さなければならないとはいえ、今の状況だと何もない場所に固まった方が安全だ。女子供を中心に据え、奴隷たちで囲んで円陣をくんだ。マリンチェは前に出ている。アギラールはその傍に立った。腰に履いた剣に手がふれた。

「戦うの」

 静かな問いだった。

「私は戦士ではない」

 自分でも曖昧な言葉だと思わざるを得なかった。

 ふと、視界の隅に影が走った。同時に、その影が鈍く光る。マリンチェが悲鳴を上げた。我知らず、体が動いていた。

 耳障りな、金属の悲鳴が響いた。

 ぎり、と奥歯が鳴った。腕にしびれが走る。だが何より、胸の奥が痛むのをアギラールは感じていた。

 ――見慣れた、困ったような笑みがそこにあった。

「……ゲレロ」

 懐かしい友の名を口にする。

 原住民の武器を持ったゲレロは、ああ、と言った。

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