9:僕

 色彩を欠く風景を見て、僕は僅かばかり温もった息を吐いた。

 目の前に見える白色の壁の建物――職場である「ノーマン製作所第三工場」へ続く道筋。そこに並ぶ桜……もう十数年も舞い散り続けている人工の花弁を、煩わしく払いのける。


「主任……」

「おはよう。空知」


 いつもの軽快な声ではなく、怯えを見せた声が聞こえた。

 振り返ると、金髪の少女が目尻を赤くして立っている。ビジネスライクな私服は、心情の表れか少し乱れていた。


「……あいつの事はもう忘れろ。あの時はどうしようもなかったのだから」

「でも……」

「これからのあいつに失礼だ……そうしてやってくれ」


 昨日の笠井はもう死んだ。これからの笠井は、昨日の笠井じゃない。

 空知にとって、辛い現実なのは理解している。それでも、そうしなくてはいけない。

 その事実に耐えきれなくなったのか、空知は僕を追い越して走り去っていった。目尻から落ちる雫が、花弁が付いたスーツを横切った。


「大丈夫か、ミヤケン?」

「……大丈夫じゃないよ。おはよう、笠井」

「あぁ、おはよう」


 目を伏せる僕に陽気な声をかけて背後に現れたのは、僕を信じて死んだ笠井だった。勿論、肉体はそこにある。記憶も昨日の出撃前にバックアップされた物だ。

 だが、記憶を得る事は書物を読む行為に近しい。経験が伴わないのだから、僕の目の前にいる彼は昨日までの笠井じゃない。

 だというのに。


「その……なんだ。悪かったな。たぶん、俺、死んだんだよな?」

「……あぁ」

「そ、そんな悲しい顔すんなって! 俺はここにいる。昨日までの俺とは少し違うかもしれないが……それでも、俺はお前の願いに魅せられたのは知ってるから、さ」


 彼は、そう僕に笑いかける。

 確かに、彼は昨日までの笠井じゃない。ミヤッチとはもう呼んでくれない。そうであっても、彼は僕と共に歩いてくれる。

 現実は非情だ。未来には光なんてないし、終わらない今が続いていくだけ。

 それでも――こんな色彩の欠けたかのような世界でも、変化はあるのだから。


「今度、飯に行こう」

「おっ! いいぜ」

「奢るよ。お前には助けてもらってばっかりだ」


 少なくとも、そう約束していた。感謝を込めて――今日からの彼の誕生を祝って。

 いつもの並木道を歩み、僕は想いを馳せる。

 たとえ、この願いさえ偽物であったとしても、僕は確かに、今に抗っているのだと。

 『フラン』と『ヴィクター』の名を口の中で呟いて、僕は今を生きていく――生き終わるために、人探しを続けるために。

 それが、・・の僕が選んだ生き方だ。

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ノーマンズ―異世界探索記録― 紅葉紅葉 @inm01_nagisa

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