第3話
真逆、召喚されたら猫だった、等とは朕も想像していなかった。確かに、召喚主、ライラというらしいが、彼女のオドが殊更少ないのは召喚時にわかっていたし、召喚後の姿位が本来のものに比べて劣化するのは理解していた。むしろ、どんな姿で召喚されるのか少し楽しみだったのは確かだが。
猫。黒猫。まぁ、使い魔としては一般的すぎる姿であった。ある意味では最下級とも言える。節足動物でなかっただけマシと言えばマシか。まぁ、姿位は大して問題ではない。この姿位で何ができるのか、ということだ。
試しに体内でオドを一通り循環させてみる。総量としては極小といえる。まぁ、もともとが猫であるし、猫の使い魔というのは夜目が効く、身体能力が猫並みに良い、位で特筆すべき能力を持たない使い魔だ。致し方ないが、これと言って特段の問題はない。彼女はすべてが欲しい、と願ったが、使い魔に特に能力がなかったところで彼女が全てを手に入れることに何ら不自由はないだろう。なにせ、使い魔が主に全てを与えるわけではないのだから。
彼女が欲したのは、金であり地位でありその他諸々全てであったが、それを手に入れるには強力な使い魔、と言うのは必須条件ではない。寧ろ邪魔かもしれぬ。何をしても「あの強力な使い魔が居るから」と揶揄されたのでは、彼女の求める誰もが羨望する存在に成るのは到底不可能だ。どうせ途中でそのことに気づく。
だからある意味で、朕が黒猫の姿として召喚されたことは、却って彼女の意にかなっているであろう。
あの、朕を召喚した珍妙な儀式――周囲の話している内容から碩術師養成学校の卒業式のようでは有ったが――の後、主であるライラは朕の姿を見るごとに何処か残念そうな雰囲気を醸し出すのが少し気に入らなかったが、それもあまり大きな問題ではない。
唯一の問題は、彼女とコミュニケーションが上手く取れないということだ。
朕も失念していた。使い魔は人理を理解していても、それを思念として主に伝えることは出来ても明確な理として主に伝えることが出来ないのだ。簡単に言うと、主従の繋がりによって大まかな感情は伝えられても、言葉を伝えることが出来ないのである。朕も生前使い魔を召喚した際に試したことはなかった。使い魔と明確な理をやり取りすることなど。
使い魔とはその名の通り、主人の命に従って行動する存在であり、主人からの命令は事細かに聞き取れて理解できても、使い魔からの情報伝達は大まかな感情や、了解等の簡単な意思疎通に限られる。元々、使い魔とはちょっと賢い手足の延長、位の存在なのだから致し方がない。
だが、全てを欲する彼女にとって、いや、ぶっちゃけると誰もが羨むパーフェクトレディに彼女を成長させるにあたって、言葉によるコミュニケーションは必須だ。寧ろこの他は全てなくてもかまわないだろう。といって、猫の声帯で人語を喋れるわけもなく。牙が邪魔なのだ牙が。やろうと思えばそれなりに聞こえる鳴き声を出すことは可能だが、極めて非効率的である。早急に別の手段でコミュニケーション手段を確立せねば成るまい。
最初に考えたのは筆談であった。もちろん、思いついた側から却下した。非効率の極みである。
やはり話せなくてはならない。猫でもなんとか人語を喋れぬものか、とニャオニャオニャオーンと試行錯誤していたら、
「ナヴィ、煩いわよ」
と、机に向かっていたライラに叱られてしまった。
ちなみに、ナヴィと言うのは朕の名前である。ライラが付けた。黒猫ナヴィ。中々良い響きではないか。朕の知識の中にナヴィと言う単語が意味を持っていた記憶はない。朕が死んでから何年経っているのかは知らないが、多分ナヴィと言う単語に意味は無いだろう。語呂か音で決めたようである。この娘、中々センスがある。
延々発声練習をしていた朕をちらりと見ると、ライラはまた机に向き直った。時は夜更け。体感では
ライラはあの碩術師養成学校――雰囲気と他の生徒の年齢を見る限り、初等学校であるように見える――の卒業式を終えると、学校から歩いて小一刻もかかるこのアパルトメントに引き上げてきた。周りの生徒たちが、
そうか。既に孤児であるか。朕に特別な感慨が有ったわけではなかったが、逆にライラが社交界に出られる血筋であることはわかった。庶民の孤児は碩術師養成学校等に通わない。良くて職業幼年学校だ。朕が世を去ってからどれだけの時が過ぎたかはまだ分からなかったが、朕の治世ではそれが普通であった。
社交界に出ることができる血筋の孤児がこんな屋根裏部屋で生活をしているのを見れば、ライラの身の上が幾らかは想像できた。
落魄れた、とは考えにくい。ともすれば、両親の他界に伴う身分の簒奪にでも遭ったのだろう。捨てられた可能性は否定できないが、廃嫡した子供をわざわざ碩術師養成学校に通わせる貴族は居ない。まぁ、だからといって、これから朕がライラをパーフェクトレディに仕立て上げ……育て上げるのだから問題が有るわけでもないが。遠くない未来、身分を簒奪した阿呆共が擦り寄ってくるのを足蹴にする、と言うちょっとしたドラマが見られるかもしれない、と言うだけだ。楽しみが増えたとも言える。
発声練習を咎められてしまった朕は、手持ち無沙汰に尻尾をパタパタと左右に動かしてみる。この尻尾というものはなかなか面白いものである。生前にはなかった器官だが、意のままに動かせる。ある程度の太さであれば重量次第で掴み上げることもできる。正に第三の手。いや、今の朕に手は無かったか。
パタパタ。
パタパタパタ。
わざと音が出るように尻尾を叩きつけるように振っても、ライラは一心不乱に机に向かっている。至極ツマラナイ。
朕はライラの床であろう藁敷きのベッドから飛び降りると、一足飛びにライラが齧り付く机へと飛び乗った。うむ。猫というのはとても身が軽い。タノシイ。
「こら、ナヴィ、あっちへ行っていて。今夜中に終わらせないといけないんだから。終わったら遊んであげる。でも、終わらなかったら私も貴方も明日はごはん抜きなのよ」
そう言って、ライラは朕を優しく抱き上げると、ベットの上へと朕を移したのだった。
聞き捨てならぬ。明日から飯抜きとは。
ちらりと机に上がった瞬間に見えたのは、机の上に広げられた大きな本――覗いた内容から碩学関係の小辞典であるように見えた――と、本と全く同じ内容が書かれた書きかけの羊皮紙の綴だった。
勉強でもしておるのかと思ったが、写本の手仕事であったか。成る程、苦学生の仕事といえば、たしかに写本は打って付けである。なにせ、賃金を貰って高価な本が読めるのだ。
であれば邪魔はしないことにしよう。発声練習はやめである。牙が邪魔で仕方がないしの。
ならば、と朕は体内のオドを動かし始めた。
そして、碩術とはそれをある目的に沿って利用しようという技術体系にほかならない。まぁ、何が言いたいのかといえば、碩術を使って声を出してやろうという試みである。
音を出す碩術は既に幾つかあるが、それらは単純に音をだすのではなく、何某かの現象に伴って音を出すというものだ。例えば、爆発や燃焼である。しかし、爆発や燃焼というのは何某かの物質を碩術によって化学反応を起こさせた結果として、体積や質量の変化をエネルギーに変換させる事で大気を振動させ、音を出す。しかし、喋る度に小爆発を引き起こさせるなど非常に非効率的である。であれば、何某かの力で持って空気を振動させてやればよいわけだ。
朕は手近にあったもの、万が一落としても問題のないものとして、ライラの枕を見定めた。
練り上げたオドを波動として放出し、対象に対してごく簡単な作用をもたらす。すると朕の意に沿って、枕がふわりと浮遊した。
これは碩術の基礎とされる幾つかの技術の一つ、『
移動する台車の上に置かれたコップに、台車の移動方向から手を翳せばコップは手に当たって台車の上でズレるであろう。つまり台車とコップの相対位置は変化する。それと同じ事――台車は一方向にしか移動できないかもしれないが、万物とは世界という台車の上に乗っているようなものであり、世界とは全方向に運動し続けているので、物体を
実際に他法則による物理現象を行使するのは非常に困難なことであるが、占有化してしまうこと自体はそれほど難しい技術ではない。識閾が極端に低い物体、例えばコップ等であれば、それを正しく認識する事さえできれば誰でも可能である。逆に高位の識閾を持つ物体、例えば人や動物を占有化するのは認識力の抵抗が存在するため非常に困難である。
しかし、
一通り枕を空中で弄んでみて、朕は満足する。猫の体になっても特に感覚に狂いは無いようである。
ではココからが本題である。
「Vooooooooooooiiiiiiiiirrrrrrrrrrrrvvvvvvvvvvaaaaaaaaaaaaaaaaaa…………」
あ、これ激ムズであるな。
『ライラ』と発したつもりであったが、まるで酒場の酔っ払いのゲップの様な音が出てしまった。周波数の調節が難しい……と言うより大気に印付けするのが難しい。流動的な物体を正しく認識できぬ。それに一度やってみて実感したが音波を発生するにはとんでもない速度の反復発振が必要ではないか。とてもではないが処理速度が追いつかん。しゃべるなんてもっての外である。こんなの人力……猫力でやってられるか。
と、そこで妙に引きつった顔でこちらを見ているライラに気づく。
「い……今、何か聞こえなかった?バンシーの叫びのような……ゾンビの産声のような……もしかして、ナヴィの声?」
「ニャ……ニャーン……」
すまぬ。また邪魔をしてしもうた。
下の人が机でも動かしたのかな、と訝しみつつもライラはまた机に向かってくれた。
ぬうううん。これは難航しそうである。単に言葉を相手に届けるだけにも関わらず、人の発声と言う機能が如何に複雑で尚かつ効率的であるかが身にしみて理解できてしまった。
その後は色々と思索をめぐらしつつも、実験は控えた。また失敗してライラの邪魔をしてしまってもいけない。明日の飯がないのは流石に朕も嫌だ。何か良い手段はないかの。
すぐに考えつくところでは
先も述べたとおり、認識力の強い者には印付けが難しい。それと同じで、認識力の強い者は自分以外の
こちらから相手の認識を任意にズラして強制的にこちらの思念を認識させることもできなくはないが、実はこの技術は一歩間違えば洗脳という技術になってしまう。危険なのだ。
下手に他人の認識をズラせば、ソレは汚染となってズラされた者の精神に後遺症を残す事になる。朕の生前は悪意ある者達の精神攻撃に多用されていた。碩術師であれば誰しもこの様な攻撃に対処すべく、不意の精神干渉に備えて
故に、彼女に何とか朕の思念を受け入れてもらわねばならぬが、その為には事前の説明と彼女の納得を引き出す必要がある。つまり、その為の最も効率的な手段と言えばやはり声を出して説明することであろう。何と言う堂々巡り。筆談なんてやってたら何日かかる事やら。ままならぬのう。
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