第7話
私、ウネルマ・タラジドフネは、ライラがこの教会に入ってきたその時から、その高貴な気配には気付いていた。
慌てて食堂から出ると、そこには教え子であり、一時期この教会で預かっていたライラが居た。
私のようなパーセプターでなければアウラを視覚で捉えることは出来ないだろうが、その黒猫から立ち上るアウラは澄んだ碧。とても洗練されたオドがアウラとなって立ち上っているのが直ぐにわかった。この様な純粋なアウラを見たのは生まれてこの方一度も無かった。
アウラの純度はオドの制御能力に比例する。一流の碩術師は総じて澄んだアウラを纏うものだが、この黒猫の発するアウラは桁が違った。まるで地を走る
直ぐにライラがとびきりの使い魔を得たのだと確信した。
ナヴィと名付けられたその黒猫は、ライラがセルニルトン伯爵令嬢のような強力な使い魔を欲し、黒猫のナヴィに失望している様子が不満らしく、事有る毎に「言葉が喋りたい」と呟いているのが少し可愛そうだった。
「其方は朕の言葉が解るのか?」
その黒猫は驚いたように私を見返した。
私はパーセプターだ。オドやマナの流れに加えて動物の言葉が解る。この能力は生まれつきのものだ。若い頃は悪魔憑き等と忌諱されて苦労することもあったが、この力のお陰で碩術師としてはかなりの技量を得ることが出来た。
「御名をお聞かせ願えないでしょうか」
私の言葉に、ナヴィは少し考えてから口を開いた。
「ハンス・スコット・シュミット、と名乗っておこう」
その名を聞いた私は戦慄した。
ハンス・スコット・シュミット。
それはとても有り触れた名前を三つ並べた物で、要は『
だが、現在この名前を名乗ることは二つの意味を持つ。
一つは単なる自殺願望者だ。名乗っただけで極刑すらありえる重罪となる。それはこのテルミナトル帝国のみならず、全地上世界、全天上世界に渡ってどこでも同じだ。
その理由は、かつてこの世界、地上・天上、全てを治める皇帝がその名を使って方々に意見を述べたからだ。
最初は「匿名の誰かの意見」としか見做されなかったそれは、事有る毎に匿名で意見された側がその意見を無視する毎に皇帝の叱責を受けたことから、段々と暗黙の了解で皇帝の偽名であると認知された。しかし、その内この名を悪用する者が現れたため、皇帝はこの名前の使用を厳禁することになる。
それ以来、ハンス、スコット、シュミット、と言う其々の名前は名付けることすら禁じられた。これは皇帝が命じたわけではないが、暗黙の了解として禁止されたのだ。
今ではその名を口にする事自体が不敬罪に当たるとされる。
もう一つは言わずものがな。皇帝自身であるという意味だ。
私は席を立ち、ナヴィと名付けられた黒猫の正面へと移動し、静かに跪いた。
「このウネルマ・タラジドフネ、世祖であらせられる偉大なるヘリアクァール陛下に拝謁の栄に浴しながらの非礼の数々、深くお詫び申し上げます」
地上世界の諸国首長や一部の貴族は浮遊大陸諸国の市民権を持っている。そして、浮遊大陸の認められた一部の人間のみが帝国市民権を持ち、帝国に上がることを許される。
それがこの世界の構造であり、間接的にではあるが世界は隅々まで帝国の支配下にある。その世界を作ったとされる帝国の祖と伝わるのが帝国の世祖、ヘリアクァールである。
現在の地上世界では古代文献にその名が散見されるくらいで、私にも詳しい人物像を知るすべは無かったが、伝え聞く限りでは為政者としてよりも碩術に対しての造詣が殊更深い皇帝であったと伝わっている。
現在伝わる伝承やお伽話、エールスリーべ教団の聖典等では数々の英雄や神が活躍するが、それらの少なくない数がヘリアクァールの配下であったとされる。
「ヘリアクァール、か。朕の諡はそう言うのか」
「書物などで伝え聞く限りでは」
「全く持って捻りのない名であるな。何より格好が悪い。誰がそんな諡をつけたのやら。センスのかけらも感じられぬ。まぁ、良い。其方も座れ。偶然にも言葉の通じる者に出会えたのだ。色々と話を聞きたい。そのままでは其方も話づらかろう」
年に一回、全天で一番明るい天狼星が太陽を伴って登る現象のことをヘリアクァール・ライジングと呼ぶ。暦の基準となる現象のことであり、ヘリアクァールと諡した人物は「時間すら支配する偉大な人物」「すべての起点」という意味を篭めたのだろうと推察できる、のだが。
それを格好が悪いと断ずるのは、このヘリアクァールという古代の王はなかなか変わった感性の持ち主のようである。諡をした人物が深い畏敬の念を持っていることがひと目で分かる諡なのだが、こうもバッサリと断じられては諡をした人物が少し可愛そうになってくる。
意外と死後の諡をその人物本人が聞いたらこんな反応なのかもしれない、等と思いながら、礼を述べて私は元の席に着いた。
「ウネルマと言ったか。ライラの身の上の話はわかるか?朕は彼女の望み、『すべてを得たい』と言う望みに応えて彼女の使い魔となった。その、『すべてを得たい』理由が知りたくてな。如何せん、今の朕は人語を喋れん。おいおい何とかするつもりではあるが、動物と話せる人物がライラの周囲に居たのは僥倖。一つ、話してはくれぬか。今後の方針にも関わるしの」
私はどう答えようか迷った。
ライラったらなんて強欲な望みを世祖皇帝陛下にしたのかしら。
全てを得たいなどとは、捉えようによっては目の前の人物が作ったものをどこの馬の骨ともわからない人間が簒奪したいと言っているに等しい。
いや、彼女の事を幼い頃から知っている私にとってはそれが簒奪目的などではないことはよくわかる。彼女に世界制覇などと言う欲望はない。だが、字面だけ見ればなんと不躾で無礼な物言いか、と言われても仕方がない。
「なに、強欲であることは罪ではない。望むことは善である。朕は生前、世界の少なくない部分を手中に収めた。凡そ人の考えられる物は全て手に入れたと言って良い。朕はそれが他人の手に渡ろうと、あまり興味がない。帝国の経営など、好き好んでやるものではないしの。しかし、彼女は朕に言った。「全てを得て、めでたし!と言って死ねる人間になりたい」と。素晴らしいではないか。なかなかこの様な豪胆な者はおらん。朕ですら、この様な欲望を抱いたことはない。否、抱くことはできなかった。帝国の建国は成り行き上であったしの。それに、朕ですら「めでたし!」と言って死んだかどうかは、解らぬ。いや、「めでたし!」と言えるほど満足して死んだとは到底思えぬ。朕はな、羨ましいのだ。そのような望みを持てる人間が。なれば、叶えてやりたくなるのが道理ぞ。朕の抱かなかった願望を抱き、朕の成し得なかった大望の果てに、どんな風景が有るのか。朕はそれが見てみたくなったのだ。それをライラが叶えてくれるのなれば、新しい帝国の一つや二つ幾らでもくれてやろうぞ」
私は頭痛がするのを努めて無視しながらナヴィの言葉を聞いていた。
有り体に言えば、この御人はダメな部類の
無駄に能力があり、知識も思考レベルも高いが故に、幼稚な思考に殊更な憧憬を抱いているのだ。
何より、この古代の王はライラを一体全体何者にする気だろうか。皇帝、等では勿論満足しないだろう。何しろ、その段階までは至った人物なのだから。であるならば、他に何が有る?英雄か、神か、それとも魔王か。想像もつかない存在にこの古代の王はライラを育て上げようとしている。
それはライラにとって不幸でしか無いだろう。何しろ、彼女の抱く「めでたし」と、この古代の王の抱く「めでたし」ではスケールが違いすぎる。
違うのだ。ライラは少しばかり不幸ではあったが、決してそんな存在に成りたい訳ではない。
私は覚悟を決めた。この古代の王の機嫌を損ね、ヘルカイトすら凌駕する使い魔がライラを見放すことになろうとも、私はライラを守らねばならない。
だから真実を話すことに決めた。ライラの過去を。決して劇的でもなければ非凡でもない、有り触れて在り来りな少し不運な少女の断片を。
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