第8話

 昔、エルメリア連邦にとても優秀な碩術師が居ました。


 彼は地位こそありませんでしたが、誰もが認める優秀な碩術師でした。


 これは今でもそうですが、優秀な碩術師は皆国軍に所属していました。


 彼は国軍に所属できる年齢になると直ぐに国軍に招聘され、そのまま出世街道をひた走りました。


 彼の持つオド総量は常人の三倍。類まれな継戦能力と正確無比な碩術の行使は国軍の中でも飛び抜けていました。

 そんな出世頭の彼は女性達のあこがれの的。彼は数多の女性と浮名を流した後、ある貴族の女性と恋に落ちたのです。


 彼女もまた、天才と誉れ高い優秀な碩術師でした。


 しかし、彼女は貴族の娘。しかも天才と誉れの高い娘を、評判こそ良かれ貴族の家が何処の馬の骨とも知れない庶民に降嫁させる訳がありません。


 それに彼女には両親が決めたもっと身分の高い許嫁が居たのです。


 そこで二人の恋は燃え上がりました。阻む物が有るほど燃え上がる、とはよく言ったものでした。

 二人は駆け落ち同然で国を出ると、方々を渡り歩き最後にはクロクット首長国に落ち着きました。


 そしてライラが生まれました。


 ライラはオドの総量こそ少なかったのですが、両親は長い長い愛の逃避行の末に授かったライラをとても溺愛したそうです。


 しかし、不運にもその頃、クロクット首長国とエルメリア連邦の間で戦争が勃発してしまいました。


 首長国内のエルメリア連邦人は全て収容所に隔離されました。当然、ライラの家族も全員収容所送りと成るはずでした。

 当時、エルメリア連邦とクロクット首長国の国力差はエルメリア連邦側に優勢であり、クロクット首長国は一人でも多くの兵員を徴兵することに躍起になりました。


 ライラの父は元エルメリア連邦国軍で名を馳せたエースです。クロクット首長国が放っておくはずはありません。

 ライラの父は家族の安全と引き換えに、クロクット首長国軍の招集に応じたのでした。


 故郷と戦う事になったライラの父の心情は察するに余り有りましたが、それは残されたライラの母にも同じことが言えました。


 なにせ、ライラの母は元エルメリア貴族なのです。当時の彼女の様子はわかりませんが、ライラ曰く、よく抱っこされていた記憶しか無いそうです。

 残酷な状況でしたが、そこに更なる悲劇が降りかかります。


 それはある日突然やってきたそうです。


 ライラの話によれば、ある日訪ねてきた軍人から受け取った書面を見て、ライラの母は突然泣き崩れたそうです。


 多分、それはライラの父親の戦死を告げる書類であったのは想像に難くありません。もしかしたら、元敵国人ということで過酷な戦線にばかり送られたのかもしれません。

 そして数日後、ライラは突然、近所に住んでいた元エルメリア連邦人の家庭へ預けられたそうです。


 その家庭はライラ一家と同じく、父親と長男が徴兵に応じたことで収容所行きを免れた家庭でした。


 ライラは母がクロクット首長国軍の軍服を着て、小さく手を振りながら出かけて征くのを覚えているそうです。


 そして戦争は続き、数ヶ月が過ぎた頃。ライラの預けられた家庭に一人の使いがやってきました。何故か、士官だったそうです。


 彼はライラだけ来るように告げて、ライラを軍馬に乗せると少し離れた街のある教会に案内したそうです。

 そこは最前線ではありませんでしたが、ライラの暮らしていた街よりは遥かに前線に近かった様です。


 既に住民の疎開は完了し、軍関係者以外誰も居ないその街の教会で、ライラは他の傷病兵と共に床に臥せった母と再会したそうです。


 ライラの母は既に床から起き上がれる状態ではなく、その街に駐留していたクロクット首長国軍は既に撤退を開始していました。


 その頃には戦局はエルメリア対クロクットに加えてキャール王国がクロクット側に回って参戦していましたが、エルメリアは二国を同時に相手しても尚、優位に戦局を進めていました。

 クロクット首長国軍は僅かな食料とライラ達を残して街から撤退しました。


 一見残酷に見えるかもしれませんが、ライラの母は既にその場を動かせるような状態ではなかったそうです。撤退中の軍隊から軍用馬を一頭用立ててライラを連れてきた事から考えても、その街に駐留していたクロクット首長国軍の指揮官としては出来る限りの施しであったと考えられるでしょう。ライラの母は各戦線でかなりの戦果を上げていた様ですから、クロクット首長国指揮官なりの恩返しであったのかもしれません。


 日々衰弱する母に寄り添って、ライラは数日か、数週間か、その場に留まっていたそうです。


 やがて、その街もエルメリア連邦軍の手に落ちます。運が良かったのは、その街を占領したエルメリア連邦軍指揮官はライラの母の実家に連なる者であったことでしょう。


 後で聞いた話によれば、戦場での目撃情報を元に、ライラの母の実家に連なる指揮官達が指揮下の部隊を強引に進軍させたそうです。


 そして、発見されたライラの母には出来る限りの措置が施されました。

 しかし、指揮官達の行動はライラの母の実家の指示ではありませんでした。独断だったのです。


 婚約を蹴って出奔した挙句、不本意とは言え敵軍となって牙を向き、瀕死の重傷を負って帰ってきた娘を、貴族の家が歓迎するはずはありませんでした。


 ライラの母に施される救命措置は変わりませんでしたが、実家は彼女の受け入れを拒否しました。既に貴族名鑑からは除名されていたと言うのもあったのでしょう。

 ライラの母にはその街で引き続き救命措置が続けられましたが、幾分傷が深すぎ単なる延命措置にしかならなかったと聞いています。


 やがて、ライラの母は懸命の救護措置にも関わらず、遥か根源の円環へと旅立ちました。ライラは幼いながらにそれを看取りました。







 「其方、やけに詳しいの」


 

「ライラの両親、ライオットとメルセデスはエルメリア連邦国軍時代、私の部下でした」



 「成る程。其方が強引に部隊を進軍させた指揮官の一人かの?」



 「いいえ」



 「何か思う処あって、この様な孤児院を?」



 私は無言で胸元から一条の細い鎖を引き抜いた。鎖に引かれて胸元から引き抜かれたのは、ライラにさえ見せたことのない鈍黄色をした一発の空薬莢だった。



 「メルセデスを穿った弾丸は、この薬莢から発射されました」



 「もう良い。其方を誰が責められようか」



 「ライラの母は逝く間際に、ライラにこう言い残しました。『あなたが生まれてくれて、私達はとても幸せだった。なのに、こんな事になってごめんなさい。でも、誰も恨まないで。あなたは、あなたが全てに満足するまで、生きて、生き抜いて、めでたし、と締めくくれるように、辛いことも、苦しいこともいっぱいあるでしょうけれども、あなたの人生が、誰にでもなくあなた自身が胸を張って誇れる様、生きなさい』と。私もライラと共に、メルセデスを看取ったのです」



 ナヴィは何も言わなかった。その金色に光る双眸が真摯に私を見つめていた。


 私はそっと、既に冷めてしまった紅茶を一口含んだ。それ程長く話し続けた訳でもないのに、喉がひりつくように乾いていた。

 ライラにも話した事のない、本来ならば私が聞く立場であるはずの小さな懺悔。こう言っては何だが、思い返してみれば私は懺悔を聞くことはあれ、懺悔したことはなかった。懺悔というものがこれ程までに、心に平穏をもたらす物だとは思っても見なかった。


 そこで、私ははたと居住まいを正す。いつの間にか私の懺悔になってしまった。そうではない。この神代の王に、ライラの生い立ちを話していたのだった。

 ライラは何も世界制覇や帝王になりたいわけではないのだ。



 「ライラは、幼いながらに両親に起こった悲劇を理解していると思います。だからこそ、尚の事、幼いながらに母の残した言葉を忠実に請い願ったに過ぎないのです。私も、これは単なる自己満足ではありますが、彼女の願いに、メルセデスの願いに少しでも力添えができれば、と思っております。ですから、王よ、彼女は帝国を手に入れることも支配者になることも望んではおりません。彼女を立派な淑女に育て上げる、それこそが私の願いであり、ライラの願いでもありましょう。どうか、どうかその深遠なる叡智と偉大なるお力を、ライラの為に貸してやってはいただけないでしょうか」



 私が話し終えると、ナヴィはゆっくりと目を閉じた。その表情は、パーセプターである私でなくても、慈愛に満ちた表情に見えた。


 のも束の間だった。



 「まかせておけ!ライラを、一人前の淑女に、いや、通りを歩けば誰もが振り向き、言葉を交わせば腰が砕け、世の男共が夜な夜な夢見に夢精し、名を聞くだけで諸侯が骨抜きになる、そんな最高の淑女に育て上げてみせよう!朕の持つ技術、知識、経験、何も惜しまぬぞ!何も惜しまぬ!何も惜しまぬ!まかせておけ!」



 おい待てどうしてそうなった。王よ、貴方はライラを淫魔か何かにするつもりですか?ホントやめてください。やめて。ホント、やめて。メルセデスの願いを壊さないで。



 「お……王よ、王よ。勘違いなされませぬな。ライラの願いはその……セックス・シンボルになることではありませぬ。もっと、貞淑で、聡明で……ええと、なんと申し上げたらよいやら……」



 言いたい事をうまく表現する言葉が見つからない。なぜそう、大げさにしようとするのか。違う。彼女の望む願いは、決してそんな大げさなものではないのだ。



 「案ずるな。朕とて、ライラをそのような品性下劣な存在にする気はない。気高く、高貴で、そうさな、誰もが欲するも、何人も手が届かぬ高嶺の花に育て上げてみせようぞ!」



 ぁぁぁぁぁああああ。それではライラの婚期が!婚期が!違います!ぜったいちがいますそれ!もっとこう!程よい感じの!ほどよいかんじの!



 「王よ、王よ、落ち着かれませ。ライラの願いは……」



 「センセー!水汲み薪割り火起こし終わったぜー!!」



 言葉通り言いつけを終えたサミュエルが笑顔で食堂の扉をあけて、テーブルの上のナヴィと真剣に向き合う私を見て不思議そうな顔をする。



 「……センセー、猫となにしてんの?」



 ホント、サミュエルは悪い子じゃないんだけど、タイミングが悪い子なのよねぇ。

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