第6話

 ライラは朕の首輪となったブレスレットを最後に、買い物を切り上げた。


 既に教会であろう鐘の音が3回鳴り、既に太陽も高々と上がっている。ライラと共にメリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店へと赴くと、朝とは違い各カウンターにそれぞれ店員が立っており、来客を出迎えていた。


 ライラは朝と同じように一番左側のカウンターで写本の代金受け取りの旨を店員に申し出た。暫くすると、メリッサが出てきて買い取りは満額である旨を告げた。



 「代金は契約通り満額で17クラウンね。次はどうする?」



 次の原本を借りる旨をライラが告げると、メリッサは次の原本を持ってきた。


 ――ヤニ・クルウェス 碩術体系要覧

 ヤニ・クルウェスとは誰であろうの。本を出すくらいなれば、それなりに名の通った碩学者なのだろうが朕は知らん。朕の死後の人物であろうか。



 「担保金は3テールね。羊皮紙は頁数が多いから今回は4クラウン、インクはまだ足りてるかしら?足りないなら一瓶350ミルよ」



 メリッサの告げた額を聞いてライラが財布の中の硬貨を数えだす。


 ライラが今日使ったのが12クラウンと230ミル。羊皮紙代と合わせて差し引きすればギリギリだ。インクは……足りていることを願おう。

 ライラはホッと胸を撫で下ろすように3テール4クラウンをカウンターに出した。



 「期限は再来週まででお願いね」



 ライラは分厚い碩術体系要覧と羊皮紙綴を革鞄に仕舞い、メリル・フィンチ・ブレンナー合同会社トシュケル支店を出た。


 帰る道すがら、ライラは残った小銭を数えだす。残りは勿論130ミルだ。先程の市場の相場を見る限り、堅パンなら1週間――このトシュケルにおける暦は先程店先に掛けられていたカレンダーを見る限り、ロスネフチ式暦法であった。グレンコア大陸で広く使用される暦法である。太陽暦であり1週間は7日、1月は29~30日、1年は13月で、381日。3~4年に一度1~2日の閏日を挟む――毎日朝昼夕と一つづつは買えぬであろうし、今週中に今回の写本を終わらせなければ来週の飯にも事欠くことになる。


 だから言わんこっちゃない。この様な奢侈品に大枚を叩くからこうなるのだ。と、首輪に付いたオブシディアンを揺らす朕を見て、ライラは少し憮然としたようだ。



 「良いのよ。今週中に写本すればいいだけ。それだけよ」



 見たところこの要覧、少なくとも三百頁以上は有るように見えるがのう……。インク、足りるのかのう……。

 ライラはそのまま家路へと付くのかと思いきや、アパルトメントへの帰り道から急に別の道に入った。



 「少し寄り道するわよ」



 訝しむ朕の視線にライラはそう応えると、港の西側へと入組んだ路地を進み始めた。


 外壁が近くなってきた頃、曲がりくねった小道が段々と広く直線的な道へと変化したところだった。急に交差路の中心に開けた広場があり、目の前には重厚な石造りの建物と土壁を外壁として持つスレート葺の大きな建物が建っている。


 焼きレンガか木造の建物が多い中で、その古風な石造りの建物だけが一際浮いて見えた。大きなアーチ状のエントランスを持ち、一見すると何の建物かわからないが、よくよく見ると母屋がバシリカ式の十字形をしていることに気づく。周囲を囲った崩れかけの土壁の隙間からは小さな畑も見え、根菜らしき野菜が植わっているのが見える。


 修道院か何かか、と思ったがこんな町中に修道院など作らない。しかもここは昨日見た限りでは港の西側に広がったスラムの入り口辺りだ。

 ライラが中に入ると、そこは礼拝堂になっており、鎮座している神像からしてエールスリーべ教団の教会であるように見えた。

 もしかすると、丘の上の中心街に有る教会は新しいもので、元はここがトシュケルの教会だったのかもしれない。


 ライラはその教会の礼拝堂へと続く身廊の入り口のドアを開けると、ドアに付けられたベルがチリンと鳴って来客を建物の主に知らせた。



 「先生、ご無沙汰しております」



 聖職者の居住区画であろう建物に続く左の袖廊から修道女姿の初老の女性が一人、現れた。



 「あら、ライラ。いらっしゃい。それに、可愛いおちびさんも。こちらにお入りなさい」



 そう言って、ライラに先生と呼ばれた女性は袖廊から続く住居への扉へと朕たちを促した。


 教会の内部は外見同様、古臭さは拭えなかったが手入れは行き届いていた。内部構造を見るに、丘上の教会の縮小版のような作りであるが、内部の装飾は数段落ちると言って良いし、祭祀に使う聖杯や聖典、説教壇などもかなり古ぼけて見える。まぁ、建物の外見からもあまり運営費が有るとは思えぬし、仕方がないのかもしれない。


 居住区に入るとそこは質素な食堂になっていた。装飾といえば落ち着いた色合いのキルトの掛布が幾つか壁に掛けられているだけで、中央に置かれた縦に長い食卓も椅子も装飾のない非常に簡素なものだ。このキルトも手作りかもしれない。よく見れば所々模様が歪んでいる。もしかすると手仕事――キルト制作は修道院の手仕事の一つだ――の失敗作かもしれない。この食堂も元は単なる居間であったらしいのを、個人で改装したもののようであった。大工の手を借りずに行った素人仕事が、壁に据え付けられた棚等に見て取れた。



 「今、お茶を淹れるわね。座って待っていてちょうだい」



 そう言って、先生と呼ばれた修道女は食堂の奥の調理場へと向かった。『先生』、ということは女だてらに司祭のようである。



 「ナヴィ、あの方はウネルマ司祭様。私の碩術の先生なのよ。今の司祭職に付かれる前は国軍でも指折りの碩術師だったのよ。先生、この子はナヴィ。昨日の卒業の儀ケラヴゼナで私の声に応えてくれたのです」



 そう言って、ライラは朕を膝の上に乗せて質素なテーブルの下座の席についた。成る程、二重の意味で先生であったのか。

 見れば、ウネルマは調理場で鉄製のポットに手をかざし、一言二言文珠を唱えると、ポットの注ぎ口からゆっくりと湯気が立ち始める。


 碩術の基本の一つ、『励起』であるな。

 オドを照射することで対象に熱エネルギーを持たせる――正確には運動エネルギーを与えてエネルギー準位を上げ、励起する。印付と違い対象の正確な補足が必要でない分、さらに基礎的な術では有るが、下手くそな奴はオドが散ってしまってロスが多い――術である。しかも励起に要する時間が短く、照射範囲を絞ってポットと中の水のみを励起したところを見るに、中々腕の良い碩術師であるとみえる。


 水は励起するのが簡単な分、出力の調節が難しい。元々励起されやすい物体であるが故、下手をすると一瞬で水蒸気爆発が起こる。違う物質鉄のポットを隔てた状態であれば尚更だ。下手をするとポットに穴が開く。



 「あら、ナヴィと言うのねその子。卒業の儀ケラヴゼナは上手く行ったみたいね。おめでとう」



 「ええ……有難う御座います……」



 そう応えたライラのトーンが若干落ちる。ぐぬぬぬ。



 「ふふふ。何か不満そうね?」



 ウネルマは盆にティーポットと茶菓子――クッキーだな。手作りのようである――を載せて、食堂へと戻ってきた。ウネルマはゆっくりと励起で温めたティーカップにティーポットから紅茶――この高い香りは高級な茶葉ハイグロウンティーの様である。色から察するに、ティンブリアン産――紅茶の産地で世界三大産地とも名高い――かの?なかなか良い茶葉を出すではないか――を注いで、茶請けと共にライラに差し出した。



 「いえ、そんなことは……無いです」



 ぬう。なれば何故言葉が尻すぼみなのだライラよ。言葉が喋れればのう……。



 「ヘルカイトのような高位の使い魔が欲しかった?」



 図星を突かれた様にライラが身動ぎする。言葉が喋れればのぅ……口惜しや……、等と考えていたら、ライラの物とは別にもう一つティーカップが置かれた。茶請けまで付いてくる。

 はて?と朕が見上げると、ウネルマがニコリと笑った。



 「ナヴィもどうぞ。テーブルの上に乗っても構いませんよ」



 そう言って、ウネルマは朕の分のティーカップの上にスイ、と手を翳して口の中で文殊を唱えると、紅茶が人肌に冷めたようであった。今度は励起を応用してエネルギー準位を下げたのだ。冷めては紅茶は香りは落ちるし味も落ちるが、猫舌の朕にはありがたい限りである。


 お言葉に甘えてライラの膝からテーブルに飛び乗ると、かたじけない、と一声ニャーと鳴いてから紅茶を味わう。うむ。やはり冷ましては渋みが強くなりすぎて味が落ちるが、流石ティンブリアン。何より熱々の紅茶など飲めんしの。冷ましたとは言え猫の身でティンブリアンが味わえるのは僥倖と言うべきであろう。このウネルマと言う修道女、気に入ったぞ。



 「お気に召したようで何よりですわ」



 そう言って、ウネルマは自身の分を注いでライラの隣に座った。……今、此奴、朕に話しかけたか?



 「ライラ、気を落としてはいけません。セルニルトン伯爵令嬢が昨日の卒業の儀ケラヴゼナでヘルカイトを召喚した事は聞いています。街中はその噂で持ちきりです。ですが、使い魔とはその種族や能力だけが全てではないのですよ」



 ライラへと優しい眼差しを向け、ウネルマはゆっくりと慈愛に満ちた声音でライラを諭し始めた。



 「確かに、ヘルカイトは強力な使い魔ではあります。セルニルトン伯爵令嬢は近く、中央に招聘されるでしょう」



 その言葉に、クシャリ、とライラが自身のスカートを握り込んだのが見えた。



 「ですが、重要なのは使い魔ではなく、碩術師自身です。ライラ、貴女碩術の鍛錬は何処まで進みました?」



 「励起は、出来るようになりました……時間はかかりますけど。燃焼も、少しなら。でも私、マナが少ないから……どうしても上手く行かなくて……」



 下を向いてしまったライラの眼尻には今にも光るものが浮きそうだった。マナ――ライラの勘違いというよりはこの国の碩術体系の勘違いと思われるが、体内から発するのはオドであり、マナではない――が少ないのはどうしようもないが、それは優秀な碩術師の十分条件であって必要条件ではない、と指摘したくなるが、朕は言葉をしゃべれない……ぐぬぬ。因みに燃焼とは励起の応用術であり、簡単に言えば物を燃やす術だ。実際は励起から化学反応を起こさせるのだが。


 そんな朕にウネルマはニコリと微笑みかけると、ライラの肩に手を置いて向き直った。



 「碩術師に必要な物は高位の使い魔ではありません。膨大なマナでもありません。使い魔を使いこなす知恵と、優れた技術に他なりませんよ。セルニルトン伯爵令嬢は近く、中央に招聘されるでしょうが、ヘルカイトは気位が高く気性も荒い種族ですから、今のままでは彼女はヘルカイト自身の使い魔を制御できないでしょう。彼女はこれからヘルカイトを制御する術と、自身の碩術を磨く鍛錬をしなければいけない。貴女もそれは同じです。知識を集積し、技術を磨き、研鑽を忘れなければ貴女もきっと、ご両親のような偉大な碩術師へと到れるでしょう。その努力を怠らなかった暁には、使い魔の優劣などどんぐりの背比べに他なりません」



 ぬ。今中々気になることを言ったの。偉大な碩術師。ライラの両親の事のようだが。ライラの名前はなんと言ったかの……よく考えてみればライラの家名を知らぬな。

 ウネルマの言葉にライラが顔を上げて、口を開きかけるが、その言葉はドアの向こうで鳴った来客を告げるベルの音で遮られた。暫くするとドヤドヤと喧しい足音と共に食堂の入り口が開かれる。



 「先生、ただいま!」



 質素な木製のドアを開けて入ってきたのは年の頃はライラ位から下は幼年学校に入りたて位の四人の子供たちだった。



 「あ、ライラじゃん!」



 ライラと同じくらいの年頃の短髪でソバカスが目立つ男児がライラを指差した。木屑だらけでサイズが幾分大きい分厚いオーバーオールの作業着と日に焼けた肌から見るに、南の木工所ででも働いているのだろう。背の丈はライラと同じくらいかやや小さいが、闊達そうな元気のいい小僧であった。



 「卒業の儀ケラヴゼナで使い魔召喚したんだろ!?見せろよ!」



 そう言って小僧が朕の方を向く。なんだ小僧。文句があるなら言うてみよ。



 「あー、もしかしてこの黒猫か?なんだつまんねぇ。やっぱライラじゃドラゴンとかユニコーンとかは無理だったかぁ。まぁ、わかってたけどな!」



 そう言って肩をすくめる小僧をライラが射殺さんばかりに睨みつけた。



 「なんですって!ナヴィはそんじょそこらの黒猫とは訳が違うのよ!」



 席を立って小僧に詰め寄るライラ。うむ。ライラよ。そう言うなれば普段から事有る毎に溜息をつくのを辞めよ。朕もいい加減ちと傷つく。言葉が喋れればのぅ……。



 「ほー。ならそのナヴィって奴は、どこぞの伯爵令嬢のドラゴンとやりあっても勝てるのかよ?」



 小僧の言葉に拳を握って押し黙るライラ。……まぁ、ヘルカイト程度、撃ち落とす術の10や20は思いつくが。ライラの名誉を重んじるのであれば、少し位はこの小僧の鼻っ柱をへし折る為に驚かせてやった方が良いのかもしれぬ。

 と、朕が体内でオドを動かそうとしたのを、ウネルマが片手で制した。此奴、朕のオドの動きを察知したか?



 「サミュエル、使い魔は見た目で判断してはなりませんよ。ライラはとても有益な使い魔を得たのです。私から見れば、セルニルトン家のご令嬢の使い魔と比べても遜色はないでしょう。いえ、ヘルカイトなど、霞むどころか存在すら忘れてしまいそうです」



 そう言ってウネルマは朕を見て、非礼を詫びるようにそっと目礼をした。

 ……此奴、朕の正体が解っておるのか?能力者か何かかの?



 「さぁさぁ、みんな。今日は折角ライラが来たのです。皆で卒業の儀ケラヴゼナの成功を祝ってあげようではありませんか。ライラ、折角ですもの。今晩はここで食べていきなさいな。サミュエル、薪を出して火をおこしてくれる?リーリャとソフィアは畑からお芋を取ってきて。ケヴィンはお水を汲んで来てくれる?」



 ライラに味方したウネルマにバツの悪そうな視線を向けると、サミュエルと呼ばれた小僧は他の三人を連れて勝手口へと向かう。



 「私も何か手伝います!」



 一人取り残されたライラが言うと、ウネルマは待ってましたと言わんばかりに微笑んだ。



 「そう?それでは主賓なのに悪いけれど、これでパン屋さんから棒パンとお肉屋さんからソーセージを買ってきてもらえるかしら?」



 ウネルマは修道服から取り出した数枚の硬貨をライラに渡す。



 「ソーセージなら、私も今日買いましたからそれを使って下さい!」



 「ありがとうライラ。でもそのソーセージは貴女の糧となるものでしょう?今日は私に奢らせて下さいな」



 そう言ってウネルマはライラを送り出すと、誰も居なくなった食堂で居住まいを正した。



 「重ね重ねのご無礼、どうかご容赦いただきたく存じます」



 この食堂にはウネルマと朕以外、誰もいない。勿論、ウネルマの目は朕を捉えていた。



 「其方は朕の言葉がニャニャーニャ解るのかの?ニャー、ニャニャー」 



 「私はパーセプターです。人間以外の陸上哺乳類限定のようですが」



 これは驚いた。パーセプターとは碩術に依らない超感覚能力の一つであり、テレパシスト超感覚会話能力者等の超感覚能力者の内、受信のみが行える者を指す。哺乳類限定と言うことはアニマルコミュニケーターの様だが、言葉を解せると言う点で上位互換と言える。



 「ひと目見た時から、立ち上るアウラが輝いておりました。何処いずこかの偉大な御英霊の化身とお見受けいたします。もし差し支え無き様でございましたら、その御名をお聞かせ願えないでしょうか」



 そう言って、ウネルマは丁寧に腰を折った。

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