第14話

 明くる日。ライラと一緒にまた市場へと出かける。今日は買い物ではない。書字師の仕事に行くのである。


 昨日からの懸案である鍋の目処は立っていない。いや、目処というか、買おうと思えば買えると思うのだ。だがしかし、加熱処理をするだけの道具に金を出すのもなんとまぁ、などと思い始めると、なかなか踏ん切りがつかぬものである。


 金物屋の前を通り過ぎる際にチェックした価格としては、深底の片手鍋(注ぎ口付き)が5クラウンもする。朕のオブシディアンの首輪と1クラウンしか差がない。薄汚れた中古品でも1クラウン。ぐぬぬ。余裕が無いわけではないのだが、片手鍋一つに5クラウンはなぁ、などと考える内に市場に着いてしまった。


 いつもの如く、簡素な麻の下敷きを敷いて、背負ってきた木箱から道具一式を出して、木箱をひっくり返して机にすれば準備完了。『筆事承り〼』と書かれた木板を木箱に立てかけて、ライラはいつものように特製の鉄筆と羊皮紙――昨日メリル・フィンチ・ブレンナーで買ってきた最下級品の書き損じの束だ――を取り出して古ファーティマ語の練習を始める。表面加工の工程も忘れない。


 今日は中古でも良いので片手鍋を買える程度は稼ぎたいものよの。

 朕は看板の裏に刻まれた注視の刻印――先日朕が刻んでおいた。効果はその名の通り人の注目を促す――にオドを流しながら木箱の横に座って客になりそうな者を雑踏から探し始めた。


 幾らかの買い物客に声を掛け、そのうちの幾人かがタリスマンを買ったり、タダで作ってやったりしつつしていると、見覚えの有る顔を雑踏の中に見つけた。



 「そこな御仁、その後、加減は如何かな?」



 朕の声に弾かれたように振り向いたその老紳士は、初日に沈静化のタリスマンを作ってやったジェントリだった。



 「おお!おおお!やっと見つけた!」



 言うなり老紳士は店の前まで小走りで駆けて来て、帽子を取ると丁寧に腰を折った。



 「君達のお陰で妻とは上手く行ったよ。些細な事だったのだが、この歳になるとなかなか引っ込みがつかなくなってしまってね。しかし、君たちの作ってくれたタリスマンのお陰で、あの日の夜は素直に妻と話すことが出来た。礼を言うよ。本当に、ありがとう」



 細君とは上手く行ったようで何よりである、と朕が満足気に鳴いてみせると、老紳士は言葉を続けた。



 「実は君達に折いって頼みがあるのだ」



 老紳士はオリバー・ギャラットと名乗った。この近くで富裕層向けの仕立て屋を経営しているらしい。ナルホド。最初見た時は高級な生地を使っている訳ではないのにフルオーダーにしか見えない均整の取れた素晴らしい仕立てだと思ったのは、彼が自身で仕立てているからであったか。なかなか良い腕の職人がいるようだ。金払いも良かったわけである。きっと店も繁盛していよう。


 話を聞けばやはり繁盛しているようで、このトシュケルの街の行政官や駐在武官、果ては教会関係者にも顧客が多いらしい。



 「実は、最近店を大きくしようとブランメルに支店を出したんだ」



 ブランメルとは、オリバー氏によればこのトシュケルよりも上流、帝都にほど近い河川都市らしく、トシュケルよりもかなり大きな街らしい。トシュケルが河川輸送の中継地だとすれば、ブランメルは帝都へと運ばれる物品を取り纏める集積地の様である。


 聞けば、オリバー氏は帝都に支店というか、第二本店の様な旗艦店を作りたいらしいのだが、その足掛かりというか、試金石としてブランメルに支店を出したらしい。元々は帝都に旗艦店を置くアイディアは彼の息子が主張したらしく、彼の息子がブランメルの支店を任されているのだとか。中々遣り手の子息なようで何よりである。



 「その息子から先日連絡がありまして」



 何でも、ブランメルは近くの帝都に影響されてか、ファッションの流行に煩い土地柄らしいのだが、流行は移り行き最近は復古主義に傾いているのだとか。オリバー氏の店の腕っこきの職人を付けてやったこともあり、また息子殿の努力もあってブランメル支店は最近幾人かの上客を得ることに成功したらしい。



 「当店の自慢は古き良き時代のスタイルを今でも頑なに守り続けている事だったんだが、それが逆にブランメルの上流階級の方々には新鮮だったらしくてね。幸運なことに幾つかの商家に出入りすることが出来るようになったまでは良かったんだが、お客様からのご紹介で訪れた御新規様の注文で頭を悩ませているんだ」



 その御新規様というのは、テルミナトル帝国男爵位を持つ御仁の子息らしい。名をアルフォンス・ヴィルヘルム・ハンナヴァルト。ビルキンシュテン男爵家の次男とのことだ。

 ぶっちゃけ、全く知らん家名である。まぁ、朕が知っている様な家名は今の時代ではそれこそ太古より連綿と続く大貴族に成っていようから、知らぬのも当然と言える。テルミナトル帝国は再編を経ているようであるし、新興貴族なのかも知らん。

 や、戦争を経ているので多分新興貴族であろう。


 そのアルフォンス君はオリバー氏の息子殿に大外套マントを注文したそうだ。


 次男とはいえ、帝都社交界にも顔を出すであろう貴族の注文である。オリバー氏の息子殿は喜び勇んで注文を受け、手に入れられる最高の素材を使って、さらに職人を総動員し、店舗を挙げて大外套を仕立てたらしいのだが。



 「いざ納品となって、最初仕上がりを見たアルフォンス様は大変気に入られておられたのだが、試着の為に大外套を一撫でするなり大層お怒りになって、馬鹿にしているのか!と怒鳴るなり店を出ていってしまったそうなのだ」



 このままではブランメルの支店どころか、トシュケルの本店の方の評判までガタ落ちだ、と頭を抱えるオリバー氏。


 如何に男爵家、家督相続順位の低い次男――次男とはいえ、アルフォンス君には2人の姉と家督相続順位一位の長男君が居るらしい。

 チャントでウネルマに確認したところ、テルミナトル帝国は武勇によって成った帝国らしく、家督相続権において男女の優劣はないらしい――の注文とはいえ、帝都社交界にも顔を出す貴族――大抵の場合、法制度上貴族とされるのは当人と継嗣のみなので、正確にはアルフォンス君は平民なのたが、社交界では習慣的に貴族として扱われる事が多い――の注文に答えられなかったとあれば、そんな店は他の貴族からも見向きもされないだろうし、帝都進出など夢のまた夢、田舎で細々と仕立て業を営むのでさえ、もしかしたら危ういかもしれない。人の口には戸は建てられないからの。

 オリバー氏の焦りは当然と言える。


 それにオリバー氏が朕達を探していた理由が何となくわかってきたぞ。



 「一つ、確認するが、アルフォンス氏はデザインが気に入らなかったのではないのだな?であれば、考えられるのはアイディスが気に食わなかったか……そもそも、アイディスを施したかの?」



 朕の問に、オリバー氏はやはりか、と言う表情で頭を垂れる。



 「息子もアルフォンス様が何故お怒りなのか解らず、方々を駆け回って調べたそうなのだが、なんでも碩学的な処理が施されていなかったのが原因ではないか、との答えに行き着いたのだ」



 『アイディス』や『イディスの護り』と呼ばれる物は、言ってしまえば織り方や刺繍などによって衣服に碩学的な機構ギミックを仕込んだもの――守りの名とは裏腹に防御に限らず攻性の物も含む――の総称である。一人前の碩術師はこれを自身の衣服のいたる所に仕込んでいるものだし、大抵は自身で施すものだが、貴族に限っては他の者にアイディスを施させた衣服を着用することもある――碩学を究めんとする者であれば、他人に生殺与奪権を渡すようなものである為に極々親しい間柄、師弟や親子の間でしか行われないが――。むしろ、貴族などは腕のいい碩術師の施したアイディス付きの衣服を富の象徴としてこぞって身に付ける傾向にあるのも確かであった。


 そして、貴族に贈り物、まして衣服を売るなり譲るなりするのであれば、例えアイディスが施されていなくともアイディスを施すための素地を施した衣服でなければならない。もし、アイディスも施されておらず、施すための素地さえ整えられていない衣服を渡す様なことがあれば、無礼働で切り捨てられても文句は言えないだろう。理由は単純である。それは地位的格差からくる危険度によるところが大きいが、つまるところ「こんな無防備な服を着せて俺に何する気だ!」と言う事である。まぁ、傲慢といえば傲慢だが、慣習や礼儀というのは大抵そんなもんである。馬鹿らしいといえばそうなのだが、その埒内に居る場合は話が変わってくるものだ。


 まぁ、お陰で儲けられそうなのだから、文句は言うまい。



 「材料費そちら持ち、ステッチ加工なら100テール」



 「ひゃっ……」



 ポツリと呟いた朕の言葉にオリバー氏は息を呑んだ。



 「……もう少しまからんだろうか」



 ステッチ加工とは単純にオドの通りやすい素材でオドの軌道を縫い付けるだけである。オドを通すだけで、その軌道によって得られる効果が自動的に発動する。最も簡単な加工であり、普通は表地ではなく、裏地や中地に施す物である。中地が無い場合は羊皮紙や布に施して裏地に縫い付ける事が多い。


 他には刺繍加工など、視覚的な装飾を兼ね備えたアイディスとなると、ワンポイントでも数百テールは下らんだろう。流石に朕も刺繍まではできないので――主に裁縫の技術的に――、提示したのは簡単なステッチのみ。


 価格的には安いのか高いのかは朕にも判断がつかん。なにせ、こういう技術的な仕事は相場というものが無い世界であるからな。まぁ、書籍の保証金が3テールであり、ライラの二週間分の生活費が半テール、9クラウン程であるから、高いといえば高いのかもしれんな。


 だが、アイディスの知識がなかったことからして、オリバー氏の仕立屋は碩術方面にはとんと疎い、と言うより、彼岸の花程度にしか認識してなかったようである。だが、これから貴族と付き合うのであれば避けては通れぬ道でもある。その取っ掛かりが100テールで手に入るのであれば、安いと膝を叩いてもらわねばならん。


 なにせ、本来はこう言った物は、内容が露見すれば発揮する効果が露見し、ひいてはそれが命取りになることすらあり得る。業者は技術を秘匿するのが常であり、自ずと新たに業界に参入することは非常に難しくなるのである。なので、ビタ一文まかるつもりはない。



 「技術料と思うが良い。それに、加工に加えてレシピと設計図を作成しよう。出来上がりには一見しただけでは再現出来ないように偽装をかけておく。この意味、解るかの?」



 つまりは、製品に加えてアイディスの設計図に、糸の染め方などなどを教えてやると言っているのだ。


 意味はわからなくとも、アイディスは所詮軌道であり図形である。その軌道さえトレースしてしまえば幾らでも複製可能である。つまり、トレースする限りアイディスに新たな機能を盛り込むことはできないだろうが、同じ機能のものなら量産が可能という事。


 そのまま複製するにせよ手を加えるにせよ、碩術初心者のオリバー氏のお店ならば、喉から手が出る様な条件のはずである。



 「……解りました。宜しくお願いします」



 商談成立である。その後の交渉によって、オリバー氏には必要機材として片手鍋と、追加の報酬としてライラ用の完成品外套コートを約束させた。必要な材料を言い渡し、材料が用意出来たら使いの者を寄越すようにライラの下宿を伝えておく。


 その日は奥手の主人に野獣になってもらいたい奥方と、逆に想いを打ち明けるために蛮勇が欲しい青年君の面倒を見ていたら太陽が赤く染まっていた。


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