第10話

 とは言った物の。


 まずは喋れなければならぬ。会話こそが最も効率的な意思伝達方法であることは疑いようがないのだ。我々が人間である限り。いや、朕は今猫であったか。相手が人間である限り、だな。


 ライラは家に帰ってくると、直ぐに写本の手仕事を始めた。頁数も多いしの。今週中に仕上げなければ来週は飯抜きである。まぁ、無理だと思うが。


 日も暮れて明かりは夜空の月明かりだけとなってもライラは懸命に写本を続けていた。早いところ蝋燭でも買ってやらんと目を悪くする。まぁ、メガネと言うのも女を引き立たせる小道具の一つでは有るが、如何せんあれは何かと不便だ。裸眼で生活できるに越したことはない。


 朕はと言うと、ライラが机にかじりついてしまったのを良いことに、早速喋る為の方策を練っていた。

 ライラは今日、無駄遣いとも言えたが良いものを朕に買ってくれた。その心遣い無駄にはせぬ。


 朕は首から下がった大粒のオブシディアンにオドを込める。内部の分子一つ一つにオドを浸透させると、オブシディアンの内部で小さな幾つもの光が明滅し始めた。


 オブシディアンに浸透していくオドの抵抗や反射から内部構造を把握、更にはその反応を収束法シュレーディングでもって分子地図ハバート模型に落とし込む。そしてその分子地図ハバート模型を元に分子単体に個別に印付しながら慎重に各分子を少しずつ移動、変成させてオブシディアンの中心部に極小の碩術式を刻み込んだ。


 かなり高度な錬金術の変成を試行錯誤しながら行ったが、朕の手にかかればほんの一刻程度の作業である。

 オブシディアンと言うものはガラス質の鉱石ながら、オドやマナに対する反応性が良い。不純物が多すぎるので最高というわけではないが、それなりに使えると言えよう。最高品質のものはやはり高純度石英から精製、成長させた超高純度単結晶水晶モノクリスタルであるが、まぁ、声を出す程度ならば錬金術で変成させてやればオブシディアンでも十分だ。


 オブシディアンは変成させると熱が発生し――これはオブシディアン固有の特性ではない。往々にして分子構造をいじるには分子間の結合を解除せねばならず、熱エネルギーが発生してしまうのだ――直ぐに白い発泡した石パーライトになってしまうので、多数の碩術を同時展開して発生した熱を上手く逃しながら作業を行わなければならないのが錬金術の錬成における最も困難な技術である。まぁ、朕にかかれば分割した思考の十や二十、それこそ鼻歌交じりで展開できるがの。


 黒光りするオブシディアンの中心に変成され幾筋もの金色の光の筋がより合わさり、まるで猫の目にも見えるそれを覗き込みながら、朕はその成果に一人、満足した。

 見た目にも満足の行く出来栄えである。

 金の筋に見えるのは刻み込まれた碩術式の回路だ。オドを通せば予め定められた動作を行う簡単なもの。


 構築した碩術式は超単純明快だ。音を出す。それだけだ。


 最初はオブシディアンの内部に振動子と振動板を設けて、思念波の強弱で周波数をコントロールする小型のスピーカーを作ろうと思ったのだが、如何せんオブシディアンに含まれる元素だけでは上手いこと振動板を作成できないことに気がついて断念した。オブシディアンに含まれる酸化アルミニウムからアルミニウムを生成できないか試したのだが、これがどうにも……。酸化アルミニウムを還元するにはやはり電解するしか方法がないからのう。


 分子単位で分解すれば物質変換を介してどんな元素でも作成可能では有るが、それをするとせっかくライラが買ってくれたこのオブシディアンを鋳潰す様なことになってしまう。それはダメだ。

 仕方がないので、昨日朕が試した印付によって周囲の大気を発振させる事にした。発振処理のみをオブシディアンの内部に刻んだ碩術式によって自動化し、周波数コントロールも思念波に連動するよう調整する。


 さて、それでは、遂に言葉を発してみようかの。







 私、ライラ・デアフリンガー・ネルソンは、突然背後で鳴り響いた耳を劈くような怪音に、それまで写本作業をしていた机から飛び起きた。



 「VooooooooooooooooohhhhhhhhhhhhhhhhhhhhiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiRRRRRRRRRRRRRRRRuuuuuuuuuuuaaaaaaaaaaaaaaaaaaaiiiiiiiiiiiィィィィエエエエェェェェェェァァァァァァアアアアア!!!」



 振り向けば、ベッドの上でナヴィが難しい顔をしながら、今朝私が買い与えたオブシディアンを見つめている。



 「RRRRRRRRRRRRRRRIIIIIIIIIIIIIIiiiiiiiiiiiiiiiii……RRRRRRRRRRRRRRRuuuuuuuuuuuuaaaaaaaaaaaaaaaァァァァァァァァ……」



 怪音はナヴィの方から聞こえてくる。と言うより、ナヴィが首から下げたオブシディアンが、怪音とともに薄く金色に発光していた。



 「VVVVVVVVVVVVVVaaaaaaaaaaaaaaaaa……AAAAAAAAAAAAAAAaaaaaaaaa……ぁぁぁああああああああああ、あ、あ、あ、あ、あ、え、い、う、え、お、あ、お」



 段々とナヴィが発した怪音が少しずつ意味のある音に聞こえるようになった時、ただの低級使い魔の黒猫であったナヴィは流暢に喋りだしていた。



 「騒がせてすまんの。周波数の同期に手間取ってしまった」



 絶句する私を前に、ベッドの上で前足を揃えてチョコンとお座りしたナヴィは、まるで私の反応を面白可笑しく観察するようにその金色の瞳でじっと私を見つめていた。



 「改めて自己紹介しようかの。朕の名は……いや、其方が付けてくれたナヴィのままで良い。真名など、それこそ記号に過ぎぬからの。見ての通り、其方の召喚に応じて、顕現した其方の使い魔に相違ない。召喚の際、其方の願いを叶えることを約した、少し小さな知恵袋とでも思ってくれるが良いぞ。朕は其方の望みどおり、其方が全てを手に入れ、『めでたし』と宣うま……おいやめろ!髭を引っ張るんじゃない!」



 ナヴィのそこはかとなく尊大な喋り方が気に食わなくてつい、引っ張ってしまった。ナヴィが喋りだした事への驚きよりも、その感情が勝ってしまった。

 なにこの黒猫。私の使い魔のくせに凄い生意気なんだけど。突然喋りだしたりして。なによこの子、猫のくせに。なによ。ちょっとかわいーじゃないウリウリ。



 「こっこっっこら!笑顔で髭を引っ張るな!」



 パチリ、と手に走った衝撃に、咄嗟に私は手を引っ込めた。何?静電気?



 「ええい。猫の髭は空気の流れで方向感覚を読み取る大事な器官ぞ!悪戯に引っ張るでない!しかも神経が集中しておるから痛いのだぞ!」



 「……ごめんなさい。なんか可愛くて、つい」



 そう。なんか、尊大で、ふてぶてしくて、可愛くて、つい。と言うか、やはりあの卒業の儀ケラヴゼナでの声は、やはりナヴィの声だったのだ。

 いや、あの時聞こえた声はもっと低く、威厳に満ち溢れたものだったけれども。今のナヴィの声はまるで子供のように甲高い。……なんか違う気もする。



 「何やら、疑っておるような視線じゃのう」



 だって、あの時感じた威厳に満ち溢れた声は、それこそ王侯貴族と話しているような迫力があった。貴族の人と話したこと無いけど。

 それが、目の前のナヴィと来たら、言葉遣いこそ尊大だけれど、声は高いし、見た目は黒猫だし。なんかこう、ウリッ!て感じで弄くり回したくなるのだ。

 それこそ、悪戯なピクシーです、とでも言われた方が納得がいく。



 「まぁ、この声音ではな。致し方ないとも言えよう。其方がくれたオブシディアンを少し弄ってみたのだが、どうも出力不足のようでのう。周波数を低くすると途端に音が割れてしまう。まぁ、この際朕をその辺の悪戯ピクシーと思って貰っても一向に構いやせぬがの」



 「本当に、ナヴィはあの時ケラヴゼナで答えてくれた英霊なの?」



 あの時、魔法陣から吹き出した壮絶な光は、今でも脳裏に焼き付いている。


 あの時、語りかけてくれた荘厳な声音も、未だに耳朶に残っている。


 私はあの時、あの声を聞いてひどく狼狽して、そして浅ましくも期待したのだ。一体どんな英霊が私の呼びかけに応えてくれたのか。でも、召喚されたのはただの黒猫だった。


 只の黒猫では、当然あのルクレチアの様に中央に招聘されるなんて事は、絶対にない。私はあの時、私の運命というか、実力というか、私自身の価値を突きつけられたようで、悲しかった。可愛かったけども。


 その黒猫が、今更喋りだしたとしても、私には何の感慨も沸かない。例え、召喚直後に喋りだしたとしても、喋る黒猫を召喚した碩術師には誰も見向きもしなかったはずだ。



 「その通り。朕は、其方の『めでたし』と宣って死にたい、と言う願望に惹かれて、其方の前に顕現した」



 ……私の額を一筋の汗が伝う。



 「……よもや、覚えておらぬと?」



 ……たしかにそんな事、思ったかもしれない。いや、確かに思った。と思う。


 でも、あの時は必死だったのだ。誰も私の呼びかけには応えてくれなくて、このままでは召喚失敗なんて言う前代未聞の大珍事になるところだったのだ。

 あの時は必死にマナを放出して、朦朧とする意識の中でやっと応えてくれた声に、精一杯助力を乞うただけだった。

 ……何を願ったかなんて覚えてないし……。


 確かに「何がほしい」という声は聞こえた。最初に私の頭に浮かんだのは何だったか。「お金」か。「高等学校に入れるだけの使い魔」だったか。それとも、私の少ないマナを補う何かだったか。どうだろう。どれも欲しかったのは間違いがない。そうだ。だから「全て」と答えた……かも知れない。


 気まずそうに考え込む私を、ナヴィは疑わしそうに目を細めて見つめていたが、一つ溜息をつくと諦めたように続けた。



 「まぁ、良かろ。大体の話は聞き及んでおるしの。召喚の際のやり取りなど、朕が解っておれば良いこと、か」



 んんん?話を聞き及んでいる?誰に?ナヴィって前から喋れたっけ?いや、ナヴィが喋る度に首元のオブシディアンが明滅しているのを見ると、私の買ってあげたオブシディアンで声を発してるように見えるけど。そんな大層な機能がある石じゃなかったよねオブシディアンって。



 「……ナヴィってさ、もしかしてそのオブシディアンで喋ってる?」



 「然り。猫の口腔構造では人語を喋ることはできんからの。最初は無駄遣いと思うたが、其方はなかなか良いものを買ってくれた。ちょちょいと弄って発声機を作ってみた。凄かろ」



 ……ちょちょいと弄って?どうやって?もしかして碩術?



 「ニャハハハ。もっと尊敬しても……髭を引っ張るでないぞ」



 なんかムカつくので右手をワキワキさせたら、両の前足で顔を押さえてナヴィが後退った。かわいい。



 「朕も其方に召喚されてここ迄姿位の格が落ちるとは思わなんだ。言葉も喋れぬのでは其方の望みを叶えてやることも出来やせぬ。故に、其方のくれたこのオブシディアン、有効に使わせてもろうた迄よ」



 と、ナヴィは誇らしげに首から下げたオブシディアンを持ち上げてみせた。青黒い楕円のオブシディアンの中心に、金色の絹のような線が幾筋も入ったそれは、私の買ってあげたオブシディアンとは全くの別物になっていたが、ナヴィの体毛と目の色のようで至極美しい。



 「それ、碩術、なの?」



 そんな碩術は私は聞いたことが無い。幼年学校でもそんな碩術は教えてくれなかった。なのに、ナヴィは割りと簡単なニュアンスでそれを成したと語った。



 「然り」



 私がナヴィの首に下がったオブシディアンを手に取ると、淡い明滅とともにナヴィの声が聞こえる。



 「碩術とは火をつけたり、敵を攻撃したりするのが全てではない。この世界には数々の法則があり、それを利用しながら事を成すのが碩術という技術体系である。どうも、聞いた話に依るとこの国の碩術体系は軍事面に殊更傾倒しておるようであるが、本来の碩術とはこの様に有り触れた不可能を可能にするための物であるからの。まぁ、この発声機は、少し手が込んでおる、とは自画自賛しておこう」



 オブシディアンに触れてみれば、明滅する度に微かに手に抵抗が伝わってくるのが解る。どのような原理でそうなっているのかは私には全くわからないが、それが素晴らしく高度な技術の結晶であることは感じ取ることが出来た。



 「私にも、こんなものが作れる?」



 思わず私の口から漏れたそれは、一つの技術を齧っただけの初級者が、到底理解できないまでも同じ技術体系に於いて実現された軌跡のような技を見せられ心震わせられるような、希望と興奮から出た言葉だった。



 「可能であろうな。碩術を極めれば、この様な玩具の作成など、容易い。朕が、それを其方に成してみせよう。今すぐとは行かないが、其方が少しずつ研鑽を重ねれば、必ず」



 「私、マナの総量が少ないけど、出来る?」



 私のマナ総量は少ない。それこそ悲しくなるほど。だから幼年学校で習った幾つかの碩術も、ウネルマ先生に教えてもらった励起も、燃焼も、まだまだ思い通りとは全く行かない。マナ効率とか節約術、なんて物も幼年学校の先生は少し教えてくれたが、それでも全く足りない。


 それはつまり、碩術師に必要な資質が不足しているということ。幼年学校の先生も「マナの総量が多ければ多いほど、優秀な碩術師と言える」と言っていた。それは私にとっては絶望的な宣告だったのだ。

 そんな私でもこんな素晴らしい工芸品を作ることが出来るのだろうか。いや、その答えは聞きたくなかった。大体予想がつく。なのに、思わず訊いてしまった。その事に、私は恐る恐るナヴィを見上げた。



 「一つ、訂正しておこう。其方がマナ、と呼称する物は極々微量の質量を持った波の集合体であり、ミクロ的には粒子として振る舞う物の総称であり、ある一定の識閾を持つ個体から発せられるものをオド、と呼び、空間に普遍に存在している物をマナ、と呼ぶ。だから、其方がマナと呼ぶものは正確にはオドと呼ぶのが正しい。オドとは先も述べた通り識閾を持つ個体によって観測、確定され方向性を持った存在であると共に、それ以外の性質はマナと同じであるといえる」



 「ごめん何言ってるかわからない」



 「つまりはな。其方に不足しておるのはオドの量であって、マナではない」



 「つまり、やっぱり私には無理ってこと?」



 マナだろうがオドだろうがそんなの関係ないのだ。私には不足しているものが有って、そのせいで私は特待生にはなれなかった。立派な碩術師になれるのか否か、それが問題なのだ。



 「話をよく聞け。先も述べた通り、マナとオドの違いは方向性を持っているか否かであり、正確には自身の占有体系下ポゼッション・ツリーに組み込まれているかどうかだ」



 「ポ……ポゼッション……何?」



 「ポゼッション・ツリー。……むぅ。喋れても説明とは難しいものよの。結論から言おう。足りなければ何処かから持ってくれば良い。それだけだ。マナは方向性を持たないだけで本質的にはオドと変わらない。なれば、大気に充満するマナに方向性を持たせて自身のオドとして活用すればよいだけの話である。これを占有化ポゼッショニングと呼ぶ。体内の酸素が足りなくて動けないのであらば、息を吸えば良い。同じことであるの」



 その時、多分私は何を言われたのか半分も、いや、百分の一も理解できていなかった。



 「よろしい。一つ、手本を見せよう」



 言うが早いか、ナヴィの足元に淡く緑色の光が漏れ出した。



 「マナとは方向性を持たない波の集合体だ。自身の制御下に置き、方向性を持たせればそれはマナからオドとなる」



 ナヴィの足元に溢れた緑の光が、ナヴィが話すに従って少しづつ明確な形をなしてゆく。



 「制御下に置くのは至極簡単だ。マナとは方向性を持たないが故に、周囲の方向性を持った力に倣う特性がある」



 やがてその緑色の光は極細の無数の線となって紡がれ、いつの間にかナヴィの足元には砂粒一つ分も入り込むことが出来ない様な精緻な魔法陣が紡ぎ出されていた。



 「なれば、マナに自身のオドを当ててやれば自ずと周囲のマナは当てられたオドの周波数、ベクトル、角運動量ナドナド、その他諸々に倣って同じように運動を始める。運動を始めたマナは、自身のオドと同じ周波数、ベクトルなどの特性を持つようになる」



 精緻な魔法陣から溢れた光は、ナヴィの周囲を段々と同じ緑色へと染め始め、やがて目に見えてアウラが立ち上り始めた。



 「同じ周波数、ベクトルを持ち始めたマナを制御するのは簡単だ。其方もやってみれば解るだろうが、自身のオドを少しずつ外側に拡張する感覚で、順繰りに制御下に置けば良い」



 そして、その立ち上ったアウラは、やがて少しずつナヴィの体の中へと吸収され、そして足元の魔法陣も少しずつその光を失ってゆく。

 それと同時に、私の中にとても熱い何かが流れ込んでくる感覚。体の奥が温かい何かで満たされていく感覚。


 それはマナ――いやナヴィに言わせればオドか――を放出した時の様に体の芯がだんだんと冷たくなってゆくのとは逆の感覚だ。



 「暖かろう。朕のオドは其方のオドだ。朕がマナをポゼッショニングして吸収すれば、それは其方のオドとなる。朕は其方の使い魔じゃから当然じゃの。何せ、朕を構成するオドは其方から供給されておるのだから」



 ナヴィが言い終えるのとほぼ同時、ナヴィの足元の魔法陣は完全に光を失い、また私の中に流れ込んでくる暖かな奔流もまた止まった。



 「これ、私にも出来る?」



 ほんのりと熱を持った両手を見つめながら、私は思わず呟いていた。



 「可能であろうな。どれ、手伝ってやろう」



 ナヴィはぴょんとベットの縁を蹴ると、一足飛びで私の左肩に飛び乗った。



 「先ずは感覚をつかむことだ。どれ、朕が先導してやろう。目をつぶるが良い。人間は視覚的な生き物であるからして、視覚に頼らずに感覚のみに集中したほうが初心者にはわかり易かろう」



 ナヴィの言葉に従って私は目を瞑る。



 「まずはオドの放射だ」



 途端、私の中心部分が少し熱くなる。



 「今其方のオドを少しばかり励起した。解るか?」



 「解る。暖かい」



 「まずは簡単に円運動から始めてみよう」



 すると、体の芯の熱かった部分が少しずつ、少しずつ水に溶け出すように体の外側へと熱さを薄れさせながら広がってゆくのがわかった。



 「よし。回すぞ?」



 ナヴィが言うが早いか、熱さはゆっくりと回転運動を始める。

 すると、その熱さが冷たい水の入ったコップを握った様に、徐々に回り始めた熱の外側に向かって拡張していくのがわかった。



 「どうかの?」



 「凄い。体の感覚が、外側に広がっていく」



 熱は少しずつ外側へと伝わって行くのに、熱の強さ自体は変わらない。冷たい水の入ったコップを持った様に、コップの中の水を温める代わりに水の温度が上がるのと同じような感覚だが、しかし手が冷たくなるようなことはない。熱を持った円運動を続ける層が段々と分厚くなっていく感覚。


 まるで、ミルクを垂らした紅茶の中心をティースプーンでゆっくりとかき混ぜるようだ。段々と回転運動が外側に向かって伝わっていき、大きな渦になってゆく。



 「その厚くなった部分が其方の占有体系下ポゼッショニングに入ったマナじゃ。其方の思い描く方向性を持ったマナは、ソナタのオドでもある。後は、このマナを自身の中に取り込むのも、そのまま任意の方向性を持たせて碩術として行使するも、其方の自由じゃよ」



 ナヴィの言葉とともに、円運動が収縮され、外に放った熱量よりも多くの熱量が私の中心へと引き戻された。



 「これが最も簡単な占有化ポゼッショニングであるるな。次は其方がやってみよ」



 言われて私もやってみる。体の中心の熱さを、少しずつ円運動させていく。それを少しずつ回転半径を大きくさせて、体の外へと放出していく。



 「ゆっくりで良いぞえ」



 放出した途端、熱さは霧散して体温が一気に奪われたような気がした。オドの放出を行った時の感覚に似ている。失敗?したようだ。



 「焦らず、ゆっくりと練習すれば良い。ほれ、もう一度」



 言われて、私は気を取り直して円運動を再開させる。今度はゆっくりと。



 「コツはの、自身の思い描く運動をオドに正確に伝える事だ。自身の運動イメージと実際のオドの運動、正しくは軌道と角運動量なのだが、それがかけ離れると失敗する。ゆっくり、じっくりとオドを制御するのだ」



 ゆっくりと、正確に。そうして、丁寧にオドを制御し続ける。段々と半径を大きくしてゆき、やがて体の外へ。



 「よし。そのまま、そのまま、焦らずにオドの運動を維持せよ」



 体の外に出たオドは途端に制御しにくくなった。額に汗が浮き、喉がヒリヒリと乾いていくのがわかる。

 それと同時に、回転させたオドが段々と外側に向かって、ゆっくりと分厚くなっていくのがわかった。



 「成功したようだの。あとは、広げた運動半径を狭めてみよ」



 凄い。放出したオドの熱よりも多くの熱が体に入ってくるのがわかる。

 私はその全てを体の中に引き寄せると、ぷはっと息をついてしまった。呼吸が荒く、ひどく精神的に疲れた気がしたが、体の芯に宿った熱は先程放出する前よりも余程多い。


 ――オドが、補充できる……。


 その事が、たったそれだけの事が、回収した熱量以上に私の胸を熱くさせた。



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