第11話

 「其方、筋が良いの」


 とは、上辺だけの事。内心朕は驚愕を禁じ得ない。


 ポゼッショニングは基本でありながら高等技術なのだ。本来は師に何度も導かれてオドの流れる感覚を掴むことから始めなければならない。

 オドとマナは方向性を持つか否かの違いしか無い根本的には同質の物。当然、体外へと放出すれば周囲のマナの無秩序で方向性のない運動に晒されて、オドという物は途端に術者の制御を離れて霧散する。マナがオドの運動に従うように、オドもまたマナの運動に従ってしまうのだ。それを常に制御し、任意の運動を与える技術と言うのは、一朝一夕に出来るものではない。本来なら。


 それが、少し教えれば真綿が水を含むがごとく、瞬く間に新しい技術を己のものにしたライラ。

 もしかすれば、これまでその少ないオドで遣り繰りしようと努力してきたが故に、自然とオドに対する制御や感覚が培われてきたのかもしれない。


 これは、僥倖じゃの。


 それは、災い転じてなんとやら、と言うか。

 オド総量の大小は常時供給が必要な使い魔にとっては優劣の対象となろうが、こと碩術を行使するにあたっては何の障害にもならない。寧ろ、その御蔭でオドの制御に長けるのであれば、むしろオドの総量など幼少の頃は小さいほうが良いのかもしれない。


 碩術とは、究極的にはオドという原料を使って何を成すか、という事に他ならない。原料が多いのは確かに有利だが、今やってみせたようにやりようによっては何処からでも調達が可能なのだから重要なのはその制御技術なのである。

 幾ら純白の大理石が沢山あっても、それを価値あるもの、例えば彫像に加工するのは技術を持った者が最重要であるのと同じである。大理石など、割りとそこら中で掘れるし、大理石でなければ人々を引きつける素晴らしい彫像が作れないわけではない。加工技術。それが重要なのだ。


 ライラは未だ加工技術は未熟なれど、器用な手先を持っているのと同じことだ。

 面白い。教えたことをすんなりと吸収する、ライラという存在が俄然愛おしく見える。彼女は教えただけ、覚えるであろう。そして高みへと上り詰めてゆく。


 その事が、朕の魂を震わせる。教えるということがこんなにも面白く興味深いものであるとは思わなんだ。

 よし。では次の段階に移ろう。善は急げである。



 「慣れれば……この様に一瞬で周囲のマナを回収することも出来る」



 そう言って、瞬間的に魔法陣トゥグラ・サーキットを展開、周囲のマナを吸収してみせると、ライラは目をキラキラさせた。



 「……凄い、早い……。もしかして、ナヴィみたいに一瞬でマナを吸収できれば、大規模碩術でも連発できる?」



 ほほほ。そこに気がつくとは、良いの。全く持って、良い。



 「場に満ちたマナは有限だ。マナの薄いところもあれば、濃い所もあるから、どれだけの碩術がどれだけ行使可能かを見極めねばならぬが、やりようによってはマナの濃い薄いなど関係なく連続して大規模碩術を行使することは可能だの」



 そう言って、朕はもう一度魔法陣トゥグラ・サーキットを展開する。

 展開された魔法陣トゥグラ・サーキットは先程と同じく淡く緑色に輝いているが、魔法陣トゥグラ・サーキットを巡るオドの運動により占有化ポゼッショニングされたマナの層は先程に比べれば殆ど無いに等しい厚みに留まっている。



 「見よ。この部屋の中のマナは粗方回収し尽くしてしまった。もうこれ以上はマナを回収することは出来ぬ。その内周囲のマナがこの部屋の空隙を埋めるであろうが、元のマナ濃度に戻るには一晩か、二晩か、時間がかかるであろう。即座に更なるオドを補給したければ、場所を移動するか、もっとマナが濃い、若しくはマナの湧出泉を占有化ポゼッショニングしておけば、問題ないであろう。特に何処かに湧出泉を見つけて占有化ポゼッショニング出来れば、オドに困ることなど到底有りえぬな」



 朕の説明を聞きながら、ライラの顔が段々と険しくなってゆく。良いな。朕の説明をキチンと理解している証拠である。



 「……それって、自分から離れた場所からオドを回収できるってこと?」



 「その通り。一人前の碩術師たるもの、誰にも知られていない秘密の湧出泉の一つや二つ、持っておるものだからの」



 朕の言葉に、ライラは目を白黒させている。先程周囲のマナを取り込むのが余程難しかったと見える。カカカ。



 「マナ、と言うものは場に留まる事が出来る総量については場の様々な条件に左右される癖に、占有体系下ポゼッショニング・ツリーに入ってしまえば、相対距離という概念が無視出来る性質を持っている。この理由は未だによく解っておらんが、一説にはマナというものは元々我々の次元よりもより高次元の存在であるため、我々の次元では距離という概念が意味をなさないとか、同じ運動をするマナはマクロトポロジー的には同一視出来るために碩術の行使時には、碩術師やその他諸々の視点から見れば遠距離をワープしたように作用する、等と言われてはおるな」



 おお。流石にこのレベルになるとライラも話について来れんか。ライラは眉を逆八の字にして必死に朕の言葉を理解しようてしているようだったが、まぁ、まだ早い。理論など後からわかれば良い。物理法則が解らなくとも石は投げられるし、練習すれば狙った所に寸分違わず当てられるというものだ。



 「具体的に言えばの。どこかマナの潤沢な場所に自身のしるしを刻みつけておいて、そこにオドを流し込む。そして常にそのオドの運動を保っていれば必要なときに必要な分のオドが抽出できる、と言う風に理解しておけば良い」



 「印、って、さっきナヴィが出した魔法陣のこと?」



 グフグフ。良いのう。理解の早い生徒は教師として何と心地の良いものか。



 「左様。あれはトゥグラ・サーキットと言う。同じ運動をするオドが近くに複数あると、マナを上手く取り込めなくなる。だからオドの運動を成る可く複雑にし、他人のオドと差別化する必要がある。そしてそのオドの軌道の事をトゥグラと言う。この軌道を体に叩き込み、常に一瞬でトゥグラ・サーキットを展開出来るようになれば一人前だな」



 そう言いながら、もう一度朕は足元にトゥグラ・サーキットを展開する。緑に淡く光る精緻なサーキットをライラがゆっくりと目で追ってゆく。



 「凄い。綺麗……」



 ふふん。そうであろう。碩術師は皆、自身のトゥグラを編み出すために七転八倒しながら如何に美しい軌道を描けるか、人生の内で決して短くない時間を懊悩するのが常である。朕のトゥグラは自画自賛になるが、芸術的であり位相幾何学的にも非常に優れた作品である。軌道であるからして、オイラー閉路一筆書きでありつつも、その軌道でオドを運動させるだけで様々な副次効果をもたらし、更に起点によって様々な複数の効果を状況によって使い分けられる、視覚的にも機能的にも高次元に纏めたトゥグラである。美しくないわけがないのである。もっと褒めてもよいのだぞ。



 「そうさの。其方に、トゥグラを授けよう。何、最初だからな、心配することはない。複雑なものではなく簡単なものだ。しかし、トゥグラとは自身を表す象徴であり、碩術的に大きな意味を持つものだ。碩術契約書の作成には必須のものであるし、一つ持っていれば将来必ず役に立つであろう」



 そう言うと、ライラはまた目を輝かせる。うむうむ。まっこと、授け甲斐があるというものよ。


 朕はライラの肩から床に降りると、一足飛びで先程までライラが向かっていた机へと飛び乗る。

 今度はライラも朕を叱ったりはしない。


 朕は机の上に有ったペンを印付でヒョイと持ち上げると、ライラが声を上げた。



 「凄い!碩術って、そんなことも出来るの!?」



 そして、印付によって淡くペンの表面に浮かび上がった朕のトゥグラ・サーキットを見ながら、更に声を上げた。



 「これ、もしかしてポゼッショニングしてるの?」



 朕はニヤリと口角が上がるのを禁じ得なかった。本当に聡いのこの娘は。



 「然り。これは印付という。ポゼッショニングにもトゥグラ・サーキットを使うと非常に効率が良い。今、このペンは朕のポゼッショニングを受けており、この世界の法則からは切り離された状態になっておる。この様に物体を任意に動かす事をテレキネシスと言う」



 「……その、ポゼッショニングした物体は動かせる、って事?」



 「簡単にいえばそうであるが、実際は物体が内包するオド……識閾が低いからマナというのが正しいが、それをポゼッショニングしておる。そうすることによって、今このペンはこの世界からズラされた状態にあるということだ。ズラせばズラす程、物体は動くが、この制御は非常に難しい。追々、教えようぞ。その為にも、先ずはトゥグラの作成と暗記が最優先じゃの」



 そう言って、印付したペンにインクを付けて、真っさらな羊皮紙にペンを走らせる。



 「最初は覚えやすいものが良いであろ。追々、自身のトゥグラを考えねばならぬであろうが、当面はこれを使うと良い」



 羊皮紙の四分の一ほどの面積にサラリと円形に配した記号と文字で図形を描く。



 「……なんかナヴィのに比べて凄い単純そうだけど、なんて書いてあるの?」



 まぁ、朕のものに比べれば線の数も密度も桁違いに少ないが、多ければ多いほど覚えるのが大変であるし、オドを正確に軌道に乗せるのが難しくなる。最初であればこれで十分であろ。



 「いきなり複雑な物では覚えられんであろう。これは古ファーティマ語で『謙虚にして無垢なる生命の息吹』と言う意味の文章を印章的に配しただけであるな。其方の名、『ライラ』の花言葉に因んである。画数も少なく、覚えやすかろう」



 古ファーティマ語は表意文字であり表音文字でもある、碩術とは非常に相性が良い古代言語である。表音に依る単語の表現と表意に依る別の意味を重ね合わせることで文章が成立する非常に難解な言語だ。朕が知る限り、解読できているのは現存する文献の中で極々一部だけにも関わらず、複数ある書体を効果的に用いれば碩術的に非常に高い効果を発揮する。まぁ、追々ライラに習わせるのも悪くない。古ファーティマ語を理解する女性、と言うのは、一部の洒落好きの知識層にしてみれば、御伽噺の中の姫程度には信奉の対象となりえるからの。うむ。みなぎってきた。其方をサーク……社交界の姫にしてみせよう。



 「そら、練習してみよ。先ずは、そのトゥグラを寝ていようが起きていようが歩いていようが走っていようが、瞬時に正確に描けるように成ることだ」



 朕の描いたトゥグラを歎美するように見つめていたライラにペンを渡してやると、ライラは見本を横目に一生懸命余白に書き取りを始めた。

 一心不乱に練習を重ねるライラを見つつ、インクの残量が朕の目に入る。


 ぬう。早々に金策をしてやらんとトゥグラの練習にも事欠く事になるの。練習用にペンに細工をしても良いかもしれんな。


 ライラは日付が変わってもトゥグラの練習を止めようとしないので、朕は仕方なくライラを諌めて床につかせたのだった。

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