第15話

 明けて次の日。オリバー氏は余程困っていたと見える。早速、片手鍋とステッチの生地に無染色のシルクの糸を持った丁稚がライラの下宿を訪ねてきた。ついでに手付か、20テールを紙幣で持参していた。

 

 丁稚曰く、今用意できる現金がこれしか無い、とのことなので、残りは後払いという事にしておく。


 余りに対応が早くて朕も面食らった。これは早めに対応してやらねばなるまいて。



 「ライラ、今日はちと遠出しよう。山歩きの準備をしてくれ」



 朕の言葉にキョトンとしていたライラだが、言われるがままに山歩き用の準備――と言っても頭に頭巾をかけて、採取用の籠の中にスキレットと塩と火打石とを放り込んだら準備完了――をして下宿を出た。


 ライラは籠の中身を頻りに気にしていたが、まぁ、後のお楽しみだ。

 目指すはその辺の野山。トシュケルは川に面した港の反対は森に面している。ライラの下宿は森側にあるから、遠出と言っても一日もあれば行って帰ってこれる。


 オリバー氏の丁稚が持ってきた材料では幾つか足りないので、それを採りに行く。まぁ、市場販売などされているものではないから仕方がないのだが。


 途中、パン屋で昼飯にする焼きたてのフィセル精白パンを買う。普段なら固い黒パンなのだが、今日は少しだけ奮発した。まぁ、理由は後で分かる。金物屋で小振り――といってもライラにとっては大振りな――シースナイフを購入。まぁ、森で採集なら後々必要になるし、その他にも何かと役に立つであろう。少々出費が嵩むが、手付金も有るので購入した。ライラは「包丁じゃダメなの?」と渋っていたが、ライラよ、野外活動をするならそれなりの装備というものが必要なのだ。それに家庭用の包丁では機能面で少し用途が違うのだ。特に包丁は安全面で『刺す』と言う機能が意図的に機能しないようになっておるからな。


 通りがかりに肉屋でバターも買っておく。ついでに奮発してチーズも2欠片買った。香辛料もなにかあると良かったのだが、そちらは市場に出向かないと無い様だった。仕方がないので森でハーブやファジャオでも探そう。

 そのまま街をテクテクと歩き、森への玄関口である木工所の傍を通って森に出る。


 木工所で丁稚をしているサミュエルがライラを見つけて絡んできたのはご愛嬌だ。異性が気になるお年ごろなのだから仕方ないの。ついでに大鋸屑を少々貰っていく。



 「ライラ、その黄色い花を付けた下草を摘んでおくがよい。・・・・・・あ、引っこ抜くでないぞ。花の近くに付いているまだ開いていない蕾だけで良い」



 森に入って少し歩けば、樵たちが使う道すがら様々な草花が顔を出し、その都度ライラに細々と注文をつけては材料を採らせる。



 「これ、どうやって使うの?」



 花の蕾やら草の根やら茎やら、果ては枯れた樹木の樹皮まで言われるがままに採集していたライラがふと疑問を口にする。



 「その蕾は痛み止め、樹皮は熱冷まし、その根は消毒剤になる。その葉は、香草の一種だ。塩と混ぜるだけでグッと味が良くなる」



 「え……オリバーさんのアイディスの材料じゃないの?!?!」



 ライラは今の今までオリバー氏の依頼に必要な材料の収集だと思っていたらしい。



 「いや、アイディスの材料に必要なのはクランダークと言うキノコか、ウォードの茎だな。別の物でもいいが、これが一番手に入りやすい。さして貴重なものではないから森を歩けば幾らかは都合できるだろうが、どこに生えているかは歩いてみないとわからぬのでな。せっかく薬煎用の片手鍋が手に入ったのだから探す間は役立ちそうな薬草を採っておく方が効率が良かろう?」



 「そう……かな?って言うか、この木の皮とか蕾ってお薬になるの?」



 「なるな。どれも煎じて飲ませるだけでそれなりに効果のある薬になる。使い方を間違えなければ、だがな。そら、そこの木に成っている赤い木の実……あぁ、木の実に触るでないぞ。気触れる。その木の実の周りに生えておる小さな青葉のみを採るのだ。湿布になる」



 と、そんなこんなで道中薬草を集めていたわけだが。



 「お、有ったぞ。ウォードだな。枝が二三本あれば足りよう」



 あっさりと目的のものが見つかってしまった。まぁ、そんなに希少な植物ではない。一日山を歩けば二度三度と見かけるありふれた植物だ。後は帰るだけなのだが、それはちともったいない。時刻はまだ昼前。買って来たフィセルが無駄になってしまう。と言うか、ここからが今日の本番なのだ。



 「折角森に来たのだ。ライラよ、ちと美味い昼飯を調達しようぞ」



 ウォードを採り終えたライラは朕の言葉にキョトンと目を丸くした。



 「なんじゃ、ライラよ。素っ頓狂な顔をして。ハンティングだ。上手くすれば朝買ったフィセルに肉を挟んで食えるぞ?というか、肉を食うのだ」



 と、まぁ最後は朕の願望である。流石にそろそろ鍋物ばかりの飯には飽いている。書字師の仕事で多少生活に余裕は出たとはいえ、生活費を節約するにこしたことはないのだが、それでも毎日同じような食事では生活に張りも出ない。

 

 たまには新鮮な肉のステーキ等を食して英気を養うべきである。であるのだが、如何せん、肉というのは足が早い。

 基本、冷暗所にて保存というのが万国共通なのだが、なんとも遺憾なことにトシュケルには冷蔵設備というものがない様である。


 というか、テルミナトル帝国中探しても無いであろう。技術レベルの問題である。有れば高くともどこかしらには売っているものだが、今の今までとんと生肉を拝んだことがない。


 という事はとどのつまり、干し肉か塩漬けしか庶民には手に入らないのである。嘆かわしいことに。生肉が手に入るのは一部の貴族か金持ちか、畜産関係者か猟師位のものだ。

 なれば、致し方無し。自分で獲ってやろうという訳である。折しも季節は秋。大型の獣を狙わなくとも、小型の例えばウサギなどは食料の少なくなる冬を前に食い溜めをしていて良く脂が乗っているに違いない。


 想像の中で皮算用をしながら、朕はオドをゆっくりと練っていく。練ったオドを薄く延ばすように、希釈して噴霧するようにゆっくりと広げてゆく。

 この時、オドの制御を手放すことなく、ゆっくりと定常運動――多くの場合は円運動――をさせながら、拡散させていく。



 「なに?今の感じ」



 朕の拡散させたオドに触れた瞬間、ライラがブルリと身震いした。


 それを横目で見ながら朕は先を急ぐ。


 ライラはかなりオドに対して敏感である。自分のオドに対しても、他人の、又はマナに対してもその感度は抜群である。


 それは、頗る碩術師に向いた資質だ。例えば、今朕がやって見せたように、オドの制御を手放さずに空間を満たすことができれば、さながらレーダーの様な効果が期待できる。のだが、オドによって触れられた事に気付けるのは余程勘のいい野生動物くらいである。


 なにせ、オドというのは波であり粒子である、謂わば光のようなものだ。太陽の光のような強いものならまだしも、懐中電灯にも満たないような光が当たったことなど、普通は知覚できないというもの。そして、そのかすかに当てられた光の有無に気付けなければ、待っているのは死あるのみ、である。


 何故ならば、遠距離にオドを飛ばす目的など、高が知れている。それは、攻撃か索敵か、である。どちらも先制を許している状態では、こちらはまな板の上の鯉である。まな板から飛び上がって隠れるか、反撃ができるかで生存率は雲泥の差があるというもの。

 その為には、敵の索敵波が照射されている事を知覚できなければならない。これは碩術師としては生命線足り得る能力と言えよう。



 「……これ、ナヴィ?」



 パチクリと目を丸くしながらライラは体中のあちこちを摩った。


 ライラのこの才能に気づいたのは極々最近だ。余りにもオドの制御に対する順応性が高かったものだから、これはもしやと思って幾つかテストしてみた所、彼女は主にオドを波として認識していることがわかった。これには朕も驚いた。普通、人はオドが波でもある、とは解っていても、それを文字通り波として感じることは出来ない。具体的に言えばオドを色としては見れないし、音としても感じられない。ましてや、断続的な接触として、つまり波動としてオドやマナを感じる事など以ての外である。


 恐らくだが、ライラは共感覚者――一つの刺激に対して何種類もの感覚器が反応する者、例えば、レの音を聞くと、同時に味覚が共感して甘い味を覚える様な――なので有ろう。


 この事実に気がついたのはつい最近である。朕が手本を見せるために幾つかオドを複雑に運動させると、ライラが目をつぶり、両耳に手を当てて聞き入るかのように瞑目したのを見て、朕はこの事実に思い当たった。聞けば「今のはふーんふふふーんっ♪ふんふふんっふーん♪って感じだったね?お調子者のピエロが楽しくステップしてる感じ」とライラは感想を漏らした。ライラはオドの運動によって発生した余波を、音として感じ取っていたのだ。



 「ライラ、どんなふうに聞こえる?」



 「……ちょっと嫌な感じ。甲高いんだけど、神経を逆なでされる様な……」



 「ライラ、よく覚えておけ。その音を其方が感じた時、それは誰かが何かを探すためにオドを飛ばしておる。そして、その音が聞こえている状態は、その何者かに其方の存在が知覚されているということだ。悪意を含んでいる可能性がとても高い。こいつはどうだ?」



 朕は今度は探る目的ではなく、単にオドをライラに向けて直線運動させる。



 「あっ!何今の!すごい嫌な音がした!」



 「これはな、相手が其方との距離を測っておる時のオドの飛ばし方だ。遠距離の物体を知覚しようとする時、先ずは緩やかな運動――主に円運動が多い――を広げていき、オドの運動への干渉具合を探る。そしてその感触からこの辺に居るな、と言う当たりをつけて今度は直線的にオドを飛ばす。オドはどんなに運動させても、物体に当たればその分制御が乱れる。その乱れるまでの時間を計測して距離を測るのだ。そのすごい嫌な音がしたら、何をおいても身を隠すか、動いて的を絞らせないようにせねばならん。次に飛んでくるのは攻撃術式なのは間違いないからの」



 ライラは神妙な顔で分かった、と頷いた。



 「よーし。ではやってみよう。狩りだ。狙いはウサギか鳥だな。まずはこのように当たりをつけるために制御したオドを全周、もしくは一定方向にゆっくりと飛ばす」



 朕がオドを円運動させながら広げると、ライラはまたブルリと体を震わせた。



 「あ、凄い。ナヴィのオドが凄い遠くまで広がっていく!」



 「左様。こうやって遠距離に居るものを捉える。……お、居たな。今度はライラがやってみるといい。あちらの方向だ」



 ライラは朕の指した方向にソロリソロリと探るようにオドを伸ばしていく。



 「なにか感じたか?」



 「……何かな……何か居る……動いてる」



 「多分キジかなにかの鳥類だ。頭を前後させているのが判るかの?」



 「あ、言われてみれば……あっちの方に歩いてる……の?」



 「その通り」



 ライラの回答を聞いて、思わず朕の言葉も弾む。



 「では、狩ろう。最初は見ておれ」



 ウサギではないが、良かろう。朕はその辺に落ちていた小石を印付すると、ヒョイと持ち上げてから狙いを定める。



 「ライラ、印付はもう出来るな?印付された物体は、いわば世界から切り離されている。一定速度で運動する台車の上から持ち上げられた状態だ。今は朕達もその台車の上に乗っているが故、浮いているように見える。まぁ、実際は縦方向の運動――今回は宇宙の膨張ベクトルを借りているわけだが、コイツを少しズラしてやると……」



 朕の言葉と共に浮いた小石が小気味よい破裂音と共に視界から消えた。と同時に先程キジが居たであろう方向から「ギョエェェェェェエ」と言う断末魔が聞こえた。



 「このように、朕たちから見れば高速で移動する様になる。ズラした瞬間に制御を手放せば、この様に印付した物があたかもぶっ飛んでいく現象が起こるのだ。今回は星の公転運動と星団運動のベクトルを複合して利用している。どの運動系台車からズラしてやるかに拠って飛ばす方向が制御できる」



 朕の説明を聞いてもライラはチンプンカンプンな顔をしている。ぬぅ。自然摂理の知識が足りておらんな。仕方がない。獲物を回収するがてら、説明するかの。


 断末魔の聞こえた方に歩き出した朕を追ってライラがついてくるのを尻目に確認しながら、朕はこの世界という物の一端をライラに説明してやることにする。



 「ライラ、其方は今どこに立っているか、解るか?」



 「……地面?」



 「そうだな。この地面は、実は球体に近い形をしていて、しかも西から東に回転しておる。速度は半刻当たり約2100オクスだ。つまり、物体を印付してこの星の自転運動からズラすだけで、その物体は東から西に半刻当たり2100オクスの速度で運動する――有り体に言えば、ぶっ飛んでいく。これを利用して、物体を動かすのだ。テレキネシス、と呼ばれる碩術の基本的な技術だ。ちなみに、キロメートル法に直すと、約1700km/hだ。軽く音速を超える。なので、ズラすには注意が必要だ。思いっきり、つまり完全にズラしてしまうと、文字通り音速の1.4倍程度で物体がぶっ飛ぶ。危なくて仕方がない。わかるかの?」



 ライラを見れば、聞いたこともない言語で高速で捲し立てられたような呆けた顔をしていた。


 うむ。解っておらんな。これは自然摂理についての知識も徐々に与えてゆかねばならんの。



 「各運動ベクトルや、覚えておくと便利な運動系は……追々教えよう。それ、居ったぞ。今日の昼飯のサンドイッチの具だ」



 茂みをかき分けて進むと、そこには一羽のキジが左の腹を撃ち抜かれて倒れていた。小石が当たる寸前で少しブレーキを掛けたので、爆散して肉片にならずに居た。うむ。計算通り。


 手近にあった蔓を印付して手早くキジの両足を結わえると、そのまま逆さ吊りにして木の枝に引っ掛けて、今日買ったばかりのシースナイフで無造作にその首を刎ねた。無理に椎骨に当てると刃が毀れる可能性があるので注意が必要だ。といっても、シースナイフは切れ味よりも堅牢性が重視されているから、それほど気にする必要もないが。



 「キャッ!」



 その光景と吹き出る鮮血に、ライラが小さく悲鳴を上げる。



 「良いかライラ。我々、人も猫も、他の生き物を殺して食わねば生きて行けぬ。これは自然の摂理ぞ」



 まぁ、幼女にこの光景は刺激が強すぎるかとも思ったが、刺激が強すぎるからと言って知るべきものは知るべきであろう。良い機会である。サバイバル技術は実際に使わなくとも何かしらの役に立つしの。



 「でも、お肉を食べたいならお肉屋さんで買えば……」



 「そのお肉屋さんで売っている肉も、元を正せば酪農家が牛や豚を殺して捌いたものだ。このキジと大差はない」



 「でも、動物を殺すのは先生が悪いことだって……」



 「動物を悪戯に殺すのは宜しくない。それはウネルマの言うことが正しかろう。しかし、食うために殺すことも悪であるのかの?朕達は鍋にするために魚屋が殺したハドックを買った。魚屋は悪いやつか?ソーセージにするために肉屋は豚を殺した。何のためか。それは我々が生きるためだ。それは悪いことかの?」



 ライラは黙って、木に吊るされたキジを見つめていた。まぁ、このキジが死んだのは朕が新鮮な肉を食いたかったからではある。それは贅沢であり、人の欲求から行われた殺戮ではある。しかし、欲求無しには繁栄はない。欲することを否定すれば、人は死に絶えねばならない。それは人や動物の原罪であり、進化の道だ。それは否定されるべきではない。まぁ、持論だが。



 「人は食べることで生きる。その過程で、植物であれ動物であれ、何某かを殺さねばならんのだ。なれば、このキジや其方が先週食べたハドックは、朕達の血となり肉となるために死んだのだ。その事に感謝し、食べて今日を生きれば良い」



 うーむ。宗教臭いことを語るのは苦手である。ドコゾの宗教家のような紋切りの文句しか出んな。まぁ、大抵はそれが人を生かす道理なのだが。それよりも早く捌かねばな。ジュルリ。


 血が抜けるまでにキジの羽を毟る。ライラにやらせた。ライラはまだウジウジと可愛そう、などと溢しておったが、おっかなびっくりキジの羽を首の下まで毟った。羽をむしるに連れて、だんだんと見たことの有る食材に近くなっていったためか、ライラも抵抗が無くなっていったようであった。因みに切り落としたキジの首は丁寧に土に埋めてやった。其方の体は美味しいサンドイッチにする故、大いなる円環に還りたまへ。


 さてさて血が抜けきるのを待って、少し移動する。先程オドを飛ばしてみたところ、この先に小さな小川が流れていた。そのほとりまで移動する。森の中で火を熾すのは何かと問題が有るからの。それに血の匂いで熊や山犬など出られても困る。何とでもなると言えばなるが、今のライラでは殺した後捌ききれないし、持ち帰れない。先程ライラに諭した観点から言えば、避けられる殺生は避けるべきである。さっさと移動するに限る。


 ライラを連れて小川に出ると、良い感じに小石が堆積した河原になっていたので、ここでカマドを作ることにする。小石を積み上げてスキレットが載せられるような円形に土台を作り、移動する間に拾い集めた小枝や柴を組んでおく。着火する前に小川でキジを洗いながら、ライラに捌き方を教える。


 内部の臓器を傷つけぬように胸を開いて、内容物が出ないように膀胱と腎臓を取り除き、同じく注意しつつ大腸を肛門部分で切り離し、胆嚢を傷つけぬように消化器官と共に取り除く。中身が漏れると台無しであるからの。この時、逆さ吊りにすると内容物がこぼれにくくなる。モツ、心臓ハツ、肺、肝臓レバーはちと勿体無いが寄生虫の可能性があるので取り除いて埋めた。あとは各パーツごとに関節を外して各パーツごとに分ける。


 ボンジリを切り落とし、両足の付け根に切込みを入れる。両足を反り返るように折った後、足を外側に反るように引いてナイフを入れ、切り離す。内腿に切込みを入れて、骨を露出させたら2つに分かれている骨の関節を切り離し、上部に当たる骨を取り除く。下部に当たる骨も同じ様に切れ込みを入れて削ぎ落とし、足の付け根のあたりの皮膚が固くなっている部分の上で足を切り落とせば鳥腿の完成である。因みに下部の骨の体側についているのが、所謂ナンコツと呼ばれる部分である。コリコリして美味いが、サンドイッチには適さない。


 両足を処理し終わったら、首からナイフを入れて、首の根元のヤゲンを露出させ、その脇にある関節をナイフで外す。そしてそこから下に切込みを入れて、手羽を引けば簡単に胸肉が剥がれる。少々もったいないが、今の装備では調理できない手羽を手羽元から切り落として胸肉の出来上がりである。次は脇の下当たりから刃を入れ、ササミを切り分ける。最後に背骨に沿って刃を滑らせてセセリを剥がす。他にもヤゲン軟骨など取れる部位は有るが、軟骨系はサンドイッチには適さないので今回は見送る事にする。


 ライラにナイフを持たせて順を追って捌かせていく。最初とは違い、見た目が見慣れた食材に近くなったからか、ライラも抵抗が無いようである。捌き終えたときには、完全に見慣れた食材になっていたためライラは少々興奮気味であった。

 まぁ、誰しも一般的に販売されている出来合いの物を、イチから自分の手で作り上げられたらテンションが上がるというものだ。


 それではサンドイッチを作ろう。

 今回作るのは所謂ホットサンドと言うやつである。


 家から持ってきた火打ち石で火をつけても良かったが、どうせなら碩術の練習と行こう。



 「ライラ、碩術の練習だ。火をつけてみろ」



 言われてライラは自信なさそうに大鋸屑を丸めた物を片手に目を瞑る。ぐむむむ、とライラが唸りながら大鋸屑を励起しようとするが、火どころか煙すら立たない。



 「ライラ、ライラ、今其方何を励起しようとしておる?」



 「何って、大鋸屑?」



 ライラは何をアタリマエのことを、とでも言いたげに小首を傾げる。ナヴィが火をつけろと言ったでしょ、と。



 「ライラ。どうして火はつくのだと思う?」



 「……温度が上がるか……ら?」



 ライラはそこで初めて気がついたようだ。自身が火がどうしてつくのか詳しいことを知らないことに。



 「左様。温度が上がれば火はつく。では何故温度が上がると火がつくのだ?」 



 「……わからない」



 「なに、気にすることはない。物質を『励起』すれば温度が上がる。温度が上がれば火はつく。普通ならばな。しかしそれはとても効率が悪い。通常の碩術師ならば出来ても、オドの少ない其方にとっては非常に難しいことであろう。なにせ、効率が悪いからな」



 そうなのだ。励起とは、物質に運動量を与えてエネルギー準位を上げる操作の事。物質の形態が液体や気体の場合はそれぞれの分子の結合が緩いから簡単に励起出来るが、個体の場合はそうは行かない。


 さらには、「燃焼する」という現象は、一般的に空気中の酸素が、熱によって物質から発生した可燃ガス――主に炭素ガス――と酸化反応を起こし、更に熱が発せられ、連鎖的に酸化反応が起きる、という化学反応である。


 物質に熱を持たせれば可燃ガスが発生して結果として燃焼現象が起きるに過ぎず、ただ個体物質のエネルギー準位を上げてもいたずらにオドを消費するだけで、全く持って効率が良くないのだ。


 ウネルマは比較的オドが多い様だから、何も考えずに瞬間的に一点のエネルギー準位を上げてしまえば、火種を作ることは容易いのかもしれないが、ライラの場合はそこまで瞬間的に大量のオドを行使するのは難しい。まぁ、元々『励起』とは発熱させる事ではなく、『エネルギー準位を上げる』術であり、『発熱』現象は実はその過程で出るロスに他ならないのだから、その熱を目的とする『燃焼』が効率が良い訳がない。


 「オドの少ない」と言う言葉に肩を落とすライラに以上のことを説明してやる。



 「意識するのは個々の分子の動きだ。空気中には酸素が約二割含まれている。それを意識するのだ。その二割の酸素と、大鋸屑をある程度励起して発生する可燃性ガスに含まれる炭素を結合させる。励起するのは大鋸屑の表面とその個々の酸素と炭素のみで良い。炭素一個に対して酸素は二個。これを意識してみよ。あぁ、酸素は空気中では二個で一個をなしておるから、酸素分子を励起してやれば自然と2つに分かれるからな。それを炭素と結合する。励起する酸素は大鋸屑の極々周辺のものだけで良い。分裂を維持する必要もない。分裂した酸素は可燃性ガスと接触するだけで自然と反応する」



 漠然としたものを捉えることは難しいものだ。それが目に見えなくともどのような構造になっているかを知ることは、碩術を行使する上で非常に有用である。

 分子構造を理解出来ていればもっと碩術の幅が広がるが、それは追い追いでよい。



 「そら、先程キジを見つけた時のように……あぁ、あの技は『マッピング』と言うのだがな、マッピングする対象を柴の周囲のごくごく狭い範囲でなるべく細かく、細かく、極々微細で視覚ですら捉えられないような微小な対象へと意識を集中させ……そう、オドの運動に干渉する微細な粒を意識するのだ。そして、それにオドをぶつけて励起する。さすれば……」



 言うが早いか、ライラの意識がミクロな世界へと没入していくのが、主従のパスを通じて朕にも感じられる。そして、分子に次々とオドが当てられ、励起された瞬間、大鋸屑の表面と近い物から順に吸い込まれるように結合を開始した。



 「あっ……!」



 「良くやっ……待て待て待て!オドの運動を絞れ!励起しすぎだ!危ない!!!」



 言うが早いか、朕はライラの手の中で猛烈な勢いで火の玉と化した大鋸屑を尻尾で叩き落とした。

 ライラの足元でプスプスと燻る燃え殻となった大鋸屑をライラは呆然と見つめていた。



 「火種を得るためなのだから、最初の酸化反応が起こったところで励起はやめて良い。やり過ぎると酸化反応が加速して今みたいになるのだ。気を付けるのだぞ?他にも金属では酸素等の酸化物質と激しい反応をするものがある。アルミや鉄、銅等は粉末になると水等の酸化物と接触するだけでテルミット反応という……ライラ、ぐるじぃ」



 窘める朕をライラは抱き上げると、朕の腹に顔を埋めてキツく抱きしめた。朕の腹の体毛が些か湿気を帯びるのがわかった。


 この抱き方、猫にやってはいけない抱き方ベスト3に入るのだが、まぁ良かろ。



 「燃焼……出来た……私にも、出来た!」



 ふむん。まぁ、ウネルマ式の燃焼は大量のオドを一気に一点に集中して無理やり物質を励起して、結果燃焼させるという力技じゃからな。ライラには今まで練習しても上手くできなかったのだろう。逆に、ウネルマは自身で申しておったとおり、正当な碩術師教育を受けておらず、自身の元のスペックが高かった事もあって、歪な碩術を身につけてしまっている様だったしの。



 「出来たな。言うたであろう。碩術師にとってオドの大小は些末事だ、と。世界の理を正しく理解すれば、其方は不出来な碩術師ではなくなる。これから朕がみっちりと世界の理を説こうぞ」



 ライラにはもう一度、分子の結合を意識させた『燃焼』を試させ、今度はきちんと火種を作ることに成功した。


 火種を竈の中の円錐状に組んだ薪の中に入れ、ライラが地べたに頬を擦りつけながら、息で酸素を送り込んでゆく。実はの、酸素を供給するには風を起こせばよいのだが、碩術によって風を起こすのは実は『燃焼』以上に非効率だったりするので、今のライラにはまだ無理である。というか、むしろプロペラと発動機を持ってくる方が手っ取り早い。


 ライラの息によって竈の火は燃え上がり、上手い具合の焚き火になった。


 竈にスキレットを載せ、よく熱してからバターを贅沢に引き、フィセルをナイフで開いたものを溶かしたバターに押し付けるようにスキレットで焼く。

 暫くするとなかなか香ばしい匂いが辺りに漂い、フィセルをめくって焼き加減を確認する。焦げず、しかし表面がカリカリになるまでスキレットの端に寄せておく。


 先程のキジの胸肉とササミを一口大に切り分けて、スキレットの空いた所で塩、森で集めたハーブやファジャオ等の香辛料と共に良く火が通るまで炒める。途中、モモ肉などに付いている鶏油をこそげ取って混ぜて炒めてやる。香りづけである。

 朕が印付で手際よく調理していくのを、端からライラか興味深そうに眺めている。追い追いライラにもいろいろと調理のイロハを教えてやろう。



 「ギロを作ってるの?」



 「この前食べたギロはふくらし粉、イースト菌と言うが、それを使わずに焼いた素焼きのパンに味付きの肉や野菜を挟んだものだ。似てはいるがこれはホットサンドの一種だ。所によっては9番サンドキューバンサンド等と言う。名前の由来は『帝国』の9番目の属州の出身者が良く作っていたホットサンドだからと謂われている。バターと香辛料を利かせるのがミソだ」



 フィセルがカリカリのキツネ色に焼けている事を確認して、鶏肉を挟む。ついでにチーズを炙って溶かしたものをかけて完成だ。



 「王道のものとはちと違うが、良いであろう。早速食おうぞ」



 言うが早いか、朕は自身の分に齧り付く。こう言うのは行儀悪く食うのが良いのだ。

 香ばしいバターの香りに、香草とファジャオがピリリと舌を焼く心地がたまらない。次いでねっとりと濃厚なチーズの風味が広がっていく。猫舌の朕にはちと辛い熱さだが、旨いので我慢だ。



 「ライラ、旨いか?」



 朕は口で発声している訳ではないので咀嚼しながらでも喋れるが、ライラはそうは行かなかった。頬袋をパンパンに膨らまして、おもちゃの様にコクコクと頷くライラと一緒に、朕も一心不乱にガツムシャーする。言葉が乱れたが、こういう物を食う時は擬音で会話するほうがしっくり来るというものだ。


 うむ。我ながら75点。次は行き当りばったりではなくて、きちんと準備をしてから来よう。

 朕もライラもペロリとキューバンサンドを食べ終え、竈を崩して焚き火を消し、帰路についた。キジは食べきれるわけがないので、薬草と共にバスケットの中である。夏でもあるまいし、しばらくは保つであろう。帰ったらまた上手いこと調理してやろう。



 「ナヴィ、またキューバンサンド作ってくれる?」



 茜色の夕日を浴びながら、ライラは満面の笑みで朕に言った。



 「勿論。まだ、肉が余っておるから、明日の朝でも作れるぞ」



 「うううん。違うの。また、森に来たい!」



 「良かろ。薬草はこの先も仕入れねばならんだろうからな。いや、いっそ、この森に秘密基地でも作ってしまうかの?その方が家賃もかからず良いかもしれんな」



 ライラは秘密基地という言葉に瞳を輝かせて頷いた。


 そう、秘密基地だ。何やら最近、この国はきな臭そうだしの。あるに越したことはない。


 問題は土地の所有権関係か。正直、国有地などで有れば問題は無いのだが。というか、多分問題が自動的に問題ではなくなると思われるのだが。

 メリッサ嬢に聞いてみても良いな。


 まぁ、それよりも帰ったらキジの加工とオリバー氏の依頼だな。


 そんな事を考えつつ、朕達は家路についた。

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