第19話

 ――テルミナトル帝国・帝都ヴィルへリンブルグ郊外、マインヘル練兵場




 蒼穹に劈く蛮声ウォークライと共に、高く晴れ渡った晩秋の空を、鱗雲を背にして完全武装の箒兵そうへいが二騎、大空を駆けながら真正面からぶつかり合う。

 互いに虚空から生み出した火の玉や風の刃を飛ばし合いながら距離を詰め、互いが互いを利き手に構えた機上槍ランスにてすれ違いざまに突き合った。

 その様子を地上で見ていた男達が歓声を上げる中、大きな破裂音と共に、二騎の内の一騎が錐揉みを打って落下した。


 周りでそれを見守っていた補助員達が一斉に箒を吹かして、螺旋に落ちていく一騎を空中で助け上げた。

 一方、敵を薙ぎ倒したもう一騎は得意気にくるりと宙を舞うと、そのまま地上に作られた休息所へとゆっくりと降り立った。


 歓声と共に迎えられた彼は、箒を降りながら得意気に片手を掲げて、戯けた様にこちらに敬礼をした。



 「全く、アイツめ。今日はやけに調子がいいじゃあないか」



 羨望半分、やっかみ三割に妬み二割の独り言。

 全く、いつからあ奴はあんなにヘッドオン互い戦が上手くなった。



 「いやはや、アルフォンス殿の戦技は、神がかっておりますな」



 頭を掻きながら余、皇太子アウグスト・ヴィルヘルムが構える幕営にやって来たのは、空の騎士と讃えられる箒兵とは思えないズングリムックリとした体型の、先程撃ち落とされて補助員たちに助けられた男だった。



 「貴様にそうまで言わせるか、エメリッヒ」



 エメリッヒ・クラウゼは余の親衛隊長を努めている。シェルホーフ公爵家当主、クラウス・クラウゼ・フォン=シェルホーフ公爵の長男だ。余の再従兄弟に当たる。

 武勇で鳴らしたクラウゼ家の長男は、その名に恥じぬ武術家であり、戦略家であり、碩術師でもある。余の幕閣の中では最も剣技に優れ、碩術師としてもこれ程信頼の置ける者は居ない。

 いずれ余が帝位を継いだ暁には、首席幕僚長か、将又一個軍団を任せても良い。いずれにせよ、将来は余の右腕として活躍を期待している若輩。余の切り札エースでもあった。



 「いやはや、そう言わざるを得ますまい。見事。その一言に尽きますな。勿論、油断したつもりは無かったのですが、あの防御陣は大したものです。突いた瞬間、あらぬ方向へ逸らされてしまいます」



 そう言って、エメリッヒはつい今しがたの仕合で使った競技槍ブルードナスを掲げて、身振り手振りを交えて語り出す。



 「火線フンケンクリンゲ旋刃ヴィルヴェルヴィントも逸らされる。何より、障壁が視認できる程です。鉄壁ですよ。あの防御術式はそう安々とは打ち破れませんな」



 そう言ってお手上げとばかりに肩をすくめるエメリッヒ。


 ヘッドオン互い戦は飛行箒を用いた碩術師箒兵同士の空中戦では最もよく見られる戦型であり、その優劣はそのまま碩術師として、ひいては武人としての力量差として現れる。

 単純な正面からのぶつかり合いであるが故に、攻撃時の碩術強度や防御用術式の技量がそのまま勝敗として現れるからだ。


 箒兵の戦いは地上戦力の援護であり、敵航空戦力箒兵の排除だ。

 もし、箒兵同士が会敵した場合、互いに遠距離から攻撃術式を投射しつつ、更に相手の投射する攻撃術式を防御術式で防御しつつ距離を詰め、最後には強化した機上槍ランス――今は実戦を想定した試合であるから、使用しているのは木製の競技槍ブルードナスだが――で相手の防御術式を貫いて敵を撃破する。


 その戦法上、最も多用され且つ単純であるが故に小細工が出来ないのがヘッドオン互い戦であり、競技会トーナメントで最も重視されている競技だった。



 「しっかりしてくれエメリッヒ。今ので余が幾ら負けたと思っておる」



 余の言葉にエメリッヒは「面目次第もありません、殿下」と済まなそうに頭をかいた。その顔は済まなそうにしながらも、どこか武人として溌剌としたものだった。

 全力で大いなる敵とぶつかり、破れた後で尚この様な表情が出来るエメリッヒは骨の髄まで武人なのだろう。羨ましくもあり、頼もしくもある。



 「しかし、アルフォンスめ。何だあの格好は。気障ったらしいにもほどがあるぞ」



 余が指差した先には、エメリッヒを見事打ち倒して、周囲の賛辞を一身に受けながら、鼻高々のビルキンシュテン男爵家の次男が居た。

 知らない男ではない。いや、エメリッヒ達、余の幕閣達に比べればほとんど何も知らないに等しかったが、それでもその他の有象無象に比べたら、まるで親友とも言えた。


 奴は帝立碩術高等学校の後輩であり、国軍士官学校では余の直属の部下でもあった。大学時代は同じトーナメント倶楽部――今、余が開いている様な競技会トーナメントを課外活動と称して四六時中やっているバカ共の集まりだ――に所属していた。


 親密とは言えないが――余の様な立場であれば、親密等という関係を作る相手は至極慎重に選ばねばならない。ビルキンシュテンの次男坊は偶々その栄誉を得られなかっただけだ――後輩として可愛がってやったこともある。

 碩術の腕は良くて中の上。


 エメリッヒの其れに比べればかなり見劣りする。それが余の印象であったのだが、久しぶりに嘗ての旧友たち――どいつもこいつも嘗てのトーナメント研究会のOB・OGだ――を集めて競技会を開いてみれば、そのビルキンシュテンの次男坊は向かうところ敵なし、今の所破竹の8連勝だった。


 全く忌々しい。奴のおかげで余は今日だけで数千テールも負けている。競技会トーナメントに賭け事は付き物だが、いささか負け過ぎている。それもビルキンシュテンの次男坊一人のせいだった。


 それを恨むのは騎士道精神に反するとは分かっていても、それでも奴の格好は尚の事癪に障る。

 競技会トーナメントに出るに当たって、防具の上から飾り布を付けるのは往々にして一種の御洒落で済むが、ビルキンシュテンの次男坊ときたら、濃紺地ネイビーの気障な大外套マントを肩に引っ掛けていやがる。


 これが、悔しいかな、威風堂々としてまるで御伽噺の騎士ざまに見えると来たら。いや、騎士などではない。少し気を許せば、伝説の円卓の主にすら見える。全く、けしからん。



 「糞ったれ。あの野郎、あんな小洒落たマント、どこで買いやがったんだ」



 「最近、ブランメルの仕立屋に仕立てさせたそうですよ」



 余の呟きに答えたのは、幕営の袖から顔を出した余の左腕、ブライトリンゲン侯爵家の三男、ミハイル・アーレルスマイヤーだった。


 エメリッヒが将軍候補なら、ミハイルは宰相候補だ。歩くだけで道端の花々が卒倒する程の美貌の持ち主と言う、何とも鼻持ちならない奴だがオツムのキレも頗る良くて、学生時代は全男子生徒のヘイトを独り占めしていた。余もその一人であった。付き合ってみるとなかなか良い奴なのだが。



 「ブランメル?ブランメルにあんな大外套マントを仕立てる店など有ったか?」



 ブランメルは大河ネッカー川の中流域に出来た巨大な中洲に築かれた河川都市だ。ネッカー川を使った河川貿易の中心都市でもあり、ネッカー川流域から帝都ヴィルへリンブルクへの敵の侵入を防ぐための最後の砦でもある。

 ヴィルへリンブルクを東西に横切る形でネッカー川の支流が流れており、そこから発着する定期船に乗れば日帰りも可能な位置にある。


 余も時々気晴らしに出かける事が有る都市で、そこに居を構える商会にも詳しいが、あんなレトロで小洒落たデザインの大外套マントを仕立てる店など有っただろうか。



 「最近出来たお店みたいですよ。ギャラットボウシュナイデライ通りのボウシュトラーゼギャラット仕立店と言う、元はトシュケルに本店を置く仕立屋の支店のようですね」



 ミハイルは余の隣に空いていた布張りのフォールディングチェアに腰を下ろすと、懐から取り出した燐棒を擦って紙巻きに火をつけた。足を組んで紫煙を燻らせて一息つくと続けた。



 「アルフォンスの此度の戦績、要因の1つはあの大外套マントに施された『イディスの護り』ですな」



 「ほう。そんなに凄い『イディスの護り』が施されているのか?」



 反対側のフォールディングチェアに腰を下ろしたエメリッヒが興味深そうにミハイルの話に身を乗り出した。自身も懐からお気に入りのバステルガの細巻き高級ブランド葉巻を取り出して燐棒を擦る。余も釣られて帝国章の入った帝室御用達の葉巻の吸口を切った。



 「『収集』『蓄積』『パルマの渦』それに『エルデュルクの盾』」



 「4つ!?イディスの護りが4つもだと!?しかも、『パルマの渦』に『エルデュルクの盾』だと!?そんな物、天上世界の逸品ではないか!あり得ん!……いや、しかし、アレは……真逆……うううむ」



 ミハイルの言った『イディスの護り』の内容を聞いて、エメリッヒが思わずと言った風に立ち上がった。

 仕方のない事だ。余もフォールディングチェアから思わずズリ落ちそうになってしまった。


 『イディスの護り』は複雑な碩術陣から成る。同時に多くの機能を付与しようとすればそれだけ複雑化し、並の碩術師では図案すら構築できない。その『イディスの護り』が4つ。


 今余が身につけているトーナメント用の防具でさえ、『イディスの護り』は2つ。『矢玉避け』――といっても、神頼みにも似たものだ――と生命力を奮起させる『ディモルフォセカ』――これも一種のお守りのようなものだ――だけ。

 この2つを付与するのに、余は国内最高の職人に数万テールを支払って、制作に1年をかけさせた。それだけ『イディスの護り』は複雑で、尚且高等技術なのだ。それが、4つ。


 しかも、その内の2つは『パルマの渦』に『エルデュルクの盾』だと言う。『パルマの渦』は精神への攻撃を尽く退け、『エルデュルクの盾』は物理的な汎ゆる攻撃を跳ね除ける。


 正直、この2つは天上世界から下賜された、地上世界では至宝と言えるアーティファクトにだって付いていない――天上世界の連中は地上世界の連中が力をつけるのを嫌う傾向があるから出し渋っているだけなのだろうが――代物だ。

 どちらもエールスリーべ教団の説く、創世神話において神々が身に纏っていた、と語られるだけの存在だ。


 それが、一度に二つも。信じ難い。しかし、実際に対峙したエメリッヒは口では否定しながらも、実際に手合わせした感触から一概に否定出来ない様子だった。



 「まぁ、俄には信じられませんが、そういう触れ込みではある様です。仕立屋がそう偽っている可能性は高いですが、でもまぁ、実際の『パルマの渦』も『エルデュルクの盾』も、本物の碩術陣を見たことがある者など居りませんから、真贋は判りかねます。しかし、機能的には充分なのではありませんか?」



 そう言って、ミハイルはその麗しい視線を、顎を抱えて考え込んでしまったエメリッヒに向けた。



 「うううむ。そうだな。アレは、あの防御陣は凄かった。まるで要塞だ」



 そして、ふとミハイルはエメリッヒからついと余に視線を戻した。



 「機能するならそれが何であれ、問題がない。殿下もそうは思いませんか?特に、今の様な御時世、出自はどうあれ、使えるものは全て使うべきです」



 「そうだな」



 ミハイルの言わんとしている事は判った。

 余は火をつけたばかりの葉巻を灰受けに放ると、幕営を出た。ミハイルが当然とばかりにすかさず続き、それに遅れてエメリッヒがおっとり刀で続いた。



 次の仕合が始まる旨の『呼び出し』が演習場に響く中、賑わう仕合場脇を余の幕営の逆サイド――通常、競技会トーナメントは二軍に別れて行い、その勝敗を競う。余は赤軍大将である――へと歩きながら、余は懐から出した余の紋章が入った誓紙に鉄筆で三千八百テール――遺憾ながら今日の負け分だ――と書き込んだ一枚をちぎり取った。



 「これは、アウグスト・ヴィルヘルム皇太子殿下。よくお越しくださいました」



 歩哨をしていたどこかで見た顔の若い小姓――士官学校に入りたて、と言った所か。社交界デビューは未だだろう――が国軍式の捧げ銃最敬礼でもって余を歓待するのに、軽く答礼して、目的の男、アルフォンスを探す。



 「畏まらなくていい。今日はお遊びだ。それよりアルフォンスは居るか?ビルキンシュテン男爵家のアルフォンスだ」



 余の問いかけに、小姓は「はい。こちらです」と先に立って奴の居る幕営へ案内した。

 余がその幕営に入る瞬間、余を先導していた小姓が叫ぶ。



 「シュッティールッ!気ヲゲシュタンゲッッ!付ケェッッ!



 その声と共に中に居た全員が弾かれたように立ち上がると、最敬礼を行った。

 叫んだ小姓は何処か誇らしげに『左向ケ左』をすると、大きく一歩下がって余に道を譲り、その場で再度最敬礼をとって、石像となった。


 その姿に、苦笑しながら余は幕営に入った。



 「邪魔をする。畏まらなくていい」



 余は手を翳して全員の『気ヲ付ケ』を解かせた。



 「兄さん、どうです?今日こそは我が白軍が勝ちますよ!」



 そう言って駆け寄ってきたのは余の七つ年下の弟、ゲオルグだ。まだ碩術高等学校の初等生で、余よりもトーナメントを愛好すると言うか、崇拝している。騎士道物語の読みすぎだ。まぁ、碩術の腕を上げる事は国民の求める英雄たる事を求められる王族としては良いことである。ウスラバカのヘッポコ碩術師でしかない王族よりも、ウスラバカでも腕のいい碩術師を戴くことを国民は望むのだから。参謀大臣連中はいい迷惑であろうが。いや、ゲオルグは頭も良いのだぞ?



 「見事であったとも。ほら、今日の負け分だ」



 そう言って先程書き留めた誓紙をゲオルグに握らせる。財務尚書の官僚にでも渡せば書いてある額をゲオルグは手に入れられるであろう。まだ士官学校にも入っていないゲオルグには収入が無いのだから、良い小遣いだ。余も経験があるが、帝族として整えねばならない体裁など腐るほど有るのに、宮内省が整える帝室御用品だけで足りる訳がないのだ。


 さりとて、幾ら可愛い弟の為とはいえ、無闇矢鱈に小遣いをやる訳にも行かない。


 その点、競技会トーナメントは伝統的に賭け事が行われるから、大手を振るって可愛い弟に小遣いをやれるという訳だったのだが、今日は些か負けすぎた。いや、負け過ぎどころではない。普段は数百テール程、わざと負けてゲオルグの小遣いにするのだが、今日の負けは三千八百テール。破産しそうである。


 全くアルフォンスめ。ゲオルグに小遣いをやり過ぎないように、調整する為に貴様を白軍に入れたというのに。空気の読めない奴め。


 まぁ、良い。お陰で、我が国は強力な『イディスの護り』を手に入れられそうなのだから。

 ゲオルグは余の渡した誓紙に書かれた額を見て大喜びしている。



 「おぉ、そこに居るのは我ら赤軍が仇敵、今日の英雄殿ではないか?素敵な大外套マントだな!えぇ?おい、余もギャラットボウシュナイデライ通りのボウシュトラーゼギャラット仕立店に紹介して欲しい物だ!」



 余の言葉に、アルフォンスは苦笑いを浮かべながら「お久しぶりです殿下」と言って、膝をついて臣下の礼をとった。



 「さすが殿下。お耳が早い」



 アルフォンスは隠す事なく、店の事を語った。元々、この競技会トーナメントで良い成績が出せれば、余に紹介するつもりであったらしい。というか、良い成績が出せれば良いデモンストレーションになる、とも。

 直属の上官であったのは短い間であったが、アルフォンスは真の忠誠を余に捧げてくれていたらしい。


 非常に嬉しく思った。


 アルフォンスは、店の説明によれば、この大外套マントに施された『イディスの護り』は後付のものであり、他の物にも付与できる可能性があるという事を語った。


 余はアルフォンスの肩を叩き、固い握手を交わして彼の貢献に感謝を示した。いずれ、この貢献には報いねばならない。

 余はゲオルグ達の幕営を去ると、自身の幕営に戻ってまた余の紋章が入った誓紙に幾かの言伝を書き留める。


 それを、ミハイルに手渡し、命じた。



 「テルミナトル帝国皇太子、近衛軍第二師団長、近衛中将アウグスト・ヴィルヘルム・ディグマリンゲン・ターミナトルの名に於いて、近衛第二師団参謀本部幕僚長、陸軍大佐ミハイル・アーレルスマイヤーに命じる。件の店にアルフォンスに売った大外套マントと同じ『イディスの護り』を付与した軍服を量産させろ。そして、軍に制式採用させるのだ。まずは、余の近衛第二からで良い。また、件の店にはどこかは解らぬが、天上大陸出身の碩術師が付いているに違いない。その者を、何とかこちらに引き入れたい。どういう理由で地上に降りてきているのかは知らんが、何としても身柄を抑えよ。……これでラサントスとメイザールに勝てるぞ!」

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