巨躯の魔王

 天の雷柱によって、現れた下級悪魔の半数は滅びた。タマと黒猫様の負担も激減するだろう。

「だけど、肝心の魔王には傷一つ付かずか、か…」

 戦慄を覚えて、額から頬を伝って汗が流れる。

――ふむ、小規模とは言え、下級悪魔は手も足も出ず、か

 漆黒の体躯を揺さぶりながら、ゆっくりと歩を進めて来る嫉妬を司る魔王、レヴィアタン。近付くにつれ、その顔が見えなくなる。見上げても尚遙か上に存在しているからだ。

――驚く事は無い。私は『巨大な生物』の意。あまりの巨大さ故、いかなる武器も効かず、悪魔祓いの効果も無い。神自ら最強の生物であると認められた存在なのだから

 天を仰ぎ、口を開くレヴィアタン。

 炎が球体状に口元に作られる。

――かあっ!!!

「!雄叫ぶ盾っ!!」

 咄嗟にオハンを喚んだ。

 それに直撃した炎。私は難を逃れる事が出来たが…

 周りを見て喉を鳴らす。

 オハンに守られた私以外の空間が、焦土と化していた。

「え!?」

 爆発と共に砕け散るオハン!!

「一撃で…!!叫ぶ暇も無く……!!」

 あれを防げるのは、最硬様の亀甲盾くらいでは…

 改めて脅威を抱く。反対に、レヴィアタンは感心しながら唸った。

――むう………流石と言っておこうか、北嶋 勇………

 言われて北嶋本家の方を振り向く。

 北嶋本家には傷一つ無し。オハンですら、一撃を防ぐのがやっとな威力なのに!!

「本当に流石だわ、北嶋さん…」

 呆れに近い感心をする。

「素敵過ぎます、良人…」

 リリスは頬を赤く染め、俯いて笑う。

「なんかムカつくわ…」

 それは兎も角、印を組み、次なる術を詠唱する。

「出雲国の長たる神様!我にその名の一つを貸し与え賜え!!八千の矛お!!」

 大地から針の如くに岩が隆起し、レヴィアタン目掛けて伸び進む。

――むおっ!!舐めるな!!

 炎を吐いて応戦するも、その岩の矛、名の通り八千。

「大国様の数ある御名前の一つをお借りして顕現させた矛よ!!如何に破壊力があるとは言え、単発じゃ全て砕けはしない!!」

 大国様には多くの別称がある。

 日本書記には、『大国主神、又は大物主神、又は国作大己貴命と号す。又は葦原醜男と言う。又は八千矛神と言う。又は大国玉神と言う。又は顕国玉神と言う。』とある。

 その名の一つ、八千矛神の御名前をお借りしたのだ。

 名前が多いと言う事は、それだけ多様な性格を持ち、霊的な力もより強力である。

 大国主とは、大いなる国土の王、すなわち出雲国を治める王の意、大己貴は自然神的霊威、『地』を意味し、大地神を表す。国玉は国土の霊魂、大物主は霊威、霊格の事、すなわち強力な霊格を称える名、醜男は葦原のように野生的で力強い男の意。

 そして『八千矛』は文字通り、武力、軍事力を象徴する。

「出雲国の王の神威!!地属性の強力な矛よ!!」

――ごおああああああああああああ!!!

 やはりと言うか、流石と言うか、岩の矛はレヴィアタンの炎によって粉砕されていく。

 しかし!!

「抜けたあ!!」

 八千もの岩の矛、遂には炎の玉を越えてレヴィアタンに突き刺さった!!

――があああああああああああ!!!

「五百の勾玉!!背に千本矢!!腰に五百の矢!!破邪の光い!!」

 続けて詠唱した天照大神の神威!!全ての矢を解き放つ!!

 そして光の矢はレヴィアタンに突き刺さった!!

――があああああああああああああ!!

 レヴィアタンはその巨大な巨躯を一度仰け反り、巨大な地響きと共に前に倒れ込んだ。

「素晴らしいよ神崎。素晴らしい」

 笑いながら私に拍手を贈るリリス。

「素晴らしい?よく言えるわね」

 対して呼吸を整え、次に繋げる為に集中を維持する。

「いや、心から思っているよ。やはり君は私の生涯最大の敵…好敵手だ」

「つまりあなたは私が勝つ、と思っているのよね。それは間違い無い事だわ」

 レヴィアタンからは目を離さずに会話を続ける。

 ピクリ

 レヴィアタンの瞼が痙攣する。

 コオオ、と大きく息を吐き、ゆっくりと起き上がる。

「やはり命までは届かなかったか」

 特に気にしてはいない。想定内だ。

 メギドの火を見事に耐えたレヴィアタンなら当然とも言える。

――人間に、地に伏せられた事など、今までには記憶に無い

 グリンと目玉を見開き、禍々しい息を吐く。

――嫉妬に値するなあ…その小さき身体の内にある霊力!私は身体が大き過ぎる故、巨大な魔力も当然と思われているのだ!

 頭から二本の角が生え、背中から蝙蝠のような翼が生えた。

 そして身体に纏うように、炎が渦を巻く。

「嫉妬の魔王に嫉妬されるなんて、なかなか光栄だわ」

 いくら強力な技とは言え、単発では仕留める事はできそうにない。

 私は再びメギドの火を喚んだ。

「天の雷柱あ!!」

 火と硫黄がレヴィアタンの『周り』に降り注ぐ。

――なんだあ!?狙いが外れたか!!

「いいえ。狙い通りよ」

 狙いは目眩まし。私の姿を認識させない為に、粉塵を撒き散らしたに過ぎない。

「あの大技をただの目眩ましに使うだと!?」

 驚くリリス。

――目眩まし?小賢しい!!

 息、いや、炎を吐くレヴィアタン。

 見えない事など関係無いと言わんばかりに適当に炎を巻き起こす。

 だが、私は既に『此処』には居ない。

 幽玄の歩で更に別の亜空間に移動したのだ。この移動の為に天の雷柱を使っただけ。

「少し時間が掛かるし、無防備になるのよね…」

 呼吸を整え、詠唱をする。

「西方から全てを見渡す目を!!」

 頭にレヴィアタンの映像が現れる。

 巨大な黒犬を模した体躯、禍々しい魔力、激しい爆炎…身体は固く、傷を負わせる事ですら容易では無い。

「北方から説法を多く聞く耳を!!」

 潜伏している亜空間からレヴィアタンに送る『説法』。

 炎を吐くのをやめ、苦悶に歪んだ表情になる様が見える。

――何だこれは!?経か!?

 炎では無く、カスッ!カスッ!と咳をするレヴィアタン。

「炎は封じた!!南方から生長せる命を!!」

 レヴィアタンの脚元から蔓が伸び出て、巨躯を絡め取る。

――こんな植物如き!!カハッ!!

 蔓を咬み千切ろうとした刹那、その蔓がレヴィアタンの口から体内へと侵入して行った。

――おごごあっ!!ハッ!カハッ!ぶっ!!!

 遂に体内から蔓が飛び出す。

 それを確信して、幽玄の歩を解き、元の空間に戻った。

――貴様!!何をした!!ゴハアッッッ!!

 充血した目を向け、遂には血を吐き出すレヴィアタン。

「西方の守護、広目天にあなたの倒し方を視せて貰い、北方の守護、多聞天にあなたに説法を聞かせて炎を封じ、南方の守護増長天に植物の多産を促させた。まさか内部から攻撃されるとは思っていなかったでしょ?」

 炎を封じたのは植物を増やし伸ばすのを邪魔させない為。

「そして東方から国を支える護持を!!」

 レヴィアタンの周りの空間が歪み、そして球体になり、巨躯を捕らえて一つの空間に封じた形になった。

「東方の守護、持国天にあなたの『国』を創って貰ったわ」

――何が私の国だ!!ゴハアアッッッ!!こんな小さき空間が!!ぶっ!!

 レヴィアタンの身体から根が飛び出した。

「小さな国が嫌なら、消えても構わないのよ」

 圧縮されたように、レヴィアタンの空間が縮まって行く。


――ふぅぅぅぅ……ガフッ!!まさか天部衆最強の、帝釈天直属の四天王を苦も無く呼ぶとは……

 嫉妬の魔王に誉められた感があるが、苦も無くとは冗談じゃない話だ。

 レヴィアタンはたったの一撃を与えれば、私は終わってしまう。

 対して私は大技を幾度も繰り出してやっと今の状況だ。代償にかなりの精神的疲労を強いられている。

 表面上では押しているように見えるだろうが、実際はまだまだ余力のあるレヴィアタンが有利。

 証拠に、持国天の空間にヒビが入っている。

「追い込んだだけでも良しとするか…」

 次なる術に意識を移行させる私。

――人間に此処までのダメージを負わせられるとは思わなかったが……ガフッ!!ゴラアアアアアア!!!!

 レヴィアタンが大きく吼えると同時に、持国天の空間が破壊される。

 ボタッと受け身も取れずに落ちるレヴィアタン。そして私に目を剥く。

――此処まで神仏に愛されているお前に嫉妬するなあ…ガフッ!!

 愛されているのは私じゃなく師匠だ。私の殆どは師匠から戴いたものだから。

――このダメージでは暫くは動けんなぁ…ガフッ!!仕方ない……

 レヴィアタンの身体から血が溢れ出る。

 それは川となり激流となり、私を飲み込もうとする。

 ポコッ、ポコッ、と血の激流に泡が現れ、それがパリンと割れると、炎の犬が顕現された。

――私の名はヘブライ語で『集まり壁を成す者』だ。その炎が集まって出来た巨躯が私だ

 血泡から生まれた炎の犬、それが既に100はくだらない数になる。恐らくもっと増えるだろう。

――血の海で溺死するか、生まれ出た私の分身によって焼死するかの選択はさせてやる

「どっちもお断りよ。須弥山しゅみせんの頂に座す雷帝よ!!」

 天空に雨雲が出現し、雨が血の海に当たり、雨音がした。

「我の敵を滅ぼす刃を降らせ賜え!!」

 雨音が光る。静電気が蓄積された状態だ。

――メギドの火とは異質の雷だと!!

「引き出しに限界が無いのか君は!?」

 限界に近いんだけどね。

 そう思いながらも術を発動させる。

「ヴァジュラ!!」

 激しい落雷が血の海に次々と落ちる。

――面白い!!血の海が干上がり、分身が滅するのが先か、貴様が稲妻を落とせなくなるのが先か!!

 言われるまでも無い。

 精神力が続く限り、荒神の稲妻を撃ち続ける選択をしたのだから。

 血の海と炎の分身に稲妻が突き刺さる。

 突き刺さった箇所の血の海は蒸発し、炎は文字通り砕け散った。

「終わりよ!嫉妬のレヴィアタン!!」

――終わるのは貴様だ!!

 最早意地の張り合い。意外と負けず嫌いなのよ、私も。

「ヴァジュラあああ!!」

 ドガァン、ドガァンと落とし捲る。先程の四天王の技が効いている今しかチャンスは無い。

 雨雲を増やす。

 血の海を越え、レヴィアタンの頭上にまで雨雲が広がった!!

「今ならっ!!」

 メギドの火ですら耐えたレヴィアタンだが、肉体が内と外から破壊されている今なら!!

「あああああ!!あああ!!ヴァジュラ!!!」

 一際大きい落雷がレヴィアタンを直撃すると、レヴィアタンの首が飛んだ!!

 血の海が更に広がった。

 だが、炎の分身は増える事は無くなった。

「終わった!!でも!!」

 まだまだ血の海に稲妻を落とす。全て蒸発させなければ私の勝ちにはならない。


 雨雲が晴れ、天空に虹ができる。

「はぁ!!はぁ!!はぁ!!はぁ!!」

 私はガクンと膝を付いた。

 だが顔は真っ直ぐにレヴィアタンに向いていた。

 レヴィアタンは首と胴体が完全に別れて動かない。

 そして私を飲み込もうとした血の海も、稲妻によって全て蒸発されていた。

「…君には本当に驚いたよ…嫉妬のレヴィアタンをあそこまでボロボロにするとは…」

 立ち上がり、驚嘆を口にするリリス。

「私の力じゃないわ。授けて戴いた師匠の力よ」

 未だに肩で息をしながら答えた。それに対して首を振るリリス。

「確かに君は水谷から力を授かっただろう。だが、私の知っている水谷は此処までの力を持っていない。高めたのは紛れも無い、君のたゆまぬ努力の結果だ」

 ゆっくりと目を閉じ、続ける。

「君は良人に並ぶ為、神仏と常に対話していたのだろう。仕事をしながら、裏山の四柱の世話をしながら、家事をしながら…故に神仏に愛されたのだ。君の努力は確実に実を結んでいたのだ。水谷もあの世で喜んでいるだろう。君の驚くべき成長を。自分を凌駕した弟子の姿を。そして、そんな君が私をライバル視している事を誇りに思う」

 もの凄く誉められている感があるが、リリスの気がどんどん高まっているのを感じる。

「私の最後の敵に相応しいのは、やはり君しかいない。私が命を賭けるに相応しい!!」

 リリスの魔力により、空間が歪んだ。

「七王を統べる魔女に其処まで評価して貰えるとは、光栄だわ」

 それに呼応し、私も残った精神力をかき集め、再び戦闘に備える。

 しかし、私とリリスの間に、タマと黒猫様が割って入って、若干だが集中力が途切れた。

――魔王を倒しただけで充分だ尚美

――そうどすえ。後はウチ等に任せて貰いますよって

 自分の戦いでいっぱいいっぱいで周りを見る余裕が無かったが、改めて見ると、悪魔の群れは全滅していた。

「タマ、黒猫様、全て倒したみたいね。良かった」

 北嶋さんの望んだ展開となっただろう、敵は全て倒す、味方は全て守ると言う、誓いにも似た信念。

 それを成就し、少し安心をする。

 タマと黒猫様はリリスに対して殺気を放つ。

――人の身で見事。後は妾に任せよ

――少し下がって休みなされ。ウチが魔女を懲らしめてあげるさかい…

 そんなタマと黒猫様に対して、殺気を返すリリス。

「魔王を倒した君の疲労は計り知れないだろう。私も妖狐とバステト神を倒して、君と同等になろうか!!」

 大気が響き、大地が震えた。

 リリスの魔力が膨れ上がったのだ。

「タマ、黒猫様、退いて。リリスは私が倒すのよ」

 タマと黒猫様の前に出る私。

――お前は最早戦える状態では無い。妾は勇に頼まれているのだ

――北嶋本家に乗り込んで、勇の大切な人を人質にしようとする輩を、ウチが黙って見過ごす訳あらへんわ

 勿論退く事に同意する筈も無い。

「私は君と同等の条件で戦いたい、と言っているんだ。君こそ下がっていろよ神崎…」

 敵にまで退けと言われるとは思わなかったが、私は約束したのだ。リリス本人から頼まれたのだ。


 私を殺して。


 最後の敵に私を選んでくれたリリス。そこまで私をライバル視していてくれた事が単純に嬉しかった。

 ならば好敵手として、それに応えなけばならない!!

「タマと黒猫様を相手取って死なないで済むと思っているの?あなたは私が殺して『あげる』のよ。あなたの望み通りに」

 片手で印を組み、リリスに向ける。混じりっ気なしの殺気も交えて。

「…そんな状態で私を殺せる筈が無いだろう…傲るなよ神崎!!」

 リリスの魔力が更に上がる。

 だが、それは私を退かせる為の威嚇。

 証拠に、殺気は私に向けられていない。

「なにそれ?やる気があるの?じゃあ此方から…」

 術を発動させようと詠唱しようとしたその時、リリスの背後の空間から、ボロボロになった一人の初老の男が、半分泣きながら現れた。

「な、何?その、さっきまでいたぶられたような凄惨な出で立ちは?」

 リリスの配下、転生した有名人なのには間違い無いのだろうが、以前会ったラスプーチンや松山 主水みたいに脅威を全く感じない。

 ボロボロに殴られた跡や引き千切られたであろう衣服、何よりも『逃げて来た』感丸出しの泣きっ面…

「ファウスト!!一体どうしたんだい!?」

「ファウストですって!?あの魔術師ヨハン・ファウスト!?」

 師匠の記憶からの印象でしかないが、松山と並んで脅威と感じた人物だが、全く脅威とは思えない。見るも無残なボロボロ加減だったから。

「確か雌の悪魔を妻にした伝承もあった筈…その伝説の魔術師が、何故そんなボロボロな出で立ちに?」

 何となく理解は解るが、一応聞いてみる。

「その出で立ちを説明したまえ。何となく理由は解るが」

 リリスも薄々は気付いている様子。

 ファウストは震え出し、顔をしかめて涙を流した。

「北嶋 勇…あんな卑怯で残忍で滅茶苦茶な男は、私の手には負えません…」

 私とリリスは同時に口を開いた。

「「やっぱり」」

 そしてファウストはリリスの脚にしがみつき、喚いた。

「七万の悪魔を無効にしたばかりか、たまたま居合わせた生き物を殺したら「俺ん家で生き物ぶっ殺しやがって」と、いきなり怒り出し、一匹の魔王を瞬殺し、私に「お前が親玉なら責任取りやがれ」と言って殴る蹴る……服を引っ張り、破り裂き、髪を掴んで投げられ……あんな悪魔以上の悪魔、私の記憶にはありません………」

 可哀想なくらいボロボロと泣くファウスト。

「魔王を瞬殺………」

 流石のリリスも唾を飲み込み、汗を流した。対して私は笑ってしまった。

「はははは!!流石北嶋さんだわ!数で押そうが魔王を喚ぼうが、あの人には全く意味が無かった訳ね!!」

 ファウストはギラッと私を睨み付けた。北嶋さんに虐められて、泣き腫らした目蓋と一緒に。

「…貴様が北嶋の女か!憂さ晴らしは貴様でさせて貰うぞ!」

 八つ当たりに私を選んだって所か。

 だがリリスが納得する筈も無い。

「ファウスト…何故君が神崎と戦わなければならないんだい…彼女は私が倒すんだよ…」

「い、いえ、アダム様からの通達でして…『君が歯が立たないなら、妻と交代してくれ』と…」

 途端にリリスの顔色が変わる。

「あの男…!!好き放題、やりたい放題か!!」

 奥歯をギリギリと噛み締めるリリス。そして私に無念の表情を向け、言った。

「……聞いての通りだ神崎…すまないが、もう一つ我が儘を言わせてくれ…………………良人の家で待つ」

 それに頷いて応えた。

「直ぐに行くわよ。ちゃんとあなたの願いも叶えるから」

「…約束したよ神崎……すまないな……すまない………」

 リリスはしがみついているファウストを払いながら、私に背を向け、消えて行った。

 悔しそうで寂しそうで、それでいて切なそうな表情を見せながらリリスは行った。

 パン!と両手で頬を叩き、気合いを入れ直す。

「さあ!始めましょうかファウスト!!」

「北嶋の女!八つ裂きにして北嶋の前に晒してくれるわ!」

 ボロボロのファウストが格好付けて凄むも、滑稽過ぎて噴き出してしまう。

「今よりもボロボロにしてあげるわよ」

 一歩前に踏み出す私。

――待て尚美。その男は妾にやらせろ

――何を言っていますの?ウチが身体を引き裂いてあげると決めていますのに?

 タマと黒猫様がファウストの前に飛び出した。

 タマと黒猫様は北嶋さんの敵、北嶋さんの大切な場所を荒らす輩は絶対に許す事はしない。

「虐めになるわよ?それでもいいの?」

――構わぬ。勇の敵は妾が殺す

――あちらさんも似たような事やっていますがな。文句言う資格なんかあらへん

 溜め息を付いた。全く以てその通りで、反論が出来なかったから。つまり説得できそうになかったから。

「聞いての通りよファウスト。私を殺したいのなら、九尾狐とバステト神を倒さなければならないわ」

 いくら伝説の魔術師と言えど、この二匹を相手に勝つ事は不可能だ。

 だが、ファウストは高笑いをして、それを否定する。

「かーっはっはっはっは!!私の目的はあくまでも北嶋の女だ!!国滅ぼしの大妖と古のエジプト神を相手にする愚行など犯すものかよ!!」

 天を仰ぎ、両手を広げるファウスト。

 すると、後ろに再び悪魔の群れが出現した。

「かっはっはっはっは!!先程は千くらいか?今回呼んだのは二千の悪魔だ!!」

――ち!面倒な真似をしおって…

――仕方ありません。九尾狐さん、ウチと半分こですな。尚美さんは此処でジッとしておくれやす…!!

 下級悪魔を二千喚ぼうが、タマと黒猫様には大した事は無い戦力だ。

 だが、確実に私はファウストと対峙する事になる。

 数で二匹を足止めする事が狙いなのだろう。

「いいわ。あなたが嫉妬の魔王やリリスより強いとは思えないしね」

 空に近い霊力だが、ここを乗り切らなければリリスに届かないかもしれない。どうせ戦うつもりだったし。

「よい度胸だ!死ね!」

 新たに呼んだ悪魔に号令を出すファウスト。

 その時、小雨が降り、悪魔達の動きが鈍った。

「な、何をしているお前達!!早く狐と猫を殺せ!!」

 しかし小雨に打たれた悪魔達は、苦しみながらのた打ち回わった。

「まさか…聖水?」

 降ってきた小雨は聖水なのか?

 少し口に含む。

「これは!!」

 知っている神気を含んだ水、海水!!

 北嶋さんの裏山の守護神が一柱!!龍の海神様の聖なる水!!

 ブワアアア!と、その存在が現れる!!

「ひ、ひいいいいいいいいい!!」

 ファウストはへたり込み、後退った。

――苦戦しているかと思ったが、九尾狐とバステトが居る場所には、余計な危惧だったな

 海神様は肩透かしを喰らったとばかりにガッカリしていた。

――丁度いい。貴様は尚美を守れ。あの雑魚共は妾とバステトが殺す故

――そうどすな。貴方様ならあんな人間、一蹴ですやろ

――ふん。馬鹿馬鹿しい。悪魔の群など、我の聖なる水で消滅できると言うのに

 海神様の降らせた小雨は、確かに悪魔達を次々と倒していった。

「こ、こんな助っ人は想定外だ!!」

 シャカシャカと手とお尻と足を使い、更に後退るファウスト。

 ドンと何かにぶつかり、其方に目を向けた

「!!嫉妬のレヴィアタンの首!!死んでいるのか!?いや、微かに魔力を感じる!!」

 ファウストはレヴィアタンの首にしがみつき、揺さぶった。

「おい、起きろレヴィアタン!!貴様なら奴等を殺せるだろう!!」

 激しく揺さぶると、ピクリと目玉が動いた。その目玉を私に向けるレヴィアタン。

――何故とどめを刺さない……?

 ピクリとして私を見るタマと黒猫様。

「勝負は私の勝ちで終わったし、嫉妬は時として自身を高める原動力にもなる。つまりあなたも必要な存在と言う事。あなたも永い時を掛ければ、復活できるでしょう」

――なんと!尚美!お前が魔王を倒したのか!!

「れ、レヴィアタンを九尾狐やバステトではなく、貴様が倒しただと!?」

 驚く海神様とファウスト。更に驚いているのはレヴィアタン自身だったが。

――私が人の世に必要だと言うのか!?

「以前の私ならばとどめを刺していたでしょう。でも、納得したの。必要だから存在していると」

 それは北嶋さんの影響。

 敵には全く容赦ない北嶋さんだが、別に悪魔を敵視はしていない。

 向かって来るのなら別だが、奴等も奴等で生きているだけだ。

 人を喰らう悪魔も居るのだろうが、それもただの食事だと。

 喰われたくなきゃ、神より授かった知恵で回避しろ、と。

 昨日まで世話を焼いて貰い、外敵や病気から守ってくれた人間に、いきなりぶっ殺される牛や豚の驚きよりは大した問題じゃ無いだろうと。

 言っている事は普通の人間、しかも霊能者としてはズレている言葉。

 だけど私は反論が出来なかった。

 だから私も北嶋さんの考え方に同調した。

 故にレヴィアタンにも、とどめを刺す必要を感じなかっただけなのだ。

「とは言え、殺すつもりで挑んだ結果、死ななかったのはあなたの力。結局全力でも滅する事が出来なかっただけよ」

 レヴィアタンを戦闘不能に追い込む事がギリギリだった。その生命力、素直に驚嘆しよう。

――ふ、甘いな女…私を見逃した事で、後悔する事になるかもしれんぞ…

「そ、そうだレヴィアタン!!神崎を殺せ!!狐を、黒猫を、龍を殺せ!!それだけがお前の存在理由だ!!」

 首だけになったレヴィアタンに酷な要求をする。

 殺したいのなら、自ら向かって来ればいいだけなのに、他力本願とは。予想以上に小物だったのか。

――敵に生かされ、味方に死ねと言われるとはな……

 首だけになりながらも、と私に無理やり視線を向けた。

「向かって来るの?」

――この男の言う通り、悪魔は人に災いを齎す存在…そしてその人間を護ろうとする輩も敵なのだ…

 私は兎も角、今の状態では勝ち目の無い相手にも向かって行かねばならない。

 逆の立場なら、きっと私達も同じ事をするだろう。

 ならば悪魔とは言え、その想いに応えるのが礼儀。

 私はタマや海神様を避けながら前に出る。

「来なさい嫉妬の魔王、レヴィアタン!!引導は私が渡す!!」

――人間に礼を言う時が来るとは思わなかった!!私の最後の足掻き!!その身に受けよ!!

 最後の力を振り絞っての突進であろう、牙を剥き出しての無防備で単調な直線攻撃!!

――愚行だな!!

「待って!レヴィアタンは私が…」

 そんな私の叫び声など聞く訳も無い海神様とタマ、そして黒猫様は、首だけのレヴィアタンに飛びかかった。

 瞬間!地から巨大な腕が伸び出て、レヴィアタンを捕らえた!!

――な、貴様!!召集に応じなかった筈!!

 充血した目を剥き出しにしてレヴィアタンが叫んだ。

「あの黒い腕……まさか!!」

――知っているぞ!!その巨大な魔力!!我は知っている!!

――貴様!!勇の敵には回らない筈ではなかったのか!?

 身構える事すら忘れ、立ち竦む程の圧倒的魔力!!

――こ、こんな魔力…ウチは知りません…九尾狐さん達は知っているのですか!?

 無意識に後退りしながら巨大な黒い腕を見上げる黒猫様。対してファウストは歓喜しながら跪いた。

「おお!来て下さったのですか!暗き深淵の支配者!憤怒を司る魔王、悪魔王サタン様!!!」

 そう、レヴィアタンの巨躯すら赤子同然の巨大さ!!

 同じ魔王な筈なのに、格が違う圧倒的魔力!!

 地から伸び立ってレヴィアタンを捕らえた腕は、悪魔王サタンの腕だったのだ!!

 その腕はレヴィアタンもろとも、地に還って行く。

――サタン!サタン!私は女を!神崎をおおおおおおおおおおお!!!

 地中から声だけが聞こえた。

――レヴィアタン…貴様はまだまだ必要だ…貴様等を完全に死なせない為に、俺はリリスと契約したようなものだからな…

 問答は無用と言わんばかりに、地中にレヴィアタンを引き込むサタンの腕。

「待て!サタン!」

 咄嗟に駆け出す。しかし既にレヴィアタンとサタンの姿は無い。

「聞きたい事が沢山あるのよ!!もう一度姿を現しなさい!!悪魔王サタン!!」

 腕が伸び出た穴に向かって大声で呼び掛ける。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!!


「はっ!!」


 バガアアアアアンンン!!


 大地が裂け、その姿を表すサタン!!

 漆黒の黒い蛇を模した身体!!天に霞んで見え難いが、龍に似た顔に六本の腕!!

 悪魔王サタンが私達を見下ろしながら、その姿を完全に現した!!

「サタン様!!早くこの者達を殺して下さい!!早くっ!!」

 見えない。

 見えないが確かにファウストに視線を向けたサタン。

――…たかが人間如きが…しかも契約すらしていない者が…この悪魔王を使おうとするな!!

一際大きい殺気がファウストに向けられる。

「ぶっっっ!!ゴフッ!!さ…サタン様………何故………べぶおおっ!!」

 大量の血と臓器を口から吐き出したファウスト。殺気だけで殺せるのか!?

――前回は目玉と歯は残ったんだったな。今度は肉片すら残さん!!

 私達の目の前で、縦に縮んで、いや、圧殺されていくファウスト!!

 ファウストの身体は、サタンの言葉通りに、肉片すら残っていなかった。

 夥しい血の跡だけが、ファウストが存在した証明になった。

 静寂に包まれるこの場……

 唾を飲み込む音が響く。

 凄まじい程の悪寒が私を襲う。あれに話しを聞こうなど、自分の無謀さに呆れる程だ。

 だが、私は聞かなければならない。ファウストが居た血の跡から、天を目指して目を向けた。

「…悪魔王サタン…貴方には色々聞きたい事があるの!!」

――北嶋 勇の伴侶だな。良い。俺も貴様に話しておかねばならぬ事があるのだ…

 六本ある腕の一本を使い、手のひらを地に下ろすサタン。

――乗れ。貴様は知る権利がある。北嶋 勇の伴侶としてな…

 言葉に甘えて手のひらに飛び乗る私。

――ふん、何を知りたいのか、何を教えたいのかは知らんが、妾も多少興味があるからな

 続いてタマが飛び乗ろうと跳ねた瞬間!!

――貴様を招いた覚えは無い!!図に乗るな九尾狐!!

 天に赤く輝く二つの瞳が、炎のように光った!!

――くわあああああああ!!

 宙に弾かれるタマ!!

――一足先に主人の元へ行き、主人を助けぬか狐が!!

 再び瞳が光った瞬間、タマの姿が黒い靄に包まれた!!

 そして私がまばたきする間に、タマの姿が消え去った!!

「タマ!!タマあ!!サタン、タマに一体何をしたの!?」

 手のひらから身体を乗り出して叫んだ。

――安心しろ。死んではおらん。奴に手を掛ければ、今度こそ俺の首が飛ぶかもしれんからな…

 グググ、と手のひらを自分の視線まで持ち上げる。

 つまり私はサタンの顔をハッキリと見られた訳だ。

「頬に斬撃痕?しかもうっすらと血が滲んでいる…?」

 本当に、ついさっき斬り付けられた斬撃の痕。

 こんな巨大な悪魔に届く刀剣は、草薙以外に考えられないが…

――では行こうか

 悪魔王の言葉に我に返る。

「ど、どこへ?」

 悪魔王は表情一つ変えずに私を乗せている手のひらを『分解』して『飛散』させた。

「こ、これは!?」

――貴様等の言う亜空間転送か。気を失うかもしれんが、案じる事は無い。目が覚めたら、本腰を入れて話してやろう

 視界が暗闇に包まれる。

 悪魔王の手のひらなのに、不安を感じる事も無かった。

 一切の音が遮断されると同時に、私は意識を失った…


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 九尾狐が消え失せ、尚美まで何処かに連れ去られてしまった!!

 半身のみ残っている悪魔王目掛けて飛び出した我とバステト!!

――悪魔王!!尚美さんを何処へ連れて行ったんや!!

 バステトは爪を剥き出しにして薙るよう手を伸ばし!!

――貴様は我の命と引き換えに葬ってくれる!!

 我は超水圧の刃を纏い、突っ込んで行く!!

 半身のみとなった悪魔王の瞳が赤く光った!!

――うおおおおお!?

――うわああああ!!

 我とバステトは簡単に弾き飛ばされ、地に身体を打った。

――俺を怒らせるな。狐も女も北嶋勇の味方。そして貴様等もな。手を掛ければ、北嶋 勇とやり合う事になるのだ。それだけは避けねばならんのだ

 我等は地から身体を起こす。

――九尾狐と尚美は無事なのか…それを証明できるか?

――何故俺が貴様等に証明せねばならんのだ!そのような義理も義務も俺には無い!女は知らねばならぬ故、招いたまで!貴様等は新手が現れた時に備えて、北嶋本家を守っていればいいのだ!!

 悪魔王は我等に手を掛けぬ忌々さからか、赤く光る瞳に憎悪を宿して、残った半身を震えさせながら、消え去った…

――尚美さん!!尚美さん!!

 バステトは取り乱したように空間に向かって騒ぎたてる。

――以前も悪魔王は勇と戦う事を避けているようだった。勇の味方には手を出さない、いや、出せない…勇と正面切って戦う事になるのだからな…

 故に我等も無事だった。

 以前対峙した時は、三柱と九尾狐で相討ちと思っていたが、とんでもない間違いだ。

 あの強さは我等の理解を遙かに超える。

――その話が本当でも、ウチの目の前で尚美さんが連れ去られた事実は間違いありません!!

 バステトは己の不甲斐無さを嘆くように地に伏せる。

――我も同じ気持ちよ…だが、悪魔王の言う通り、北嶋本家を守るのが我等の使命。新手が現れた時に備えて、気をしっかりと保たねばならぬ

 口惜しいが、それしか我等がする事ができぬ。

 尚美も九尾狐も無事なのは確実だろうが、まだまだ戦は終わってはいない。

――そうどすな…ウチ等はウチ等の仕事がありますな…

 地に伏せた身体を起こして北嶋本家の門前に座るバステト。

 我も急襲に備え、聖なる雨を降らせる為に、天を駆け回った。

 口惜しさと不甲斐無さに苛まれながら………

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